6、必要かどうか
結局、前回と同じパターンで・・・なし崩しのように。
そのまま、丈治とのつき合いは続いていた。
つき合いが落ち付いてくると体の相性だけではなく、性格の相性もいいことに気がついた。
丈治は元来、世話やきらしい。
私がぼんやりしていると、しょうがねぇなぁ、と言いながら世話をやく表情は嬉々としている。
私は元来のズボラな性格なので、丈治に世話をやいてもらってもありがたい気持ちになるだけで、鬱陶しいとは思わないし。
多分・・・普通、こういう関係は、男女逆の場合が多いいのだろうが。
私達はそれなりにうまくいっていた。
だけど、ある日。
丈治が私に提案をしたことで、私達のバランスが少し崩れ始めた。
それは、早朝かかってきた、国際電話が事の始まりだった。
相変わらずの、早口で。
自分の言いたい事だけを言うと、さっさと電話を終える・・・相変わらずの態度だった。
別に、疎まれているわけでもないが、私が彼にとって必要かどうかは、未だに解けない謎だ。
解けないなら、彼に聞けばいいようなものだが。
でも、もし、『必要ない』と言われたら・・・立ち直れないと思うので、多分聞くということは一生出来ないのかもしれない。
はあ・・・。
ベッドの中で、電話を終えるとつい、ため息が出てしまった。
「今の男、誰だよ?」
私を後ろから抱きしめていた丈治には、彼の声がまる聞こえだったのかもしれない。
不機嫌な声が物語っていた。
「丈治、明後日から10日くらい会えません。それから、うちにも来ないでください。」
「ああっ!?」
私の言葉で、不機嫌な声が。
怒りの声に変った。
ああ、言い方を間違えたかも・・・ぼんやりとそう思っていたら。
体の向きを変えられ。
気がつくと、丈治が私の上に覆いかぶさっていた。
案の定怒った顔だったので、誤解を解こうと思ったのだけれど。
開きかけた口を、ふさがれた―――
丈治に、否応もなく激しく抱かれ、体のあちこちに濃いキスマークを残された。
丈治はぐったりとする私に、一言。
「ここ、引っ越せ。」
わけのわからない事を言い出した。
いや、ここ分譲だし。
「は?」
「だから・・・一緒に住むぞ。行ったり来たりすんのも落ちつかねーし。それに、お前と会えない日は、俺・・・たまんねぇンだよっ。」
いやいやいや。
「無理です。」
きっぱり断ったんだけど・・・ふと、気がついた事がある。
「そういえば、丈治・・・『ネイビーブルー』は、お店はどうしているんですか?」
頻繁に、丈治は私の家に泊まりにきている。
「ああ、何にもない日は店開けてるぞ。まあ、4時で閉めるけどな。だけど、海外へ演奏で出かけるときは店開けねーし。営業日や営業時間が決まってねーのは、今に始まったことじゃねぇから、心配すんな。」
『ネイビーブルー』は、丈治のお祖父さんのお店だったそうだ。
アメリカのメーカーと独自のルートがあって、他では手に入らないジーンズや、ビンテージものがおいてある店で、全国規模でコアなファンがかなりいて、実は結構その道では有名な店らしい。
だから、お祖父さんが亡くなった時に店を出来る時でいいから閉めないでくれと要望があって、時間がある時は店を開けるらしい。
確かに、いい店だ。
そこで、ハッ、ともうひとつ・・・重要な事に気がついた。
「丈治!ここ最近、ずっと私のところに来ていますが、海外の仕事とか入っていないんですか?」
確か、宮本専務が言っていたけれど、丈治は海外で注目されているジャズピアニストだ。
そんな人が、こんなに時間に余裕があるだろうか?
