第29話 手、離せよ
どうしてこうなったの……。
私は天を見上げてこの残酷な世界を疎む。
「どうかしたか、聖女よ?」
「いえ、何でもありませんわ、王子様」
私は憂鬱な気持ちを心の奥底に隠し、爽やかな笑顔を同行人に向ける。
それは、あの国王との謁見の場に現れて、聖女という存在を否定していたこの国の王子であるエリアであった。
……何でこいつと一緒に行動しなきゃいけないのよ。
私が自ら望んだ? いえ、そんなことはないわ。
確かに、私は都合の良い男を見つけて玉の輿を狙っている。
だが、いくら何でも王子を狙うような馬鹿なことは絶対にしない。
まず、競争相手が多い。私の美少女な容姿と完璧な演技があれば、その競争に勝ちあがることはできるだろう。
しかし、その過程で競争相手に恨まれることだって十分に考えられる。
恨まれることなんて、できる限りない方がいいに決まっている。
また、その競争に勝ちあがったとして、玉の輿になった後も大変だ。
王子の妃よ? 絶対に楽な人生送れないわ。
絶対に王子の嫁としての礼儀やマナーを叩き込まれるし、ずっとそれを見られるわ。
ダラダラした人生を送りたいのに、そんなの真逆の世界じゃない。
しかも、公務だってあり得るわ。どうして自分のためでもないのに時間と気苦労を費やさなければならないのか。絶対にお断りよ。
そんな重要な立場にいれば、暗殺という危険性だって考えられる。
まさに、百害あって一利なしである。
贅沢しようにも、国民から吸い上げた税からとなると、あまりにも派手なことをしていると革命でも起こされて殺されかねない。
それに……。
「ふっ、安心しろ。誰かが襲って来ても、この俺がお前を守ってやる」
私の隣でドヤ顔を披露するエリア。
……この性格が、気に食わない。
いや、性格が腐っているとか、そういうことではない。
ただ、どうにも俺様というか……俺が俺がという意識が強すぎる気がするのである。
正直、そういう存在の近くにいると疲れる。
本音と建て前を使いこなせないと、絶対に気苦労から避けられないから。
だからといって、アリスターみたいに建前しか話さないような存在と一緒にいるのも御免だけどね。
「頼もしいですわ、王子様」
まあ、いざとなればこの王子を囮にして逃げよう。
私は別に運動が得意というわけでもないので、彼にはそれくらいの時間稼ぎはしてもらわないと困る。
というか、こいつのせいで私は出たくもない外に出ているのだから、それくらいやってもらって当然だろう。
肉壁になって私の安全を守ってもらいたい。
「さあ、行くぞ。王都演劇団の入団テストは、もうすぐなのだからな」
そう、私はこの馬鹿王子に嫌々連れ出され、夜の王都を歩いていた。
何で治安の悪い夜の王都を歩かないといけないのよ……。
まあ、流石に王子ということもあって護衛も付いてくれているでしょうから、そういった危険はないと思うけど……わざわざ夜に気に食わない男と外を出歩くなんて普通に嫌ね。
こういう時は、アリスターを馬鹿にして気を楽にするのだけど……最近、彼に会うことはできていない。私の聖女としての教育があるからだ。本当に嫌だけど。
ヘルゲに聞く限り、まだ彼は逃げ出すことはしていないようだが……アリスターのことだ。いつ逃げおおせるかわかったものではない。
だからこそ、アリスターの動向には注意するようにお願いしているが。
絶対に逃がさん……お前だけは……!!
そんな決意を新たにしながらも、私は王子様に引きずられていくのであった。
……手、離せよ。
◆
そうして、エリアに劇場に連れてこられたわけだけれども……ここで行われるのは、入団テストらしい。
……どうして普通の演劇をしている時に連れてこないのか。
いえ、別に見たいというわけではないし、エリアも王子としての職務が昼間にあったからなんだろうけど……。
やっぱり、うぬぼれでもない限り、私はエリアに多少なりとも好意を寄せられている……のだろうか?
くっ……! 確かにそこそこ経済力のある男に寄生したいとは考えているけど、王子レベルは求めていないわ……!
