第51話 関わらないようにしよう
「おっと」
トイミの両手から、先ほどよりも強力な雷撃が生み出される。
それが、迫りくる水球に向かって的確に進んでいき、激しい音と共に水球を霧散させてしまった。
先ほどはマルタをなるべくダメージ少なく生け捕りにするために、気絶する程度の威力で押さえていたのだ。
だが、攻撃を迎撃するために撃ち放った雷撃は、非常に強力なものだった。
それだけの力を、トイミは持っているのである。
「ふふっ。痛い目にあいたくなければ、今のうちにさっさと降参することをお勧めしますよ……」
不敵な笑みを浮かべながら忠告するトイミ。
彼は油断していたのだろう。
仕方ない。今まで奴隷狩りとして様々な種族を捕獲してきたが、彼は一度も失敗したことのない強者であった。
それが、戦闘に種族的には向いているとはいえない人魚……今まで狩ってきたが、大した抵抗すらされることはなかった。
これが、魔法適性のあるエルフや近接戦闘の鬼であるアマゾネスであるならばまだしも、多少戦えるからといってしっかりと警戒することの方がおかしかった。
「はぁっ!!」
「なっ!?」
だからこそ、水球を電撃で弾いたことによって生まれた霧のような水滴の中から、マルタが飛び出してきたことには目を剥いて驚いた。
彼女のことを、てっきり魔法だけしか使えないと思い込んでいたのである。
しかし、実際にマルタは三叉槍を振りかざして接近してきている。
その速度は普段こそ人魚で下半身が魚ということもあるのだろう。アマゾネスなどとは比べ物にならないほど遅く、本来であればトイミでも十分に対応できるはずだった。
しかし、あまりにも慢心して油断していた彼には、まさに痛い不意打ちになったのである。
「ふっ!!」
小さく息を吐いて突き出される三叉槍。
やはり、近接戦闘の訓練を受けた者たちからすれば、それほど苦慮することもない突きであった。
「ぐっ……!?」
しかし、トイミは典型的な魔法使いであり、近接戦闘は本当に護身術程度しか嗜んでいない。
その結果、串刺しにされることはなかったものの、脇腹を切り裂かれてしまい苦悶の表情を浮かべる。
傷ついた脇腹を抑えながら、よたよたと後ろに下がるトイミ。
抑えた手からは溢れるように血が流れていた。
「逃がさないよ!」
だが、その隙を見逃すほどマルタもお人よしではなかった。
『フィロメーナ』の矛先を彼に向けると、再び水球を作りだし撃ち放ったのである。
「ぶはっ!?」
もろに顔面に直撃を受けてしまうトイミ。
鼻血を流しながら後ろに吹っ飛ぶ。
水ということで大したダメージもないのではないかと思いがちだが、魔法で作られた水球には石程度の硬さがあった。
鼻血だけではなく、歯もいくつか吹っ飛んでしまったようで、トイミの整っていた顔は台無しになってしまっていた。
さらに、彼は今までの穏やかな表情から一変し、鬼のような形相を浮かべるのであった。
「この……クソガキがぁっ! 下手に出ていたら調子に乗りやがってぇっ!!」
「え、えぇっ!? 僕を捕まえようとしていたのに、下手も何もないと思うんだけど……」
ギロリと血走った目で睨みつけられて、明らかに動揺するマルタ。
怖いというより、理不尽という意味で狼狽しているようだが。
「もう奴隷狩りなんて知ったことか……! ぶっ殺してやる!!」
そう言うと、トイミは空中にふわりと浮かび上がった。
そして、下手をしてまた水球で攻撃されたら堪らないので、マルタからさらに離れるように……連なった筏の上ではなく、暗い海の上に浮遊する。
そこで、彼は全てを出し切るように魔力を練り始めた。
「おぉ……」
思わず、見ているマルタが感嘆のため息を漏らしてしまうほどの光景。
トイミの全身から溢れ出すような雷。
バチバチと凄まじい音を立てながら稲光を見せ、彼の周りだけまるで昼間のように明るくなっている。
「粉々になって死ね! クソ人魚!!」
今にもその強大な雷をマルタへと打ち落とそうとするトイミ。
先ほどまでの電撃とは、比べものにならないほど強力であることは明らかだった。
頭に完全に血が上っているトイミは、生け捕りなんてもはや一切考えておらず、言葉通りマルタを殺そうとしていた。
殺そうと思えば、これほどの力を発揮できるほどの実力者なのである。
……マルタの水球によって、鼻血を流して歯もいくつか吹っ飛んでいる今、どこかマヌケに見えてしまうが。