私が、尋ねると、丈治はバツが悪そうに答えた。
「あー、仕事・・・ちょっと、海外は断ってる。」
仕事を断ってはダメだと、強く言った。
「お前、普段は面倒くさがり屋のくせに、仕事になると厳しいのな?」
ムッとする丈治。
だけど、そんなつき合い方は嫌だと言うと、丈治は頭を掻きむしり、仕方がなく頷いた。
それで、父がイギリスから一時帰国で此処へ泊まるという連絡があったから、あさってから10日くらい会えないということも伝えた。
だけど、これには丈治は納得しなくて。
「は?親父さんが帰国すんだろ?じゃあ、俺、挨拶するぞ。」
と、はりきりだした。
だけど、私がその必要はないと言うと、一転して丈治は怒りだした。
「何でだよっ。つき合ってんだから、彼女の親に挨拶すんのが筋だろうがよっ。」
まあ、そうなんだけど。
でも。
「別にいいですから。結婚を考えていないので、挨拶をするとかえってややこしくなるし、本当にやめて下さい。」
ハッキリ言わないと、気持ちが伝わらないと思い、そのままを伝えた。
すると、丈治は・・・物凄く悲しい目をした。
「それは・・・お前の人生に、俺が必要じゃないって、ことか?」
『必要じゃない』って否定されるのが一番怖い私に、そんな事を言えるわけがない。
私は、首を横に振った。
「いえ、ただ・・・私は、誰とも結婚する気はありません。一生独身でいるつもりですから。」
これは、大学1年で決めたこと。
いくら、丈治が悲しい目をしたって、これは。
変えられない。
私が結婚をする気がないと言った事で、その朝はぎくしゃくとして別れた。
そして、私に言われた事で考えた丈治は。
断ったハワイの仕事を、丈治は都合が良くなったと伝えたらぜひ来てくれと言われて急きょハワイへ飛んだ。
丁度、お互いに頭を冷やすのに良い期間なのかもしれない。
そんな風にも思った。
帰国した父親は相変わらずだった。
ただいま、とは言ったけれど。
ろくに私と向き合おうともせず、帰国中に詰まっているスケジュールのため、朝早くでかけ夜遅くまで帰宅しなかった。
父親は有名な脳科学者で、色々な公演やセミナーなどの予定が詰まっていた。
中には、テレビ出演などもあり帰国してからろくに顔もみていなかったのに、テレビ画面を通してまじまじと顔を見る事になるなんてと、皮肉にも思ったりした。
きっと、このままの状態でイギリスに帰るのだろうと思っていたある日。
父親から夜、食事をしようと誘われた。
イギリスに戻る前日だった。
母親も京都から戻ってきて。
久し振りに親子3人での食事だと嬉しくて、少しはしゃいだ気持ちになった。
だけど。
よく使う、グランドヒロセ銀座のフランス料理の店の個室には、宮本専務も現れたのだった。
宮本専務はもともと父親の教え子で。
私が小学生の頃から『明来ゼミナール』へ通っている事を、社長の息子である当時学生だった彼に伝えたところ親しくなり、家族ぐるみの付き合いが続いたのだった。
だけど、そのうち、父親は、イギリスへ、母親は、京都へ・・・。
私の家族がバラバラになってしまった事で、宮本専務との家族ぐるみのつき合いは途切れていたのだが。
私が、『株式会社東條』に就職して、『東條チャイルドアカデミースクール』の講師となったことで、また宮本専務とは仕事上でだが、つき合いが復活したのだった。
で、先日の・・・結婚前提での交際を申し込まれ、断ったけれど。
一体何なんだ。
という顔が、見てとれたのかもしれない。
宮本専務がクスリと笑い、口を開いた。
「俺、諦めないって言ったよね?」
そう言うと、優雅な動作で、私の両親に挨拶をした。
つまり、今日は家族での食事ではなくて、私の両親がもってきた宮本専務との縁談の会食だったのだ。
私に結婚を薦める両親の笑顔に、愕然とした。
私が、一生結婚をしないという理由だって、2人は嫌というほど分かっているはずなのに。
だけど、2人は笑顔のまま、信じられない事を言った。
「今までのつき合いで、彼の家柄や人柄は良くわかっている。綾乃とは本当に合うと、パパは思うんだ。それに、子供のことも心配しなくていい。」
