第59話 強い決心
「はぁ、はぁ……お、重い……!」
俺は息を切らしながら、汗をダラダラと大量に流していた。
もちろん、平地を歩くくらいではいくら運動不足の俺でもここまで疲弊することはない。
先ほど魔剣に操られて戦っていたとしても、だ。
……こういう戦いの疲労っていうのは、明日に出るものだから。
もう明日が怖くて仕方ない。
そんな俺がこんなにボロボロになりながら歩いている理由……それは、俺が押している台車の上に乗っている存在である。
「ごめんなさい。私たち、ずっと閉じ込められてろくに食事もとらせてもらえなかったから、下半身を人間に変化させる力も残っていなくて……」
ふざけんな。じゃあ、両腕で這って海に行け。
そう言い訳をするのは、台車の上に水をたっぷりと入れた水槽に入っている人魚である。
マクシミリアンに捕らえられていた彼女たちは、人魚の集落に帰りたいという。
いや、まあそれは別にいいよ。俺もしょっちゅう故郷のしがらみのない家に帰りたいって思っているし。
問題は、こいつら自分で動こうとしないのである。ふざけんなよ。
疲れているのか力がないのか知らんが、俺も疲れてるんだっつの。
バリバリ殺し合いさせられていたんだぞ。強制だぞ。酷過ぎるわ。
「はぁ、はぁ……気にするな。俺も好きでやっているからな」
全然好きじゃねえよ。もうお前ら放置してどこか遠くに行きたいよ。
干からびる? 知らね。
しかし、どんなに内心で罵詈雑言を吐こうとも、表に出すことは決してない。
都合の良い女を見つけるまでは……いや、見つけたとしても、それから捨てられたら困るので、一生本性を露わにすることはないだろう。
だが、俺がここまで腐らずに人魚を運ぶことができているのは、俺よりも後ろにいる彼女の存在が大きいだろう。
「こひゅー、こひゅー……」
「あ、あの……あなた、大丈夫?」
今にも死にそうな呼吸をしているマガリと、それを心配そうに見ている人魚。
もちろん、あいつも俺と同じく人魚を乗せた台車を必死に押している。
汗はダラダラだし、サラサラの黒髪もべっとりと額に張り付いている。
あいつは俺以上に体力ないからな……ぶふっ。
あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!! 見ろよ魔剣! あいつの今にも死にそうな顔! 傑作だ!!
『わ、笑ったらダメだよ。彼女も頑張ってくれているんだから……ぶふっ』
魔剣も笑う。
お前、何かだんだんと性格クズになってきてない?
まあ、赤の他人を助けるとか言わないようになるんだったら、そのまま突き進んでほしいのだが。
「(ふっざけんな! どうして私がこんなことを……!!)」
マガリが血走った目で俺を睨みつけてくる。
どうして? 理由は簡単だろうが。
「(お前がサボって全部俺に押し付けたからじゃ、ボケがぁっ!! 優しい優しい聖女様は、戦いで疲れ切った俺だけに全てを任せるようなことはしないだろ? いやー、助かるぜ)」
戦闘を終えた後の俺に全てを押し付けるのは、何もしていなかった聖女様にはできないことだろう。
マガリの本性的には余裕で押し付けられるだろうが、人の目というものがある。
とくに、俺と一緒に戦ったマルタもいるので、俺任せにすることができなかったのだ。
「(ちっ……! 死ねばよかったのに……!!)」
奇遇だな。同じ考えだ。
まあ、この苦痛も船に運び込むまでだ。
それからは、人魚共の力で集落まで運んでやり、そこでサヨナラだ。
頑張れ俺! 負けるな俺! 不条理に屈するな!
