第108話 遅い春
「うぬぬぬぬぬ……! アリスターさんは、いったい何を考えているのでしょう?」
寝室のベッドの上で、マーラは胡坐をかきながら頭を悩ませていた。
薄いネグリジェを着用しており、大きく股を開いていることからショーツも見えてしまっているのだが、この部屋には自分以外誰もいないので大して気にしなかった。
起伏に富んだ胸や臀部はとても魅力的なのだが、しかしマーラ自身はそれを大したものだとは思っていなかった。
もちろん、貴族らしい付き合いもあるので、見苦しくないようにケアはしているのだが、それでもアリスターのような若く将来有望な優しい青年から好意を寄せられるほどのものだとは、到底思うことができなかった。
「まさか、わたくしを騙してバルディーニ領を手中に収めようと……!?」
ハッと一つの考えに思い至るが……。
「いや、それはないですわね。アリスターさんは聖剣の適合者、勇者ですわ。こんな領地をかすめ取ろうとしなくても、望むだけの待遇と報酬は得られるはず……」
こんな辺境の無駄に大きな領地を手にして何になるというのか。
それに、あのアリスターがそんな低俗で悪辣なことを考えているとは思えなかった。
一度も顔を合わせたことのない人々を助けるため、初対面の自分に手を貸してくれたのだ。彼を疑うことこそが失礼だろう。
「うーん……でも、意味が分かりませんわ」
では、何故自分に求婚したのか?
悪い理由ではない? ならば……。
「本当に、わたくしを求めて……?」
そう呟くと、顔を真っ赤に染めるマーラ。
慌てて顔を横に振る。
「ないない、ないですわ。それが、一番ありえないですわ。だって、わたくしに好意を抱く要素なんて、何も……」
そこまで言って、マーラはアリスターの言葉を思い出す。
彼は、自分の手を優しく覆うようにして握りしめ、真摯に目を見据えていた。
あの目は、嘘をついているとは到底思えなかった。
お世辞やおべっかなど何度も言われて見抜くことができる自分が、本当のことを言っていると思ったのだ。
そして、彼は自分の内と外、全てを褒め称えた。
内面はともかく、容姿は行き遅れの年増だと思い込んでいたのに、それを褒められるとは思わなかった。
だが、それも嘘偽りではなく……。
「もっ、もう寝ますわ! きっと、アリスターさんも傷のせいでおかしなことを口走ったに違いありませんわね! 明日になれば、また元通りですわ!」
声の調子がおかしくなりながらも、マーラはそう決めつけてベッドに仰向けになった。
柔らかな感触と、先ほどまでうんうんと一生懸命頭を動かしていたため、すぐに眠気が襲ってくる。
「明日になれば、元通り……」
そう呟いた自分の言葉に、何故か胸が少し痛んだ。
あれだけ自分のことを褒めて、求めてきてくれたアリスターは、もう……。
そう思うと寂しさがこみあげてくるが、襲い来る睡魔に抗うことはできず、マーラは眠りにつくのであった。
◆
「マーラさん、マーラさん」
そんな自分を呼ぶ声と共に、優しく身体をゆすられるマーラ。
その声も寝起きで不愉快になるような喧しく騒々しいものではなく、鳥のさえずりのような優しい声音だった。
「ふぁい……? もう朝ですの?」
割と朝は弱いマーラも、目をごしごしとこすりながら身体を起こすことができた。
こういうことは、久しぶりな気がする。
まだ寝ぼけているのだが、それでも普段だったら枕に顔面を突っ込んで二度寝へと移行するのに。
目を擦っていた手を、優しく阻害される。目が傷つくのはいけないからだ。
「はい、朝ですよ。温めたタオル、使いますか?」
「あら、ありがとうございまふわ……」
両手を子供のように差し出せば、そこにちょうどいい温かさのタオルが置かれた。
これならば、目のかゆみも抑えられるし、傷つけることもない。
「(こんな対応、今までしてくれたかしら?)」
普段、自分を起こしてくれるメイドは、もっとお尻を叩くような激しい起こし方だったはずなのだが……。
まあ、いい。悪い変化ではないのだから。
「ふひー……気持ちいいですわぁ……」
顔を温かいタオルに埋めると、思わず気の抜けた声を漏らしてしまった。
決して他人……もっと言えば、男には聞かせられないような脱力した声だ。
ぐしぐしと顔を擦ると、目やになどの汚れもとれていく。気持ちがいい。
「マーラさん、今日着る服は決めてますか? 結構あるから分からないな……」
「あら? いつものやつでよろしいんですのよ?」
「いや、そのいつものがわからなくて……」
温かいタオルに顔を埋めながら答えると、返ってくるのは困惑したような声音。
分からない? いつも……それこそ、毎朝同じことを繰り返しているのに?
