第121話 割と大きな喧嘩もできてしまうものなんだよ
「なん……だと……!?」
俺はその時、マーラがいったい何を言っているのかさっぱりわからなかった。
いや、言葉の意味としては理解していたはずだ。
彼女は何も難しいことを言ったわけではなく、ごく一般的な常識があれば理解できる言葉を使った。
ただ、俺の頭が……脳が、それを受け入れたくなかった。ただそれだけだった。
俺の唖然とした表情を受けて、目の前にいるマーラはうっすらと儚く微笑んでいた。
美しいのだが、少し突けばすぐに瓦解してしまうようなガラス細工のような脆さも感じさせた。
一方、少し離れた場所にいるマガリはニヤニヤである。
そんな彼女の態度を気にする余裕もないため、俺はマーラが放った言葉をおうむ返ししてしまう。
「け、結婚……!?」
「……数日後に結婚式が行われる予定ですわ」
早くない!?
この結婚というのが、赤の他人が勝手にやるものだったら何とも思っていなかった。
人生の墓場に突っ込んで頑張れー、くらいは言えたかもしれない。
だが、その結婚の当事者が、このマーラだということなら話は別だ。
展開が急! 相手は誰!? 俺が目をつけていたんだぞ! 何横取り仕掛けてきてんだボケェッ!
分からないことが多すぎて頭が破裂しそうだ!
「その際には、是非アリスターさんにも参列していただきたいですわ」
すると思う!?
俺が狙っていた女が別の男と結婚するってなって、参列すると思う!?
バカじゃん! 参列したらバカじゃん!
というか、こんな急展開なのに、マーラはもう結婚する気満々なの!?
実は、俺の知らないところでもう決まっていたことだったとか? 俺は完全に道化師だったとか?
い、いや、それはないはずだ。だって、マーラ自身が独り身だってブツブツ言っていたのだから。
だとしたら、やはり急に決まったことのはずなのだが……どうしてこんな事態が進むのが早いんだ……?
「もちろんです。私もアリスターも、喜んで祝福させていただきます」
何も言わない俺を見かねてか、マガリが勝手におかしなことを言う。
祝福したくないんだけど!?
「……そうですか。嬉しい限りですわ。それでは、失礼しますわ」
「えっ……!? ちょ、ちょっと……!」
用件は終わったと、さっさと退出しようとするマーラ。
待てや! まだ話は終わってへんで!
俺は彼女を呼び止めようとして……。
「言わせないわよ」
「ふがっ!?」
マガリに口を塞がれてしまった。
背後から忍び寄っていた!? いつのまに……!
俺の方が背は高いため、口を塞ごうとするとかなり密着することになる。
背中にマガリの身体の感触と鼻孔をくすぐる良い匂いが漂ってくるが……柔らかくはないな。うん、どちらかと言うと硬いわ。胸ないからかな?
「ぐぇっ!?」
口の中に指を突っ込んできやがった!? 窒息するわ!
てか、俺の唾液が付くのに全然躊躇することなかったな。まあ、今更か。
とりあえず、口の中で縦横無尽に暴れまわっているマガリの指を吐き出し、俺は怒りをあらわにする。
「っていうか、何この急展開!? おかしくない!?」
「何もおかしくないわ」
「あとちょっとで堕とせたはずなのに! 本当に良い雰囲気だっただろ、俺とマーラは!」
「そんなことなかったわ」
……やけに淡々と俺の言葉を否定するマガリ。
おかしい。何かが……。
事態は急速に俺が気づかないほど早く進み、しかもそれが俺にとって都合の悪い方向に全力疾走する。
「ま、まさか……!!」
『い、いや、いくら何でもそこまで……』
俺は一つの考えに思い至る。
俺とつながっている魔剣もまた気づき、動揺の色を隠せていない。
こ、こんなことが起きたのは、すべて偶然と片付けるにはあまりにも不自然。
何者かが黒幕となって糸を引いていたとしか考えられない。
そして、こうなることによって、誰が一番得をしたか?
