第109話 なんだ、この二人
カチャカチャと陶器製の高い音が鳴る。
現在、マーラは朝食をとっていた。普段と違うのは、自分一人だけではなく、客人も来ていることだろう。
彼女と同じくテーブルについているのは、先ほど自分を起こしに来たアリスターと、彼らと出会うことになった理由である聖女マガリである。
マーラは今朝不覚をとって恥ずかしい姿をアリスターにさらしてしまったが、今の優雅に朝食をとる彼女の姿は、まさに貴族にふさわしかった。
食事のマナーもきちんとしているし、食事姿が美しかった。
そして、意外にもマガリもまたマーラほどではないものの、外に出しても恥ずかしくないテーブルマナーを披露していた。
彼女は元農民だが、聖女としての教育を王城で叩き込まれたため、テーブルマナーもバッチリだった。
問題は……。
「あら? マガリさんは慣れているようですけど、アリスターさんは……」
「ふっ……」
マガリの嘲笑が誰にも聞こえずに消えていく。
……いや、アリスターだけはバッチリと耳に入れていたが。
そう、先ほどからカチャカチャと音を立てていたのは、彼である。
彼もまた元農民であるし、マガリのように強制的にテーブルマナーを叩き込まれることはなかった。
それこそ、勇者として教育を受けることはできたのだが、そもそも魔剣を処分したらさっさと勇者という重責から逃げ出す気満々だったし、マガリが四苦八苦しているのを見てヘラヘラと笑っていたので、その付けが回ってきたのである。
しかし、このアリスター、この付けをただでは返さない。
「ははっ、恥ずかしながら。俺はずっと農民で、マナーにも疎かったんです。不快な思いをさせてしまったら、申し訳ありません」
「あぁっ! いえ、違うんですのよ! わたくし、別に嫌味で言ったわけでは……!」
苦笑いを見せるアリスターに、慌てて首を横に振るマーラ。
嫌な言い方になってしまっただろうか?
普段ならそれほど気にはしないのだが、相手がアリスターということもあってついつい過剰に反応してしまう。
「だったら、私が教えましょうか、アリスター?」
「ああ、大丈夫だ。それだったら……」
ニヤニヤとアリスターにしかわからないあくどい笑みを浮かべて言うマガリ。
はいと頷いたところで、ちゃんと教える気はゼロだろう。
もちろん、彼もニッコリ笑顔でお断りする。
そして、これを武器に変えて……。
「教えてくれますか? マーラさん」
「ほへぇっ!?」
素っ頓狂な声を出してしまうマーラ。
まさか、自分にそんなことを言ってくるとは思わなかった。
そして、それはマガリも同様である。
アリスターをニマニマ笑顔で虐げていたと思っていたら、今彼が自分の本懐を遂げようとしているのである。
頬を引きつらせながら、彼女は口を開いた。
「…………マーラさんはバルディーニ領の領主でしょう? お忙しいのだから、あまり迷惑をかけるべきではないわ」
「いやいや、マガリは聖女として重責を担っているし、何よりもその仕事や学ぶべきことが非常に多いだろう? これ以上、お前に迷惑をかけるわけにはいかないさ」
うふふっと美しい笑みを浮かべ合いながら、マガリとアリスターは見つめ合う。
なお、その目はまったくもって笑っておらず、黒々としたものだった。
「ふふふっ、私が気にしないって言っているんだから、遠慮しなくていいのよ?」
「いやいやいやいや、遠慮するよ」
黒々とした雰囲気を醸し出しながら会話をする二人。
給仕をしているメイドたちも、思わず身体を凍らせるような雰囲気だ。
そんな二人の間に割って入ることができたのは、マーラだった。
「そ、その……アリスターさんのお力になりたいのはやまやまなんですけれども、わたくしも領主としての仕事がありますから……」
顔を赤らめながらも、しどろもどろになってアリスターの提案を拒絶した。
だが、もちろんマーラをここで堕とそうとしている彼は、こんな程度では屈しない。
「ああ、お気になさらず。ただ、俺がマーラさんに近づきたいだけでしたから」
「ふへぇぇぇぇっ!?」
「ちぃっ!!」
アリスターの言葉に、今度こそボフンと煙を上げてフラフラとし始めるマーラ。
それを見て、かなり脈はあると判断したマガリは、激しく舌打ちをする。
