第62話 このボケがぁ!
「おおおおおおおおおおおおおおっ!」
「(僕っすか!?)」
雄叫びを上げてヘルゲが向かうのは、アリスターのもとであった。
内心悲鳴を上げつつ、しかし聖剣がしっかりと身体を操ってくれるので構えをしている。
「はぁっ!!」
「うぉっ!?」
上から勢いよく振り下ろされる剣を、聖剣が受ける。
ガツン! と骨が響くような衝撃を受けて、操られているアリスターは悲鳴を上げる。
もともと農作業さえサボってきて筋力が大したことのない彼は、騎士として厳しい訓練に励んできたヘルゲの筋力に激しく劣っていた。
今かろうじて拮抗した状態を作り出すことができているのは、ひとえに聖剣に操られているからである。
そもそも、アリスターだけの力だったら、初撃を防ぐことも避けることもできずに斬られて終わっていただろう。
「(なんだこいつ!? 本気で俺を殺しに来てない!?)」
『来てるねぇ……』
「(なに余裕ぶっこいてんだ!!)」
アリスターが聖剣に罵声を浴びせていると、ふと腕にかかっていた重圧が軽くなる。
見れば、ヘルゲが片手を剣から離し、その片手で硬い拳を作り上げていたのであった。
「ぬぉっ!?」
ゴウッと唸りを上げて迫りくる拳。
これが、アリスターのように大して鍛えてもいない男のそれだったならば、多少痛い思いをするくらいで済むだろう。
だが、相手は国や民のために身体を苛め抜いて鍛え上げた王国騎士の拳である。
それこそ、まともにくらえば立ち上がることができなくなるほどのダメージを負うだろう。
相手が剣を持っているのに、自分の剣から片手を離すということはかなり勇気がいることである。
それが、近接戦闘ならなおさらだ。
それをしてしまうことができるだけの度胸も、ヘルゲは持ち合わせていた。
アリスターにはないものである。
普通の彼なら顔面を打ち抜かれて昏倒していたであろう一撃も、経験豊富な聖剣には通用しない。
聖剣に操られるアリスターは、見事に最小限の動きでその拳を避けるのであった。
「(ギリギリに避けるの止めろ! 余波が怖い!)」
『わがまま言うだけの余裕があるね。流石だ』
「(余裕じゃない! 切実なお願いなんだ!)」
再び切りかかってくるヘルゲの剣をいなしながら、脳内での会話は続く。
「(で、どうすんの? こいつ、普通に強くない?)」
『強いねぇ。流石、騎士の中でも聖女の護衛に当てられるだけはあるよ。かなりの強者だよ』
「(生け捕りにするのが難しいってことか? じゃあ、遠慮するな、殺れ。あっちに配慮して俺が傷つくことは許さん)」
『清々しいまでの自分絶対主義、もう慣れてきたよ……』
俺が苦しむくらいだったらお前が苦しめ。
アリスターの想いがあふれ出る。
「(なに、大丈夫だ。殺してしまったとしても、望まずに誰かを守るために殺したという悲劇の主人公的演技はできるはずだ。俺の評価は下がるどころか上がるに違いない。遠慮するな)」
『君の評価なんてまったく気にしていないし、むしろ地に落ちた方がいいんだよなぁ……』
しかし……と悩む聖剣。
アリスターの言っていることは最低で絶対に採用しない提案ではあるが、ヘルゲを生け捕りにするというのは確かに難しそうだ。
ヘルゲだけではなく、他にも鍛えられた騎士たちは操られている。
マルタが数名相手にして頑張ってくれているが、彼女もマクシミリアンとの戦いで疲弊しており、万全の状態ではない。
かなり厳しい状況であった。
まさに、なすすべがない……。
「(いや、あるぞ)」
『え?』
「え?」
アリスターの考えに疑問の声を上げる聖剣。
そして、彼と共に同じ声を上げたのが……アリスターに引っ張られてヘルゲの前に突き出されたマガリであった。
「マガリくん。君の愛の力で、ヘルゲを洗脳から解き放ってやりなさい」
「(はあああああああああああああああああああああああ!?)」
