第1話 幼なじみ
「あー……平和だなぁ……」
暑くもなく、寒くもないちょうど良い気温。
湿り気の少ない、さわやかな風。
温かな日光に当てられていれば、自然と眠たくなってきた。
とくに、この丘は良い。
下に見える俺たちの村で、誰が何をしているかよく分かる。
……あ、ヴィムのおっさん、またおばさんに追い掛け回されている。
どうせ、酒に金をつぎ込んだんだろうなぁ。
バカだなぁ、そう言うのはばれないようにしないといけないのに。
隠すことに長けている俺を見習ってほしいね。
俺が高みの見物をしてヴィムのおっさんをあざ笑っていると……。
「そうね、ここは良いわ」
……ちっ。
俺は思わず舌打ちしてしまいそうになるのをこらえる。
声がした方を振り返れば、木にもたれかかりながら本を読む女がいた。
長い紫がかった黒髪を垂らし、風にそよぐのを少し鬱陶しそうにかきあげる。
女にしても小柄な体躯は、まるで子供みたいだ。
まあ、腹黒さなら子供の比ではないが。
そんな少女が、俺の特等席とも言える丘に不敬にも居座り、大きな本を読んでいた。
「……マガリ。お前、ここに来るなって言っただろ」
俺がそう言うと、少女――――マガリは首を傾げる。
「あら、どうして? アリスター」
「俺が農作業サボっているのが、お前を探すことによって連座的にばれたらどうするんだよ」
俺がそう言うと、マガリはハッと嘲笑った。
……村でこいつは優しい少女だと人気があるが、本性を是非知ってほしい。
マガリは、こんな風に人をあざ笑うんですよ?
「今更遅いわよ。もし、あなたが私をここに来させないのだったら、あなたの本性もばらしちゃうわ」
「きょ、脅迫かよ」
「違うわ、取引よ」
脅迫だろ、この馬鹿。
ふふんと得意げに微笑むマガリ。
本ばかり読むせいで、余計な知識ばかり手に入れているようだ。
「お前の言うことを信じる奴ばかりじゃねえだろ。俺のことを信じる奴もいるはずだね」
「そうね、半々でしょう?女はあなたを、男は私を信じるわ。お互い、外面が良いように猫をかぶっているのだから」
うーむ……確かにそうだろう。
これは自慢だが、俺の容姿は非常に整っていると言える。
少なくとも、こんな農村にいていい人材ではない。こんないつ衰弱死するかのような寒村に居続けるつもりは毛頭ないがな。
だからこそ、そこそこ裕福で俺に甘い女に娶ってもらおうと考えているのだが……まあそれはいいだろう。
そして、不快なことに、マガリも見た目だけは良い。
この村の年頃の男たちは、皆こいつに恋しているのではないかと思うほどに。
まあ、こいつの猫かぶり状態は、まさに本を愛する薄幸の美少女という感じだしな。
実際に、身体は貧弱だけど。
本当、マガリの本性をぶちまけて陥れたいわぁ。
……まあ、そうすれば俺の本性もばらされるからできないんだけど。
「とにかく、私たちが争うのは不毛なのよ。大人しく、今のまま我慢しなさい」
「へいへい」
確かに、マガリの言うことにも一理ある。
俺たちはまさに、お互いの首に刃物を突きつけあっているような状態なのだ。
お互い、隙あらば突き刺してやろうとしているが。
そう思った俺は、彼女のいる木陰から少し離れた場所に寝転がるのであった。
暑いというわけではないから、太陽光も苦ではない。
欲を言えば、あいつのいる木陰がベストポジションなのだが……ちっ、早くどっか行けよ。俺の瑞々しい肌にシミができたらどうするんだ。
まだ俺を養ってくれる女に目星はついてないんだぞ。
「…………」
「…………」
お互いに何も話さない無言の時間が続くが、俺にとってはとくに息苦しくもなんともない。
まあ、もし俺たちのどちらかが一方と仲良くなりたいなどと考えていれば、必死に頭を動かして話題を探すのであろうが……。
そんな気持ち、俺たちには微塵もない。
むしろ、どこかに消えてくれないかなぁと考えているのが常だろう。
そりゃあそうだろう? 自分たちの唯一の弱みといえる本性を知っているのは、俺たちお互いだけなのだから。
つまり、どちらかが消えれば、どちらかの弱みはなくなるわけである。
だけれども、しょぼいとはいえ生活基盤のあるこの村から、何も便りがないのに出て行くことなんてできないしなぁ……。
……不治の病にかからないかな、こいつ。
とにかく、俺は金持ちで御しやすくて性格が良くて俺の本性を見破れない程度に馬鹿な女に見つけられるまで……おそらくはマガリも同じような男に見初められるまで、それぞれ本性をばらされるわけにはいかないのである。
「ふぅ……」
木陰でマガリが満足そうなため息を漏らした。
よほど呼んでいた本が面白かったのか。
こいつのそんな反応は久しぶりに見たので、少し興味がわいた。
「なぁ。それって、そんなに面白かったのか?」
「面白かった……ね」
俺が問いかければ、一瞬不快そうに眉を顰めながらも考え込むマガリ。
その反応にイラッとしたものの、俺は我慢する。
所詮、この話も暇つぶしのために提供したものだしな。
マガリも同じく暇になったから、俺の質問に考え込んでいるのだろう。
普段だったら、ハッと嘲笑してさっさとどこかに行っているはずだ。
……それにしても、考え込みすぎだろ。
本なんて、面白いか面白くないかの二択じゃねえの?
