第50話 またかよ
「何をしているんだ!?」
「なっ……!? なんでここに人魚が……!? 話が違うじゃねえかよ……!」
声を張り上げるのは、マルタだ。
彼女にも、男たちの肩に担がれた人魚がしっかりと認識できていた。
一方、焦りの表情を浮かべるのは、男たちである。
話が違う。誰にもばれない仕事ではなかったのか?
人魚をさらわれそうになっていて怒るマルタに、焦りと不条理な怒りを覚える男たち。
まさに、どうしようもない状態に陥っていた。
この場面で冷静だったのは、二人。
一人はアリスター。人魚が攫われようがどうでもいいと思っているし、もっとうまく攫えよと思っていた。
そして、もう一人は……。
「落ち着きなさい」
「と、トイミさん……」
男たちからトイミと呼ばれた男である。
マントのようなものを身に着けており、柔和な笑みを顔に張り付けている。
その表情と柔らかな物腰だけを見ると、紳士という印象が与えられるのだが、マルタはまったく警戒を緩めていなかった。
「初めまして、人魚の御嬢さん。私はトイミ。グレーギルド『ヌーティネン』のギルドマスターをしています」
「ぐ、グレーギルド……?」
「(またかよおおおおおおおおおおおおお!!)」
人間の世情に詳しくないマルタは首を傾げていたが、つい最近そんな組織と正面衝突をしてこの世の不条理を呪っていたアリスターには聞き覚えのある言葉だった。
グレーギルド……あの気狂い女エドウィージュとムキムキマッチョマンアルベルトのことが思い浮かぶ。
自分のためでもなく、他人のためにあんな化け物と戦ったという事実は、アリスターの心に強い傷を残していた。
「そのグレーギルドが、何の用だ……?」
「依頼を受けましてね。この人魚の方々を、人間の国までお連れしようとしているのです」
しかし、アリスターは人目のあるところで情けなく狼狽するところは決して見せない。
完璧な演技を続けているため、彼の内心の嘆きに気づかずに、マルタとトイミが話を続ける。
にこやかに答えるトイミから視線を外し、ちらりと男たちの肩に担がれている人魚たちを見るマルタ。
お連れする……そんな生易しい表現が似合うような光景ではなかった。
「自分の意思じゃないように見えるけど?」
「ふふっ。まあ、その辺は……」
誤魔化して答えようとしないトイミ。
この時点で、マルタは彼らを見逃すわけにはいかなかった。
たとえ、自分のことを孤立させているとしても、だからといって目の前で連れ去られそうになっているところを助けないような女ではなかった。
なお、アリスターがもしマルタの立場であったならば、内心嘲笑いながら見送っていた模様。
「悪いけど、返してもらおう。君たちに連れて行かれると、ろくな目にあいそうにないからね」
「それは困りますねぇ。抵抗させていただきましょう。それに……」
マルタの容姿を上から下までじっくりと眺めるトイミ。
濃い青の髪を短くまとめ、サイドで小さな房を作っている。
気の強そうなキリッとした目に、端正に整った顔つき。
決して大きいというほどではないが、女らしい起伏にとんだ体つき。
それに、人魚という最高のブランドもたされれば、とてつもない価値のある存在である。
「あなたはとても美しい。高く売ることができそうです。是非、私と一緒に来てもらいましょうか」
「嫌だね」
トイミとマルタが構える。
そして、傍から見ていてなんだか嬉しそうな雰囲気を醸し出すアリスター。
それすらも周りに気づかせない演技力は、もはや神の御業とも言えるかもしれない。
「(俺蚊帳の外だし、自分の部屋に戻って寝てもいいか?)」
なお、考えていることは最低の模様。
『ダメに決まっているだろ! 君はあのトイミとかいう男の部下っぽい連中を叩きのめすんだ!』
「(嫌です……)」
嫌々顔を向けると、そこには人魚を担いでいた男たちが危ない目つきで自分を睨みつけていた。
アリスターの素の力では、一瞬でリンチされて瀕死になるような相手。
だが、それは聖剣の相手にはなりえない。
アリスターは内心悲鳴を上げながら、聖剣を引き抜いて構えるのであった。
◆
「さて、では傷つけないように捕らえるためには……やはり、これですかね」
そう言って、トイミは魔力をみなぎらせる。
彼が魔法使いであり、近接戦闘を好むような戦士でないことは、マルタも見て簡単に予想できた。
だから、どのような魔法を使うのか注意深く見ていたのだが……。
「雷か……」
「ええ。ちゃんと調整すれば、ダメージ少なく相手を気絶させることができますから、私のような奴隷狩りは重宝するのですよ」
トイミの手のひらでバチバチと音を立てるのは、夜にはよく映える雷であった。
なるほど、確かに強力な魔法である。
とくに、人魚であり海に生きるマルタからすれば、非常に脅威となるものであった。
「さあ、行きますよ!」
バチバチ! と凄まじい音を立てながら、マルタに電撃が迫る。
丸腰の彼女は、どうすることもできずに電撃に当てられて筏の上に倒れこむ……ようなことはなかった。
そもそも、何もできないのであれば、アリスターにでしゃばるようなことを進言するはずもなかった。
「来て、『フィロメーナ』」
小さくマルタが呟けば、近くの海の水が渦巻いて彼女の手元へと跳ね上がって行く。
そして、その水がほどけると、マルタの手に握られていたのは美しい装飾の為された三叉槍であった。
彼女が迫りくる雷撃に矛先を向けると……。
「ほう……」
感心するトイミの目に、突如として空中に現れた水球に飲み込まれる雷の様子が映るのであった。
電撃を吸い込んだ水球は、マルタの身を守るという役目を果たしたことから、スッとそのまま海に沈んでいってしまった。
「今まで人魚に抵抗されたことはなかったのですが……あなたは戦う術を持っているのですね」
「僕は不出来な人魚だからね。何か、歌以外にもスキルを持とうと頑張って、これに至ったんだよ」
もし、マルタが歌も上手に歌うことができ、人魚として申し分ない能力を持っていたならば、このように戦う能力を持つことはなかっただろう。
時にはこんなことをしているのが嫌になったこともあったが、今こうして人魚を守るために戦うことができるのであれば、それも無駄ではなかったということだ。
人魚という種族は、ほとんど人前に姿を現すこともないので、護身用の能力を持っている者もあまり多くはない。
そのことを危惧して戦闘能力を努力して手に入れたのだが……昔そう考えた自分に感謝である。
「じゃあ、今度は僕の番だね」
そう言って、再び創り出した水球を、トイミに向かって発射するのであった。




