第100話 やってられないからさ
「は? 何しにきたの、お前?」
王都の最高級宿に今日も今日とて泊まる俺。
早く解放してほしいのだが、それには魔剣が邪魔である。
まあ、待遇は良いし、ダラダラと惰眠をむさぼることができるので、割と楽しんでいる。
そんな俺の安寧と秩序を妨げるクソ野郎がやってきた。
長い黒髪をたなびかせ、端正に整った顔をゾッとするほど冷たいものに変えている女……マガリである。
ド貧乳女が、いったい俺に何の用だ。
『いきなり出迎える人が言う言葉じゃないよね……』
招いてないんだから当然だろう。
俺の顔が露骨に嫌そうに歪むのも仕方ない。
だが、あちらから来ているくせに、あいつも嫌そうに顔を歪めるのは何でだ。
俺のイケメンフェイスを見ることができて喜ぶべきだろう。
「いいからさっさとおもてなししなさいよ。お茶くらい出しなさい」
露骨に嫌そうにされたら普通の人は足を踏み出すことを躊躇するだろうに、その普通はこの女には通用しなかった。
俺の意思なんて関係ないと、ずかずかと中に入り込んできて茶まで要求してくる始末。
毒なら出してやる。
「ふざけるなよ、お前。こちとら後遺症で今でもちょっと身体痛いんだぞ。数日前までベッドの上でのたうちまわっていたんだからな」
俺が思い出すのは、クソカルトの街に行ったときのことである。
腹を貫かれたり化け物に食われかけたり、本当に品行方正でイケメンな俺にはふさわしくない苛烈なことが待ち受けていたのだが、俺はそれを暴走という形で突破したらしい。
正直、記憶もあやふやだからさっぱりである。
ただ、危険な化け物も消えていたし、腹立たしいエセイケメンも死んでいたので、それはいい。
いいのだが、その後だ! 俺のひ弱ボディには耐えがたい負荷がかけられており、その反動で俺はしばらく寝たきりになったのである。
身体中を襲う筋肉痛! 本当に地獄だった……。
もちろん、ずっとベッドの上にいるわけにもいかず、トイレや食事のたびに身体を起こさなければならないのだが、それがまた辛くて辛くて……。
「ああ、芋虫みたいで面白かったわ」
「てめぇ……」
俺の苦しんでいる姿を見て嘲笑っていたのがこの女である。
城で閉じこもっておけばいいのに、この女は何かとここにやってきて俺を見てニヤニヤするのだ。性格悪いにもほどがあるだろう!
逆の立場だったら俺も嘲笑っていたけど。
「で? 何の用だよ。どうせお前が持ってくることなんて、俺にとって都合の悪いことしかないんだろうけどな」
「もちろんよ」
『もちろんなのか……』
即答するマガリに、魔剣は呆れたような声を漏らす。
そりゃそうだ。こいつが俺にプラスになるようなことのために、わざわざここに出張ってなんてこないだろう。
しょっちゅうここに来ている気がするが、それでも彼女は一応は国の聖女という非常に重要な地位にいるわけで、そうそう危険な王城の外に出ることだって難しいだろう。
そんな難しいことを突破してまで俺の所に来るということは、当然そういうことだ。
「ちょっと私に付き合いなさい」
「嫌だ」
とりあえず、理由も聞かずにマガリの誘いは断ることにしている。
ろくでもないことしかないだろうしな。
「ちっ。相変わらず可愛げのない男ね。誰がボロボロのあなたを看病してやったと思っているのかしら?」
「説明もなしに付き合えとか誰がついていくんだ? あと、俺のおかげでお前も助かったんだろうが。お互い様じゃ、ボケ」
お互いギロリと睨み合う。
確かに、筋肉痛でもだえ苦しんでいた俺の所に来て嘲笑っていたマガリは、色々と看病というか介護のようなことをしてくれた。
飯を口に運んでくれたり、トイレに行くとき肩を貸してくれたり……。
いや、まあ感謝しないでもないよ? うん、ありがたいありがたい。
だが、俺がこんなボロボロになったのは、ひとえにマガリを含めた有象無象を助けるためである。俺は助けたくなかったけど。
だったら、それとこれとで相殺され、マガリの命令に従う必要はなくなるのである。分かったか、貧乳。
『はぁ……君たちさぁ、老齢の夫婦並にイチャイチャしていると思ったら、こんなしょうもない喧嘩するとかなんなの?』
「いちゃ、いちゃ……?」
「そんなもの、私とアリスターがするはずないじゃないの」
魔剣の謎の言葉に、思わず俺とマガリは目を合わせてポカンとしてしまう。
イチャイチャなんて、恋人同士がするようなものだろ?