「(これだから経験の薄い処女は……!)」
と、処女が申しております。
このアリスターの全面攻勢に、マーラはもはやボコボコにされるだけだ。
ここは、マガリが……彼女が抵抗してやらなければならない。
なぜなら、マーラはすでにダウン寸前だからである。
「で、でも、アリスター? 私たちは、そろそろ次の貴族の所へ挨拶に行かないと。ずっとここにいてマーラさんに迷惑をかけるわけにはいかないわよ」
「お前一人で行ってこいや」
「ああん?」
ボソリと呟いたアリスターに凄むマガリ。聖女がしていい顔ではない。
とはいえ、彼女の言ったことは至極正当なことであり、彼にとっても耳が痛いものである。
そう、アリスターはマガリの貴族への巡回の付き添いとして、このバルディーニ領にやってきてマーラと出会ったのである。
当然、ここで終わりではないため、次の場所に赴かなければならない。
今までの貴族たちも、長くて一日滞在したくらいなので、バルディーニ領だけ不自然に長く滞在することはできない。
貴族たちに、対応の違いを見せてしまうことになるからだ。
「そう、ですわね。アリスターさんも、行ってしまわれるんですわよね……」
「(この女ぁ、もうほとんど堕ちとるやんけ!)」
寂しそうな顔と声を出すマーラに、マガリが心の中で全力で突っ込む。
だが、彼女は勝利を確信した笑みを浮かべていた。
流石に、これに対してはアリスターも対応ができないようだった。
彼とマーラの関係は、ここで引き裂く!
「聖女様、それに付いて少しお話が……」
「はい?」
だが、そこにマガリにとっては死神の鎌のような報告が届いたのであった。
「実は、今度回る予定の貴族領への道中で、原因不明の暴風雨が吹き荒れておりまして……。このまま進むのは、少々危険かと」
「なっ!?」
愕然と目と口を開けるマガリ。
天災、気象……これでは、バルディーニ領に滞在する正当な理由になる。
他の貴族たちも、自分たちが下に見られているとは思わないだろう。
それに、別にそれ以外に急ぐ必要があるわけでもない。
わざわざ危険を冒して暴風雨の中に突入することだってないだろう。
マガリはキッと視線だけで人を殺してしまえそうなほどの目をアリスターに向ける。
「(ま、まさか、あなたこんなことまでできたの……!?)」
「(いや、流石に俺じゃない。魔剣はともかく、俺にそんな力はないことは知ってるだろ。魔剣だって、仮にそんな力があったとしても、俺に協力するとは思えないしな)」
『うん、しない』
焦りの表情を浮かべているマガリに対して、アリスターはとても余裕のある笑みを浮かべていた。
「(つまり、だ)」
そして、その笑顔は邪悪なものへと変わる。
決して勇者がしていい顔ではない。
「(マーラをここで堕とせというのは、神の啓示に他ならない)」
「(この……! 神なんて微塵も信じていない奴が、なにを……!!)」
歯を強く噛みしめるマガリ。
否定したいが、否定できない。
まさか、この世界そのものがアリスターに味方するなんて……あってはならないことだ。
アリスターだけでも相当面倒で手ごわい敵なのに、世界そのものを敵に回すことは……。
『幼馴染を追い落とすために世界も敵に見ようとしているのか……』
「あらあら……。そうでしたら、是非わたくしの屋敷を使ってくださいな。その嵐が止むまで、いつでもいてくださって構いませんわ」
もちろん、優しいマーラはそう提案する。
大荒れの中、二人を放り出すことができるほど、彼女は冷たくなかった。
「感謝します。やはり、マーラさんは女神のようだ」
「ふひぃっ!?」
マーラの性格を知り、このような提案をしてくるであろうことが分かっていたアリスターは、とくに驚くこともなく息をするように彼女を口説く。
そのたびにマーラが反応するのは面白かった。
アリスターとマガリは、お互い脳内で強い決意をしていた。
「(ここだ……。ここで、俺はマーラを……堕とす!!)」
「(絶対に……絶対に邪魔してやる! 私をおいて、一人で先に楽になるなんて許せない! かくなる上は……)」
『……なんだ、この二人』
二人の頭の中を知ることができる聖剣は、思いっきり引いていたのであった。




