第117話 俺はマーラさんが好きだ
ジャンの口から『半魔』という単語が出た時点で、マーラは全身から一気に血を抜かれたような猛烈な虚脱感に襲われた。
彼の口を閉ざそうと燃え盛っていた敵意も、全て失ってしまった。
がっくりと力なく膝をつき、蒼白となった顔でボーっとアリスターを見上げた。
「(ああ、もう……)」
もう、二度と彼からあの優しい笑みを向けられることはないだろう。
好意を寄せられることもないだろう。
半魔とは、この国においてそれほどタブー……禁忌の存在なのである。
文字通り、魔族の血を半分その身に流している者のことを言う。
そして、魔族とは、少なくともこの国においては明確な敵である。
すなわち、人類の敵と捉えられているほど、不倶戴天で共生することが不可能と考えられているほどの関係だ。
実際、獣人などの亜人はこの国にも存在しているが、魔族は存在していない。一切だ。
それほど忌避している存在だというのに、その血を半分も引いているマーラ。
それこそ、この事実を知れば彼女をよく慕っている領民たちですら手のひらを反して彼女を糾弾するだろうし、もちろん貴族の位だってあっけなく剥奪されることになるだろう。
マーラは自分の身可愛さにその真実を隠してきたというわけではない。
いや、確かに死にたがりというわけでもないので、自分の身の安全のことを一切考えなかったかというと嘘になる。
だが、彼女は何よりもこの国とバルディーニ領のためを思っていた。
実際、マーラが治めたことによって、バルディーニ領は他の貴族が治めるどの場所よりも安全で快適な暮らしができる領地だろう。
だが……だが、今彼女は本当に自分のことしか考えられなくなっていた。
マーラの視線が一身に向けられているのはアリスター。
「(わたくしは、こんなに弱くなっていたんですのね……)」
結婚はできなかった。なぜなら、彼女は半魔だから。
両親も死に、マーラの真実を知る者が誰一人この世界にいなくなると、彼女は一人になってしまった。
それでも、彼女は領地のため領民のためにその身を費やしてきた。
一人でいることも、慣れたはずだった。
しかし、それはアリスターに会って変わってしまった。
彼に好かれたい。彼の好意を受け入れたい。彼と一緒に人生を歩みたい。
――――――もう、一人でいるのは嫌だ。
それは、あさましい願いなのかもしれない。
だが、マーラの心の奥底に閉じ込められていたそんな子供のような願望は、アリスターと触れ合ったことによって表層へと押しやられ、今こうして表出してしまっていたのである。
しかし、そんな小さな願いは、ジャンによって無残にも打ち砕かれてしまった。
いくらアリスターが優しい青年だったとしても、魔を受け入れることはできないだろう。
そもそも、魔を滅する武器である聖剣の適合者。受け入れるどころか排斥するのが、勇者としての彼の責務である。
「(わたくしは、またずっと一人で……)」
目にこぼれんばかりの涙が溜まる。
もはや、零れ落ちるのも時間の問題だ。それほど、彼女は大きなショックを受けていたのである。
共に歩むことができるかもしれなかった人が、自らの元から離れていくことは、あまりにも大きかった。
もう、誰も側に近づけることはなくなるだろう。
こんなにも辛い思いをするのであれば、誰かと一緒にいたいと思うようなことは徹底的に避けて排すべきだ。
マーラが二度と人に心を開くことができなくなるような、暗黒の深い場所に沈みかけようとした時……。
「え? それがなに?」
沈みゆく彼女の手を握って引っ張り上げてくれる男がいた。
「えっ」
「えっ」
「えっ」
マーラも、ジャンも、そしてアリスターもポカンとした様子で見つめ合う。不思議な光景だ。
マーラは絶対に真実を聞かれたら嫌われると思っていたがゆえの、アリスターの反応に驚き。
ジャンもまたマーラのことを嫌い、彼らの仲に亀裂が入ることを期待していたにもかかわらず、素っ気ないアリスターの反応に驚き。
そんなアリスターは二人の意外そうな反応に驚いていたのであった。
