第64話 せ、生命力?
「なに、これ……」
「歌、だよね? でも……」
集落の中にいながらもいなくなった人魚たちを探していた、マクシミリアン邸から救出された人魚たちは、その歌を聞いた。
「凄く綺麗な歌……」
「うん。誰か、こんな歌を歌える?」
「無理よ」
彼女たちは人魚たちの中でもとくに見目麗しく、歌の上手い人魚であった。
だからこそ、マクシミリアンに求められてパメラに売り飛ばされたわけだが……。
そんな彼女たちをしても不可能と言わしめるほどの素晴らしい歌だった。
「……なんだか、心から清められるような歌ね」
「うん。ずっと聞いていたいわ」
彼女たちは人魚の捜索を一時的に止めて、しばしその歌に聞きほれるのであった。
◆
はじめ、パメラは歌いだそうとするマルタを見て嘲笑った。
それもそうだろう。彼女は人魚として失格といえるほど歌が下手なのだから。
その理由が自分にあるからこそ、そのことはよく分かっていた。
マルタは自分のことを、武器か魔法で無力化または打ち倒すべきだったのだ。
そうすれば、もはや自分は動くことすらできずに、不様に地面を這いずっていただろう。
妹には悪いが、無防備に下手な歌を歌う彼女を操り、アリスターたちにぶつけようとして……。
「――――――え?」
マルタの歌の美しさに、呆然と立ち尽くすのであった。
そんな……そんな馬鹿なはずがない。
こんな美しく清らかな歌を、マルタが歌えるはずがない。
なぜなら、彼女の歌声を奪ったのは自分であり、事実その歌声で人魚のリーダーに上り詰めるほどの歌を歌うことができるようになったのだから。
それなのに、この歌はなんだ?
心の奥底から浄化されるような……生まれながらにしてずっと掻き立てられてきた欲望というおぞましいものが、みるみるうちに小さくなっていく気がする。
「な、んで……」
パメラは自分の目からポロポロと涙がこぼれるのを見て、唖然とする。
悲しいわけではない。痛いわけでもない。それなのに、どうして涙が……。
自分のことながら理解できずに、激しく困惑する。
こぼれてくる涙を何度も乱暴に拭うが、それでもとめどなく水滴は流れ続ける。
パメラはじっと歌を歌い続けるマルタを見つめた。
『浄化、癒し……そういったものが強く込められた歌だね』
聖剣はマルタの歌に聞きほれながらも、そう話した。
これは、魔法というよりマルタの強い意思が込められた歌である。
だからこそ、欲望に狂うパメラにも、その歌が届いたのだろう。
悪を浄化して、善を為す。そんな歌であり、聖剣にとって非常に聞き心地の良い歌であった。
一方で……。
「(うぎゃあああああああああああああああああああああああああああ!?)」
「(あ、頭が割れるうううううううううううううう!?)」
物凄い悲鳴を上げながら頭を抱える二人がいた。アリスターとマガリである。
清らかで清浄なマルタの歌。腹が闇よりもどす黒く、他者を陥れて自分だけ楽な生き方をしたいと切に願う二人にとって、猛毒以外のなにものでもなかった。
自身の欲望に狂って同胞を売り飛ばしていたパメラでさえその歌に聞きほれているというのに、この二人はもだえ苦しんでいるのだから吐き気を催す邪悪とはまさにこの二人のことである。
『どっちが悪かわからないんだけど?』
「(ぐおおおおおおおおおおおおおおっ!? その不快な歌を止めろおおおおおおおお!?)」
「(心が焼かれるうううううううううううううううう!?)」
もうこのまま二人とも浄化されてくれたらいいのに、と聖剣は思った。
まあ、あまりにもどす黒すぎて流石のマルタの歌でもどうしようもできないのだが。
「う、ああ……!」
アリスターとマガリが苦しんでいる時、聞きほれていたはずのパメラもまた苦しみ始めた。
頭を抱えて、グネグネと身体を動かす。
そして……。
「あああああああああああああああああっ!?」
ぶわっとパメラの身体から黒い瘴気のようなものが現れた。
「な、なにっ!?」
「(なにあれ? オナラ?)」
思わずマルタも歌を止めてしまい、アリスターは馬鹿なことを考える。
それほど、パメラの身体から溢れ出した黒い瘴気は異質だったし、おぞましさを感じさせるものだった。
『あ、あれは……悪魔!?』
「(なにその不穏な言葉。無視していい?)」
もちろん、ダメである。
アリスターの脳内で、懇切丁寧に説明する。
曰く、悪魔とは実在する生物である。
たとえば、悪魔のような性格だ、などという比喩の表現はあるが、比喩でもなんでもない本当の悪魔。
それが、パメラの身体から飛び出してきたのである。
『おそらく、あいつはずっとパメラの心に巣食っていたんだ。彼女の異常なまでの欲望も、悪魔に掻き立てられていたに違いない……!』
「(そうなの? まあ、だからと言ってパメラがやってきたことが全て許されるわけじゃないけどな)」
『鬼かよ、君は!?』
「ああああああああああああああああああっ!!!!」
アリスターと聖剣が賑やかに口論していると、男の絶叫が響き渡った。
それは、パメラから溢れ出した黒い瘴気であった。
空中で集まったそれは、徐々に人の顔のようなものを形作った。
「うるせえうるせえうるせえ!! 気持ちの悪い歌を聞かせやがって!! 寄生していた心から逃げ出しちまったじゃねえか!」
「き、君は……!?」
「ああ? 俺様は悪魔だよ。大悪魔カスト様だ!!」
マルタの問いかけに、不遜にも大きな声で名を騙る悪魔……カスト。
アリスターは名前を聞いて、いかにも噛ませだなぁ……と失礼極まりないことを考えていた。
「めちゃくちゃ居心地のいい場所だったのによぉ……俺様を追いだしやがって……!」
