第114話 悩んでいたんだよなぁ
「ひっ、ひいいいいいいいいいいっ!?」
男たちの野太い悲鳴が響き渡る。
もちろん、これは俺の声ではない。俺の声はもっと美しいからな。小鳥が寄ってくる感じ。
『嘘つけ』
いや、割とマジ。ちょっと歌ってたら肩に止まるくらいにはマジ。
『嘘ぉっ!? そんな創作話みたいなことあるの!?』
うん、めっちゃ練習したから。
ほら、やっぱり小動物とか小鳥とかに好かれている男って、女から見たら結構魅力的だろう?
マガリの本を読んでそれを知ってから、都合のいい女に寄生するために努力したんだよ。
その女が、小動物とか小鳥とかを好きだったらいけるかなって思って。
『努力の方向間違っているよ……』
いや、まあそんなことはどうでもいいんだ。
俺が見た目も声も優れているということは、もはや自明の理だからな。
問題は、この悲鳴を引き起こしている女傑が俺の前を歩いているということである。
いや、問題ではないかもしれない。
その暴力的なまでの歩みがこちらに向けられていたら大問題であるのだが、彼女は俺の味方だ。むしろ、俺が戦う必要がなく、勝手に敵を蹴散らしてくれるので感謝しかないくらいである。
ただ……。
「だ、だずげ……で……!!」
「――――――」
俺の脚をがっしりと掴んでくる男。
しかし、簡単に振り払えるほど弱弱しいものだった。
闇組織に属し、荒事も人並み以上にこなしてきた彼は、本来であれば俺よりも圧倒的に力が強いだろう。
それこそ、簡単に振り切ることは不可能なほどに。
だが、今の彼の握力は、子供がその気になれば逃れることができるほどに弱弱しかった。
なぜなら……彼は血だらけで今にも息絶えそうなほどプルプルとして地面に突っ伏しているからだ。
顔面は血だらけだ。アンデッドかな?
そんな半死半生の男に縋り付くように足を掴まれて、俺は失神寸前である。怖い。
「いくら悪党とはいえ、問答無用で殺すのは司法的によろしくないですからね。仕方ないので、峰打ちで今は許して差し上げますわ」
……その戦斧で峰打ち……?
俺はマーラが肩に担ぐようにして持っている巨大な斧を見る。
……いや、まあ確かに刃の部分で斬られないだけマシだろう。
あれ、本当に人くらいだったら容易く一刀両断することができるだろうし。
だけど、あれで峰打ちされてもなんだかなぁという気がする。
だって、峰打ちされたはずのこの男たちは、頭部がぱっかりと割れてとてつもない出血を披露しているのだから。
これ、間違いなく重傷ですよね……。
「だじゅ……だずげで……っ!!」
涙を流してまで縋り付いてくる男。そんなにマーラが怖いのか……。俺も怖いけど。
彼女が近づいてきてしまったことで、もう涙をぽろぽろとこぼし、股間の部分も濡れてしまっている。
おお、もう……。
「まあ。アリスターさんに汚らしい手で触れないでくださいまし。汚されちゃいますわ」
「ぎゃっ……!?」
もう野太い悲鳴を上げることもできなかったのだろう。
俺に縋り付いていた男は、マーラが不機嫌そうに振るった戦斧の刃ではない部分によって、吹き飛ばされた。
斬殺されることはなかったものの……あれ、死んだ方がマシなんじゃない?
壁に叩き付けられ、血を撒き散らして動かなくなった男。
……マジで死んでない? 大丈夫?
「さあ、行きますわよアリスターさん。のんきにしていたら、また逃げられてしまうかもしれませんしね」
「はい」
『さっきからはいしか言ってないんだけど……』
ニッコリと笑うマーラ。
返り血が所々ついているのが怖い。
仕方ないだろ! マーラ様には敬語を使うべきなんだ!
『ついに様までつけるように……。こいつ、なんて情けないんだ……』
クソ! 俺の寄生先ナンバーワン候補だったマーラが、こうまでもバイオレンスだったとは……!
いや、賊退治の時に何となく片鱗は見えていたのだが、何の躊躇もなく戦う意思を持たない人間をブッ飛ばすことができるのは、かなり……。
今は男を甘やかすような女だが、将来結婚してから男にも労働を強いるような女になったら……抵抗したら、殺される……!
そんなことを考えながら歩いていると、大きな扉の前に立った。
その過程で襲い掛かってくるアルヒポフ商会の人間や護衛たちはブッ飛ばされている。
結果として、俺が戦わされることはなかったので良かったのだが、なんというか……一方的な虐殺を目の前で見せられていたので、何とも言えない感じである。
……まあ、俺じゃないからいいか。
「ここですわね。ここ以外にいなかったら逃げられたということになりますが……私兵を配置してあるので大丈夫ですわ」
以前の山賊退治と本当同じ感じである。
さて、これからどうするのだろうか?
逃げていてくれたら楽なのだが、逃げていなかったら迎え撃つ準備を整えていたのかもしれない。
そうすると、慎重に中の様子を調べる必要がある。
部屋に入ろうとした瞬間が、一番攻撃されやすそうだからな。
「お邪魔しますわー」
「…………はっ!?」
あまりにも気負いなく、まるで友人の家に入り込むような気楽さで中に入って行ったマーラに、俺はしばらく硬直してしまった。
何してんねん!!
