第32話 お待たせしました
「ほぉ……新しいですな」
「演技も素晴らしい」
試験官たちは舞台に上がっている三人の様子に、感嘆の息を漏らしていた。
このように、後から後から増えていくというのは、今まであまり見られなかったテストだ。
しかも、シルクの様子は真に迫っていて良い演技をしていた……と思っている。
彼らの目は節穴だった。
「(な、何で私がこんな目に……)」
だからこそ、マガリが不敵な笑みを浮かべながらアルベルトと向かい合いながらも、脚が超小刻みにガクガク震えていたという不祥事には気づいていなかった。
「えらく勇気があるじゃねえか。いや、無謀とも蛮勇ともいえるなぁ」
その通りである。マガリの命を懸けた見栄張りである。
まあ、これは虚栄心を満たすためというわけではなく、聖女らしくないことをしたら命が危ないのでそうせざるを得ないだけなのだが。
「……この人は関係ない。私とあなたの問題」
そして、優しいシルクはそんなマガリの前に立って手を広げる。
後ろに隠されたマガリは大喜びだ。
「あー、安心しろよ。こいつには手を出さねえよ。今は、な」
後頭部をガリガリとかきながら、アルベルトは前へと足を進める。
そして、シルクの目前に立つ。
その巨漢さゆえ、まさに巨大な壁が眼前に立ちはだかったかのような錯覚をさせるほどだった。
「そもそも、あの男……エリアスと関係のある奴を囮にしないと、奴をおびき出すことなんてできねえしなぁ!」
「がっ……!?」
アルベルトはそう叫ぶと、シルクのか細い首を掴んで持ち上げた。
いくらシルクが女だとはいえ、片腕で高く持ち上げることができるのは、ひとえに彼の腕力の強さを物語っていた。
「ほら、どうした? 大人しく俺にケツを振るんだったら手を離してやるぜ。何せ、俺は優しいからな」
「あっ、ぐ……かはっ……!」
宙吊りにされて、苦しそうに声を上げるシルク。
そんな彼女を、嗜虐的な目でアルベルトは見ていた。
「…………」
一方、いつ自分にその牙が向けられるかとビクビクしているはずのマガリは、何故か天井を見上げていた。
何だか複雑な表情をしており、汗を垂らしながら「何でお前がここにいるんだ」というような目をしていた。
そんなマガリに気づかず、シルクはある考えを抱いていた。
いつもなら……いや、以前までの彼女なら、ここで憶えていたのは諦めだろう。
だが、今の彼女は違う。
自分を奴隷から救い上げてくれて、夢への階段へと優しく背中を押しだしてくれた彼がいるのだから。
こんな理不尽に、屈していいはずがないのだ。
「あぐっ!!」
「つっ……!?」
アルベルトが伸ばしてきたもう一方の手を、シルクは思い切り噛んだ。
硬くて分厚い皮膚だったが、力のない彼女でも思い切り力を込めて噛んだので、小さく出血を強いることができた。
反撃をされるとは思ってもいなかったアルベルトは、つい手を離してシルクを解放してしまう。
「はっ、はははははっ! いいじゃねえか。まさか、ここまで気骨のある奴だとは思わなかったぜ……!」
舞台で咳き込んでいるシルクを見下ろし、獰猛な笑みを見せるアルベルト。
依然としてマガリは天井を見上げていた。
「だがなぁ、腹が立たなかったかと言われれば、そんなことはないんだぜぇ……?」
血走った目をシルクに向けるアルベルト。
今まで様々な犯罪をこなしてきた『アコンテラ』のギルドマスター。
当然、彼もまた凶暴で悪辣な性格をしており、圧倒的弱者に痛みを与えられたことは非常に腹立たしいことであった。
「いいぜ。遊んでやる前に、多少痛めつけてやる。殺すまではやらねえから安心しな。まずは、俺に対する接し方も覚えてもらわねえとなぁ」
アルベルトはそう言ってシルクの眼前に立つ。
硬い拳を、さらに硬く握りしめ……。
「お前のその強気な顔が、媚びるように変わるのも楽しみだぁっ!!」
「…………ッ!」
ゴウッと唸りを上げてシルクに迫る拳。
戦闘能力のない彼女が……いや、鍛え上げられた大の男でも、このアルベルトの拳を受ければただでは済むまい。
シルクの顔面もおそらくは崩壊し、強烈な痛みと苦しみを与えるだろう。
だが、それでも彼女は目を逸らすことはなかった。
それは、いかなる心境からくる勇気だっただろうか?