「ぷっ。やっぱり、頭が寂しい人ね、あなた」
「殺すぞ、ロリ」
「お前を殺すぞ、ゴミ」
ぷーくすくすと笑うマガリが鬱陶しくて仕方ない。
うっかり禁句を吐いてしまえば、普段の言葉遣いをかなぐり捨ててとんでもないことを言う。
しかし、ムカつくこいつの精神を乱してやったと考えれば、少し胸がスッとした。
「本を見て純粋に楽しむことも良いけれど、その本から何かを学ばなければ意味はないわ。本を面白いか面白くないかで判断するのではなく、何を得られるのかで評価しないと……」
「あー、そうですか、そうですか」
長くなりそうなので会話を断ち切る。
こいつはそういう考えらしいが、やはり俺は面白いか面白くないかの判断基準で良いと思う。
どちらにしても、俺たちが一方の主張する意見に変えることなどありえないのだから、これ以上の争いは不毛である。
「で?何ていう本だよ?」
「『いかにして幼馴染を処分することができるか ~完全犯罪のすすめ~』」
「ピンポイントすぎだろ!!」
命狙われているじゃねえか、俺!
「馬鹿ね。この村に私たち以外にも幼馴染なんてたくさんいるでしょ?」
「お前が命狙ってるのって俺しかいねえじゃん!」
「自意識過剰ね」
はぁっとため息を吐いて誤魔化していやがるが、俺はマガリの狙っている奴は絶対に俺だと確信した。
ど、どうする……?
もちろん、はいそうですかと命を差し出すことはない。
このまま、いつあいつが犯行を行うかビクビクと怯えているのも嫌だ。
ならば、することは一つ。
――――――殺られる前に……殺る……!!
「あら?何か騒がしいわね」
俺が先制攻撃を加えることを決意していると、マガリが不思議そうな声を出した。
……今、こいつは完全に油断してやがる。
ふふふ、好奇心が強いことが仇になったな、マガリ。
お前の華奢な背中を突き飛ばして転げ落ちさせることくらいなら、今でもできるぜ!
「ねえ、見なさ……何でにじり寄ってくるのよ、キモイわね」
「何でもない」
後少しというところで、マガリは振り返って不快そうに眉を寄せた。
ちっ! 悪運の強い奴め。
だが、まだ時間はある。いつでもこいつを亡き者にしてやるぜ!
……てか、キモイは言いすぎだろ。イケメンだぞ?
「ふーん……とにかく、見てよ。こんなの今まで見たことないわ」
「はぁ?」
何言ってんだと、俺は笑う。
この寒村に、変化などあるはずがない。
今すぐ滅びそうというほど貧乏ではないが、お世辞にも裕福とは言えない村。
つまり、どこにでもあるようなありふれた村なのだ。
毎日、村人が起きて仕事をして、日が沈んだら家に帰って寝る。その繰り返しだ。
俺とマガリは仕事サボっているが。
だから、今日も何も変わらないにちじょ――――――。
「…………なんだ、あれ?」
俺たちのいる丘からは、村全体が見下ろせる。
だから、異質な者が入り込んでいたことにも、すぐに気づくことができた。
重たげな金属の鎧を身につけた男たちが、何人も入ってくる。
山賊か、冒険者か?
……前者だったら、さっさと逃げるか。幸い、まだ俺たちのことはばれていないだろうし。
村人たち? 知らん。
村、終了のお知らせ。
「大丈夫よ。私がまだ逃げていないことが、何よりの証拠」
「なるほど」
確かに、本当に山賊などだったら、マガリは俺に何も言うことなくさっさと消えていただろう。
まあ、こいつは非力な俺よりさらに非力だからな。
逃げたところで無事に避難できるかわからない。
最悪、マガリを囮にして俺は何としてでも生き延びよう。
「じゃあ、あいつら誰だ?」
「さあ?……あ、待って。あの旗は……」
マガリは鎧の集団が持っている旗を見て、目を丸くする。
旗?
……あれ? どこかで見たことがあるような……。
そんなことを考えていると、一人の精悍な顔つきの騎士が集団の中から現れた。
俺とマガリ以外の村人たちが皆集まって不安そうに彼らを見ている。
村人たちの顔を見まわし、騎士はようやく口を開いた。
「私は王命により派遣された王国騎士団所属のヘルゲ・ヒューブナーだ。神託によって新たに誕生なされた聖女、マガリ様をお迎えに参った!」