「え?」
「いや、実は。彼には1人、子供がいるんだよ。あ、勿論結婚はしていない。相手の女性とは遊びだったらしいんだが、子供ができてね?認知だけはしてあるそうだ。男の子だから、後継ぎになる。だから、綾乃は子供ができなくても――「すみませんが、これで失礼します。」
もうそれ以上、そんな話は聞きたくなくて立ちあがった。
遊びでつき合った女性に子供が出来たなんて・・・彼の人柄は良くわかっているって、それで良く言えるもんだ。
カバンを掴んで、歩き出そうとした私に、母親が。
「待ちなさい。綾乃、あなた一生結婚しないなんてバカなことをいつまで言っているの?」
そんな言い方ってない。
私は、ここまでこらえていたものがどろりと、心の器から流れ出した。
「そのバカな事の原因は・・・子供ができなくなったのは、誰のせいなんですか?」
私は静かな声で、両親に言い放った。
2人が息を飲んだ。
そりゃあ、そうだ。
今まで一度だって、2人を責めた事はない。
私は、小学校6年生の時に、卵巣の管がねじれる病気になった。
急性のもので、少し朝から腹痛を感じていて、朝食を食べていた両親に訴えたのだがあまり取り合ってもらえなかった。
そして、時間が経過するにつれだんだん痛みは酷くなり・・・。
両親が帰宅するのを待っていたのだが、2人ともその日は仕事だと言って帰らなかった。
電話で話せば腹痛の事を話せたのだが、2人とも留守電に入れていて。
お腹が痛い私はそれを確かめることもできず、帰宅しないとは思わない2人を一晩中待っていた。
そして、卵巣の管は癒着し・・・卵巣の1つを摘出しなければならなくなったのだ。
私は、小学校6年生にして卵巣1つを失い、そして。
医師から、絶望的な言葉を聞いた。
「100パーセントではないが、妊娠はかなり難しいでしょう。」
小学校6年生の子供を留守番電話の伝言だけで1人にするのは、やはり間違いだと思う。
もっと、早く処置していれば、こんなことにならなかったのだ。
やはり、こんな恨みごとばかり言っているっていうのは・・・きっぱりと、あの時結婚しないと決めた決心が、ぐらついているからだと。
一瞬、丈治の顔が浮かんで、そう思った。
「申し訳ありませんが、この結婚のお話はお断りします。私なりに考えて一生独身でいるつもりですから。それから、今日はよそに泊まります。お気をつけて、イギリスと京都にお帰り下さい。」
そう言って、部屋を出た。
目の端に、呆然とした両親の姿が映ったが。
早く1人になりたくて、足を早める。
だけど。
「氷室先生・・・綾乃ちゃんっ!」
宮本専務に追いつかれて、腕をつかまれた。
その感触に違和感を感じ、早く離してほしくて仕方がなく振りかえった。
「どうして、全てを拒絶するのかな?俺はそんなに嫌な男かな?子供がいる事にそんなに抵抗を感じる?別に子供とは一緒に暮らさないよ?十分養育費は払っているから、こちらには手間なことはなにもないし。君のご両親だって、君の事を考えているんだよ?」
私の事を考えているのなら、まず私に向き合ってほしい。
それに、子供の事をそんなに簡単に考えないでほしい。
とても、宮本専務の言う事が素直に聞けなかった。
話し合う余地はない。
「離して下さい。」
「送って行くよ。あ、今日は家に帰らないって言っていたよね?・・・あの、紺野丈治のところ?ああ、でも今ハワイだからいないか・・・じゃあ、俺とどこかへ泊まる?」
「は?」
何を言っているんだこの人は。
信じられない言葉に私が固まっていると。
腕を、ぐいっと引っ張られ、距離が近くなった。
「やめて下さい。」
抵抗しようとした時。
「綾乃ちゃんじゃねーか。」
ぶっきらぼうで艶のある声がした。
ふりかえると。
「浜田さん。」
白髪で、礼服に白いネクタイ。
手にはグランドヒロセの紙袋。
「おう。」
「今日は、タキシードじゃないのですね?」
私の言葉に、浜田は喉の奥でクッ、と笑った。