お互いの脚を引っ張り合い、お互いの不幸を切に願いあう俺たちが、そんな甘酸っぱい関係を築いているとでも思っているのだろうか?
ちゃんと目玉ついてんのか? あ、ついてなかったな。無機物だし。
『あー、はいはい。一緒にお風呂入ったり膝枕しあったり同じベッドで寝たりするのもイチャイチャじゃないもんね。うん、君たちの頭おかしい』
別におかしくないだろ。
お風呂だって、そんな贅沢できるような裕福な生活じゃなかったから一緒に入っていただけであって……。
それに、お互い身体を見て興奮するような子供じゃないし。
性欲を完全に支配下に置いている俺が暴走することは、絶対にありえない。
『まあ、とにかくマガリはアリスターに説明しないと。じゃないと、梃子でも動かないよ、これ』
「ふっ……」
『褒めてないよ』
俺の意思の強さにおののけ。
マガリはため息を吐きながら、やれやれと首を振って事情を説明する。
「また私が貴族に顔見せしに行かないといけないのよ。だから、あなたが護衛ね。ついて来なさい」
「嫌だ」
俺の確固たる意志は誰にも揺るがすことはできない。
と、そこまで考えて、ふと気になったことを尋ねてみる。
「というか、前も行ってなかったか?」
そう。何か似たようなことで、一度俺はこいつに引きずり出されたことがあったはずだ。
またやるの?
「あれは国民への顔見せよ。基本的には王都に貴族を呼んで、そこで顔を見させられたんだけど……大きな貴族とか、忙しい貴族を呼ぶことはできないから、それは私の方から出向かないといけないのよ。……私に動かさせるっておかしいわよ。何様よ」
最後の荒んだ顔と言葉は無視して、なるほどと頷く。
また別にやらなければならないのか。貴族って面倒くさいな。
ただ、都合のいい女を見つける候補の一つではあるんだよな。金は持っていそうだし、地盤がしっかりしていたら安定もしているだろうし。
だからこそ、貴族にもしっかりと目を向けておかなければならないのだが……。
「まっ、そういうわけだから。私だけ辛くて面倒なことするのっておかしいでしょ? だから、あなたも道連れってわけ。来なさい」
「お前、誘うのへたくそすぎだろ」
それを聞いて俺が行きたいですって言うとでも思っているのか?
お前が辛くて面倒なことを受けるのであれば、喜んで送り出すわ。
「とにかく、俺は絶対に行かねえ。もう十分だろ。一度お前に付き添って行って人魚なんて危険な亜人と絡んでしまうし、もうたくさんだ。それほど危険もないだろうし、お前だけで行け。どうせ、ヘルゲとかの護衛もつくんだろ?」
貴族にも目を向けておかなければならない。しかし、それがマガリの道連れになることとは直結しない。
だいたいこう言う時ってわけのわからない騒動に巻き込まれて、いつも俺がボロボロになる展開だ。もう知ってる。
だからこそ、俺は絶対に行きたくない。
そもそも、聖女を移動させるのだから、王国側もしっかりと対処をするだろう。
護衛も然りだ。ということで、俺は行かない。
「……ねえ、魔剣」
『聖剣ね』
俺が動かないことを冷たい目で確認するマガリ。
彼女は分かっていたはずだ。俺が断ることを。
それなのに、どうして……。
俺は疑問に思いつつ、魔剣に話しかけたマガリを睨みつける。
「貴族って、良い奴ばかりじゃないわよね? アリスターも言っていたけど、その人魚と一悶着あったのもこの国の貴族が関わっていたし、その前には王都演劇団の一番人気女優の……シルク、だったかしら? 彼女の時も貴族が絡んでいたでしょ? ということは、私が挨拶に行く貴族も良い貴族とは限らないわ」
『う、うーん、確かに……』
俺はハッとした。
こ、こいつ! 俺は絶対に説得できないと見越して、このおせっかいクソ迷惑魔剣を籠絡しにかかっている……!!
