第105話 こもった熱
「よいしょ」
マーラは身の丈を越えるような巨大な戦斧をブン! と一回しする。
それだけで土が舞い上がり、髪がなびくような風が吹く。
そして、ズガン! と音を立てて地面に立てる。
何も力を入れて叩き付けたというわけではないのに、それだけで硬い地面にひびが入る。
それほどの重量だということで、そしてその重量の武器を一度軽く回したマーラの腕力は凄まじいものだった。
「えと……マーラさん? それはいったい……」
「わたくしだって、何も戦えない箱入り娘ではありませんわ。ちゃんと戦えるのですから」
「え、まあ……それはいいんですけど、その厳つい武器は……」
ふんすと鼻息を荒くするマーラ。
細いレイピアなどを持っていれば、優雅で美しいと称えられることができるだろうが、彼女が持っているのがそれこそドワーフですら扱うことが難しそうな戦斧なので、可愛らしいというより怖いという感想が先に出てくる。
アリスターが呆然としながら呟いたのはそれが原因である。
彼が声をかけたが、実際には山賊たちもポカンとしてマーラを凝視しているので、彼らの疑問も代表して聞いているということができるだろう。
「貴族の英才教育の一環で、自衛のための武器をそれぞれ受け取って訓練を受けることがあるのですわ。わたくしも様々な武器を見せられ、実際に軽く振るってみて、どれが一番手になじむのかと試した結果、一番よかったのがこれですの」
「えぇ……?」
ちんまくなったマーラがニコニコ笑顔で身の丈を越す戦斧を振り回していたことを想像して、唖然とするアリスター。
もうマーラ一人でいいんじゃないかな?
「さあ、行きますわよー!」
「えっ? ちょ、ちょっと待って……」
ブン! と凄まじい音を立てながら戦斧を振り、肩に担ぐマーラ。
それだけで、彼女の踏みしめる大地がミシミシと悲鳴を上げた。
そして、そんなものを担がれて見据えられている山賊たちもまた悲鳴を上げる。
マーラの最初の標的になるのは、嬉々として彼女に向かって突撃していた賊たちの頭である。
どのように痛めつけてやろうか? どのように悲鳴を上げてくれるのか?
マーラの端正に整った顔が苦痛と恐怖に歪む様を想像して愉悦の表情を浮かべていた彼は、今や化け物に追い詰められた弱者の顔をしていた。
なんなら剣を使って防御をしようとすればいいと思うだろう。
だが、チラリと彼は自分の武器を見る。
ろくに整備もされておらず、しかし無抵抗の村人たちを斬り殺して血を吸ってきたそれは、錆びて切れ味も大幅に落ちていた。
一方、マーラの持つ戦斧はしっかりと手入れがされており、軽く触れるだけでも斬れそうな鋭さを持っていた。
そして、何よりも大きさがけた違いだ。人の身長を越えるような巨大な戦斧と比べると、彼の持つ剣は爪楊枝と同然であった。
「ま、待って! もう抵抗しないから! だから、捕まえてくれ……!!」
涙を流してそう懇願する男。
しかし、それはマーラには届かない。
「あなた、今まで無抵抗の弱い人々を虐げて殺してきたのに、それは都合よすぎるとは思いませんの?」
「俺は許されるんだよ!!」
あ、こいつとちょっとだけ仲良くなれそう。
そう思ったアリスターであったが、表向きはキリッとして賊を非難するような顔つきにしている。
「論外ですわね。あなた方に裁判なんて司法手続きを踏む必要はありませんわ」
いや、それはどうだろう? と思うアリスターであったが、やはりキリッとした表情のまま動かない。
巨大な戦斧を振り回す女とは、なるべく対立したくないからだ。
「死んでくださいまし」
そう言うマーラの笑顔は、本当に美しく淑女にふさわしいものだった。
しかし、一切温かな感情をそぎ落とし、背筋が凍りつくような冷たい雰囲気を醸し出しているので、その笑顔を向けられても喜ぶ男はいないだろう。
「ひいっ!? た、助け……ってお前らぁっ! 逃げるの速ぇだろうがぁっ!!」
すでに、頭の部下たちは彼から全力で離れていた。
半泣き……というより汚い涙を全力で流しながら声を張り上げるが、当然助けようとする者はいなかった。
その隙に、マーラの戦斧がギロチンのように振り上げられて……。
「よいしょ」
可愛らしい掛け声とは正反対に、それが起こした結果はえげつないものだった。
ズドォォォォォォォォォン!!!! と、まるでとてつもない爆発事故が起きてしまったような凄まじい爆発音が響き渡る。
マーラが振り下ろした戦斧は地面に叩き付けられ、広範囲にわたる地割れと爆風を巻き起こしたのであった。
「(うわ……ミンチより酷い状況になってないだろうな……?)」
グロ耐性がまったくないというわけではないが、積極的に見たいわけではないアリスターは少し眉を顰める。
ぶっちゃけ、どれほど残虐な状態になっていようと、それが自分ではなく他人であればどうでもいい。
砂煙が晴れると、状況を見ることができた。
「うわぁ……」
小さく呟いたアリスター。
なぜなら、賊の頭である男の死体がなかったからである。
では、彼は助かった? いや、それはないだろう。
彼が死んだという事実は、小さなクレーターになっている地面にべっとりとへばりついた真っ赤な血が証明している。
「(死体すら、残さなかったのか……)」
アリスターはゾッと背筋を凍らせた。
この世に生きていたという証拠を残すこともできず、賊の頭はその命を消したのであった。
「(っていうか、武器を叩き付けただけで死体も残らない破壊力っておかしくない? 天使と同じくらいヤバいんじゃないのか、こいつ?)」
アリスターの中で、勝手に警戒感が上がる。
「う、うおおおおお!! 今しかねえええええ!!!!」
「あっ、ちょっと! 逃げるのはなしですわよ!」
自分たちのリーダーが殺されたのを好機ととらえ、賊たちは四方八方に散るように逃げ始めた。ゴキブリかな?