「他人の結婚式に、タキシードはねぇだろ?」
確かに。
私もクスクス笑う。
「綾乃ちゃん、この人は?」
宮本専務が驚いた表情で、私と浜田を見比べた。
答えようとしたが、先にそれを浜田が遮った。
「縁があってな、娘のようなもんだ。」
ぶっきらぼうだけど、その温かさがつたわってきて、涙がでそうになった。
「綾乃ちゃん、どういう――「帰るなら、送ってく。こういう状況で放っておいたら、クソガキに殺されそうだしな。」
そう言って浜田は、車のキーを私に見せた。
私は、宮本専務の手を外して、失礼しますといって浜田に続いた。
浜田の車は、米国製の大きな車だった。
外車なら、今はスマートなヨーロッパ製が主流なのに、何となく主流でないそれが浜田らしいと思った。
「横須賀へ帰られるんですか?」
「おう、綾乃ちゃんは家どこだ?」
「あ、横浜なんですけど・・・よかったらこのまま横須賀へ連れて行ってもらえませんか?勤務先は鎌倉ですし、グランドヒロセに泊まりますから。」
「・・・いいけどよ。だったら、クソガキの部屋に泊まったらどうだ?鍵あるぞ?アイツだって、その方が安心だろ?」
今の微妙な心境で主が不在とはいえ、あの居心地のいいベッドに入ってしまったら、私はこのまま1人で生きていくという決心がぐらつくかもしれない。
「では、すみません。やっぱり、横浜で降ります。できれば横浜駅の近くで降ろして下さい。」
そう言い直すと、急に車のスピードが上がった。
「・・・残念だな、もう高速に入るからな。横須賀までノンストップだ。」
強引だけど、その行動が何故か温かく感じるのは、丈治と同じだ・・・。
暫く沈黙が続いた。
とその時、私の携帯が鳴った。
着信を見ると、高遠先生からだ。
ため息をつくと、浜田に断って、仕事モードに切り替え電話に出た。
「はい、氷室です。お疲れ様です。」
『すみません、氷室先生。こんな時間に。』
「いえ、大丈夫です。何か、ありました?」
「綾乃ちゃんは、仕事では管理職なのか?」
高遠先生から保護者からのクレームの件で相談があり、対処法を教え電話を切ると、ハンドルを握りながら浜田がそう尋ねてきた。
「はい、春に辞令がでまして、一応役員になりました。」
考えてみると、辞令が出てから4ヶ月が経っていた。
気がつけば7月。
丈治と知り合ってから3ヶ月近く経っていた。
鎌倉校舎の方も、随分と受講者の数が増えた。
それだけ、何か変って改善されたと感じてもらえているのだろうか。
「実際、驚いた。」
「え?」
「いや、綾乃ちゃんのイメージは大体いつも、クソガキに世話焼かれてるっていう感じだしな。こんなに、キビキビとした感じでしゃべるコじゃねーって思ってたからな。しかも役員になる程だから、頭も相当キレるはずだ。いや、今の話でわかったけどよ。」
驚いた様子で話す、浜田。
「そんな、頭がキレるなんて事はないですけど・・・私、仕事はわりと地道にきちんとするんです。それが認められたのだと思いますけど。でも、プライベートになると、もう・・・いい加減なんです。前に突然夜丈治が家に来た時に、マヨネーズをご飯にかけて食べているところ見られて、丈治に物凄く怒られたし。いつも、丈治に『ったく、しょうがねぇなぁ』って言われてます。」
少し、丈治の口真似をして話すと、浜田が喉の奥でクッ、と笑った。
そして。
「こりゃぁ、ダメだ。クソガキが、ほっとけねぇはずだ。」
見事なハンドルさばきと一緒で、何故か浜田のそんな言葉も格好良かった。
私を見る目が、丈治を見るように細められて。
私を大切に思ってくれているのが、何となくわかった。
今の、私には。
この温かさが、ありがたかった。
浜田は私をまた、『TOP OF YOKOSUKA』へ連れていってくれた。
今日は、先日大きな声を出してパンチを入れられていた若いタキシードは、声を発しなかった。
頑張ったようだ。
顔は驚いていたから。
だけど。
頑張ったのに・・・。
「顔が、うるせぇんだよ。」
そう言ってまた、浜田にパンチを入れられていた。
