第115話 死ねや
「はー……やれやれ。あなたもバルディーニ卿と同じく誤った正義感を持っているようですねぇ。まずは、その誤解を解く必要があるようです」
首を横に振って苦笑いするジャン。
これもおそらく演技が含まれているのだろうが……俺から見るとお粗末としか言いようがない。
エリザベスよりもわかりやすいぞ。出直せ。
『いや、そういうことじゃないと思うんだけど……』
「いいですか? 私の行っている奴隷商売は、奴隷となる人々を助けることにつながっているんですよ。自分で言うのもなんですがね」
いや、別に助かっていようが助かっていまいが俺にとっては知ったことじゃないんですけど……。
そもそも、奴隷という制度自体を批判しているわけでもないし。
「まず、奴隷となる人はどういう人たちか、ご存じですか? 明日に食べるものにも困っているような貧民であったり、頼る人のいない天涯孤独にもかかわらず一人では生きていけないような弱い人であったりするのです」
それに付け込んでいるのがお前らということか。
「そう言った人々が奴隷になるということは、いわばある種の就職なのです。確かに、自由は制限されるでしょう。望まぬことを強いられることだってあるでしょう。しかし、それでも生きることはできるのです」
生きているだけで丸儲けって考え方、俺はしないから分からないっす。
死んだ方がマシっていうくらいのことだってあるんだから、ただ生きていることが幸せで良いことだとは思わない。
俺だってめちゃくちゃ働かされて命の危険があるようなことを繰り返されていたら、死んだ方がいいって思うかもしれない。
まあ、死ぬのは怖いから、その状況から逃げ出そうとするだけだろうがな。
「どうです? そう言われれば、私どもが絶対的に悪とは言い切れないでしょう? 危険な人々に買われて過酷な人生を送らせたくないのであれば、あなたのようなしっかりとした倫理観を持った人間が奴隷を買うべきです」
『こいつにまともな倫理観はないんだよなぁ……』
おい。
「さあ! 彼らを助けるためだと思って、奴隷を買ってください!!」
結局それかい。
思わず噴き出しそうになってしまった。
嬉々として俺を見つめるジャン。俺の心を揺らすことができたと思っているのだろうか?
たとえ、揺らされていたとしても、マーラが隣にいる以上奴隷を買うことなんてありえないから安心しろ。
俺はジャンの申し出を断ろうとして……。
「うるさいですわ」
それよりも先にマーラが言葉を発したので、何も言うことができなかった。
……というか、冷たく無機質な声音だったので、ビビって言葉が出てこなかったのである。
「……バルディーニ様。私の話を聞いていただけていませんでしたか? 私どもは、彼らを助けるために……」
やれやれと、出来の悪い子供を相手にするような態度をとるジャン。
それを受けて、マーラは……。
「知るかボケ。死ねや」
ひぇ……。
「えっ……」
礼儀正しく、上品な言葉ばかり使っていたマーラの口から飛び出してきたとは思えないとんでもない荒んだ言葉に、俺もジャンも凍り付いてしまった。
え……なにそれは……? チンピラみたいな言葉だったぞ……?
見た目も綺麗で清楚なマーラ。瑞々しい唇が開かれて飛び出してきた言葉が、『死ねや』……?
「こほん。ちょっと喉の調子が悪いですわ」
何だか取り繕うとしているがもうダメじゃないか?
あー……俺の寄生先候補のポイント下がるわー。
あんな乱暴な本性を隠しているとかさー。他にも何か隠してるんだろ?
