第107話 諦めない、絶対に
『何を企んでいるの?』
魔剣が最初に声をかけてきたのは、そんな疑い深いものだった。
企んでいる? 何だか嫌な表現だな。
というか、何のことを言っているかさっぱりだ。主語をつけてくれ。
『分かってるだろ。マーラに結婚してくれ、なんて言ったことだよ』
本心だよ。俺は心からマーラと結婚がしたいから、真摯にお願いをしただけだ。
人が人を好きになるのに、理由なんていらないだろ?
『嘘だ。君にそんな純情あるわけがない』
魔剣は確信を持っている強い口調で言う。
酷くない? 俺だって人間なんだぞ?
ぶっちゃけ、無機物のお前より純情はあるわ。
『さあ、言え! 君が非道なことをマーラにするつもりだったら、頭痛をもって君を殺さなければならない!』
恐ろしいことをのたまう魔剣。
ねえ。お前、それで俺が言うと思う? 下手なことを答えたら頭痛で殺されるってすっごい怖いんだけど。
だから、お前に言うことなんてない……と、まあ普段の俺だったら……いや、今までの俺だったら、そう言っていたかもしれないな。
だが、別に話しても全然構わない。
だって、俺は本当に心からマーラと結婚したいと思っているのだから。
『な、なん……だと……!? こ、怖い……! 君はいったい誰だ!?』
俺の満ち足りた笑顔を見て、魔剣は悲鳴を上げる。
どうして、普通に結婚したいと言っただけでそうなるんですかねぇ……。
『まともな理由で君が結婚するはずがない! さあ、吐け! 目的はなんだ!!』
これまでにないくらい強い口調で問い詰められる。
まるで、犯罪者のような扱われようなんですが。別におかしいこと言ってないよね?
だから、何度も言うけど本当にただマーラと結婚したいだけなんだって。
俺は、この残酷で無慈悲な世界でようやく見つけて、巡り会えたんだ……。
俺だけのスイートマイエンジェルを……。
『きっも』
止めろ。短い罵倒は一番効く。
「……てか、お前いつまでいんの? さっさと出て行ってくれない? 俺、これからマーラに甘やかしてもらうっていう大事な仕事があるからさ」
そう言って俺が目を向けたのは、先ほどから部屋の隅に座り込んでいるマガリである。
何だお前。せっかくマーラにあてがわれた良い部屋なんだぞ。ダメになるわ。
「――――――さない」
「は?」
ボソリとマガリが呟く。
聞き返せば、彼女は目を上げてこちらを見据える。
え、なに……。目に光がない……。
一寸先も見えない闇が渦巻いている……。人のしていい目じゃないんですけど……。
まだ小さくブツブツ言っているので、耳を澄ませば彼女の声が聞こえてきた。
「許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない」
「ひぃ……」
同じ言葉を平坦な声音で呟き続けるマガリ。
俺はこの時、彼女に対して初めてと言っていいほどの強い恐怖を抱いたのであった。
『ほら。僕は君がマーラを騙そうとするのが許せないけど、マガリも怒っているよ。きっと、恋だね! 嫉妬だろう』
魔剣がとんでもなく的外れなことを言い出した。
はあ? お前、馬鹿じゃねえの? 俺とマガリはそういう関係じゃないって何度も言っているだろ。
俺とマガリが恋……ふっ、怒りも呆れも通り越して笑ってしまう。
『普段の様子を見ている限り、熟年のカップルなんだよねぇ……』
ないぞ。
あと、確かにこいつは嫉妬しているけど、それは俺が好きだから……なんて甘っちょろいやつじゃねえぞ。
『え?』
何も理解していない様子の魔剣に、答えを教えてやろう。
ほら、ちゃんとマガリが呟いていることを聞いてみろ。
俺と魔剣が静かになって耳を傾けると……。
「許さない許さない許さない許さない許さない……! 私より先に都合のいい異性を見つけて寄生し、この面倒事から抜け出すなんて許さない! 私だけを置いて幸せになれると思うなよ……! 絶対に……絶対に邪魔してやる……!!」
『ひぃ……』
小さく悲鳴を上げる魔剣。
な? これがマガリだ。先に抜け出す俺が気に食わないっていう、何ともおぞましい考えを持っているんだ。
『君たちってほんとわからない』
「まあ、お前に俺の妨害をおおっぴろげにすることはできないがな。お前の猫かぶりで作り上げてきたイメージもあるし……俺の本性をばらそうとしても、お前の本性のこともばらす」
ニヤリと笑って余裕を示す。
そう、マガリは俺にとって最悪の妨害をすることはできない。
俺の本性をばらせば、自分の本性もばらされるのだから。お互いの弱みを知っているからこそ成り立つ関係。
これこそが抑止力……相互確証破壊だ!