腹を抑え、蹲るタキシードに同情の念を抱きつつ、彼の横をそっと通り過ぎた。
今日はこのホテルで、何か企業のパーティーでもあったのだろうか。
店内はスーツ姿の客で混んでいて、窓側の席は、2つしか空いていなかった。
でも1つは予約席で、窓側の奥の席に通されるかと思ったけれど。
窓側ではなくて、奥のコーナーの席に通された。
まあ、ここは死角になっていて、ゆっくり飲めるいい席だけれど。
オーダーもしないのに、酒とつまみが運ばれて来た。
『常磐』という、辛口の銘酒だ。
値段も張る上、小売店には出回らない珍しい酒だ。
私が、驚いて見ていると。
「日本酒が好きなんだろ?ラウンジバーでポン酒って発想は今までになかったが、改めて考えると、それもアリだなと思ってよ。幾つかいい酒入れてみたんだ。『みのり』の若造に聞いたが、綾乃ちゃん辛口が好きなんだってな?流石にここはラウンジバーだからよ、コップ酒を桝で受けるっつうのはなしな?」
そう言って、浜田がゲラゲラ笑いながら、琉球硝子のぽってりとした、たるグラスに酒を注いだ。
多分『みのり』とは、最初に横須賀に来た日に、丈治が待っていた店だろう。
地元のつながりは、凄いなと改めて感じた。
酒は、私好みでとても旨かった。
だから・・・今日の嫌なことを、これでチャラにしようと。
そう思った。
いくら丈治と私がつき合っているからといっても、私のために好みの酒を仕入れ、出してくれた浜田の優しさに感謝しようと思った。
結局。
私が欲しいものは、こういう事なのだ。
経済力でも、肩書きでも、学歴でもない。
人を思うのなら、その人が喜ぶ事をする。
決して、自分側の枠にはめるのではなく。
人の為を思ってするのなら、相手が何を求めているのか。
丈治の優しさは、いつもそれだ。
強引なようで、苦にならないのは、そういう優しさだからだ。
目の前の浜田を見る。
そう。
やはり親子なのか。
浜田の優しさも、同じだ。
私は、丈治が好きだ。
頭を冷やすには丁度いい、そう思った時間は、返って私の心を燃え上がらせた。
もう一度、夢を見てもいいのだろうか。
「アイツな、俺の事、嫌いなんだよ。」
ずっと黙って飲んでいた空間が、浜田の艶のある低い声で途切れることとなった。
艶のある低い声は、切なさも含んでいた。
アイツとは、丈治の事だろう。
「そうなんですか。」
親子の間では、それぞれの家庭で皆色々あるものだ。
うちだって―――
私が、相槌のような曖昧な言葉を発すると、浜田はフッと微笑んだ。
「綾乃ちゃんも、同じか・・・。」
「え?」
「アイツが、ハワイに行く前、俺にくってかかったんだ。俺がアイツの母親ばかりじゃなく、アイツまで不幸にするのか、って。今までは、ずっと・・・冷めたヤツだと思ってたが。いや、アイツの心を熱くさせんのは、ピアノだけだと思っていたが。」
そこまで一気に話すと、浜田は琉球グラスを煽った。
「ピアノを弾いている丈治は、本当に楽しそうですよね。」
頭の中に、丈治の姿が思い浮かぶ時はいつも、ピアノを弾いている。
「ああ。だけど、ガキの頃からアイツは冷めたヤツだった。まあ、当たり前だがな・・・俺は、アイツの母親とは結婚していないんだ。いわゆる、遊びのつき合いだった。」
浜田は、宮田専務と同じだった。
だけど、あの宮田専務が「子供とは一緒に暮らさない」と言った表情と。
浜田がぶっきらぼうだが、丈治に向ける表情と・・・到底、同じ種類のものとは思えなかった。
だから、聞きたくなった。
浜田と丈治の話を。
「だけど、浜田さんは丈治を大切に思っていますよね?」
私の言葉に浜田は頷いた。
そして。
「俺の、宝だ。」
ぶっきらぼうに、だけど、率直な言葉だった。
アイツには、絶対言うな、と照れた表情も、丈治への愛が感じられた。
それから、浜田の告白は続いた。
浜田にはずっと思い続けている人がいて、若くして亡くなったが、それでも誰も愛することはできないという。
その人とは恋人という関係ではなく、ずっと兄妹の様に育ってきた間柄で。
