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一日目 準備期間

「エウロパ、ねぇ」


 レテは初めて聞いた単語を発音してみる。しかし、その顔に明るいものは見受けられない。


「どうだい、聞き覚えは?」


「だめだ、全く。かすりすらしないみたいだ」


 マーリンは少し落胆したようで、軽く眉間に皺を寄せた。綺麗な小さい額が、逆に知的な印象を与える。


「じゃあ早速だけどこの街の説明をしてくれるか?」


「分かったよ。どうやら、一から説明するしか無いみたいだからね。ちょっと待ってておくれ」


 そう言うとマーリンは、この部屋の数少ないインテリアの内の一つである机を漁る。

 机の上は様々な小物__古ぼけた羊皮紙や有色透明の液体が波打つ小瓶、後ろに黒い羽根が付いている毛先の散らばった筆などによって、雑多に埋め尽くされている。


 その中からマーリンは羊皮紙でも、藁半紙でも無い一枚の紙を手に取り、人差し指と親指で摘み、レテの目の前に突きつけた。

 机の上にあった数々の紙の中でも、特に古そうなものだ。全体的に黄ばんでいるほかヒビが入っており、いくつかの図形が描かれている。


「これは……地図だな」


 そう、それは地図だった。

 中央には円形の大地があり、それをぐるりと囲うように大きな湖が広がっている。そしてさらにその外円を巨大な山々が取り囲む。


 中央に位置する円形の大地には、丁度真ん中に一本の直線が引かれており、北と南に分かれている。

 北側には『ガニメデ』、南は『エウロパ』と記されていて北側の大地は全てガニメデなのに対して、南の大地は半円で囲まれたエウロパの街以外は何も描かれていない。

 そしてやや霞んでいるが、地図の右上にははっきり、『イデア』と記されていた。


「『イデア』というのがこの国の名前で、エウロパとガニメデの二つの都市によって成り立つ君主制国家、というわけか?」


 マーリンが微笑みながら質問に答える。


「そう……だけど、よく君主制国家なんて言葉を知っていたな。それは『外の国(プロトワン)』が存在してこそ成立する言葉だからね……もしかすると、キミは『外の国(プロトワン)』の住人なのかもしれないな」


 レテの顔に僅かな希望が浮かぶ。自分に関わるかもしれない新たな情報に胸を躍らせた。


「そうかもしれない。どうも、この国の空気が馴染まないんだ」


 途端、マーリンは真剣に応えるレテの顔を見てからからと笑った。


「あはは、冗談だよ。『外の国(プロトワン)』というのは遥か昔に滅びた御伽の国でね」


 なまじ期待していただけにレテの落胆は大きく、再び、先行きの見えない不安がレテの心に立ち込めた。レテは少しムッとしながら言い返す。


「あぁ、ひどい冗談だ。期待させて落とすなんて」


「ごめんごめん。記憶喪失の人に会ったのは初めてでさ、つい……」


「ついじゃないが。というか馬鹿にしてるな……?

 まあいい、説明を続けてくれ」


 レテは不問に付すといった態度で地図の説明を促した。おそらくマーリンの姿態が美少女そのものでさえ無ければ、彼はいつまでも過ぎた屈辱の残滓をズルズルと引きずっていたことだろう。

 レテはそういう男だった。


「よしっ、じゃあここを見てくれ」


 そう言うとマーリンは、地図の南側に位置するエウロパの、さらに南の区域を指し示した。


「ここがボク達の目的地、エウロパ南区(ノトス)だ。ここには一通りの施設が揃っているからね、当面はこの区域に滞在する。

 まずは斡旋所に行き、仕事を請け負う。その依頼の報酬で得たお金で良質な宿に泊まり、資金が尽きるまでキミの素性に関する情報を探す。こんな感じでどうかな?」


「……本当にそこまで協力してくれるのか?恐らく、長い旅になる」


 マーリンは短い溜息を艶やかな唇から漏らし、やれやれ、といった体で応える。


「言っただろう?これはボクの旅でもあるんだ。自惚れるんじゃない。あくまでキミの自分探しに付き合うのはオマケだよ。ボクに気遣う余裕があるのなら、自分の心配をするべきだ」