そうやって自分を励ましながら、助けたくもない人魚を運ぶこと数分。
「つ、着いた……!」
音を立てながら波を打つ海。
ついに、俺は目的の場所までたどり着いたのだ。
もうくたくただが、俺の役割は果たした。
あとは、人魚どもが勝手に小舟を動かしてくれるので、それに乗ってゆっくりと体力を回復させよう。
……ていうか、マガリ後少しで死にそうなくらいに疲弊しているな。
さっきまで戦わせられていた俺の方が疲れているはずだろ。
普段、ほとんど王城に引きこもって聖女としての勉強しかしてこなかったことがダメだったな。ざまあ。
そんな風に、俺は疲れながらも心が満たされていると……。
「じゃあ、申し訳ないけど二人に船をこいでもらっていいかな」
「…………はい?」
申し訳なさそうにマルタが言ってきた言葉に、俺は言葉を失った。
……冗談だろ? こいつ、今の俺の状況を見て船をこげと言ったのか?
マルタは奴隷商で俺は奴隷なのか?
「え、と……あなたがたの力で……」
俺よりも切羽詰っているマガリが、顔を青ざめさせながら言う。
「それはもちろんそうしたいんだけど、さっきまでの戦いで僕は力を使い果たしちゃってさ……」
もちろん、僕もこぐよというマルタ。
違う、そうじゃない。魔法の方が便利で楽だろ。
お前一人こぐくらいじゃあ、どうせ俺たちもこぐ必要が出てくるだろう。
「じゃ、じゃあ、他の人魚の方は……」
マガリはそう言って自分たちが運んできた人魚を見る。
必死だな、おい。
こいつのこんな様子を見ていると、心がスッとしたので俺があまり口うるさく言うことはなかった。
「私たちも悪辣な環境に置かれたせいで、力がなくて……。自分で泳ぐこともできないほどです」
申し訳なさそうに首を横に振る。
……あれ、これはまずくないか?
ま、まさか……! 俺は、船を自分でこぐ必要があり、しかも船に人魚というお荷物が乗るということか……!?
俺一人だけの重量だったならばまだしも、こいつらというお荷物まで持って行くのはあまりにも……!
「よろしく頼みますね、アリスター」
「ちょっと待て」
ニッコリと笑ってさっさと小舟に乗りこもうとするマガリの肩を掴み、身動きを封じる。
何がよろしく頼むだ、こいつ。
全部の人魚を俺に押し付ける気だったな。
「一つの小舟にこの人数は無理だ。俺とマガリ、二人で分けて船をこごうよ」
「農作業もろくにしたことがない箱入り娘の私に、それができるかしら?」
「できるできないじゃないよね。やるかやらないかだよ。まさか、聖女様ともあろうお方が、やらないなんて言わないだろう?」
俺とマガリの応酬がいったん止まる。
すると、俺たちはほぼ同時に笑みを浮かべるのであった。
「ふふふっ」
「はははっ」
『す、すごい殺意の応酬だ! これは、かつての強敵たちにも匹敵している……!?』
俺たちは笑い合っている。
だが、目は笑っていない。お互いを殺してやろうかという強い意思を持っていた。
「……二人は仲が良いんだね」
何故かマルタが不満そうに頬を膨らませつつ言ってくる。
お前の目は節穴か?
「「どこが?」」
俺とマガリが同時に無表情で問いかければ、マルタはビクッと身体を震わせた。
おっと、いけない。俺は優しいイケメンで通さなければならないのだ。
まさか、不倶戴天の敵であるマガリと仲が良いなんて蕁麻疹が出てしまいそうなことを言われたので、思わずイラッとしてしまった。
反省、反省である。
とにかく、俺とマガリで人魚というお荷物を分け合い、小舟をこぎ始めるのであった。
ここに居続ければ、マクシミリアン邸で暴れたことで騎士に捕まりかねないからな。
『さあ、気張って行こう!!』
気張れるか!!
魔剣の無神経な掛け声に、いら立ちをあらわにするのであった。
◆
「…………」
『ねえ。落ち込んでるみたいだから、声をかけてみてよ』
静かに座っているマルタを見て、魔剣がそんな声をかけてくる。
何でだよ。落ち込んでいるとか知らねえわ。
『いいから』
いだだだだだだだだっ!?
頭痛って何で我慢できないんだろう!?
「……どうかしたか?」
「あ……うん。マクシミリアンが言っていたことを思いだして……」
嫌々話しかけてやれば、そんなことを言ってくる。
あのバカ貴族が言っていたこと……?