せめて、こんな男には弱弱しい姿を見せてはやらないという敵愾心だろうか?
それとも――――――あの男が助けに来てくれると、心のどこかで信じていたからだろうか?
「お待たせしました……って言えばいいのか?」
次の瞬間、シルクは一人の男の腕の中に抱えられていた。
アルベルトの屈強な拳は彼女の顔面を貫くことはなく、空を切る。
誰かに身体を抱きしめられたら、おそらく多くの者は恐怖を抱くだろう。
だが、この温かな感触と優しい声で、シルクは恐怖どころか安心感を覚えるのであった。
視線を上げると、こちらを優しい笑顔で見下ろしてくる求めていた男……アリスターの姿があった。
「なあ、ラドミラ」
「あ、アリスター……!!」
片目を瞑って茶目っ気を出すアリスター。
顔が整っているので、それも様になっていた。
思わず、シルクは演劇ではなく彼の本当の名前を呼んでしまう。
「今はエリアス、だろ?」
だが、アリスターはそんな彼女をたしなめるように、そんなことを言うのであった。
「(きっも)」
なお、それを見ていたマガリは反吐が出そうな顔をしていたのであった。
◆
「はぁ、はぁ……もうやだ。おうち帰る……」
『情けないこと言わないでよ……』
俺は半泣きになりながら夜の王都を歩いていた。
俺の身体に傷は一つもない。だが、俺の心はボロボロだった。
つい先ほど、俺はグレーギルド『アコンテラ』のメンバーに襲撃を受け、苛烈な戦闘を繰り広げてきたのである。
もちろん、魔剣持ちの俺が負けることはなかったが、怖いものは怖い。
『襲ってきた奴らもちゃんと倒せたし、君は凄いよ』
いや、全部やったのお前じゃん。
正直、エドウィージュの時ほどではなかったけど、お前に操られながらも何が起きていたかさっぱりだったぞ。
乱戦でめまぐるしく敵が変わるし、もう誰が誰だかさっぱりわからんかった。
俺のした攻撃もどんな感じだったか知らないが……俺の意思でしたわけではない。
だから、もし誰か死んでてもお前のせいだからな。
『殊勝なことを言ったと思ったら責任を押し付ける気だったのか!!』
魔剣に操られた非業のイケメン……母性本能の強い女なら落とせるか?
「というか、何で本当に劇場に行ってんだよ……。もう疲れたし帰ろう……。フカフカのベッドが俺を待っている……」
俺の身体を操って王都演劇団の劇場へと向かわせている魔剣に問いかける。
もう疲れたし、休ませてくれ……。
『ダメだよ! あいつらが言っていたじゃないか、ギルドマスターがシルクを狙っているって! 彼女は、苦しいことを乗り越えてようやく夢に手が届きそうになっているんだ。彼女の邪魔はさせない!』
しかし、魔剣は無情にも俺の望みを否定してくるのであった。
俺の邪魔はしまくっているくせに、こいつは何を言っているんだ?
『あそこだね。さあ、行こう!』
魔剣の声に導かれて顔を上げれば、立派な建物が目の前に立っていた。
ほー、これが劇場ね。来たくなかった。
とりあえず、魔剣の説得である。
「まあ待て。正面からわざわざ侵入することはないだろ」
こっそりと入って、様子を窺おう。
混乱が起きている様子もないし、急ぐ必要もないだろ。
チラリと周りを見渡す限り、逃げ惑っていたりする人はいなかった。
まあ、そもそもの人数が少ないが。
『うーん、それは確かにね。じゃあ、こっそり入ろうか』
よし、何とか魔剣を納得させることができた。
正直、エドウィージュより強い化け物と正面衝突なんかできるか。
間違いなく激戦になるだろうし、そもそもそんな怖い思いなんてしたくない。
だが、シルクに危険が迫っていると知ってしまっている現状、魔剣が彼女を見捨てて俺を逃がしてくれるはずはない。
ならば、もう逃げることは諦める。
隙を見て背後から奇襲、一撃でケリをつける。
それが、俺が一万歩譲って下した決断であった。
……最善はシルクを放置して帰ることなんだけど。