もちろん、俺ではない。独り身を寂しがっていたマーラもまた、俺という存在が現れたことによって、そうそう焦って結婚に突っ走る必要もなかったはずだ。
ということは……俺の不幸をこの世で最も求めて喜ぶ存在……すなわち!
「仕方ないわよ。だって、この結婚を勧めたのは国王陛下だもの。アルヒポフ商会を壊滅させた功を労ってのことだそうよ」
にやりと笑うマガリ。
端整な顔をあまりにも邪悪に歪ませていた。
き……。
「貴様かあああああああああああああああああああああ!!!!」
俺は膝をついて絶叫した。もはや、誰かに聞かれることなんて考えていられなかった。
こ、この性格ドブス、最悪のタイミングで俺のことを陥れやがった……!
「人聞きの悪いことは止めてくれないかしら。別に、私がこの結婚を推し進めたわけではないわよ。ただ、恋する男を少しだけ後押ししてあげただけよ」
「それで俺が苦しむことも分かっていたはずだ! よくも……おのれ……!!」
血涙を流しながらマガリを睨みつける。
あ、ちょっと引かれた。
確かに、マガリがマーラとどこの馬の骨とも知れないクソ横入り野郎との結婚を主導して推し進めたというわけではないだろう。
というか、無理だ。貴族と貴族の結婚に、彼女が口出しする権利はない。
聖女という非常に重要な地位にはあるのだが、貴族同士のことに首を突っ込むことはできない。
いや、できるのだが、それでは多くの貴族を敵に回してしまう。
自分のこと第一主義の彼女が、そんな無謀なことを行ったとは思えない。
……だが、だ。闇で暗躍し、そういう方向に唆したのはこいつだろう。
それだけの力を、彼女は持っている。
クソ……! なんてことに才能を無駄遣いしているんだ……! 俺の役に立つようなことをしろよ!
ま、まあ、別に恋敵が現れることくらい想定している。
俺の演技している『アリスター』という男は、たとえどのような男がライバルでも容易く打ち破ることができると確信している。
見た目良し、性格良し。まさに、完璧な男なのだから。
「ちなみに、マーラの結婚相手になるゲーアハルト・エーレンフェストってイケメンで性格も良さそうだったわよ。私は何か受け付けなかったけど」
「がはっ……」
『血吐いた!?』
俺はさらに両腕を地面につけ、絶望の四つん這いポーズをとる。
てか血が出た。え、なに? 俺死ぬの?
それほど、マーラの結婚相手が良縁だということのダメージが大きかった。
それでも、俺が負けているとは思わない。俺の演技は完璧だ。それゆえ、俺の性格は完璧になっている。
見た目は言うまでもなくイケメンだ。もうモテモテだ、本当。
そこまでではないにしても、しかし俺に比類するほどのイケメン&性格良いなら……強敵であることは間違いない。
マーラは一人が寂しく、男に飢えていた行き遅れだ。
言ってしまえば、彼女からすると俺でもそのゲロハクトくんでもどっちでもいいかもしれない。
俺からすると、マーラでないといけないんだけどね。
甘くて地位もしっかりしていて経済基盤もあるから。本当、俺にはマーラしかいないのだが……。
おそらく、ほいほいと転がってしまうに違いない……。
『君のマーラ評って案外酷いんだね』
「まっ、諦めなさい。なに、異性は星の数ほどいるわ。マーラに届かなくても、同じくらい魅力的な女が現れるわよ」
ポンポンと背中を叩いてくるマガリ。
一見すると俺を慰めているように見えるが、別にこいつにそんな殊勝な考えがあるわけではない。
ただ、みじめに敗北している俺を慰めるという構図で悦に浸っているだけだ。
「そんな悠長なこと言ってられるか……! 俺は一刻も早くこの魔剣を捨てて勇者という職を打ち捨て、気楽でのんびりとしたスローライフを送るんだよ……! その寄生先として、最もふさわしいのがマーラなんだ!」
『ゴミかよ』
「見ていろ。お前の思い通りになんてさせないぞ」
俺はスッと立ち上がった。
全身から血が抜けるような絶望感と喪失感を味わっていたのだが、今の俺にそんなものは感じなかった。
ただ、身体の奥底から溢れ出そうとしているのは、力強さだけだ。