「最悪……最悪、私の本性がばらされて評価が下がることになったとしても、あなたが幸せで楽な生活を送ろうとするのを防げるのであれば、それもいとわないわ……!!」
「お前、どんだけ俺のこと嫌いなの?」
鬼気迫る顔で頷くマガリを見て、思わず頬を引きつらせてしまう。
俺を妨害するためだけに、今まで積み重ねてきた十数年を無駄にしようとするのだから、こいつの覚悟はすさまじい。
その覚悟、迷惑極まりないのだが。
「別に嫌いじゃないわ。あなたが楽しく自由な生活を送ることが耐えられないだけよ」
ツンとそっぽを向いて言うマガリ。
それって嫌いなんじゃ……。
『でもさ、君の結婚の申し出、マーラに断られたじゃん。もうあきらめて彼女を毒牙にかけようとするのは止めたら?』
魔剣の言葉を聞いて、思わずがっくりとしてしまう俺。
そう、俺の結婚の申し出はマーラに断られてしまったのである。
あの時のことを、思い出す。
◆
「好きです、結婚してください」
マーラの手を握って、俺は真摯にプロポーズした。
細くて白い手は、触っているだけで気持ち良かった。
他人の人肌とかマガリを除けば気持ち悪いだけだったのに……不思議だ。とても心地いい。
やっぱり、俺とマーラは運命の赤い糸でつながっているのだろう。
「あ、あらららららららららら?」
目をぱちくりとさせていたマーラ(可愛い)はしばらく硬直していた(愛おしい)後、ようやく俺の言っていることを飲みこめたのか、壊れたおもちゃみたいになってしまった可愛い。
『ちょっと君気持ち悪い』
「わ、わたくしの聞き間違いかしら? 行き遅れが進むと、幻聴まで聞こえるんですのね……」
「いや、幻聴じゃないです。結婚してください」
俺はキリッとした表情のまま、もう一度言った。
というか、マーラが受け入れてくれるまで何度でも言う。一日百回でも言う。
『めっちゃグイグイいく!?』
「ふわあああああああああああ!?」
顔をボンッと一気に赤らめるマーラ。いじらしい……。
「ど、どうしたんですの、アリスターさん!? 傷から熱が発生したのかしら!?」
「いや、もともと大した傷じゃないですし」
心配そうに俺の顔を覗き込み、別に大した傷ではない頬を優しく撫でてくる。
この甘えさせ方……やはり、俺のエンジェル……。
もう一度俺の頬を撫でる手を掴んで、キュッと力を込めて彼女の目を真摯に見つめる。
「結婚してください」
「三度目ですの!? 聞かないふりをしていたのに、頑なですわ!」
あ、やっぱり頑なに聞かないふりをしていたのか。
そういった演技ができるのも、マーラが頭パッパラパーの今までの貴族ではなく、機転の利くものだということが分かる。
これならば、俺が全力で寄生しても安心だ。素晴らしい……。
「ど、どうして急に……」
「恋ってものは、急に落ちるものです。予定調和なものじゃありませんから」
まったくだ。
まさか、こんな所に俺のスイートハニーがいるとは思ってもいなかった。
今回もマガリにつき合わされてクソみたいな展開になるとばかり思っていたのだが、神は存在して俺を見捨てていなかった。最高だぜ。
『知ったふうな口きいてるけど、君恋なんてしたことないよね』
別に必要ないしな。
「しいて言うなら……マーラさんの人となりを知れたことが大きな理由ですね。あなたの性格は……人格は素晴らしい。他者を思いやり、民のために行動するその姿は、貴族としてふさわしい。まさに、女神のような方だ」
「えぇっ!?」
マーラはこれ以上ないくらい顔を真っ赤にする。
