第101話 こういう感じね
「ぐぇぇぇ……疲れたぁぁ……」
「暑いんだよ。離れろや」
馬車の中で、マガリはだらけきった姿を見せていた。
先ほどまでいた貴族の前では、キラキラとした笑顔と清楚な振る舞いをしていたので、その落差が凄い。
まあ、本性を知っている俺は大して何とも思わないのだが、それこそ彼女の建前に惚れているエリアやヘルゲは驚愕することだろう。
俺の膝の上に正対する形で乗りながら、ぐだーっと力を抜いて抱き着いてくる。
重い……こともない。むしろ、軽い方だ。
硬い……こともない。むしろ、柔らかい。
いや、性格に言うとお尻のあたりは柔らかいが胸のあたりは骨が当たって割とゴリゴリする……。
「余計なこと考えてんじゃないわよ」
「考え透かしてんじゃねえよ」
至近距離から睨み合うマガリと俺。
だったら、もっと胸大きくしてから抱き着いてこいや。
「というか、割と強行軍なんだな。ビックリしたわ」
手持無沙汰なので、マガリの頭を撫でながら言う。
髪の毛サラサラだな。王城にいる今はともかく、故郷ではそれほどケアするものがなかったはずなのに、不思議である。
しかし、そんな髪の毛がささくれそうになっているほど、マガリは疲労していた。
というのも、この貴族の挨拶回りだが、なかなかに過密スケジュールなのである。
つい先ほども挨拶をしてきたばかりで、そのまま別の貴族の元へと向かっている。
ただついて回っているだけでも結構俺は疲れているのだ。
毎回猫をかぶって愛想よく振る舞わなければならないマガリの疲労度は、想像を絶するだろう。
だからこそ、こんなに抱き着いてきているのだろうし。
こいつがこういう風に甘えてくるのは、疲れていたり嫌なことがあったりした時だけだ。
護衛だったら常に気を張っておかなければならず、本来であれば俺も疲れているのだろうが、とくにマガリのためにそんなことをする気にもならなかったので、気を張っていなかった俺は割と大丈夫である。
ヘルゲたちもいるから平気平気。
「期間が短い方が、色々といいでしょ? ずっと王城の外でうろちょろさせている方が危険だし」
「それで大切な聖女様が疲労で潰れてしまったら元も子もないと思うが。まあ、それはそっちのことだし、俺は関係ないか」
「関係しなさいよ」
「嫌です」
不満そうに俺を睨みつけたマガリは、首元にかみついてきた。
痛い痛い。吸血鬼かお前。
もちろん、肉を噛み千切って血を啜るほど本気では噛まれておらず、甘噛みなのだが……。
だからと言って噛んでいいわけないだろ。
マガリの頭を鷲掴みにして何とか引きはがそうとしていると……。
『……君たちさ、本当に本当に付き合ってないんだよね?』
魔剣からそんな言葉が飛んできた。
またか、こいつ。何度同じこと聞いてきたら気が済むんだ。
「当たり前でしょう? こいつなんかと付き合うくらいだったら舌を噛み切って死ぬわ」
マガリの言葉に、うんうんと頷く俺。
けっと荒んだ声を発しながら、マガリはちょっと抱き着いてくる力を強めた。
『いやいや! じゃあ、何で膝の上に座っているの!? しかも、首元に顔埋めるってもうあれじゃん!!』
そうだ。お前、いつまで甘噛みしてんだ。
歯の痕残ったら許さんぞ。
「馬車の振動でケツが痛くなるからじゃないか? 現に俺のケツは痛い。あとで交代な」
「私の方が小さいんだから、あなたが乗ったら潰れるわよ。膝枕で我慢して」
「またかよ……」
『よくもまあこんなことをしておいて……』
ケツが痛いって言ってんのに膝枕されて解消できるわけないだろ……。
結局、マガリも魔剣に言われても俺の膝の上から退く気はないようだ。暑いから離れろや。
「しかし、そろそろ本格的に探さないとなぁ……」
「なに? 都合のいい女?」
「おう」
ふと思っていたことを口に出してしまい、近くにいたマガリに聞かれてしまう。
本性を隠している他人には絶対に聞かれてはいけない言葉だが、こいつならいい。
同じ志を持っているからな。
本当、そろそろ隠居したい。他人の力を借りて。
どうせ、今回も騒動があるんだろ? 俺知ってるんだ。
だが、以前のカルトの街での騒動のようなことが起きれば、俺は本当にいつ死んでもおかしくない。
早く……一刻も早く安全な場所で安心な生活を送らなければ……。
「私も……って言いたいところだけど、聖女の教育でほとんど探せないのよね。王城だから、候補はたくさんいるはずなのに。もうそろそろ教育も終わるみたいだし、全力で探すわ」
確かに、王城に入ったり居住したりできるのは、それ相応の地位にある者だ。
マガリが求める金持ちで楽な男も、ぞろぞろといるだろう。
そして、当然女も……。
…………。
「……俺も時々遊びに行くわ」
マガリが心配だからね。
「来ないで。来ても王城に入れないように言っておくから」
「くっ……!」
しかし、俺の思惑を知っているマガリはゾッとするほど冷たい目で拒絶してきた。
クソ! この人でなし!