しっかりと二の足で地面を踏みしめ、俺はこの世界に立っていた。
「これは、国王が勧めた重要な行事よ! あなたの考えや意見が通るなんてありえないわ。あなた、この王国を敵に回すつもり?」
怪訝そうに俺を見上げながら言うマガリ。
ああ、普通ならしないだろう。街のチンピラにすらビビって目線を合わせない俺だ。
そんな俺が、国家というあまりにも強大すぎるそれに喧嘩を売るなんて、絶対にありえない。
……いや、そう思っていた。
「それが、マーラを手中に収めるためならば」
「…………ッ!!」
『クッズ』
キリッと強い決意を秘めた表情で言えば、マガリが驚愕したように息を飲んだ。
そう、今の俺は全てを……世界そのものを敵に回す覚悟があった。
……いや、やっぱ言い過ぎた。世界は無理。国にして。それでもがんばってるんだから。
俺は部屋を出るため、マガリの背中を向けて扉を開ける。
「良いことを教えてやる、マガリ」
扉に手をかけながら、肩越しに彼女の様子を窺う。
怪訝そうにこちらを見つめてくるマガリに、俺はふっと笑った。
「男ってのはな、女のためなら割と大きな喧嘩もできてしまうものなんだよ」
「なっ……!?」
『か、格好いいけど何か違う……!!』
もう用はないと、驚愕しているマガリを置いて俺は部屋を出た。
まだだ……まだ終わりじゃない。
俺は諦めないぞ、マーラ!!
強い意思を宿した目をしながら、俺は力強く第一歩を踏み出したのであった。
◆
「……いいのですか? 本当に、これで」
マーラの後ろを歩く部下は、そう彼女に声をかけた。
いつも自信満々で、風をきって前を歩いていた彼女の大きな背中は、やけに小さく弱そうに見えた。
「いいのですわ。これが、わたくしにとってもアリスターさんにとっても良い結果を招きますわ」
ふっと笑うマーラ。
儚げな笑みは彼女の容姿も相まって非常に美しいのだが、部下は彼女にそういった笑顔は似合わないと思った。
うるさいくらいに元気で自信満々な姿こそが、マーラ・バルディーニだと強く考えていたからだ。
「マーラ様はお優しすぎます。いえ、遠慮しすぎですね。多少わがままを通してもいいと思いますが……。アリスターさんは、女のわがままを受け止めるだけの器があると思います」
国王が進めた婚姻。確かに、それを拒絶するのは生半可な覚悟ではできないことだ。
バルディーニは大きな貴族だが、それでもである。
今の国王が婚姻を断ったからといってこちらを冷遇することは考えにくいが、他の貴族たちはどうだろうか?
バルディーニならば簡単に跳ね返すことができるだろうが、アリスターに矛先を向けられたら?
そう考えると、マーラは受け入れざるを得なかった。
なにも、国王も悪意を持って勧めてきたわけではないのだ。
だが、同じ女として、部下からするとマーラが望まぬ結婚をするというのはどうしてももろ手を挙げて賛成することはできなかった。
たとえ、国中を敵に回したとしても、アリスターなら彼女の前に立ってくれるのではないか?
そう思えてならないのである。
「……そうかもしれませんわね。アリスターさんは、わたくしには勿体ないほどの殿方ですから」
確かに、それでもアリスターは自分を受け入れてくれるかもしれない。
本来であれば忌避されるべき半魔という事実を知っても、彼はなお自分のことを好いてくれているのである。
そんな彼を突き放し、別の男と一緒になろうとするのだから、自分は決して許容されない裏切り行為を働いているのと同然だ。
しかし、たとえそのような汚名を被ることになったとしても、アリスターに貴族たちの悪意が向くことは認められなかった。
そのためならば、自分がどのようなことになっても……それこそ、彼から嫌われるとしても構わなかった。
「どちらにしても、もう話は決まったこと。今更とやかく言うことはできませんわ」
「……わかりました」
強い決意を秘めたマーラの表情に、部下がそれ以上言うことはなかった。
そして、大きな転換点となるマーラの結婚式が、行われることになったのであった。
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