第151話 砕いていく
「な、なんだ、これは……!? 何が起きているんだ!?」
目の前の現象を、フロールは理解できずにいた。
死んでいた……もしくは瀕死の状態だったアリスター。あとは、心臓か脳を破壊するだけの簡単な仕事のはずだった。
だが、目の前にいるアリスターは全身から先ほどまでとは比べものにならないほどの瘴気を撒き散らし、それは天に届くほどのものだった。
そして、何よりも彼の身体から発せられる威圧感。死の気配がフロールを驚愕させていた。
「俺が怯えているだと……?」
フロールの屈強な身体は、自然と震えていた。
まだ、戦ってもいない。敵意や殺意を向けられたわけでもない。
それなのに、寿命を代償に強大な力を手に入れたはずの自分が、ただそこに存在するものに恐怖しているのである。
それは、フロールにとってとてもじゃないが受け入れられるものではなかった。
「あいつは……いや、『あれ』はなんだぁ、聖女!!」
自分に対して強烈な怒りを抱きつつ、フロールはアリスターのことを一番よく分かっているであろうマガリに問いただす。
その気迫は、一切の虚言を許さないという言外の意味が強烈に込められていた。
そして、それを受けたマガリは……。
「えぇ……? なにあれぇ……」
フロール以上に困惑していた。
いや、確かにフロールに啖呵を切ったのは事実だ。
アリスターを勝手にボコられたのはちょっと腹が立ったし、言った通りこれくらいで彼が死ぬとも思っていなかった。
しかし、理性を失ったように雄叫びを上げ、瘴気を撒き散らしているのは知らない。
なんだあれ?
「何でお前も知らないんだ馬鹿!!」
「無茶言わないでよ! 何でもかんでもアリスターのことを知っていると思う方が馬鹿よ!」
そんな言い合いをしている中、アリスターが瘴気を撒き散らして発生させた暴風により、マガリのすぐ隣に聖剣が転がってくる。
『ねえ! あれなに!?』
「いや、あなたが一番分かっていないとダメでしょう!?」
すぐにマガリに質問を投げかける聖剣。
精神的に深い場所でつながっていると自称していたのに、彼はさっぱりアリスターの今の状況を理解していなかった。
「(……でも、あれ本当に何なのかしら?)」
マガリが引っ掛かったのは、アリスターが聖剣を持っていない点である。
彼自身はろくに能力を持っていない。普通の農民だったから当然だろう。
戦闘能力なんて微塵も持っていないし、特殊な力も持っていない。
魔力を撃ち出す攻撃ができるのだって、あくまで聖剣が使用して聖剣を媒介にしてようやく使えるものである。
それなのに、今彼はその聖剣を手に持っていないのにもかかわらず、魔力を溢れ出させていた。
「あれは、アリスター自身の力なの?」
『た、多分ね。だって、僕今何もしていないもん』
聖剣も困惑していた。
彼にこんな力があるなんて思ってもいなかったからだ。
……いや、黒化という異質な力が彼の中に眠っていることは分かっていた。
つまり、これは黒化の暴走なのか?
自分の命が危険な状態に追い詰められ、自分を守ろうとしたがゆえに起きた力の暴走状態なのではないか?
「クソっ! 舐めるなよ化け物! 俺の邪魔は……世界の平和を乱そうとすることは許さん!!」
フロールはそう怒鳴り、拳を前に突き出した。
それによって拳圧が生じ、ゴウッと衝撃波が放たれた。
地面を抉り瓦礫を巻き上げるその威力は凄まじいもので、先ほどまでの黒化アリスターでも大きなダメージを負うことは間違いなかった。
しかし、今の彼にはあまりにもお粗末な攻撃だった。
「なっ!?」
ただ、腕を振っただけ。
自分にまとわりついてくる虫を、鬱陶しそうに跳ねのけようとしただけの、些細な行動。
だが、それだけで人を何人も一度に殺してしまえるほどの衝撃波を、バチッ! と音を立てながら打ち払ったのであった。
勢いよく進んでいた風の暴力は、あっさりと無に帰されたのであった。
【――――――】
スッとアリスターの……いや、黒い瘴気の塊がフロールを捉えた。
「かっ……はっ……!?」
アリスターは何も特別なことはしていないはずだ。
魔力の動きもなかったため、魔法を使われたこともなかった。
だが、ただ見られただけで、フロールは息ができなくなるほどの威圧感に襲われた。
恐ろしい。怖い。そんな単語がいくつも頭の中に浮かんでは消えていく。
ただ、見られただけなのに。自分だって寿命を代償にして強大な力を手に入れたはずなのに。
「ッ!!」
スッとアリスターが両腕を掲げた。
たったそれだけの行為でも、ビクッと身体を震わせて警戒を最大のものにするフロール。
そして……。
【オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!】
アリスターは雄叫びを上げて、その両手を地面に押し付けた。
シンと静まり返る。
何も起きない。だが、それをあざ笑うことは、フロールにはできなかった。