「あぁ……そうだったな、すまない」


 レテはすんなりと引き下がった。というのも、今の彼女の言動は全て、レテに余計な気遣いをさせない為の彼女なりの厚意ということが容易に理解出来たためだ。


 やはり、マーリンはとんでもないお人好しのようだ。その厳しい口調と甘い表情のミスマッチ具合に、レテは笑わずにはいられない。


「あっ、ちょっと、何を笑っているんだ!折角忠言してやったのに、ボクに失礼だろう!?」


「いや、くくっ、何でもないさ、続けてくれ」


「全くもう……じゃあ、ここを見てくれ」


 マーリンは少し頬を膨らませて、地図の空白部分を指でつついた。エウロパ南区(ノトス)のさらに南の空白だ。


「ここが、ボク達の現在地、南区郊外エクソノトスだ。空白部分は全てその方角に合った郊外エクソになっている。

 この地図はイデアを大まかに表した図でね、あまり細かく無いんだ。本来は地区と地区を繋ぐ街道が存在していて……まぁ後々詳しく書かれている地図を買おう。

 で、この南区郊外エクソノトスから目的地まで、丸一日かけて歩いて行こうというわけさ」


 レテはその言葉に軽く驚く。


「丸一日もかかるのか?ここから街が見えるぞ?」


「その窓から見ると確かに分かりづらいけどね、この家は小高い丘の頂上に建てられているんだ。街が見えるのはその為だよ」


 言われてみれば、確かに距離感がおかしい。レテはもう一度窓を覗いて見た。


「さて、今すぐ出発だ……と言いたいところだが、あと一時間程待ってくれないか?色々と準備が必要でね」


 そう言うと、マーリンは二台あるベッドの内、レテが使っていなかった方__恐らくはマーリンのもの__の下に手を突っ込み、一切の躊躇なくリュックサック状の鞣し革で出来た鞄を取り出す。それは彼女の細い肩幅の約二倍に膨らんでいた。


「ついでに日用品の説明をしようと思うんだ。こっちへ来てくれ」


 レテは言われたままに応じる。彼は貪欲に、この世界全ての説明を望んでいたからだ。しゃがみこんでいるマーリンの肩越しに、鞄の中を覗き込む。


 マーリンは鞄の最上段に詰め込まれていた、皮革の袋を取り出した。それは本来、綺麗な長方形だったのだろうが、中から謎の円形の物質に押し出され、歪に膨らんでいた。


「これは何だ?」


「レテ、通貨という概念は覚えているかい?」


「当然……あぁ、これはこの国の通貨というわけか」


 正解、とマーリンは頷き、財布から三枚の色の違う硬貨を取り出し、床に並べて見せた。


「左から順に、金貨、銀貨、銅貨さ。分かりやすいだろう?銅貨五枚で銀貨、銀貨五枚で金貨に交換出来る。日毎に相場は変わるが、大体銅貨が一、二枚で一食分の食費になる」


「ならこれほどの金があれば、しばらくは働かずに済むんじゃ無いか?いや働きたくないわけじゃないが」


「そうだといいんだけどね……っと」


 マーリンが財布の紐を緩ませ逆さまにした瞬間、大量の硬貨が重力に従い自由落下に身を任せた。そして床に衝突し幾重にも重なる金属の和音が部屋中に反響するかのように思えたが、接地の間際、色とりどりの硬貨は霧のように散ってしまった。

 しかしマーリンはさほど驚いた様子もなく、何者かへの侮蔑の言葉を吐いた。


「くそっ、やっぱりかあの狸め!……見ての通り、今僕たちに残されたのは三枚の硬貨だけさ。すまないが理由は聞かないでくれ、色々と混み合っててね……」


「そうだな……まあ金貨と銀貨があるならいいじゃないか。一月分の食費になる」


 マーリンは俯いたまま、床に並べていた三枚の硬貨を摘み、レテに渡す。その硬貨の色を見た後では、確かに、マーリンが塞ぎ込むのも無理はない。


「なるほど、全て銅貨だったか……まぁ、なんだ、切り替えていこう」


 マーリンは、はぁ、と物憂げな息を吐き出した後、こう言った。


「そうだね、じゃあ取り敢えず着替えるね」


「!?」


 するとマーリンは、両手を交差させてチュニックの前を掴み、一息に持ち上げた。頭を抜くと同時に淡いエメラルドグリーンの髪の毛がさらりと中を舞い、暖炉の光に照らされる。


 そして軽く浮き出た肩甲骨に吸い付くかのように滑り落ち、何本かの髪は、鎖骨のあたりへ降り注いだ。チュニックの下には何も着ておらず、きめ細かな純白の肌を纏う、柔らかな丸みを帯びたくびれや、軽く汗の粒が浮いたうなじが、露わとなっていた。


 ほとんど無駄な肉のないその優美な背中には小さな背筋が自然と浮かび上がり、それらが生み出すなめらかな曲線が、すらりと伸びる筋肉質の四肢が、反則的な程に情欲を駆り立てる。


「__ん、どうしたんだい?窓の外を眺めたりなんかして」


 マーリンは知らない。己の美しさを。それに感化されたレテが顔を真っ赤にしていることを。


「いや……そんな気分だったのさ。それより、あまり人前で着替えないほうがいい」


「なんで?」


「なんでって……あんたが女性だからだ。それともこの国には、そう言った貞操観念が存在しないのか?」


 レテの不可思議な挙動に心当たったマーリンは、少し哀しそうに俯いた。その仕草は、何故かある種の諦観を感じさせるものだった。


「あるよ、貞操観念。この国に」


「ならなんで____ッ」


 急にレテの方へと振り向くマーリン。レテは咄嗟に目をつぶろうとするも、その刹那、微かに認識したその姿に目を疑った。


 どの女性よりも優美なその身体には本来有しているべき女性的な特徴、即ち乳房が、僅かなりとも存在しなかったのだ。


「答えは簡単。ボクが性別を持たない魔導人間ホムンクルスだからさ」


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