しかし、いくらマヌケに見えても、その雷撃の威力は確かなものだし、マルタも直撃を受ければ命が危ないだろう。
だが……。
「ふふっ」
マルタの表情には恐怖ではなく笑みが張り付いていた。
その余裕の態度に、ピクリと眉を顰めさせるトイミ。
「お前、馬鹿なのか? この雷撃を見て余裕とは……底なしの馬鹿としか言えませんね。お前がゴーレムだったらまだしも、人魚という雷のダメージが大きい種族で調子に乗る理由がわかりません」
最初こそ荒い口調だったものの、少し落ち着いたのかトイミの口調は丁寧なものに戻っていた。
だが、決して好意的な感情は込められておらず、マルタに対する嘲笑しかなかった。
それもそうだろう。今彼が打ち放とうとしている雷撃は、先ほどの水球などで吸収しきれるものではないのだから。
たとえ、あれが再び展開されたとしても、雷撃は水球を破壊して突き進み、対象のマルタを感電死させるに違いない。
しかし、嘲笑ったのはマルタもまた同じであった。
「馬鹿なのは君だよ。何度も君が言っている通り、僕は人魚だよ? その人魚を相手に、どこに逃げているのかなぁ……」
「どこに……?」
無論、空中だ。
空を飛ぶ手段を持たない者を相手にすれば、アウトレンジから一方的に攻撃を加え続けることができるので、非常に効果的な戦場である。
人魚も泳ぐことは他の追随を許さないほどだが、飛ぶことはできないのでトイミに失敗はない……。
「ま、まさか……」
ハッと何かを思いつくトイミ。
彼の逃げている空中は、海の上空だ。
人魚ということを考えれば、それくらいしか考えられない。
だが……それでも、空中は空中だ。マルタの攻撃が届くことはない。
「何をしようと……!」
「あのさぁ。僕が水の魔法を使っていたのは見ているでしょ? だったら、その大量の水がある海の上空に逃げるのは、間違いなく悪手だよ」
呆れたように笑って言うマルタ。
そして、『フィロメーナ』をスッと構えると……。
「『ゲルラッハ』」
小さく魔法の名前を唱えると、ゴゴゴゴ……と唸りを上げて海に異変が発生する。
ハッと下を見ると、自身を中心に据えるようにして渦巻きができ始めていた。
夜の海のため、黒くて恐ろしい。
「その前に貴様を殺して……!!」
その光景にゾっと背筋を凍らせたトイミは、すぐさま溜めていた雷撃を打ち放とうとするが……。
「うわっ!?」
それよりも先に、ゴウッと唸りを上げて渦が巻きあがった。
海から伸びてきた黒い水は、まるで竜巻のように回転しながらその中央にトイミを隠してしまったのであった。
「くっ……このようなただの水の壁など、私の雷撃で……!!」
練りまくっていた魔力で作りだした強力な雷撃を、水の竜巻の壁に衝突させる。
バァン! と凄まじい音を立てて、水蒸気が発生する。
水の壁を打ち破った確信を持って、トイミは不敵な笑みを浮かべながら目を開けると……。
「なっ……!?」
トイミの目に映ったのは、まったく損傷なく轟々と唸りを上げながら回転し続ける水の壁であった。
いや、損傷はあっただろう。水蒸気も発生したし、雷撃で一部の水は消し飛んだはずだ。
だが、ここは海である。代わりとなる水は、いくらでも存在していた。
いくらトイミが壁の表面を削ったとしても、すぐに修復される。
「ちっ……! このまま私を閉じ込めておくつもりですか!? それで、どうなるって言うんです!?」
水の竜巻『ゲルラッハ』の外側からそんなトイミの声を聞いて、ため息を吐くマルタ。
そんなわけがないだろう。
この魔法は、内側から出ることがほとんど不可能になるほどの強力な魔法である。
その分、魔力の消耗は非常に大きなものとなる。
大量の水となる海を使えたのでそれほどではないものの、長時間拘束し続けることはできない。
「だから、もうさっさと終わらせよう」
マルタはそう言って、三叉槍『フィロメーナ』を構える。
彼女の目は、轟々と渦巻く水の竜巻の中……トイミの姿を捉えた。
普通の人間では見ることはできないだろうが、泳いで遠くの海を見なければならないこともある人魚は、特殊な視力を持ち合わせていた。
それによって、トイミの居場所を的確に探り当てたと同時、マルタは『フィロメーナ』を振りかぶって……。
「じゃあね」
小さく別れの言葉を呟き、三叉槍『フィロメーナ』を投擲したのであった。
