第57話 最悪のタイミング
「うわぁっ!?」
マルタはとっさにオーガの攻撃を避けることに成功するが、海の中へと落とされてしまう。
人間ならばピンチかもしれないが、人魚である彼女からすれば僥倖としか言いようがない。
オーガは泳ぐことはできるかもしれないが、少なくとも水中で人魚と同じだけの運動能力は持っていない。
ひとまずは、追撃をかけられる心配はなくなったのである。
「さて、どうしようかな……」
濃紺とも言える青い髪から海水の滴をポタポタと落としながら、考え込む。
水際で凄まじい雄叫びを上げているオーガ。
のこのこと海から出れば、一撃で粉砕されてしまうだろう。
だが、このまま逃げるわけにはいかない。
囚われている人魚を助けるため……それに、今も自分に付いてきてくれたアリスターが戦っているのである。
自分だけ逃げ出すわけにはいかない。
「でも、三叉槍で貫けないとなると、僕の攻撃方法がなぁ……」
歌という人魚らしいとりえがないので、代わりに戦闘能力を高めたマルタ。
だが、いくら高めたと言っても、そもそも戦闘向きではないのだ。
それほど引き出しが多いわけでもないし、オーガのように強力な魔物と戦えるような技術はほとんどない。
「……仕方ない。ごっそり魔力は持って行かれるけど、やるしかないか」
「オオオオオオオオオオッ!!」
マルタが何やら覚悟を決めた時、オーガもまたしびれを切らしていた。
獲物が視認できる位置にいるのに、海という邪魔なもののせいで駆け寄ることができない。
本来ならば、マルタが海から出てくるまで待つことが定石だろう。
海に飛び込んだところで、人魚に水中戦で勝てるはずもない。
まともな知能があれば、決して海に入ることはない。
だが……。
「グガアアアアアアア!!」
オーガにそんな冷静な知能はなかった。
こん棒を放り捨てて、マルタ目がけて海に飛び込んだのであった。
ちゃんとした泳ぎ方など知らない。
ただ、獲物を喰らいたいという本能だけで、無理やり水をかき分けマルタに迫っていく。
普通の人間ならば遅々として進まないであろう行動だが、オーガはその人並み外れた筋力でもって、着実に彼女へと接近していった。
このまま動かなければ、マルタはオーガの餌食となってしまうだろう。
だからこそ、人魚としての特性を活かして、逃げなければならないのだが……。
マルタはその場から逃げようとしなかった。
魔力を練り、極限まで高める。
それこそ、この魔法を使えば魔力がすっからかんになってしまうほど。
しかし、それだけ力を振り絞らなければ、この凶悪な魔物に打ち勝つことはできないのである。
「『ゲルラッハ』!」
再びマルタはオーガを閉じ込める魔法を使う。
水の竜巻が巻き上がり、オーガはその中に囚われてしまう。
下が海ということもあって、その竜巻の規模や大きさは先ほどのものよりも優れていた。
「グルアアアアアアアアアアアアア!!」
しかし、これに対してオーガは嘲笑した。
一度破られた魔法を使ってくるなど、笑止千万。
たとえ、海上で使ったから多少強化されているとはいえ、また簡単に打ち破ってみせよう。
そう考えて腕を振り上げた、その時であった。
水の竜巻の最下部で、おぞましい気配を感じたのは。
「召喚魔法……使える場所が限定されるし、魔力がごっそりと持って行かれるから使い勝手の悪い魔法なんだけどね」
水の竜巻の外側で、マルタはそう言ってうっすらと笑みを浮かべていた。
端整に整った顔には、海水ではない水滴である汗が垂れていた。
それほど、その魔法が強力だったということである。
召喚魔法による魔力の消耗には、召喚する数というものも非常に大きな要因になるが、また大きな要因となるものにもう一つある。
それは、召喚する存在の強大さである。
たとえば、ゴブリンなどのような弱い魔物であるならば、1体召喚することに苦労をすることはそれほどないだろう。
もちろん、召喚魔法という魔法そのものに適性があるか否かで変わってくるが、多くの人はそれができないということはない。
だが、それがドラゴンなんていう誰もが知るような強大な存在となると、1体を召喚することすらできない者がほとんどである。
そして、マルタが召喚したものは……。
「グ……?」
オーガは下から迫ってくるものに気づいていた。
気付いてはいたが、どうすることもできない。
水の竜巻で動きを拘束されているし、何よりも自分の下ということは海中から迫ってきているということである。
海中で動くことを想定していないオーガは、ただ見ることしかできず……。
その存在は、一瞬で海中を移動して急浮上した。
「ガ――――――ッ!?」
オーガは悲鳴を上げることすらできなかった。
オーガの巨体に巨大な触手が巻き付いたかと思うと、高々と持ち上げたのである。
その高さは異常なほどであり、身体能力に優れるオーガがジャンプしても決して届くことはない高さであった。
そして、その触手はまるで捕まえた獲物を誇るようにしてしばらくそのままにして、今度はまた凄まじい勢いでオーガを海面に叩き付けたのであった。
