第69話 こっち来るなよ
世界は残酷である。
故郷のクソさびれた寒村に住んでいた時の俺なら、こんな世界観を持つことはなかっただろう。
俺の演技は完璧で、村人たちも皆騙されており、そのままであればいずれ豪農や大聖人の娘と結婚して楽な人生を送るという最大の目標を達成していたはずなのだ。
しかし、世界は俺に試練を与える。
マガリという邪魔者を排除するために行ったことによって、俺は最大の敵である魔剣を手に入れてしまう。
こいつのせいで俺の人生はむちゃくちゃになってしまったわけだが……しかし、毎日24時間苦しんでいるというわけではない。マガリと違って。
「はぁ……よく降るなぁ」
窓から外を覗き見れば、雨が降り注いでいた。
俺はため息を吐いているが、決して憂鬱というものではなく、むしろ恍惚としたため息である。
別に俺は雨が好きというわけではない。濡れてしまうから嫌いな方でさえある。
しかし、最近は好きになってきた。
俺が外に出るということもないので濡れることはないし、それに……。
「流石に雨だと、あいつらも来ないだろうからなぁ……」
『自分を慕って来てくれている女の子たちに向かって、よくそんなことが言えるね。しかも、その二人にが人気女優と人魚姫だよ? えぐいね、マジで』
俺の独り言に反応したのは、もちろん人間ではない。忌々しい無機物である。
こいつの言う二人とも、そもそもは接触することすらなかったはずなんだ。
二人とも夜中に外から声が聞こえてきたということで、魔剣が勝手に心配して俺を操って接点を持つことになった。
俺は行く気ゼロだったので、本当だったら会うことはなかったんだよな。
……そうしていたとしたら、シルクは奴隷のままだったかもしれないし、マルタは姉の本性を知らずにできそこないのままだったのか。
まあ、そうだからなんだって話だが。あいつらを助ける過程で俺が危険な目にあったのが未だに許せん。
『その自分本位な考え方、止めた方がいいと思うけどなぁ……』
お前ほど他人主義な考え方も止めろよ。
余計なお世話になることだってあるし、下手に首を突っ込んでややこしくしてしまう場合だって考えられるだろ。
……と、俺と魔剣は脳内で口論を繰り広げているが、おそらくどちらも引くことがないので勝敗はつかないだろう。
ほんっと迷惑極まりないんだけどな。マジで。
『いつか痛いしっぺ返しが来るよ』
……こいつ、何で俺を脅してきているの? 馬鹿なの?
『あぁっ!? 冷たい!?』
部屋に備え付けられている水差しを振って魔剣に水をぶっかける。
『錆びる! 錆びるから拭いて!!』
知るかボケェッ!! 錆びろ!!
どうせ、錆びることはないだろう。俺がこいつを見つけたとき、何百年も放置されていたにもかかわらず、錆び一つなかったのだから。
ちっ。
しかし、魔剣に一つやり返すことができたのは僥倖だ。
俺はウキウキ気分でソファーに座ると……。
『……ノックだよ』
知ってるよ。また扉がコンコンという音を立てたのは、俺だって聞いている。
問題は、今までこの宿に来てからというものの、ノックをされて出てろくな目にあったことがないということだ。
居留守だ……居留守をしたい……!
しかし、もし俺がここにいることを知っている連中だったら……いや、知らんぷりをしたとしても魔剣がまた頭痛やらなんやらで出してしまうだろう。
……はいはい、分かってますよ。どうせ出ないといけないんでしょ? 知ってるわ。
俺が返事をして扉を開ければ……。
「……アリスター」
「濡れちゃったよ……」
二人、だと……!?
一人でも嫌なのに、二人揃ってとか……ハルマゲドンかな?
