第58話 諸共…!
「(ちくしょおおおおおおお! もっとタイミング遅かったら知らんぷりできたかもしれないのにいいいいいいい!!)」
『できるわけないだろ。絶対に探させて助け出させていたからな』
アリスターと聖剣がいつものように内心で言い合いをしている。
それは、どんな状況でも変わらないようだ。
「な、ありえない……! あれだけの数を、どうやって……!?」
「どうということはないさ(魔剣が俺を操って勝手にやったことだからな)」
ふっと不敵に笑うアリスターに、マクシミリアンは戦慄する。
数の暴力で押しつぶされて当然のものだったのに、笑みを浮かべる余裕すら彼には残っているのだ。
そんな存在が、目の前にいる。脅威以外のなにものでもない。
「さて、マルタを返してもらおうか(はぁ……さっさとそいつをどこかに連れ去ってくれていたら助けなくて済んだのに……)」
表側では真剣な表情で聖剣を構え、内心クソみたいなことを考える。
これこそが、アリスタークォリティである。
なお、今代の聖女も似たような感じという最悪の時代である。
「ば、馬鹿が……! そんなことを言われて、素直に渡すわけがないだろうが……!」
「あぐっ……!?」
マクシミリアンは地面に倒れ伏すマルタを乱暴に掴んで起こさせると、自分の盾になるように立たせる。
「いいか? こいつを殺されたくなければ、ここから何も取らずに立ち去れ。そして、お前が今日見たことも全て忘れろ。そうすれば、お前だけは見逃してやる」
マクシミリアンは、マルタを含めた人魚のことを置いて行けば、アリスターを見逃してやるという。
もちろん、これは方便である。アリスターが今日のことを口外しないなんて信用できないし、この場から去ればのちに暗殺者でも差し向けて殺してやる。
それもダメならば、何かしらの罪をでっち上げて牢獄にぶち込んでやればいい。
「アリスター! 僕のことはどうでもいいから、こいつを倒して!」
「お、お前! 余計なことを……!」
マクシミリアンの人質とされているマルタが、そんな声を上げる。
彼は一瞬怒りに顔を歪めるが、しかし大丈夫だろうと内心で落ち着いていた。
人魚のためにわざわざ貴族の邸宅に侵入するほどのお人よしだ。
そんな男が、親しい関係にある者を見捨てることなんてできないだろう。
「お前にできることは何もない! 何かしようとしても、私がこいつの命を奪う方が早い! 大人しくこの場を立ち去れ!」
『くっ……!』
マクシミリアンの言葉に、苦悶の声を漏らしたのは聖剣である。
確かに、彼の言う通りこの離れた距離では、彼がマルタに何かをしようとするよりも前にかたをつけるのは難しいだろう。
それこそ、先代の適合者であればまだしも、今の運動不足全開のアリスターの身体で全力で動けば、間違いなくとてつもないダメージがアリスターに残ってしまう。
『…………あれ? 別にいいか?』
聖剣は悩み始めた時、アリスターはというと……。
「(なんて素晴らしいんだ、マクシミリアンくん……)」
恍惚としていた。
人魚のことを放っておいて、さっさとこの場から逃げ出してもいいよ。
アリスターからすれば、まったくデメリットのない素晴らしい提案をされているに他ならない。
嬉々としてこの場から抜け出すつもり満々であった。
『おう、ゴミ。逃げられると思うなよ』
「(ちっ)」
繋がりの深い聖剣がその不穏な考えを読み取り、ドスの効いた声で警告する。
アリスターは忌々しそうに内心舌打ちした。
「(だけど、マクシミリアンは根本的に間違っているよな)」
『そう、その通りだよ! 人質なんて、絶対に間違っている! まさか、君がまともなことを言うとはね……』
アリスターの言葉に、声を上げて同意する聖剣。
まさか、アリスターが自分と同じことを思ってくれているとは夢にも思わなかった。