硬い皮膚と筋肉を持ち、防御力に秀でているオーガでも、あの高さから凄まじい力で海面に叩き付けられれば、もちろんただでは済まなかった。
「――――――ッ!?」
高い場所から物凄い力で叩き付けられれば、海面はコンクリートよりも硬いものとなる。
そんなことをされれば、オーガも全身の骨を折られ血反吐を吐いた。
猛威を振るっていたオーガが、ぐったりとしてピクリとも動かなくなる。
獲物が動かなくなったことで触手も満足したのか、ゆっくりと物言わぬ骸となったオーガが海中に引きずり込まれていったのであった。
「……いやー、いつ見ても怖いなぁ」
自分で召喚しておいて、マルタは頬を引きつらせるのであった。
やはり、いくら強力な魔物であるオーガでも、海の怪物『クラーケン』をどうにかすることはできなかったようである。
◆
「はぁ、はぁ……」
マルタは海から這い出る。
その様子は疲労困憊で、クラーケンを召喚することがどれほど大変なことなのか理解できるだろう。
本来であれば、海の中に潜っていて回復を待つのだが……今はそうしているわけにもいかない。
今も、マクシミリアンの館では、アリスターが戦っているのである。
「だから、こんな所でのんびりしているわけには……!」
今にも倒れそうになりながらも、フラフラと歩き始めた時であった。
「あぐっ……!?」
全身に電撃が走った。
海水に浸かっていたこともあり、マルタの全身に強烈な痛みと衝撃が走る。
全身に力が入らなくなり、地面に倒れこんでしまう。
「まさか、オーガを倒すとはな……」
足音を立てながら近づいてきたのは、マクシミリアンであった。
彼が、疲労困憊になって周囲への警戒も怠っていたマルタに雷魔法で攻撃を仕掛けたのである。
もちろん、殺さない程度に威力を抑えて。
「だが、お前も全力を振り絞らねば勝てなかっただろう。本来であれば、あのような気の入っていない攻撃など、容易く察知して防御することができただろうに。くくくっ、残念だなぁ……」
倒れ伏すマルタの眼前にまで歩み寄ったマクシミリアンは、彼女に顔を近づけて嘲笑う。
「ふーむ……人魚は皆見目麗しいが、やはりお前はその中でも格別だな。反抗心を持って、精神が強いというのも高評価だ。どうにも、人魚というものは諦めが良くてなぁ……反骨精神があって見た目が良いお前は、高く売れるだろうさ」
「ぐっ……!」
ギロリとマクシミリアンを睨みつけるが、彼は決して怯えることはなかった。
雷撃の痺れでまともに身体を動かすことはできないだろうし、オーガとの戦闘で全てを出し切ったのだ。動けてもどうしようもあるまい。
「お前も他の人魚と同じく売り飛ばしてやる。あの男も、いくら手練れでもあれだけの数で迫られればただでは済まないだろう。疲れ切っている時に、お前と同じように私が始末してやる。まあ、お前と違って手加減はしないから、奴は死ぬだろうがな」
そう言って大笑いするマクシミリアンを、鋭くにらみあげるマルタ。
それは……それだけは、絶対にさせてはいけない。
それこそ、自分がどうなっても、アリスターだけは……!
そう思って、なけなしの魔力をさらに絞りだそうとした、その時だった。
「ひっ、ひいいいいいいいいいっ!?」
一人の男がマクシミリアンの館から逃げ出してきたのである。
顔に恐怖と焦燥を張り付けて、何度も転げそうになりながらも必死に脚を動かしている。
近づいてくる男を見て、マクシミリアンは驚愕した。
それが、自分が雇っていた護衛の者だったからである。
「お、おい! 何をしている!? あの男を殺しておけと命じただろうが!!」
雇い主のマクシミリアンをも無視してどこぞに逃げようとするので、男を捕まえて厳しく叱責する。
男は恐怖の表情を張り付けていたが、それはマクシミリアンに対してのものではなく、また別のものに対するものであった。
「む、無理です! あいつ、強すぎるんです!!」
「な、何を……いくら強くとも、数の暴力に勝てるわけが……!」
「た、倒されたんです! 全員!!」
「はっ……!?」
バカバカしい。真剣に聞くべきではない戯言だ。
そのはずなのに、この男の真剣な表情と怯えた声は、それに真実性を持たせている。
マクシミリアンが硬直していると……。
「ぎゃぁっ!?」
どこからか飛んできた石が、男の頭部にぶつかって昏倒させた。
目の前で男が倒れこむのを見て、マクシミリアンはおそるおそる顔を上げる。
「…………大丈夫か、マルタ?」
「あ、アリスター……!」
やってきたのは、大した傷を負っている様子すらないアリスターであった。
そんな彼を見て、マルタは最初の出会いが何だったのかと思うほど安心しきった笑みを見せるのであった。
「(うぎゃあああああああ! 最悪のタイミングで来てしまったああああああああああ! こうなったらマルタを助けないといけないじゃないか! もおおおおおお!!)」
『頑張ろうね、アリスター!』
なお、内面はとても助けに来たヒーローとは言えない模様。