彼女がここまでうろたえるのは、俺の言葉が本気で嘘偽りないことが分かっているからだろう。
こういった褒め言葉は、有力貴族である彼女は何度も受けてきたに違いない。
だからこそ、おべっかであったりお世辞であったりすると、マーラはそれを悟ることができるだろう。
だが、俺の言葉は全て真実であり、心からのものである。
それは、マーラの心を跳ねさせるのに十分な力を持っていたようだった。
「ふふっ……マーラさんは容姿も整っていて美しいですからね。女神というのは、あながち間違いではないでしょう」
「あわわわわわわ……!」
顔を赤くさせるどころか湯気を発し始めるマーラ。
この言葉にも嘘偽りはなく、マーラは一般的に見て容姿の整った綺麗な女と言うことができるだろう。
と言っても、俺にとって容姿や外見というものは大したポイントにならないのだが。
要は、俺を甘やかしてくれる中身と安定的に収入が得られそうな頭である。
これがないのであれば、それこそ世界で一番美しくても見向きもしないだろう。
「で、でも、わたくしはもう年増で……」
しわもないのに、何言ってんのこいつ?
「いえ、以前も言いましたけど、二十代で年増はないですよ。貴族の結婚などの状況は知りませんが、俺からするとマーラさんはど真ん中です」
「ど、どどどどど真ん中!?」
あなたの性格が大好きです。さあ、俺を甘やかしたまえ。
「今すぐに……というわけではありません。少しでいいから、考えてほしいんです。俺は、ずっと待っていますから」
マーラの目を見据えて、俺は彼女に選択の猶予を与える。
ここで一気に押し切ってもいいかもしれないが、そうすると少し冷静になった時に後悔するかもしれない。
別に、俺のためなんだからマーラが後悔しようがしまいが知ったことではないのだが、その末に結婚破棄でもされたら堪ったものではない。
だから、最後の一歩は彼女自身に進ませなければならないのだ。
「で、でも……わたくしでは、アリスターさんにふさわしくありませんわ。アリスターさんは、まだ若くて、格好良くて、優しくて……わたくしなんかより魅力的な女性が、いつか現れますわ。それに、わたくしは……」
俺のことよく分かっているじゃないか。
だが、それでマーラが自分のことを貶める必要はない。
俺にとって必要なのは、彼女なのだから。
……最後に何か言おうとして口ごもっていたのは多少の不安があるが、ここは間を置くのではなく……。
「気にしません。俺にとって、マーラさんは結婚したいくらい魅力的なんです。いくらあなた自身のことでも、卑下することは止めていただきたい」
「あ、うぅ……」
少し悲しそうにしながらも笑みを浮かべる俺。
どうだ、決まったか?
マーラは言葉にならない声を漏らして……。
「ごめんなさいですわあああああああああああああああああああああああ!!!!」
俺の部屋から物凄い勢いで飛び出して行ったのであった。
そんな彼女を、呆然と見送る。
なん、だと……? この俺が……振られた……?
後から入ってきたのは、何故かいい笑顔を浮かべたマガリである。失せろ。
◆
振られた過去を思い返す俺。
だが、ただの一度拒絶されたくらいで、ようやく見つけた寄生先を見放すとでも思っているのだろうか?
「俺はマーラを諦めない、絶対にだ……!」
強い決意に、魔剣も何も言えないようだった。
ここからが……ここからが勝負だ。俺の、マーラに対する猛アタックが始まる!
「私も妨害を諦めないわ、絶対によ……!」
いや、お前は諦めろよ。