毎度毎度ドクズだと思っていたが、どうやら彼もまた成長しているようだ。
良い方向に成長しているので、聖剣も嬉しく思ってウキウキしていたが……。
「(は? 何言ってんの? 人質は有効だろ?)」
『え?』
アリスターは聖剣が何を言っているかわからないと、心から思っているような声で呟く。
「(いや、有効だろって。実際、お前は手を出せなくなっているだろ?)」
アリスターは人質という方法が間違っているなど、微塵も思っていない。
自分だって、それで危険から回避できるのであれば、喜んで使う手段だ。
だが、マクシミリアンは大きな勘違いをしているのである。
「(人質っていうのはさ、その人間にとって価値のある者を人質にして初めて意味を成すものなんだよ)」
『うん、まあ……』
確かにそうだろう。聖剣は全ての人に価値があると思っているため、誰を人質にしても効果を発揮する。
だが、多くの人がそうではないことくらい、聖剣だって弁えている。
多くの人は、たとえば家族や恋人など、自分と近しい人が人質にとられていなければ、何の効果も発揮しないだろう。
それこそ、赤の他人を人質にしたところで、それほどの意味はない。
『ま、まさか……!』
アリスターが何を言いたいのか察した聖剣は、ゾッとする。
「(俺にとって、マルタが人質の価値があると思っているとでも?)」
聖剣はその時思い出した。
今代の自分の適合者は、生まれながらにしてひねくれていてクズ……下種の中の下種だということを……。
物心ついたときから、自分以外の存在をナチュラルに見下し自分の土台としか思っていない男。
その根本を、たかだか数か月の付き合いでどうにかできるはずがなかったのだ。
「マルタ」
「……なに?」
「俺を、信じてくれるか?」
聖剣が戦慄している間にも、アリスターはマルタに声をかけていた。
とても良い会話のように聞こえる。
しかし、アリスターの腐りきった内心を知ってしまっている聖剣には、その会話は非常に嫌な予感しかしないものだった。
「……もちろん。誰もが君を信じようとしなくても、僕だけは信じるよ」
マルタもうっすらと綺麗な笑みを浮かべて、とても美しい言葉を紡いでいる。
『違うんだ! 君が思っているより、はるかにアリスターはゴミなんだ!!』
聖剣が血を吐くように訴えるが、しかし適合者ではなく波長が合わないマルタに彼の声は届かない。
……アリスターとマガリに声が届くという時点で、この聖剣もヤバいのではないだろうか?
「……そうか」
アリスターはニッコリと微笑む。
言質はとった……!
アリスターが聖剣を構えると、そこから溢れ出すのは禍々しい黒の波動。
夜だというのに、その黒さは際立っていた。
黒をも飲み込む黒。そのおぞましさに、マクシミリアンはもちろんマルタですら背筋を凍らせた。
彼女の頭に、アリスターがどこか儚げな笑みを浮かべて謙遜していたことを思いだす。
これが関係しているのだろうか?
しかし、そのことを思いだすと、アリスターに対する恐怖は微塵も湧いてこなかった。
それどころか、胸に何か温かいものが宿るような気すらした。
だが、それはアリスターに好意的な感情を持っているマルタだからこそである。
彼に対して殺意に近い敵意を持っているマクシミリアンには、それはまるで地獄の業火のように恐ろしいものだった。
「ひっ、ひっ……!? だ、だが、お前はそれを撃てない! こいつが私の人質である以上、お前は……!!」
顔を引きつらせながらも、自分を奮い立たせる意味で大声を上げる。
だが、自分で言っておきながら、その言葉に不安を感じていた。
攻撃はできない……できないはずだ。
この距離では、確実にマルタも巻き込んでしまう。
だからこそ、撃てないはずなのだ。
だが……だが、それなら何故アリスターは今も黒い魔力を溢れさせながら自分を睨みつけている?