俺は動かない。マガリに危険がおよびそうになっていたとしても、大喜びで迎え入れる。
しかし、この魔剣は違う。馬鹿みたいにおせっかいを発動して、何でもかんでも首を突っ込もうとする。俺の身体で。
ニヤリと凄惨な笑みをこちらに向けてくるマガリ。
あ、悪魔め……! 貴様に人の心はないのか!?
「待て! 惑わされるな、魔剣!」
『聖剣ね』
マガリの方に惹きつけられてしまっているこいつを、何とか引き戻さなければならない。
俺が魔剣を引き戻すことができる言葉……それは……!
「よく考えてみろ! こいつが貴族程度に害されるようなたまか!?」
『……確かに』
「なっ……!?」
俺の言葉に魔剣が納得し、マガリが唖然とする。
にまぁっと笑みを浮かべるのは、今度は俺の番だった。
一転して唖然とした顔を見せるマガリは、とても滑稽だった。
良い顔だ。常にその顔でいたらいいんじゃないかな?
笑いがこみあげてくる。これは、抑えきれるものではない。
勝ちを確信していた人間が、一転して圧倒的に不利な状況に追い込まれることの滑稽さは堪らないぜ!
「ふはははははっ! お前の都合のいいことばかり物事が進むと思うなよ! 少なくとも、俺はお前の敵だぁ!」
「これ、国王の命令書なんだけど」
「お前さぁ……」
『うわ。アリスターの顔が一瞬で老けた』
マガリがひらりと取り出した紙切れを見て、俺は一気に脱力した。
なんだろう。抜けたらいけないものも抜けた気がする。生命力的ななにか。
国王の命令書は、この国では当然何ものにも代えがたい絶対的な効力を持つ。
当たり前だ。命令を出す国王は、この国の絶対権力者なのである。逆らえるはずがない。
それは、当然俺も同じで……。
「お前さぁ、そういうのズルいと思うよ。本当に。うん、よくない。よくないわ、本当」
「ちょ、ちょっと……いつもみたいに怒鳴りなさいよ。そのしょげた顔で言われると一ミリくらい良心が痛むじゃない」
少し慌てたように言ってくるマガリ。
お前に良心なんてない。あるのは腐った根性と吐き気を催す邪悪だけだ。
どうしようもない試練ってさ、与えられても腐るだけだと思うんだよね。
まさに、今俺が直面しているのがそれだ。どうやって国王の命令から逃れろって言うの?
良心が痛むとか言っておきながらも、こいつは絶対に俺を諦めることはないしな。
「まあ、いいよ。分かっていたことだし……」
俺は天井を見上げる。
汚れ一つない綺麗なものだ。
……駄々こねて泣いたところで、どうせこいつに引っ立てられていくんだから、もうウジウジと考えることは止めよう。マガリに対する呪詛は吐くけど。
少しでも前向きになることを考えよう。
今回のこれで、都合のいい女を見つけようではないか。
見つけられるまではいかなくとも、目星をつけることくらいはしよう。
……それくらいやっていないと、本当やってられないからさ。
俺は一筋の涙を流すのであった。




