第35話 いつか泣かせてやる
黒い魔力の奔流が収まって行く。
飲み込まれてしまったアルベルトは、舞台の上で力なく倒れていた。
鋼鉄の身体に変えるメタル魔法とやらで強化していたはずなのだが、そんなことは一切関係なく、全身から血を流してピクリとも動かない。
……え? 死んだ?
…………まあ、これをやったのは魔剣である。俺のせいじゃないので、安心しよう。
『いや、君のせいだろ! 僕の力、あんなどす黒くないぞ!』
俺にそんな力があるわけがないんだよなぁ。つまり、全部魔剣が悪いのである。
しかし、アルベルトを再起不能にするほどのダメージを与えられたことはよかった。
これから何度も復讐されたら堪らんし。
とりあえず、アルベルトを殺してしまった魔剣を鞘に納める。
『だから! 僕じゃないって……!!』
傍から見ても、俺の力じゃなくてお前の力にしか見えないぞ。諦めろ。
さて、と。マガリを煽るだけ煽っていい気分になってから寝よっかな。
そんなことを思いながら振り返ると、シルクがいた。
…………よし、もうちょい評価上げとくか。
「ふぅ……怖いか?」
俺は悲しそうな笑みを浮かべながら、シルクにそう聞く。
「……ううん。怖くない」
すると、シルクはまるで聖母のように優しい笑みを浮かべて、俺の手を両手で優しく包んできた。
……いや、まあ彼女の性格からして、怖いと言うとは思っていなかった。
ただ、まさかこんなにも受け入れられているとは……予想外だ。ちょっと驚いた。
それに、無表情の彼女がこんな柔らかい笑みを浮かべることができることにも驚いた。
人形みたいだと思ってたし。
「無理しなくてもいいんだぞ? 俺の……いや、この剣の力は、人を遠ざけるほど恐ろしいものだ。それは、俺自身が一番よく分かっている」
『ナチュラルに僕のせいにした!?』
チラリと剣を見下ろして言えば、シルクの目も剣に向く。
ふっ……俺の評価を上げつつ魔剣の評価を貶める。
「この剣の力は、強大だからこそ飲み込まれて溺れたらいけない。俺は、この剣を操れるのか……。いつも不安を抱えながら振るっているよ」
『正確には僕に振るわれてるんだよね、君が』
このヤバい剣に憑りつかれているイケメン感よ。これは、女心をくすぐるだろうなぁ……。
シルクにはどうでもいいが、いつか都合の良い女を見つけたとき、この演技で落とすことはできないだろうか?
何事も練習練習。
『何でこういうことだけには勤勉なんだ……』
魔剣の言葉を完全無視し、俺はふっと悲しげな笑みを浮かべる。
ふっ、役者だな、俺。何か舞台の前に座っているおっさんたちも俺に視線を集中させている。
「大丈夫」
俺が自尊心を満たされていると、シルクから抱き寄せられてしまう。
大して体幹を鍛えていないので、こんな弱い女の力にも負けてしまう。
豊かな胸に抱き寄せられ、俺は……。
はぁ……やっぱ、人肌って気持ち悪いな。何か嫌だわ。
『凄いよね、君。普通、シルクくらい綺麗な子に抱き寄せられて、嫌悪感を覚える男はいないと思うよ』
一般人と俺を同列に見ようとしているのが、そもそも間違っているよね。
俺は特別な存在なんだから、感性だって特別なんだ。
『クズな方に特別だね』
なんだぁ、テメエ……。
「その剣は悪いものなのかもしれないけど……あなたなら大丈夫」
俺が魔剣と言いあいしていると、シルクがさらに言葉を続けていた。
思わず顔を上げて彼女の顔を見てしまうと、慈愛に満ち満ちた優しい笑みを浮かべていた。
これには、俺も少々驚いてしまう。
「私を……私の夢を守ってくれたあなたなら、きっと……」
……何、この展開。
いや、俺はこういうことを求めていたわけじゃないんですけど。
もっとこう……俺に恩義を感じてもらうというか、ね? 分かるでしょ?