「き、君はずっとお姉さまの中に……!?」
「ああ。こいつが生まれた瞬間に、こいつの心に巣食ったんだよ」
黒い瘴気で形作られた顔は、悪辣に笑う。
「じゃ、じゃあ、お姉さまがこんなことをやっていたのは……!!」
「俺様がこいつの欲望を掻き立てていたからだよ。悪魔を内に巣食わせていたんだ。そりゃあ、狂って当然だよなぁ……」
ゲラゲラと笑う。
「こいつには分からなかっただろうぜ。なにせ、生まれた瞬間に憑りついたんだからなぁ。その異常な欲望は、自分の生来のものだと思っていたんだろうさ。くくくっ、滑稽だよなぁっ! 全部俺様のせいだっていうのによぉっ!!」
心底楽しくて仕方ないといった様子で笑うカスト。
「悪魔にとって、栄養になるのは欲望や憎悪といった負の感情だ。数十年も心に巣食って散々貪らせてもらったからなぁ……今の俺様の力は、歴史に名を残す大悪魔たちにも近づくほどだぁっ!!」
「ぐっ……!?」
カストが絶叫すると、ゴウッと凄まじい魔力の波動が広がる。
なるほど、その力は誇示するだけのものではあり、それこそ万全の状態のマルタをも軽くしのぐほどだろう。
彼女はその歴史に名を残す悪魔とやらは知らないが、本当に強大な力を持つことだけは理解できた。
しかし……しかし、それがパメラの犠牲の上に成り立ったものだというのであれば、絶対に認めるわけにはいかないし、怒髪天をつくような強烈な怒りを抱くのであった。
「お前……!」
三叉槍『フィロメーナ』を取り出してカストを打ち倒そうとするが……。
「くひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ!! カスみてえな魔力しか残ってねえくせに、この俺様を倒すことなんてできるわけねえだろうがっ!!」
「きゃぁっ!?」
実体を持った黒い瘴気が襲い掛かってきて、マルタの手から三叉槍を弾き飛ばす。
悔しいことに、カストの言うことは事実であった。
今のマルタに、これほどの力を持った悪魔をどうこうする力は残っていなかった。
また、先ほど初めて、しかも何十年も心に巣食っていた悪魔を追い出すほどの歌を歌ったばかりである。
魔力だけでなく、気力という面でも激しく消耗していた。
そう、確かにマルタではカストを消滅させることはできないだろう。
だが……ここには、聖剣の勇者がいるのである。
「じゃあ、俺がお前を倒そう」
「あぁ?……なっ!?」
また馬鹿な奴が現れたと、あからさまに馬鹿にしてカストはそちらに目を向けて……唖然と目を大きくさせた。
そこには、あまりにも邪悪な剣から黒い魔力を溢れ出させている男の姿があった。
「な、んだ、それは……!? その禍々しさ、おぞましさ……人間風情が扱える魔力の色じゃねえ……!!」
「(全部魔剣のせいなんだよなぁ……)」
『君のどす黒さだろ!?』
カストには彼らの声が届かないため、いまだに戦慄したままだ。
しかし、それも当然だろう。
なぜなら、アリスターの纏っている黒い魔力の波動は……。
「大悪魔サタンに匹敵する……!?」
いや、それが実際に正しいかはわからない。
カストだって、直接悪魔の中の悪魔と言えるサタンを見たことがあるわけではないのだから。
だが、アリスターの纏う魔力の量はともかく、その禍々しい質は悪魔よりも悪魔らしく……自分よりもはるかに凶悪なものだったのだ。
「(しかし、俺がこんな魔力を溢れさせることができるとは思わなかったなぁ)」
『うん?』
アリスターののんきな言葉に、聖剣が反応する。
「(いや、ほら……マクシミリアン、だっけ? そいつのとこで戦って、魔力がすっからかんになったと思ってたんだよ。体力も精神力も可愛そうなくらい疲弊しているけどさ。いやー、俺にも魔力の才能があったんだな!)」
ヘラヘラと笑うアリスター。
基本的に聖剣が身体を操っているとはいえ、その原動力となる魔力や体力を消耗するのは彼自身である。
そのため、強力な斬撃である『邪悪なる斬撃』にかかる魔力もまた、アリスター自身が負担している。
だが、そうすると何発も撃つことができないのが現状である。
アリスター的には、マクシミリアンとの戦いで使い切ったと思っていたのだが……自分の把握していなかった才能があったのだろうか?
「(ただ、なんか……大事なものがごっそり抜けていくような感じがするなぁ……)」
首を傾げるアリスター。
まあ、魔力を消費する時も気持ちがいいわけではないので、こんな感覚もあり得るのだろう。
そう自己完結しようとしていたら……。
『ああ。多分、それ生命力だね』
聖剣が解説してくれる。
『申し訳ないけど、君は魔力という面においてはそれほど才能があるわけじゃないよ。君の言う通り、マクシミリアンとの戦いで使った斬撃で魔力はすっからかんだ』
「(え? じゃあ、どうやってこの魔力出してるの?)」
目を丸くして聖剣を見ると、やはり黒々としていた禍々しい魔力が溢れ出している。
それも、普段よりも威力や量が多そうなくらいなのに……。
理解していない様子のアリスターに、聖剣が答えを教えてあげる。
『魔力の代替となるもので、案外補うことができるものなんだよ。今回の場合は、生命力だね』
「(へー、生命力ね。うんうん、なるほど、生命力…………せ、生命力?)」
最初はコクコクと頷きながら聞いていたアリスター。
しかし、次第に飲み込めていくと、どんどんと顔を青ざめさせていき……。
「はああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
アリスターの絶叫が響き渡ったのであった。




