第126話 支配下
自身の生にしがみつくため、目を輝かせて悪魔という強大な敵に挑んだアリスター。
だが、そんな彼の心は早速ボロボロに折れかけていた。
「(魔剣がクッソ役に立たねえ。君今まで何してきたの?)」
『これでも全力なんだけど!! 君の身体がばらばらになってもいいんだったら、もっといい動きができるよ!』
「(いいわけねえだろ)」
ただでさえ、聖剣が操った後アリスターを襲う後遺症は大きい。
ろくに身体を動かしてこなかったことと、そもそもアリスターの身体では決してできないはずの動きを連発しているため、身体の節々や筋肉が激痛を発するのである。
毎回、激しい戦闘の後、ベッドの上で芋虫のようにのた打ち回っている彼の姿を見ることができる。
「(いぎゃああああああああああああああああ!? また攻撃くらった!?)」
だが、そんな後遺症のことを考える余裕もないほど、アリスターの身体は悪魔によって痛めつけられていた。
圧倒的なまでの数の触手。複数本でも対処するのが非常に難しいのに、それが数十倍である。
いくら経験豊富な聖剣でも、それらを受け止めることなく全て避けるというのはかなり酷な話だった。
結果として、アリスターの身体は何度となく触手に打たれ、凶悪な鞭のようなダメージを受けている。
衣服が裂け、そこから覗く皮膚は真っ赤な血で染まっている。
肉をゴリゴリと抉り取られたような箇所もあり、間違いなく重傷であった。
全身に火がついているような、熱さと激痛に襲われるアリスター。
痛みに耐性が微塵もない彼の意識は、もはや朦朧としていた。
「もう……もういいですわ。あんなにボロボロになってまで助けてもらう価値なんて、わたくしには……!」
マーラの綺麗な瞳からは、ポロポロと涙がこぼれていた。
全身から血を流し、今なお悪魔の触手によって身体を痛めつけられているアリスター。
そんな彼は、決してあきらめようとせず、自分を助けるためになお悪魔の前に立ち続けているのである。
嬉しい。確かに嬉しい。
だが、それよりもマーラは心臓が張り裂けてしまいそうなほどの苦しみに悶えていた。
自分のために男が血を流して戦う。嬉しさを感じるものもあるだろう。
しかし、半魔である自分を受け入れて純粋な好意を寄せてきてくれた彼を、こんなに傷つけてまで助かりたいなんて思えなかった。
それは、マーラがどこかのクズと違って、本当に心優しい女だからである。
自分以外のすべてがどうにでもなってもいいから自分だけは助かりたい、なんて考えている者が二人ほどこの場にいるのだが、爪の垢でも煎じて飲むべきだろう。
「そんなこと、言わないでください。絶対に……絶対に助け出しますから……!(ここまできたら、もう最後まで付き合うわ! 絶対に助けて寄生させてもらうぞ、マーラ!!)」
「アリスターさん……!」
フラフラとしながらも自分を助けると硬く言い放つアリスターに、マーラは口元に手をやる。
止めてほしい、傷つかないでほしい。
だが、それ以上に嬉しかった。男に求められているという以上に、天涯孤独となった自分をここまで慕って命を懸けてまで救おうとしてくれる人間がいるということが。
「鬱陶しい、鬱陶しい。さっさと死ね、死ななければならない」
悪魔はこれまで以上にアリスターに苛烈に襲い掛かる。
それゆえ、彼の傷も増えていき……。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
威勢よく格好いいことを言っていたアリスターの精神的肉体的限界があっさりと訪れた。
もともと、大して限界値が高いわけでもないので、あっさりと振り切った。
『あっ、ヤバい!』
「くっ……! 逃げように逃げられないわ……!!」
アリスターが大声を出したことによって、なんとなく察したマガリは逃げようとするが、エリザベスやエリアなどの目がある中自分だけ逃げ出すことは不可能だった。
そんな間にも、アリスターの身体に変化が訪れる。
『うごああああああああああああああああ!? また染められていくうううううううううううううう!!!!』
聖剣の悲鳴がアリスターの脳内で響き渡る中、ズプズプと彼の身体が黒く染まっていく。
傷だらけで血を流していた身体が光をも吸い込む深淵の闇に浸っていき、彼の目の位置は真っ赤に煌々と光り始めた。
「あ、あれは、あの時の……!」
エリザベスは頬を酔ったように紅潮させる。
あれは、天使教が天使に裏切られた日。彼らが勇者アリスターに光を見た日。
強大で人間なんてアリを踏み潰すかのように蹂躙した天使を、一方的に虐殺したアリスターの異なる姿。
絶望的なまでの暴力の体現であるそれを見て、エリザベスは恐怖ではなく歓喜に震えていた。
それは、彼女が勇者教の聖女として非常に毒されていることを示していた。
「な、なんなのだ、あの姿は……!?」
「アリスターさん……なのですか……?」