『わかりたくねーよ』
魔剣がどんどんと荒んでいく……。
いや、この無機物は今問題ではない。
問題は、シルクの俺を見る目が、やけに熱っぽいということだ。
……うぬぼれでなければ、もしかして……。
うぬぼれであってくれ……! 面倒なコブが付いたら、いざという女が現れたときに自由に動けなくなる可能性がある……!
「ちょっといいかね?」
俺とシルクが至近距離から見つめ合っていると、舞台を見ていたおっさんの一人が話しかけてきた。
ナイス! 今のままだと、凄く情けないからな。
だって、俺シルクの胸に顔を埋めた状態で見上げていたんだぞ。ヤバいだろ。
流石に彼女も今の状態ではダメだと思ったのか、俺を抱き寄せる力を緩めたのでその隙にサッと離れる。
「シルクさん、だったね? 君には、是非我が王都演劇団に入ってもらいたい」
「え……?」
思ってもいなかった言葉だったのか、シルクは目を丸くしていた。
……まあ、ここでガチの戦闘があったわけだしな。
あの厳ついギルドマスターが舞台を壊したり、魔剣のせいで大荒れだ。
『何でもかんでも僕のせいにしないでよ! あの黒い力は、まぎれもなく君のひねくれた性格のせいなんだぞ!!』
うっせーな、こいつ。
……しかし、こんな惨状になっているのにまだ入団テストの内容だと思っているのか?
ここの劇場の奴、皆馬鹿なの?
「……でも、私……実は、つい先日まで奴隷で……アリスターに助けてもらって……」
顔を伏せながら、シルクはそう小さな声で呟く。
そこじゃなくね? というか、いちいち自分から言う必要なくない?
いや、貴族の子女が入団するという劇団に、家名を持っていないシルクが入ればいずれ不審に思われるかもしれないけどさ……。
「関係ない。私たちはあなたの演技に……彼を見る笑顔に、強く惹かれたんだ」
おっさんはシルクに優しく微笑みかけていた。
まあ、関係ないだろうな。劇場が割とボロボロになっているのに、慌てもしない能天気な連中みたいだし。
『辛辣だなぁ』
でも、流石にお前だってヤバいと思うだろ?
『…………まあね』
シルクがこちらを見てくる。
とりあえず、笑顔で頷いておくことにした。
正直、劇場であんなガチの戦闘があったのに気づいていない節穴連中がいる劇団でいいのかとも思うが、俺が入るわけでもないので特に気にする必要はなかった。
お目目節穴連中がいるような場所でも、王都演劇団はこの国最大で最も有名な劇団であり、ここに来る観客たちももちろん上流階級の人間が多い。
ということは、だ。金持ちの女もここには来るだろうから、俺の都合の良い女条件の一つは満たしている者がたくさんいるということである。
シルクには、彼女たちと俺との懸け橋になってもらおう。
『まだ言っているのか、君は……』
「……わかりました、ありがとうございます。私はここでお世話になろうと思います」
魔剣の呆れた声と、シルクが入団を受け入れた声が重なって聞こえる。
よし、これからもよろしくな、シルクくん。良い女を紹介してくれよな!
「おめでとう、シルク」
俺がそう声をかければ、シルクは本当に幸せそうで、心の底からの笑顔を浮かべた。
「……うん。ありがとう、アリスター」
『……こんな純粋な笑顔を見ても、君の心は微塵も動かないね』
他人の幸せって、ちょっとムカつくんだよな。
俺がそんなことを考えていると、近くにマガリがいた。
久しぶりに見る彼女……別に見たくなかったけど。
俺が見たいのは、こいつの醜態だ。
「よう、聖女様。ちゃんと教育されてるか? お前そのものを出したら、聖女じゃなくて魔女だもんな」
「大丈夫よ、聖剣使い様。あなたみたいに無機物に振り回されるような情けないことはしていないから」
「…………」
「…………」
静かに睨み合う俺とマガリ。
この野郎……いつか泣かせてやる……!!
こうして、俺とシルクの辛い時間は、ここで一段落ということになったのであった。