最悪、入った瞬間に攻撃されるようなことがあれば、マーラを置いて逃げようと考えていたのだが……何も起きる様子がない。
……ここで帰りたいのだが、帰ったら評価下がるしなぁ。
それに、なんだかんだいって寄生先の最有力候補なのだから、簡単に死なせるわけにもいかない。
俺は嫌々マーラに続いて部屋に入る。
「どうぞ、お客様! お待ちしておりました」
そんな俺を待ち受けていたのは、ニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべたでっぷりと太った男だった。
まさに、商人というような、本心を決して他人に見せない取り繕った笑みで壁を作っているが、しかし突き放すような雰囲気もない絶妙な笑顔である。
本心を見せようとせずあからさまに隠そうとするやつなんて信じられない。
『君が言えたことじゃないよね。僕とマガリ以外のすべてを偽っている君が』
俺は別に他人を陥れようとか考えていないから。
『寄生しようとしている時点でダメだと思うけど』
まあ、そんなことはどうでもいい。
この男は、俺を見てお客様と言った。アルヒポフ商会の人間であることは間違いないようだが、護衛だったり商会の人間であったりをマーラにボコボコにされているのに、よくまだ接客をしようなんて思えるものだ。
本当に客なんて思っていないだろうが、思っていたとしたらとてつもない馬鹿である。
「私はジャン・アルヒポフ。このしがない商会の会長を務めさせていただいております」
丁寧に腰を折るデブ……じゃなくてジャン。
……何でこいつ逃げていないの? マーラの力を見ていないとか?
いやいや、あれだけ仕込んでいた護衛たちを振り切ってまでここにやってきたということは、力があることだって分かっているだろう。
それなのに、この余裕の態度でここに居座るとは……何か裏があるな?
裏というか、自分が大丈夫だという確信を持っている。
やっぱり、何か切り札みたいなものを持っているな……。
『洞察力の高さは凄いよね』
少しの気になる点でも自分に降り注ぐ危険を察知して回避するためにな。
生きるための知恵だ。
「この領地を治められるバルディーニ様は無理でしょうが、そちらの方はどうでしょうか?」
「は?」
ジャンの目が俺に向けられる。
その目は欲望にまみれているというか、搾取する者の目だった。
こういうのには敏感なんだ。敵意が微塵でも漏れ出していたら絶対に近づかないようにしていたら、だいたいこういうことも分かるようになっていた。
てか、俺と話そうとするなよ。マーラと二人きりで勝手にやっていて、どうぞ。
「奴隷ですよ。もはや、あなたたちに私どもの商売を隠す必要もないでしょう。どうですか? 奴隷、欲しくないですか?」
ニッコリと笑いかけてくるジャン。
何言ってんだこいつ。
「奴隷はいいですよぉ。男の奴隷は働き者ばかりです。どんな過酷な労働でも成し遂げることができます。女の奴隷は見目麗しい者たちです。あなたの欲望をしっかりと受け止め、発散させてくれることでしょう」
身振り手振りを交えてセールストークを仕掛けてくるジャン。
話し方もうまく、購買意欲を高めることができるような見事なものだったが……。
女はいらない。性欲は完全に支配下にあるし。
性欲のためだけに違法な取引をするとか、馬鹿だろ。あんなの、一過性のものにすぎないし、我慢なんていくらでもできるのだから。
『いや、そう分かっていても我慢できないのが三大欲と言われるゆえんであって……』
欲を抑えることができなかったら獣と一緒だぞ。
まあ、ともかくジャンは女の奴隷を嬉々として売りつけようとしてくるが、俺からすると何のメリットもないので論外だ。
それよりも、男の奴隷に興味があります! 俺の代わりに労働……このクソみたいな魔剣を引き受けてくれて、勇者の代わりをしてくれますか!?
『本当に君をここで殺した方がいいのか悩んできたよ。頭痛で人って殺せるよね?』
止めろぉ!
というか、別に魔剣に言われるまでもない。
「…………」
マーラがこっちを凝視しているからな。
奴隷売買に関わっていた人間をあそこまでボコボコにして血だらけにして再起不能にして、峰打ちとか言っちゃうおっちょこちょいな貴族だ。
もし、俺が奴隷に興味があります! なんてことを言ってみろ。
すなわち、死。俺に待ち受けている未来は、それしかない。
殺されることなんて当然嫌だが、寄生先最有力候補ならなおさらである。
「断る。人の尊厳を奪うような行為に、加担など絶対にしない」
「アリスターさん……!」
ということで、俺はキリッと表情を形作ってジャンの甘言を跳ねのけた。
マーラが感動したようにこちらを見てくる。ふっ……評価がまた上がったぜ。
……もし、俺がジャンの提案を受け入れていたらどうなっていたんだろう。
いや、考えるのは予想。血にまみれた未来しか想像できないだろうから。
『悩んでいたんだよなぁ……』
魔剣の声を無視して、ジャンを睨みつけるのであった。