エリアは邪悪なまでに黒に染まったアリスターに愕然としているし、マーラもまた彼の変貌に目を丸くしている。
だが、二人の間で違うのは、前者は脅威と恐怖を感じているのに対して、後者は確かに不安を原点とした胸の高鳴りを感じているのだが不思議な安堵感や高揚を得ていることである。
それは、彼らのアリスターに対する心の距離にあった。
エリアは黒化アリスターが恐ろしいし脅威に感じるが、マーラはダメンズ好きもこうじてか暴力的な一面もまたいいと思っていた。
「やっばいわね」
そして、この中で最もまとも(?)で黒化アリスターの力を脅威と感じているマガリは、冷や汗をダラダラ流していた。
というのも、この状態になったアリスターに自意識はなく、ただ敵を殲滅するだけの殺戮マシーンになってしまうことは、マガリはしっかりと理解していた。
「逃げ……られないか……」
諦めたように笑うマガリ。
教会はボロボロだし、むしろ今変に動いた方が危険だろう。
とにかく、アリスターに賭けるしかなかった。
「なに、なんだ? 危険な匂いがする、危険な匂いしかしない。危ない、恐ろしい、おぞましい……?」
悪魔はそう液体の身体をプルプルと震わせながら、怯えた様子で呟き続ける。
悪魔は邪悪だ。悪魔は危険だ。悪魔は凶悪だ。
だが、そんな自分よりもはるかに邪悪で、危険で、凶悪な様相をしているのが、今の黒化アリスターだった。
「殺さないと、殺さなければ。殺す殺し殺され殺せころころころころころ……」
狂ったように同じ言葉を繰り返す悪魔は、一気にその黒い液体の身体から触手を伸ばした。
その数は百本に届こうとしており、まさにアリスターや聖剣にとって脅威以外のなにものでもない。
だが、今のアリスターにそれは大した障害とはならないのである。
ギュルルル! と唸りを上げて四方八方から迫りくる触手。
鞭のようにしなって身体に叩き付けてくるか、はたまた人体を貫くような攻撃を仕掛けてくるか。
どちらにしても、竜などのような硬い鱗を持たない人間にとっては、非常に効果的で驚異的なものである。
そんな攻撃が迫ってきて、黒化アリスターは……。
「――――――あ?」
スッと剣閃が煌めいた。
横一文字に、綺麗に。
そのすぐ後、伸びていた悪魔の触手は全て根元から斬りおとされたのであった。
「え、あ……なんで、どうして……?」
困惑し、怯えたように後ずさりする悪魔。
それもそうだろう。今まで一方的に戦いを進めて圧倒していたのは自分の方だ。
それなのに、どうしてこんな一度に全ての触手を斬りおとされるような、逆転の展開になっているのか。
「――――――」
そんな怯えた様子の悪魔を、煌々とした赤い目で見据える黒化アリスター。
夜の闇よりも暗い黒の聖剣に、轟々と唸りを上げて魔力を集め出す。
それは、先ほど聖剣が作り出そうとしていた魔力の奔流よりも、何倍も邪悪で凶悪なものだった。
教会に残っていたなけなしのガラスが全て割れ、多くの人々が座って祈りをささげる椅子が破壊されていく。
魔力が流れた場所は、まるで生気を吸われたかのように死を纏う。
『ちょっ、ダメだよ! このまま撃てば、マーラも……!!』
聖剣は必死にアリスターの身体を操って止めようとするが、やはりこの状態になった彼に力が及ばなかった。
必死の抵抗もむなしく、彼の身体は聖剣を振り上げて今まさに魔力の斬撃を撃ち放とうとする。
それを見ても、巻き込まれるであろうマーラに悲壮感はなかった。
むしろ、自分ごと悪魔を消滅させようとしていることを、とても嬉しく思っていた。
自分を思いやって傷つかれるのは、これ以上は見るのも耐えられない。
それに、アリスターに殺されるというのであれば、本望である。
だから、彼女は目を閉じて穏やかな表情のまま受け入れようとして……。
「お、おおおおおおおおおおおおおおおおっ!! あっっっぶねぇ……っ!!」
振り下ろされそうになっていたアリスターの腕が止まった。
それは、聖剣の力ではなく、彼自身の意思で止められたものだった。
『アリスター! 意識が……!!』
「(あ、うん。なんかすごいなぁってまた心の中で見てたんだけど、マーラごと消し飛ばそうとするから思わず……。俺が何のためにここまで傷だらけになって戦ったと思ってんだ。馬鹿なのか、この黒いやつ)」
自分の身体でも自分の意識がなければ下に見て罵倒する。それがアリスターである。
先ほどまでは、身体全体が漆黒に染まり瘴気のようなものを立ち上らせ、目は真紅に煌々と輝いていたのだが、意識が戻ったこともあってか、その闇は少し薄まったような気がする。
「必ず無事に……助け出してみせます……!!」
「……ッ!!」
マーラはもはやせき止めることができず、涙をぽろぽろと流し始めた。
アリスターは寄生先を救出するため、強大な黒化の能力を一時的に一部とはいえ支配下に置き、悪魔に最後の勝負を挑むのであった。