マーラは民のためにできる限り還元したいと考えているので、衣服を何百着も持つような貴族らしい贅沢はしていない。
そのため、いつもの執務のための服も決まったものなのだが……。
…………あれ? おかしくないか?
ようやく頭の覚醒したマーラは、この不思議な点に気づく。
そもそも、どうしてこの声はこんなに太く低いのだ?
いつも起こしてくれるメイドは、もっと高くてキーキーとしているのに。
メイドが代わった? だったら、必ず報告くらいはあるだろう。それは受けていない。
というか、こんな声音の女がそもそも存在するのか……?
「……はっ!?」
温かいタオルからようやく顔を跳ねあげるマーラ。
そんな彼女の目に飛び込んできたのは……。
「あ、ああああアリスターさん!?」
聖剣の適合者、王国の勇者であるアリスターであった。
彼がここにいるということだけでも驚きだが、そんな彼からつい昨日熱烈なポロポーズを受け、それを断ったのだからテンパっても仕方ないだろう。
「はい、そうですけど……?」
「ど、どうしてここに!? なんで!? ホワイ!?」
「ホワイ……? いや、そのですね……」
訳のわからないことを口走るマーラに、アリスターは怪訝そうに顔を歪める。
しかし、質問には答えようと少し考える仕草を見せて、口を開いた。
「あのままだと、マーラさんは俺の気持ちに答えてくれる様子がなかったので、こっちから積極的にいこうと思いまして」
積極的。
その言葉を聞いて、思わずドキドキと胸を高鳴らせてしまうマーラ。
一度振られたのに、まだ自分に迫ってくれるのか。
それほど、自分に魅力はあるのか?
「で、ででででででも、淑女の寝室に忍び込むのはやりすぎではなくて!?」
そうだ。アリスターを叱ってやらなければならない。
もちろん、深刻に落ち込まないように配慮しつつ、もし少しでも落ち込んだらめちゃくちゃ手厚く看護するが。
しかし、ここは私室である。何か不正をしているといったようなマズイものは何もないが、自分の私物を見られるのが恥ずかしい。
部屋に入ってきたという事実よりも、そっちだった。
アリスターは苦笑しながら言う。
「いや、俺もそう思っていたんですけどね。たまたまマーラさんの部屋の近くを通りかかった時に、メイドの人に代わりに起こしてやってくれと頼まれまして」
「はっ……!?」
彼の言葉を聞いて、扉を見る。
そこは、かすかに開いていて、そこからニマニマと笑っているいつも自分を起こしてくれるメイドの姿があった。
「いつもすんなり起きないバルディーニ様が悪いんですよー」
「こ、こら! も、もしかして、アリスターさんはずっと……?」
叱ろうとすると、ぴゃーっと逃げ出すメイド。本当に貴族に接するメイドか?
それほど気安く接すことができるのも、マーラの優しさと人柄のおかげだろう。
それを見て、『やはり俺のエンジェルにふさわしい』と頷いていたアリスターは、おずおずと尋ねてくるマーラにニッコリと笑顔を向けた。
「寝顔も眠り姫のように綺麗でしたし、なかなか起きずごねているのも可愛らしかったですよ」
「ふぁああああああああああああああああああああ!?」
一番見られたくない寝顔や寝ぼけている姿を見られた!
その事実に、マーラは奇声を上げて顔を真っ赤にする。
そんな彼女を見ても、アリスターは優しげな笑顔を向けてきて……。
「これからマーラさんに好かれるようガンガン迫っていくんで、よろしくお願いします」
マーラの遅い春は、今ようやくやってきたのであった。
……なお、男の内面はクズ以下のヘドロの模様。