ああ、パメラが人魚をマクシミリアンと協力して売り飛ばしていたということか?
あいつのことどうでもよかったし、正直言っていたことも右から左なんだよな。
まあ、何か信用できなかったし、そんなあくどいことをしていても不思議ではないな。
ただ、それは俺の意見であり、彼女の妹であるマルタはまた違うのだろう。
『当たり前だろ』
家族ってそんなに信用するもの?
俺、そんなことないから分からないな。
『えぇ……?』
「でも、お姉さまがそんなことするはずないし、あいつの嘘だよね! 僕はお姉さまを信じるよ。だって、今まで人魚のことを考えて皆に慕われているリーダーだよ? 人魚を売り飛ばすようなこと、するはずないもんね!」
空元気で笑顔を浮かべて言うマルタ。
さあ? それはどうかな。
ただ、人が知るはずができない人魚たちの集落に、どうして奴隷狩りがやってきていたのか。
それは、内通者というか、情報を渡した奴がいないとできないんじゃないか?
まあ、それがパメラかどうかは知らんがな。別の人魚が教えたのかもしれない。
何だったら、捕まえられた人魚が自分の保身のために、集落の居場所を売ったのかもしれない。
ぶっちゃけ興味ない。これは人魚の問題だし、お前らで勝手にやって解決でも何でもしてくれ。
『いや……でも、じゃあどうしてパメラは同胞を売るようなことをしたの?』
それこそ知らん。
人魚は奴隷市場で高く売れるそうだし、金目当てじゃないのか?
世の中全てが金ではないが、大部分を占めるからな。
金だけだったら、俺だってここまで演技をしていなかったさ。
金では買えない、信頼をもぎ取るためにわざわざ演技をしているのだから。
『で、でも、お金のために仲間を売るなんて……』
だーかーらー、知らないっての。
世の中には色々な人がいるんだし、誰でもお前みたいに潔癖なわけないだろ。
お金に凄く魅力を感じて、人を売り飛ばすことに何の躊躇もない奴だっているだろうし。
俺はそんなことしないがな。
売るとしても、絶対に俺が関与していないとばれないようにする。
だって、もしばれてそいつが奴隷から這い上がってきたら、復讐されそうだし。
『君みたいな自分至上主義者もいるしね』
それは今関係ないよね。俺犯罪なんてしないし。
「まあ、そうだな。俺はパメラと出会ってからそれほど交流をしたわけでもないし、はっきりと言うことはできないが……」
落ち込まれていても鬱陶しいし、適当に言っておくか。
「ただ、俺はマルタのことを信じている。だから、マルタが信じるパメラを信じるよ」
俺は薄く笑いながら、心にも思っていないことを言う。
マルタもパメラも信じていないぞ。
それはそうとして、落ち込んでいないでさっさと手を動かせ。
さっきからこいでるの、俺だけじゃないか。もう腕プルプルしているぞ。
「……うん! ありがとう、アリスター!」
ニッコリと笑みを見せるマルタ。
元気を取り戻した彼女は、小舟をこぐことを手伝ってくれた。
そうだ、ちゃんとこげよ。助けたくもないお前の同胞を運ぶことで、これほど疲れているんだからな。
……俺はマルタがいるからあれだが、マガリの方が死にそうだな。
まあ、別にいいや。
しかし、マルタは最初に出会った時とはえらい違いだな。
あんなに警戒していて突っかかってきていたのに……ちょろいなぁ。
まあ、好印象より悪印象を抱かれる方があれだし、別にいいんだけどな。
いざというとき、俺の肉盾になってくれることだろう。
そんなことを考えながら、俺は無心になって小舟をこぎ続け……。
「ただいまー!」
ついに、人魚共の集落にたどり着いたのであった。
近くでは、汗を大量に流してぐったりしているマガリもいる。後でからかいに行こう。
しかし……何とも不気味だな。
「……やけに静かだな」
もともと隠れ里みたいなところがあったので、王都の市場のように賑やかというわけではなかったが……こんな話声すら聞こえないことはなかった。
嫌な予感がする。マガリを置いて逃げるか。
俺は強く決心するのであった。