『えっ。君みたいなクズだったら、「うわあ……。半魔とかけがらわしいわ。近づくなよ。てか離れるわ」なんてことくらい言わなくても思いそうなものなんだけど……』
「(ねえよ)」
彼と精神的につながっている聖剣も驚いていた。
なぜなら、彼の言葉と反応は演技ではなく、本当に心からのものだったからだ。
「な、何故驚愕の真実を聞いてもそのように平然としていられる!? 半魔だぞ? 汚れた血が流れているんだぞ? おぞましきものを見る目をするはずじゃ……」
「いや……別にどうでもいいし。魔族の血が入っているか入っていないかなんて、俺にとって本当にどうでもいいことだ」
「なっ……んだと!?」
ぎょっと目と口を開けるジャン。
それもそうだろう。アリスターの言葉は、この国に住む常識とかけ離れたものなのだから。
「ば、馬鹿な! そんなはずがないだろう!? 魔族の血が入っているんだぞ!? そんな汚れた血を、どうでもいいなんて切り捨てることができるはずが……!!」
「いや、本当にどうでもいいから」
焦りまくるジャンと、ポーっと魂が抜かれたようにこちらを見てくるマーラをしり目に、アリスターはホッと内心胸をなでおろしていた。
なんだ。彼女が隠していたことは、こんなつまらないことだったのか。
この程度の隠し事であれば、何の問題もない。安心して寄生することができる。
「(魔族の血が入っていようが入っていまいが、寄生することには何の影響も与えないからな)」
たとえば、もし近くにいるだけで悪影響をもたらしたり、魔族の血に酔って周囲の人を傷つけるように暴れまわることがあったとしたら、話は別である。
自分のこと第一のアリスターは、当然スススッと離れていくだろう。
だが、とくにそういったこともなく、ただただ純血の人間種ではないというだけのようだ。
だったら、本当にどうでもいいことだ。
アリスターは、そもそも優良な寄生先であれば、オークの雌にだって囲われることをいとわない男である。
「(見た目や種族なんてどうでもいい。中身だ。人間は中身なんだよ)」
『凄く良い言葉なんだけどね、本当に。ただ、君が言うと価値がなくなる』
さて、もちろんだが、アリスターはそのままの意見を言うことはできない。
寄生するのに血なんて関係ない! なんて言えば、それこそ百年の恋だって冷めてしまうことだろう。
常に演技をして他人から好かれることだけを続けてきたアリスターは、当然そのことを理解している。
そして、マーラもジャンも、今じっとこちらを見つめてきている。
であるならば、自分のすべきことは……。
「ふっ……」
さっと髪をかきあげるアリスター。
それと同時に、キラキラとした粒子が溢れ出す。
『なにこの演出!?』
「(俺がイケメンだからさ)」
別に、魔法を使ってしたわけではない。
ただ、アリスターの整った容姿と美しい笑顔が、小さな光を生み出したのである。
あまりにも幻想的な光景に、マーラは当然のことながら声を荒げていたジャンまでもが彼に目を惹きつけられてしまう。
少し時間を置いて、彼らの注意を引きつけて引きつけて……。
「俺は、マーラさんが好きだ。それは、彼女に魔族の血が入っているかどうかなんて関係ない。そんなもので、俺の心を変えることはできない」
その程度で寄生するという強い気持ちを変えることはできない!
「アリスターさん……!」
本当にドクズな性格からくる言葉なのだが、表面しか知らないマーラからすると、絶対にほとんどの人間が引いてしまうような真実を知ってもなお熱烈な好意を表明してくれたのである。
彼女が心底蕩けきったような感動した表情を浮かべるのも当然と言えるだろう。
「そ、そんな馬鹿な……!?」
「さあ。そろそろ終わりにしようか」
愕然としているジャンに、アリスターは聖剣を向ける。
格好つけることだけに関しては、彼は相当の実力を持っていた。
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それはそうと、前話の感想が「えっ」だらけで笑った。