扉の前に立っていたのは、雨に濡れたのだろうか水滴を身体から垂らしている二人の少女たち。
一人がこげ茶の短めの髪を濡らし、表情を一切変えていない無表情のシルク。
もう一人が濃紺のボブカットで気の強そうなキリッとした整った顔を歪めているマルタ。
王都演劇団の主演女優と人魚姫の二人……関わりたくない相手である。
しかも、濡れているとかなに? その状態で俺の部屋に入ろうとしていたのか? 身の程知らずというか礼儀知らずじゃない?
「ああ、ちょっと待ってな」
内心罵声を浴びせまくっているのだが、俺は人の良い笑顔を浮かべてタオルをとってきて彼女たちに渡した。
ちっ。もうそのタオル使えねえな。
「ありがとう、アリスター」
「…………」
ニコリと笑って礼を述べるマルタ。
一方、シルクはじっと俺を見上げてきていた。礼はどうした、おらぁっ!
「……アリスター、私を見て思うこと、ない?」
ないわ。
シルクはタオルを使わず、何故か濡れた身体を見せつけてくる。
マルタが「ちょっ!?」と言って動揺しているが、見せつけているシルクは無表情のままだ。
彼女も奴隷だった時とは比べものにならないくらい良い服を着ているようだが、雨でべっとりと水けを含んでしまったそれは、彼女の身体の線をはっきりと出してしまうほどへばりついていた。
小柄な方だが身体の起伏はしっかりとしており、豊満な胸の形も見えてしまっている。
一方、マルタもあわあわと顔を赤くしているが、彼女も服をべったりと張り付かせている。
てかお前人魚なんだから水けを弾き飛ばすようなことできないの?
シルクほどというわけではないが、しかし平均並にはしっかりと膨らみを見せている。
大きさと柔らかさはシルクが上かもしれないが、張りという面ではマルタが上なのかもしれないな。
スラリとしたモデル体型は綺麗だと思うし。
…………まあ、だからなんだという話だが。
『えぇ……? 二人の色っぽい姿を見て、感想がそれ?』
いや、当たり前だろ。
脳みそが下半身に直結している馬鹿ならほだされて迫ったりする可能性がなきにしもあらずだが、俺はそんな馬鹿じゃない。
こいつらと一緒になっても、自堕落な生活を送らせてもらえるとは思えない。
いや、シルクならいけるかもしれないが……こいつ、割と依存心高そうだし、常に一緒にいないとダメそう。それはきついっす。
二人とも金なら十分にありそうだ。人気女優と人魚姫だし。
ただなぁ……気楽な生活ができそうにないので、俺の守備範囲外なのである。
だから、こいつらに粉をかけることはない。たとえ、多少あれな恰好をされたとしても、だ。
『うーん……身体だけ求めるわけじゃないからマシというか、目標が不純すぎるから叩くべきか……』
「ずっと濡れたままだと風邪をひいてしまうぞ。ちゃんと拭けよ」
「むぐぅ……」
俺はシルクからタオルをとると、少し乱暴に濃い茶の髪をガシガシと拭いてやる。
小さく悲鳴を上げてパタパタと手を振って抵抗してくるが、ふっ……マルタならともかく、ろくに鍛えていないシルクに負けるほど俺も弱くないぜ。
『誰にマウントとっているのかな? まともに組み合ったら負けそうだけどね』
止めろ。
「……今の僕たち見てまったく反応見せないって、何だかショックなんだけど。いや、アリスターが性欲丸出しにするのも何か嫌だけど」
「……魅力、ない?」
「ガーン!」
こそこそ二人で話しているが、全部聞こえている。
こそこそ話は時折人の弱みを話している時があるからな。こういうのは絶対に聞き逃さないようにしている。
……しかし、自分でショックを受けた効果音を言うのはおかしいぞ、マルタ。
「ほら。早く拭いて中に入れよ。何か温かいもの入れるからさ」
「……うん」
「ありがとう」
嫌々ではあるが、二人を招き入れる。
……マジで女優と人魚なんだから、頻繁にこっち来るなよ。マジで。
新章突入です!