これは、最有力から有力に変わりましたわ。
『それはいいことだね。君の毒牙にかかる可能性が下がったわけだし』
「いいですの? 確かに、寒村の子供たちが奴隷として売り飛ばされなければ非常に厳しい現実を生きていかなければなりませんわ。戦災で身寄りを失った人々もまたそうでしょう」
「だ、だったら……」
「ですが、それを理由にしてあなた方が巨額の富を築くのとは話は別ですわよね」
ぐっと黙り込むジャン。
確かに、本当にきれいごとなのだとすると、慈善事業として彼らを養えばいいだけの話だ。
たとえば、孤児院を設立して運営するとか。
最初こそ費用はかかるかもしれないが、それこそマーラのようなしっかりとした貴族の収めている領地で事業をしていれば、補助金や援助はしてもらえるだろう。
それをせず、自分たちが儲けるために彼らの自由を制約して売り飛ばして金銭を得ているのだから、偉そうなことを言うことはできない。
「偉そうなことをおっしゃっていますが、所詮彼らを食い物にして自分たちの懐を潤すことしか考えていませんの。そんな人間の言葉が、わたくしたちに響くとでも思っていらっしゃるの?」
バッサリと斬り捨てるマーラ。
……ちょっとだけ響いたかも。ほら、勇者の代わりをしてくれるってやつ。
「そういった人々を救うのは、貴族であり国家ですわ。断じてあなた方ではありませんし、彼らを商品として劣悪な環境に放り込んでいるあなた方がどうこうする問題ではありませんの。本当に奴隷となった彼らが奴隷となってよかったと言えるのでしたらいいですけれど、奴隷になんてなりたくなかった……と思う方の方が多いのでは? あなた方は、ちゃんと人を選んで商売をしていますの?」
「…………」
マーラのような優しい人間に買われたのであれば、奴隷となってよかったと思う者もいるだろうが……まあ、そんな人間に買われる可能性はごくわずかだろう。
『おそらくだけど、男性の多くは非常に危険で過酷な肉体労働に使われるだろうし、女性の多くは尊厳を踏みにじられるようなことをされるだろうね。人が誰かに自由を奪われて意に沿わない行動を強いられるなんて、間違っている! だからこそ、奴隷売買は許せないんだ……!』
俺もお前に自由奪われて意に沿わない行動を強いられているんだけど、それについてはどう思う?
『…………』
都合悪くなったらだんまりとか、子供かな?
「ま、どちらにしてもあなた方はここで終わりですわ。さっさと終わってくださいまし」
「……まあ、そうなるか。別に期待していたわけではないがな。おい」
ブン! と戦斧を向けられたジャンは、先ほどまで見せていた人の良さそうな笑みを豹変させ、恐ろしく冷たい顔をしていた。
やっぱり演技かぁ。まあ、へたくそだったからとくに驚くことはなかったけどな。
ジャンの呼びかけに答えて、一つの人影が陰から現れた。
おぉ……見るからに闇の人間といった風貌。いっさい相手に情報を渡さないように、肌の露出が一切ない。
「そやつは私の雇っているグレーギルドの人間だ。非常に戦闘能力が高く、重宝しているのだよ」
またグレーギルドか。もうお腹いっぱいだぞ。
「アリスターさん、お下がりください。わたくしがケリをつけますわ」
「ああ」
マーラの言葉に大人しく従い、後ろに下がる。
もちろん、手だしするつもりは毛頭なかったが。頑張って、マーラ。
『僕たちが戦わないと……!』
いやいや、落ち着けよ魔剣。俺は目の前で始まった戦闘をボーっと見ながら、とりあえず魔剣を説得することに集中する。
ここにいるのは戦闘能力が低いシルクでもエリザベスでもない。
マルタと同等か、それ以上の戦闘能力を持っているマーラだぞ?
さっきまでの戦い……というか、虐殺を見ていただろ? 俺たちの援護、必要か?
『……いらないかも』
な?
しばらく、あの凄惨な戦闘とも言えない戦いを思い出すために時間を費やし、魔剣は俺の言葉に同意した。
ふっ、今回はいけそうだ。
『で、でも、女性を一人で戦わせてその陰に隠れるなんて……』
バカだなぁ。いいか? 一番厄介なのは、強大な敵よりも無能な味方だ。
本来ならあの用心棒を倒せる力がマーラにあったとしても、俺がその戦闘に加わることで足手まといになって不必要なダメージを負ってしまうということだって考えられるんだ。
……自分を無能というのは嫌だけど、ここは説得するために我慢我慢。
『僕が君を操れば足手まといになんて……!』
ああ。確かに、能力的にはそうかもしれない。
ただ、マーラは優しい。……一部にはやけに過激だけど。
その優しさのせいで、本来は100パーセント敵に向けられている注意が、俺を守るため、庇うため数パーセントでも割かれてしまえば、それが致命的な隙になりかねない。
ここは、余計なことをせずに彼女に任せるのが、俺にとっても彼女にとっても最善の選択になるんだ。
『……そ、そうなのかも……』
……と、まあマーラのことを考えているようで自分の身の安全のことだけを考えて言ったことなのだが、魔剣を黙らせることはできたようだ。
さてと。俺はジャンを捕まえる準備でもしておこうか。
あいつ、見るからに戦えなさそうだし、俺でも危険なく取り押さえることができるだろう。
流石に、マーラに用心棒と戦わせておいて俺だけ何もしていないということになるのはマズイからな。
適当な縄とか鎖とか置いてないのか?
そんなことをのんきに考えていたのだが……。
ズザザザ! と地面が擦れる音と共に、こちらの視界に飛び込んできたのは、何だか多少ダメージを負った様子のマーラであった。
「くっ……! 面倒ですわね……!」
「…………あれ?」
……なんか苦戦してない?
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