彼女の筋力では、それこそ投擲したとしても大した距離は飛ばないだろう。
だが、これはただの武器ではない。
魔法の力が込められた特殊な三叉槍である。
それゆえ、彼女が投擲したとしても、かなりの力を誇るのであった。
外側からは普通は見ることのできないトイミに向かって的確に進んでいき、内側からは決して破ることのできない『ゲルラッハ』の壁を容易く貫き……。
「ぎゃああああああっ!?」
トイミのそんな悲鳴が聞こえた。
そして、次の瞬間には沈黙である。
誰も話さない、静かな夜が戻っていた。
ふっ、と海から巻き上がっていた水の竜巻が解かれる。
ザーッと、まるで雨のように水しぶきが降りしきる中、三叉槍によって腹部を貫かれているトイミの姿があった。
彼も水で頭からぐしょぐしょに濡れている。
そして、口からは大量の血を吐き、貫かれた腹部はさらに出血量が凄まじかった。
「ば、馬鹿な……! に、人魚、風情が……!?」
絶対に負けないだろうし、今までろくに抵抗もされたことがなかった人魚に敗北したという事実に、脂汗を大量に流しながら驚愕するトイミ。
ギリギリとマルタを睨みつけるが、それも長くは持たなかった。
命を失った彼は、自身の魔法も解けてしまい、そのまま海へと落下するのであった。
それは、人魚が人間を海に引きずり込んでしまうという伝承のようであった。
「ふー、疲れた」
海の底まで沈んだトイミを見送り、先ほどまでの厳しい表情を崩して笑みを浮かべるマルタ。
彼女は一仕事終えたように、額の汗をぬぐうのであった。
「――――――」
そして、それを後ろから見ていたアリスターは絶句していた。
「(なに、あの無慈悲な勝ち方……?)」
相手に外の様子がわからなくなるようにしながら拘束し、見えない場所から槍を投擲して一撃で串刺しにする。
トイミからすれば、いきなり水の壁を打ち破って飛び出してきた槍に突き刺されたことになるのだから、何が起きたのかさっぱりわからなかっただろう。
『いやー、強いねマルタ。戦う能力は持っていないと思っていたんだけど、僕の見込み違いだったな』
「(え? そんなのんきなこと言っていられる状況? あの殺し方、覚悟完了しすぎじゃない? やり慣れていない?)」
聖剣はマルタを賞賛するが、そもそも人魚に対して好印象どころか恐怖しか持っていないアリスターとしては、彼女のあんな戦闘方法を見てしまっては恐ろしくて仕方ない。
彼からすれば、殺人鬼が隣にいるようなものである。失礼極まりないが。
そんなことを考えている彼も、人魚を連れ攫おうとしていたグレーギルドの構成員を複数すでに倒していた。
まあ、これは聖剣が彼の身体を操って成し遂げたことだが。
「わっ。アリスターも強いんだね。もう倒しちゃってたんだ」
「お、おう……」
純粋に褒めてくるマルタに、あいまいな笑みを返すアリスター。
つい先ほど人を串刺しにしているので、警戒心マシマシである。
「(……マルタにはなるべく関わらないようにしよう)」
アリスターの気持ちが固まった瞬間であった。
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【聖女マガリが自ら苦しんでいる漁村の元に行幸したいということを告げたのち、すぐさま勇者アリスターも彼女と共に行くことを望んだ。彼らは一心同体。その素晴らしき人格も似通っており、当代の勇者と聖女にふさわしかった。彼らは漁村を訪れ、優しく村民たちを労った。そこにやってきたのは、人前に決して姿を現さない人魚たちであった。すなわち、彼らもまたアリスターとマガリが他の人間とは隔絶した存在であることを見抜き、頭を下げに来たのであった。二人は決して人間が訪れることはできなかった人魚たちの集落へと招かれ、盛大な歓迎を受ける。しかし、彼らが滞在している時、欲にまみれたグレーギルドが人魚を拉致し辱めんとし、襲い掛かってきた。そこで、勇者アリスターはのちに最も美しい人魚姫と呼ばれるマルタと共に、悪漢たちに立ち向かうのであった。凶悪無比で残忍なグレーギルドの構成員を相手に、アリスターとマルタは協力して敢闘し、撃退することに成功した。勇者アリスターは人だけではなく亜人の人魚をも救う優しさと力を持っており、そんな彼の姿をマルタは死ぬまで忘れることはなかったという】
『聖剣伝説』第四章より抜粋。