何とかして嫌われないと……いえ、嫌われるまでいったらダメね。興味を持たれなくするくらいにしないと……。
「ここには、未来への希望を持って有望な若い男女が集まる。努力をし、希望を持ち、まさに好青年と呼ばれる男女がな。聖女となるお前には、こういった民たちがいることも知っておいてほしかったのだ」
そっすか。こういう知らない人たちの未来のことよりも私の未来の方が大切なんだけどね。
というか、キラキラとしている人を見るのはあんまり好きじゃないのよ。何かムカつくから。
はぁ……早く終わらないかしら?
王城で聖女としての教育を受けるのは嫌なんだけど、その分村では味わうことができないほど良い生活をさせてもらっているから、そこだけは楽しいのよね。
「ええ。聖女として頑張りますわ」
自分のためだけに頑張りたいけど。
「……いや、それだけでは困るな」
「は?」
しまった。つい王子に対しての言葉遣いが緩んでしまった。
でも、それも仕方ないだろう。エリアが、何故か私の手を握ったのだから。
うぎゃあああああああ!! 人肌が気持ち悪いいいいいいいいいい!!
逃げようにも劇場の椅子に座っているし、うまく逃げることができない。
先ほどまでは劇場が満員になるほど多くの保護者などがいたのだが、もうほとんどのテストが終わったせいで随分とはけている。
だが、それでも立ち上がって逃げ出すことはできなかった。
「お前には、聖女だけでなく……もっと、国を支えてほしい」
「え、えーと……お国にはご奉公するつもりですよ?」
嘘よ。そんな気持ち微塵も持ち合わせていないわ。
しかし、この気持ち悪い状況から逃げ出すには、多少の嘘も仕方ないわ……!
自然に手を離そうとするが、エリアはさらに強く手を握りしめてくる。やめ、やめろぉ!
「それだけではない。……いいか、聖女……いや、マガリよ。一度しか言わないから、しかと聞いておけ」
き、聞きたくねえええええええ!! 絶対に嫌なことしか言ってこないわ!
この嫌な予感は、アリスターがニヤニヤしながら私を見ていた時と同じものよ! ろくなことにならないわ!!
「いいか、マガリ。俺は……」
や、止めろおおおおおおおおおおおおおおおおお!!
私が本当に声を張り上げそうになった、その時だった。
「殿下」
私とエリアの間に入り込んできた救世主は、私たちを護衛していたはずの騎士であった。
「……なんだ? 今は非常に重要な時だったのだが?」
いえ、全然重要じゃないから気にしないで。
怒気の込められた声を出されても、騎士は少しもたじろぐ様子を見せることなく、ただ頭を下げた。
「申し訳ありません。しかし、陛下からの御呼び出しがかかっております」
「父上から?」
国王ナイスゥッ!!
私を聖女に仕立て上げたからクソだと思っていたけど、ちょっと評価を上げてあげるわ!
流石にエリアも、父である国王からの命令には逆らうことはできないわよね。
「……すまないな、聖女よ。どうやら急用ができてしまったようだ」
「いえ、お気になさらず」
残念そうにため息を吐くエリアであるが、私はニコニコである。
さっさとどこかに行って、どうぞ。
「いつか、また。今度は、邪魔の入らない二人きりでな」
しかし、エリアは最後の最後にニヤリと笑って、私にとっては悪夢でしかないようなことを言って出て行くのであった。
ひぇっ。
思わず身体が震えてしまう。もう勘弁してほしいわ……。
「はぁ……疲れたわね」
背もたれに体重をかけて天井を見上げる。
はぁ……こんなことがずっと続くのだとしたら、やはり聖女なんて長くすることはできない。
やはり、何かしら理由をつけてさっさと辞退しないと……。
そう考えていると、耳に飛び込んでくるのは必死に演劇団に入ろうとする人たちの演技をする声であった。
「少し、休憩がてら見てみようかしら」
あまり興味はないけど、休憩中何もしないというのもあれよね。
といっても、もうほとんどテストは終わりに近づいており、残すのは後一人らしい。
観客席にもほとんど人はいないので、逆にゆっくりできる。
そうして、私は最後の入団テストを行う女を迎えるのであった。
「……シルクです。よろしくお願いします」
髪を短めに切りそろえ、顔は整っていても無愛想な女は、そう言って頭を下げたのであった。
ふっ、勝ったわね。