にんまりと笑うアリスターに、目を剥いて絶叫するマガリ。
それを声に出さないのは流石だが、彼女でも唖然とした表情を出さないようにするのは難しかったようだ。
なお、笑っているアリスターも切羽詰っているため、汗はダラダラである。
『ちょっ……!? 君は何を……?』
「(いいか? ヘルゲはマガリが好き……ということは、彼女の声が届くかもしれない。ほら、愛する人の声で戻ってくるとか、よくありそうじゃん?)」
聖剣は想像する。
……確かに、そういった話は見たことがあるかもしれない。
『な、なるほど……』
「(なるほど、じゃねえ!!)」
マガリとしては堪ったものではないが。
操られている屈強な男の前に突き出される彼女の恐怖はいかほどか。
アリスターのように、身体を操ってうまく動かしてくれる存在もないのである。恐怖しかない。
「(最悪失敗しても、マガリが盾になって斬られる。一石二鳥だ)」
ニヤリと口角を吊り上げるアリスター。
マルタには決して見せられないあくどい笑みであった。
「(ほれほれー。何か言わないと、お前マジで殺されるぞー? 俺としてはそれでもいいけどな)」
「(お、憶えていなさいよ……!!)」
血走った目でギロリとアリスターを睨みつけるマガリ。
しかし、このまま何もしないとマズイ方向にいってしまうことは理解できているため、彼女は嫌々アリスターの思惑通りに動く羽目になったのであった。
「ヘルゲさん! 皆さん! 私です、聖女のマガリです!」
「せい、じょ……さま……?」
マガリが声を張り上げれば、ヘルゲがピクリと反応を見せた。
これに勝機ありとしたマガリは、さらに言葉を重ねる。
「そうです! どうか、正気に戻ってください! 私を助けてください!」
「おい」
マガリの内なる声を察することができたアリスターは、無表情でマガリを睨みつけた。
「ぐっ、ぐぐぐぐっ……!!」
しかし、どうやらヘルゲには有効のようで、何やら苦しみだした。
「(今がチャンス……? 聖剣、ぶった切ってやれ)」
『そんな外道なことしないから! 彼が正気を取り戻してくれたら、それが一番じゃないか』
「……あらあら。私とマルタの歌声で操っている人間に声を届けることができるだなんて……流石は聖女様ということかしら?」
パメラは驚いたように目を丸くしていた。
しかし、その表情に焦りや動揺は一切なかった。
「でも……」
「ぐ、ぐ……おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
「ひぇっ!?」
ヘルゲはマガリの声を振り払うように頭を振ると、ふたたびアリスターに対して剣を振りおろしたのであった。
まったく反応できなかったアリスターだが、聖剣がしっかりと対応していた。
「(俺よりマガリの方が近かっただろ!? あいつの側を横切って、それでも俺!?)」
「…………ふっ」
汗を垂らして必死の形相を浮かべているアリスターを見て、マガリはポカンとしていた顔を嘲笑のものへと変えた。やったぜ。
「わ、たしは……私は……」
「ヘルゲさん!?」
ブツブツとヘルゲが言葉を発し始めるので、アリスターはさっさと元に戻れと声を出す。
もちろん、彼のことを考えているというわけではなく、自分の保身のためだが。
「私は……お前が羨ましいんだ、アリスター……!」
「(え? 俺のイケメンが?)」
「聖女様と……マガリ様と親しく、接しているお前が……!」
「「は?」」
ヘルゲの言葉に、アリスターとマガリの声が重なった。
親しい? どこが? 隙があれば謀殺しようとし合っている二人である。
まったくもって親しくない。
「マガリ様は……お前といて話をしている時、他の者たちよりも生き生きとしていらっしゃる……。それが、それが羨ましくて仕方ないんだ……!!」