「てか、お前はもう半分達成したようなものだろ。エリアとヘルゲ、どっちか選んだらいいだけじゃん」
そう言えば、もうマガリは男をあさる必要はないだろう。
それこそ、彼女の条件に合致した極上の男たちが彼女を好いているのだから。
王国第一王子のエリア。王国騎士団のヘルゲ。
どちらと結婚しても、将来は約束されたようなものだろう。
「絶対に嫌よ! ばっかじゃないの!?」
「なんだぁ、てめぇ……」
しかし、マガリは顔を青ざめさせて激しく拒絶した。
誰が馬鹿だ、クソバカ。
「エリアは絶対に無理ね。第一王子だし、王妃になんてなったら仕事も義務も腐るほど出てくるわ。王妃らしい振る舞いも求められるでしょうから、耐えられない。それに、そもそもあの俺様みたいなキャラはあんまり得意じゃないのよ。よいしょするのが大変だし」
「ほーん」
確かにそうかもしれない。
俺も王族は遠慮しているし。まあ、そもそも勇者ごときが王女に会えるのかというところもあるが……。
「ヘルゲもね……騎士団の中でも割と高い地位にいるみたいだし、その奥さんとなるとやっぱりやることは多そう。エリアよりはマシだろうけどね。彼が私を正妻じゃなくて妾として娶ってくれるんだったらいいのだけど……彼、そういうことはきっちりしてそうで、私だけを愛するとか言いそうだし……」
『普通、正妻にしてほしいとか、妾はとらないでほしいとか言うんじゃないかな? 自分から妾にしてくれって主張する女性はそうそういないと思うけど……』
そんな可愛らしい結婚観を持っているような女じゃないってことだろ。
「まあ、俺も結婚している女に愛人として囲われるってのも有力な進路だしな」
『退路じゃないの?』
なんてこと言うんだ、この魔剣。
しかし、愛人というと、やはり公にはできないような関係なので、非常に不安定である。
「ただ、愛人だと割と簡単に切り捨てられそうだからなぁ。死ぬまで楽に生きるためには、最後まで面倒見てほしいからちゃんと結婚した方がいいんだろうけど……」
たとえば、もし家の財政状況が悪くなったとすると、真っ先に切り捨てやすいのが愛人だろう。
愛人を養う費用などをコストカットすることだって、十分に考えられる。
いくばくかのお金を渡されて放逐されることだったらまだしも、人身売買なんてされたら……最悪だ。
「あなただって候補がたくさんいるじゃない。シルクとか、マルタとか、エリザベスとか……」
「うーむ……」
マガリが挙げた連中を頭の中に浮かべる。
マルタは亜人だからなぁ。いや、性格に言うと人魚だからか。
別に、亜人かどうかは俺にとってはどうでもいいことだし。
ちなみに、種族だけではなく、容姿も俺にとってはどうでもいい。
俺に甘くて、お金持ちで、安定した地位があるのであればそれで十分である。
ただ、人を歌で惑わして水中に引きずり込む人魚は怖いし、マルタはそれに加えて人魚とは思えないほどの戦闘能力を持っている。
うーむ……怖い……。悪い奴じゃないんだけどな。
エリザベスは論外。カルトの聖女だぞ。無理だろ。
しかも、信仰対象が俺だし。あいつらの理想と違ったことをすれば、マジで命が危ない。
本性がまったく理想と異なっているので、ばれたら即死につながる。気を休められない。
てか、マジで勇者教止めてくれないかな?
信仰対象が嫌がっている宗教って他にあるの?
「そう考えると、シルクかなぁ……」
三人の中ではという注釈がつくが、シルクのことを思い浮かべる。
貴族から落ちぶれた元奴隷であり、今は王国最高の演劇団である王都演劇団の人気女優に上り詰めたシルク。
今なら金も十分に持っているだろうし、彼女の人柄も悪くない。
やけにすり寄って甘えてくることを除けば、物静かで大人しいからマルタを相手にするような緊張感はない。
女優という山あり谷ありの不安定な地位にいることはあれだが……何となくうまくいきそうだ。
そう算段をつけていた俺を、マガリがジト目で睨みつけてくる。
「ふーん。まあ、あなたにとっていいことになろうとするんだったら、私は全力で妨害するわ」
「なに堂々と宣言してんだ、テメエ」
至近距離から睨み合う俺とマガリ。
ていうか、さっきから言っているだろ。暑いから離れろや。
『あ、そろそろ着くみたいだよ』
そんな時、魔剣にそう告げられた。
彼の言葉通り、ゆっくりと馬車の速度が落ちてきていた。
さてはて、いったいどのような貴族がいるのやら。
都合のいい女がいたらいいんだけどなぁ……。
そんなことを考えながら、馬車を降りると……。
「おーっほっほっほっほっ!!」
高笑いしている女が出迎えた。
あぁ……こういう感じね。
俺は都合のいい女を見つけることを、あっさりと諦めるのであった。