今のアリスターの威圧感を知っているがため、何も起きないなんてことは想像できなかった。
そのため、キョロキョロと目をせわしなく動かし、常に何が起こるのか警戒していたのだが……。
「ぐぉっ!?」
「きゃあっ!?」
フロールとマガリが悲鳴を上げる。
その理由は至極簡単。
『じ、地震だ!!』
ゴゴゴ! と音を立てて大地が揺れる。
地面が揺れる、ということはフロールなどのように戦闘経験が豊富な者からすればそれなりに体験したことのあるものである。
つい先ほども、彼が地面を蹴り砕いたときだって多少揺れたし、アリスターを地面に叩き付けた時も同様だ。
だが、それは所詮一瞬の事象に過ぎない。
だからこそ、天災と称される地震とは比べものにならないのである。
しかし、今起きていることは……アリスターが引き起こした地揺れは、一瞬で収まるどころかますますその揺れを大きくさせており、それはまさしく人の力ではどうすることもできない地震そのものだった。
古都であるがゆえに価値のある建物が、ガラガラと崩れ落ちていく。
「こ、これはいったい……!?」
さらに、フロールを驚愕させたのは、地面から立ち上り始めた瘴気である。
下に活火山でもあるかのように、地面の隙間を塗って溢れ出す黒い魔力。
そして、次第に地面そのものが黒く染まっていく。
古都ヴィトリーは歴史的価値もあり、美しい街並みが広がっていたにもかかわらず、それが地獄に様変わりするようなおぞましい光景になっていた。
「か、身体から力を抜いているのか……!!」
その黒い大地に立っていると、フロールは全身から力が抜けていくのを感じた。
それは、魔力しかり、生命力しかりである。
ただそこに立つだけで常時ダメージが与えられるような魔法なんて、聞いたことがない。
まさに、毒そのものである。
「くそっ……!」
当然、そんな場所に長時間立っていることなんてできない。
そもそも、今の彼は寿命を削って力を得ている状態である。
これ以上身体を弱らせることは、今回のことを終わらせた後のことを考えても悪いことである。
ズガン! と黒い地面を蹴り砕いて宙に跳びあがる。
その巨体を空高くまで持ち上げることができるのは、流石としか言いようがない。
しかし、今のアリスターから逃れるためには、その行動は下策だったと言わざるを得ない。
ゴッ! と地面を引き裂いて現れたのは、巨大な黒い腕だった。
瘴気を撒き散らしながら地面から生えたそれは、宙に跳ぶフロール目がけて迫る。
流石に空中を移動する術を持たないフロールは、それを避けることができず……。
「舐めるなああああああああああああああ!!」
迫りくる黒い腕を、自身の屈強な拳でもって迎撃した。
凄まじい力を持つそれは、黒い腕を跳ねあげることに成功した。
巨大な岩を殴りつけたような衝撃がフロールを襲うが、しかしこれで危機を脱することができた……。
そう思っていた彼の顔が凍りつくのは、そのすぐ後のことだった。
「そ、そんな……」
ズガガガガ! と地面を引き裂いて、黒い腕が現れる。
しかも、それは一本ではない。十、二十とその数を増やしていき、辺りは黒く染まった大地から伸びる黒い腕がうねうねと動く、地獄絵図に変わってしまった。
「あああああああああああああああああああ!!」
それでも、フロールは諦めない。
必死に迫りくる黒い腕を迎撃し続け……そして、ついにその腕を掴まれる。
「ぐっ、ああっ!?」
ギチギチと締め上げられる。
その握力はパワーアップしたフロールをも超えており、腕が壊死し始める。
太い腕がぐにゃりと変形してしまうほど強く握りしめられ、今にも骨が折れてしまいそうだ。
暴れて振りほどきたいが、空中ではうまく力を込めることができない。
それをいいことに、黒い腕はフロールの重たい身体を簡単にブンブンと振り回して……。
「がっ……!?」
地面に思い切り投げつけた。
ゴウッと空気を切り裂いて地面に叩き付けられるフロール。
大地が割れて砂煙が舞う。
背中を強打し、フロールは息が詰まって声も出せなくなる。
そして、内臓にも深刻なダメージを負った。
口から血を吐き出し、自身の顔を汚す。
ぼやける視界。しかし、それでも現状を把握しようと必死に目をこらすと……。
「あ…………」
いくつも地面から生えていた黒い腕が、フロールを見下ろしていた。
硬く拳を握りしめ、今にも振り下ろされんとするそれら。
一本だけではない。十本、二十本。それほどの数の拳が、振り下ろされたのである。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああ!!!!」
その悲鳴は、遠くで戦闘をしていた彼の部下やマーラたちにも届いたほど。
大きな力を代償を支払って手に入れたフロールが、ボコボコにされていた。
文字通りである。黒い拳がいくつもいくつも、空から振り下ろされる。
何度も何度も何度も何度も。飽きることなく、フロールの全身を砕いていった。