マーラは制止しようとするが、彼女とアリスター以外の私兵たちを包囲するようにして配置しているため、彼らが逃げることは不可能であることは分かっている。
しかし、自分の手で懲らしめてやろうと考えていた彼女からすると、肩透かしをくらった気分になってしまうのである。
追いかけて戦斧の錆びにしてくれようとしたのだが……。
「マーラさん。ここからは、俺に任せてくれ」
そう言って彼女の前に立ったのは、アリスターだった。
「え? どうして……? わたくしが戦えることは知ってもらえたのではなくて?」
「ああ、もちろんです。ただ……」
そう言うと、ふっと儚げにアリスターは笑った。
「美しく可憐な女性であるあなたに、その手を必要以上に血で汚したくなかっただけです」
「え、えぇっ!?」
歯が浮くような甘い言葉に、今までそのような言葉をかけられたことがなく耐性のないマーラは顔を真っ赤にする。
そんな彼女の反応を見て、満足そうに頷いて彼女に背を向けるアリスター。
「(……これでいいのかよ)」
『うん。やっぱり、犯罪者とはいえ、できる限り生きて捕らえたいからね。マーラに任せていると、皆殺しにされそう』
もちろん、アリスターが自らの意思で自分が他人のために戦うような選択肢を選ぶはずがない。
魔剣のお人よしおせっかいによって身体を動かされただけに過ぎない。
といっても、アリスターは普段よりも穏やかな気持ちで……それほど魔剣に罵詈雑言を吐かずにマーラの前に立っていた。
それは、賊たちが彼にとって今や大した脅威ではないからである。
もちろん、素の状態で殴り合えばマーラに一撃で押しつぶされた男にも余裕でボコられるだろう。
だが、魔剣が身体を動かして戦うので、彼らは相手にならない。
怖いといえば怖いのだが、アリスターもただの賊程度に今更おもらししてしまうほどビビることはなかった。ビビるのはビビるのだが。
『彼ら程度なら万が一もないし、別にいいでしょ?』
「(いや、別にいいわけではないけどね。ただ、あいつらと戦ってマーラの評価を上げる方がいいかなと思ったのは事実だ)」
だからこそ、アリスターは魔剣とのんきにそんな会話をしていたのだが……。
「テメエが調子に乗ってんじゃねえよ!」
そんなアリスターに向かって、怒声と共に飛んできたのは短剣である。
錆びて、それでは人も殺せないような小さな武器だ。
それを、逃げながら投擲した賊。
そんなもの、何の脅威でもないはずの攻撃だったのだが……。
アリスター、魔剣両者ともに激しく油断しておごっていたため、避けることができず……。
ズバッと頬を切り裂いて彼の横を通り過ぎて行ったのであった。
「あ、アリスターさん!? 大丈夫ですの?」
心配そうに顔を歪めるマーラからは、彼の顔を窺うことはできない。
とはいえ、彼はいつも通りキリッとした表情のままである。
「(うげああああああああああああああああああああああああああ!?)」
内心はこれだが。
別に、命の危険があるほどの重傷でもないし、軽く頬を切っただけなので大したダメージでもないはずだ。
しかし、錆びていたということは、切れ味は非常に悪かったということである。
斬るというよりも、そぎ落とすように余計な苦痛を与えてきたそれに、アリスターは大絶叫である。
「(魔剣、貴様ああああああああああああ!! 何をしているかあああああああああああああ!!)」
『ご、ごめん。そんな魔王みたいな大絶叫上げなくても……』
戦闘は全て魔剣におんぶにだっこであるアリスターは、怨嗟の声をそれにぶつける。
まあ、彼からすれば魔剣が突っ込んだ戦闘なのだから自分で何とかしろと思っているようだが。
「まあ! 怪我をしていますわ! さあさ、わたくしに任せて、ゆっくりしていてくださいな」
そう言って再び戦斧を構えようとするマーラ。
彼女の顔は心からアリスターを心配しているもので、決して他意はなかった。
しかし、彼女は自分が傷つけられたことに対して理不尽なまでに怒りと憎悪を燃やしている彼の内心に気づいていなかった。
「『邪悪なる……』」
「きゃあ!?」
アリスターが構えた黒々とした魔剣から、禍々しい黒い魔力の風が吹き荒れる。
それは、今までマーラが感じたことがないほどの強烈かつ凶悪な魔力。
聖剣の適合者である勇者の発する魔力とは思えなかった。
しかし、実際にアリスターはそれを行使し、操っている。
美しい金色の髪をたなびかせるマーラのことは一切見ず、彼は怒りのままに魔剣を振るった。
「『斬撃』!!!!」
ズゴオオオオオオオオオオオオオ!! と吹き荒れる魔力の斬撃は、四方八方に散らばる賊たち全てを射程圏内に入れるほど、規模の大きな攻撃だった。
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!?」
「うぎゃああああああああああああああああああああ!!」
賊たちはそれぞれ悲鳴を上げながら、禍々しい黒い波に飲み込まれて消えていくのであった。
「……すっごいですわ」
その圧倒的な力に、マーラは目を丸くして立ち尽くすしかなかったのであった。
彼女が見る、アリスターの背中は、とても大きく見えた。
それも、自分を守ろうと……戦わせまいとして自身の前に立ってくれた男は初めてであり、そんな男は行き遅れの自分のことを何度も美しいと表現してくれていて……。
「アリスター、さん……」
マーラの彼を呼ぶ声は、熱がこもっているように感じた。