「(ごらぁっ!! テメエ、なに他人にばれるような演技してんだ、おおん!?)」
「(違うの、ヘルゲ! 生き生きしているのはアリスターを馬鹿にしたり嘲笑うことができたりしていた時限定よ! ちゃんと見て! それ以外は、目が死んでいるでしょう!?)」
アリスターとマガリの声も、ヘルゲには届かない。
流石に大声で言うような内容ではないからだ。
「心に隙間があればあるほど、私の歌声で洗脳しやすくなる。その騎士さんは、案外簡単にできたわ」
「(ちっ! 恋に落ちた男ってこんな面倒くさいのかよ! 馬鹿か!!)」
クスクスと笑うパメラに、苦虫をかみつぶしたような顔をするアリスター。
自分はマガリを苦しめるためとはいえ、彼女と親密になることを手助けすると宣言しているにもかかわらず、なんてことをしてくれているんだ。
「だ、だから……お前を殺して、マガリ様に見てもらえるように……!!」
「(くそっ、ヤンデレか! そのヤンの部分をマガリに向けてくれたら、言うことなしなのに……!!)」
汗を大量に流し、剣を持つ手に力を込める。
ヘルゲも、このようなことは間違っていると思っているのだろう。
彼の性格は、王国騎士として認められていることからも、清廉潔白でアリスターとは比べものにならないほど良いものだ。
だからこそ、自分が誤ったことをしていることは、分かっている。
しかし、それでも……パメラによって増幅させられた感情を、抑えることができないのだ。
「この……ボケがぁっ!!」
「ぐっ……!?」
アリスターの怒りの声と共に、ヘルゲは弾き飛ばされる。
「いいか!? 俺を殺したところで、マガリがお前のことを好きになるわけないだろうが!! 常識的に考えろ、馬鹿! お前がすることは、俺を殺すことじゃなく、マガリの好感度を上げることだろうが!!」
そもそも、恋のライバルですらないんだぞ!?
まったくもってお互いに恋愛感情を抱いていないアリスターとマガリからすれば、親しく思われることなんて不服以外のなにものでもない。
今、アリスターはほんの少し演技を解き、本気の言葉を吐き出していた。
なお、マガリの好感度が上がるかといえば、非常に難しい模様。
「(私を巻き込まないでよ!)」
「(テメエがヘルゲのことを受け入れてなかったからだろうが! 股くらい開いとけや!!)」
「(ぶっ殺すぞ!!)」
アリスターとマガリが敵に向けるより強烈な殺意と敵意の応酬を見せる。
「ぐっ……お、俺は……俺は……!」
「お前は一回黙っとけ!!」
「がはっ!?」
アリスターの拳が、ヘルゲの顔面に叩き込まれた。
もちろん、彼は手首もろくに鍛えられていないため、先ほどヘルゲが繰り出した拳と比べれば弱弱しいものだ。
しかし、その強い思いとまともに受けたことで、ヘルゲは仰向けに倒れて昏倒するのであった。
「(い、痛い!? 俺が殴った側なのに、殴った俺の手が痛い!?)」
『鍛えて殴ることに慣れていないと、手首痛めるよね』
「(分かってるんだったら勝手に動かすなよ!?)」
ジンジンと痛みだす手首を見て、うっすらと涙を浮かべるアリスター。
それに気づいているのは、彼の姿を見て嘲笑っているマガリだけである。
自分を盾にして逃げようとしていた男が苦しんでいるのは、見ていてとても楽しい。
「あらあら、ダメだったかしら? でも、まあいいわ。もう魔力は随分練ることができたから」
パメラはそう言ってうっすらと笑う。
彼女は、マルタのように戦闘能力を持っていないため、魔力を練ってすることと言えば一つしかない。
『ま、マズイ! 耳を塞いで……!!』
聖剣はハッとして声の届くアリスターとマガリに警鐘を鳴らし、彼の身体を操って耳を塞ごうとする。
が、それよりも早く、パメラは口を開いた。
「――――――」
そして、他者を魅了し洗脳する恐ろしくも美しい歌声が響き渡ったのであった。




