第30話 ヤバそうな奴キター!
「アリスター、来てない……?」
シルクは舞台袖から観客席を見て、そこに自分の求める男の姿がないことを確認して下を向いた。
無表情なのであまりわからないが、親しい者なら彼女が気落ちしていると察することができるだろう。
それは、彼への落胆や不満というものではなく、ただただ不安だったのだ。
どうやら、自分の中でアリスターという存在が非常に大きなものになっていたようだ。
まあ、奴隷である自分の演技練習に毎日付き合ってくれ、その奴隷の身分から身体を張って解放してくれたのだから、存在が大きくなっても仕方ないだろう。
だが、今の彼女はアリスターに安心を見出すようにまでなってしまっていた。
それは、自分が弱くなってしまったということでもあった。
「……今までは、ずっと一人で頑張ってきたのに」
両親がプリーモに謀殺されてから、シルクは一人ぼっちだった。
たった一人で、彼の理不尽な責め苦に耐え、奴隷としての労働に耐え、寝る間も惜しんで演技練習を頑張り続けてきたのである。
それゆえ、その時の彼女は脆さはありつつも確かに強いと言えた。
だが、今の彼女はその時よりも弱くなってしまっていた。
では、あの時に逆戻りして強くなりたいか?
「……ううん」
明確に否定できる。
弱くなってでも、彼女はアリスターと共にいる今の方が好きだった。
「……今の方が、楽しい」
ふっと笑ってしまう。
薄い感情表現であるが、その魅力的な笑顔に彼女と同じように入団テストを受けに来ていた子女たちは思わず見とれてしまった。
注目を集めていることを知って、シルクは頬をうっすらと赤らめながら下を向く。
しかし……。
「まだ、アリスターが来ていない……」
何度もチラチラと舞台袖から覗くが、やはりそこにアリスターの姿はなかった。
多くの保護者たちと……一人、黒髪の綺麗な女がいたが、彼女も関係ない。
アリスターが嫌だから来ない? いや、それはないだろう。
彼はとても優しいし、実際お願いした時も快く引き受けてくれた。
一度した約束を、彼が破るとも思えない。
ならば、考えられるのは……。
「不測の事態……?」
急な用事が入った、体調を崩した、あるいは……。
「誰かに襲われた、とか……」
そう考えると、背筋が凍りつくような思いをするシルク。
この考えが、一番しっくりきた。なぜなら、彼は自分を助けるために悪名高いグレーギルド『アコンテラ』のメンバーであるエドウィージュと戦い、打ち負かしている。
それは、『アコンテラ』からすれば顔に泥を塗られたと同じ……何かしらの報復に出てくることだって、十分に考えられた。
「アリスター……」
彼のことが心配で仕方ない。
ならば、今からでも入団テストを抜け出し、彼の元へと駆けつける?
いや、そんなことをしても意味がない。自分には、微塵も戦闘能力がないのだから。
それに、アリスターはグレーギルドと敵対してでも、自分に劇団に入るという夢をかなえる第一歩を踏み出させてくれたのである。
ここで、途中で抜け出して彼のためになるのだろうか?
「……ならない。それは、アリスターが求めない」
首を横に振るシルク。
彼女は、これまでの短くも深い付き合いで彼のことを理解していたつもりであった。
なお、実際はまったく理解できていないし、たとえ戦えなくても囮にするので助けに来てほしい模様。
「では、次のテスト生は登壇してください」
「……はい」
ちょうどその時、シルクの出番が来た。
すでに、舞台袖にいたテスト生たちもほとんどいなくなっている。
ふぅっと息を小さく吐いて、胸の高鳴りを抑える。
これが、自分の夢への第一歩。たとえ、本当に見ていてほしい人がこの場にいなくとも、全力を尽くす。
「……あなたにもらった、大事なチャンスだから」
そう言って、シルクは試験官たちの待つ舞台へと出るのであった。
◆
「……シルクです。よろしくお願いします」
舞台に出て、試験官たちに頭を下げる。
チラリと観客席を見れば、多くの保護者たちはすでに席を立っていた。
その分、アリスターの姿を探しやすかったのだが……彼は、やはりこの場にいなかった。
少し落ち込むが、もしかしたら途中から来てくれるかもしれないと、自分に気合を入れ直す。
そして、アリスターを探す過程でチラリと目に入ったのは、紫がかった長い黒髪をしたとても美しい女であった。
「(凄い美人……。どこかの劇団の女優さん? ああいう人が人気の女優さんになれるんだろうな)」
ふとそんなことを思ったが、今は自分の大切な時間である。余計なことを考える暇はなかった。
「ええと……シルクさんは『エリアス物語』が試験内容でしたね。おひとりですか?」
試験官の一人がそう尋ねる。
この入団テストでは、数人までなら他の人と協力してテストを受けることができる。
本当に演劇が上手くなければ、なかなか一人で憧憬などが浮かぶような演技をすることはできないだろう。
だからこそ、それも認められているが、逆にテスト生以外に優れた人がいれば申し込んでいなくてもその者が受かったりもするので、一人でテストを受ける者も少なくはない。
「……はい。私一人でテストを――――――」
「いやいや、俺もいますよ、試験官殿」
小さく頷こうとしたシルクの声を遮るように、男の野太い声が響き渡った。
そして、筋骨隆々の巨大な男が舞台に現れたのであった。
「(何だかヤバそうな奴キター!! 逃げた方がいいかしら?)」
困惑するシルクとニヤニヤする大男を見て、マガリは早くも逃走方法を考え始めるのであった。