「できるはずがない! ブラフだ!!」
マクシミリアンは脂汗を大量に流しながら吼える。
当然のことだが、彼はアリスターのことをまったく理解していないのである。
彼は反吐が出るほど自分中心主義者だということを。
まあ、これを知っているのは、同じく自分主義のマガリだけなのでどうしようもないのだが。
「(別に俺も痛めつけるような趣味はないからな。苦しませずに、一撃で仕留めてやるさ)」
『それってマクシミリアンのことだよね!? いや、いくら悪人でも簡単に命を奪うのはダメだけど、それってマルタのことじゃないよね!?』
聖剣が喚いてくるが、アリスターは完全無視である。
ゴウッと唸りを上げて、聖剣に纏う黒い魔力は規模と勢いを増す。
「わ、分かった! 話す……何でも話す! 私とパメラが協力して人魚を売り飛ばしていたことも、ちゃんと証拠もつけて話すから!!」
「え……?」
その夜をも飲み込む黒に、マクシミリアンは本気の悲鳴を上げる。
その言葉に、マルタはまるで時間が止まったような感覚に陥るが、残念ながらアリスターには関係のない話であった。
「(諸共消し飛べ……!!)」
『おいっ!!』
アリスターは聖剣を振り上げた。
聖剣は彼の身体を操って止めようとするが、もう遅い。
「くらええええええええええええええええええ!!!!」
「うわああああああああああああああああ!?」
アリスターは何の躊躇もなく、聖剣に纏っていた黒い魔力を撃ち放ったのであった。
マクシミリアンはマルタを突き飛ばして逃げようとするが、もう遅い。
彼が必死に逃げる足よりもさらに速く、その禍々しい力は迫っていた。
大地を抉り空気に悲鳴を上げさせ、その強大な斬撃はマクシミリアンとマルタに切迫する。
『この馬鹿がああああああああああああああああああああああ!!!!』
「ッ!」
聖剣の罵倒がアリスターの脳内で盛大に響き渡るころ、ついにマルタにその斬撃が届きそうになって……。
いくら彼を信じているからといって、思わず目をキュッと閉じてしまったマルタ。
多少の衝撃でも何とか耐えようとしたのだが……。
「…………あれ?」
マルタは驚きに目を丸くする。
彼女は斬撃が当たっているはずだ。それなのに、一切のダメージがない。
黒い魔力はマルタに触れているのだが、とげとげしいものはまったくなかった。
攻撃が失敗したのか? マルタはそう思ったが……。
「ぐぎゃあああああああああああああああああああああ!?」
後方でマクシミリアンが斬撃を受けて凄まじい悲鳴を上げているのを聞いて、攻撃はちゃんと成功していることを悟った。
「アリスター……」
信じた。信じて、応えてくれた。
自分を危機から救いだしてくれた男に、マルタは今まで抱いたことのない感情を胸に宿すのであった。
『今日という今日は許さないぞ!!』
「(うぎゃあああああああああああああああああああああああああああ!?)」
マルタが決して踏み外してはいけない道を踏み外しそうになっている頃、聖剣の頭痛がアリスターを襲っていたのであった。
◆
【勇者アリスターは、苦しめられている弱者を見過ごすことができない。その性格を表しているのが、悪辣な貴族に囚われていた美しい人魚たちを救ったことだろう。腐っても貴族。その存在に対抗するようなことがあれば、どのような苛烈な報復を受けるかわからない。相手の権威は強大であり、だからこそ民たちはどれほど苦しい圧政を受けていたとしても、よっぽどでなければ逆らうことができない。できたとしても、それは己の生活を少しでも良くしようというものだ。しかし、アリスターは決して自分のためではなく、一度も顔を合わせたことのない人魚たちを救うために、正面から貴族と相対したのである。彼は同胞を救わんとする優しい人魚マルタと共に貴族邸に乗り込んだ。マルタは邪悪な貴族に捕らえられてしまうが、しかしアリスターの他者を思いやる優しい心によって救われ、囚われていた人魚たちも救出されることになったのであった。勇者は人ではなく亜人さえも救う。その底なしの優しさが表れる話である】
『聖剣伝説』第五章より抜粋。