報われる事はなかった。
その想いを発散させるように、若い頃女性関係が激しかった。
だけど、病弱だった浜田の想い人が、亡くなる前に。
「家族を作れ。孤独とサヨナラしろ。」
と、遺言のように告げた言葉。
浜田は、孤児だった。
その想い人の父親に拾われた。
可愛がってもらったが、やはり心の何処かは孤独で。
想い人が亡くなり、数年して。
当時、言葉は悪いがセフレとしてつき合っていた女が妊娠した。
避妊はしていたが、避妊具に女が操作した。
女は、浜田を愛していた。
結婚できなくても、浜田の子供がほしかった。
それが、丈治の母親だった。
2人は結婚をしなかった。
だけど、浜田は認知をして。
毎月養育費も渡し、必要な時は丈治の面倒もみた。
丈治の母親は次第に、そんな浜田に期待するようになり。
だけど、浜田は誰も愛することはできない。
平行線のまま、時は過ぎ・・・報われない気持ちを抱えた丈治の母親は、次第に酒に溺れて行った。
中学へ入る前から、丈治は家事をしていたという。
母親が何処かの店で酔いつぶれれば、迎えに行く。
そんな、家庭環境だった。
見かねたジーンズショップを営んでいる祖父が、丈治と母親を引き取った。
その時既に、母親は、肝臓を患っていた。
それから、2年も経たないうちに母親は亡くなった。
「多分、アイツは・・・母親の事を好きな分、バカなヤツだと思っていたんだろうな。」
ポツリ、と浜田が呟いた。
人の心は―――
思い通りにならない。
私もよくわかっている。
いくら一方がどれだけ愛していようが、 片方にその気持ちがなければ・・・どんな事をしても満たされない。
傷つくだけだ。
「だから、アイツは・・・女に対して冷めたヤツだったんだが。あの夜、驚いた。眠そうな綾乃ちゃんの手を必死で握ってやがって。下心丸出しのダセェ顔してやがった。」
「・・・・・・。」
「綾乃ちゃんも、親に対してわだかまりがあるんだろ?」
丈治と初めて過ごした夜に思いを馳せていたら、突然、今日は触れて欲しくない所をグニャリと捕まれた。
今更浜田にはかくしだてできるはずがないと観念して、私は頷いた。
浜田がそんな私に、ふっと笑った。
それだけで、何となくささくれだった心が、落ち着いた気持ちになった。
だから、つい。
「浜田さんが、私のパパなら、よかったのですが。」
そんな事を言ってしまった。
だけど、浜田は少し悲しい目を向けて。
「ありがとな、そう言ってくれて。だけどな、俺の娘じゃ、綾乃ちゃんみたいにいいコに育たなかったろうな。」
そんな事を言った。
私は首を横に振った。
「そんな事は――「俺は、前科がある。殺人未遂だ。」
私は、次に言うべき言葉を見つけられなかった。
別に、浜田が怖いとかそういうのじゃなくて。
私の周りには、警察沙汰になった人がいなくて。
だから――
「丈治には、このこともあって、恨まれてる。綾乃ちゃんの家がきちんとした家柄なのに、自分の家は・・・両親は結婚していなくて。親父が前科持ちで、母親がアル中で死んだんだからな。いくら本人が頑張ったって、それはついて回るんだ。」
丈治があの時、『俺のうちはきちんとした家ではない』と言った意味が漸くわかった。
私だけではなかった。
心を自由に出来ない枷を持っているのは。
悲しい目をしたままの浜田を、私は正面から見つめた。
「綺麗事ではなく、私にはそんな事は関係ありません。」
「そうは言っても――「私の両親は、世間でいう立派な人物です。だけど、実際は。私に感心を持っていません。自分達が一番なんです。小学生の時も・・・留守番電話に仕事で帰れない、と昼間連絡を入れたきり、夜も一度も私に連絡さえしてこなくて。運悪く私はその時、卵巣の菅がネジくれる病気になって。一晩誰もいなくて・・・翌日の夜まで…。結局、卵巣が癒着して・・・卵巣を一つ失いました。」
私の告白に、浜田が凍りついた。
「小学6年で、将来妊娠は難しいだろう、と言われました。だから、私が結婚をしないという理由は、丈治の事ではなくて私が原因なのです。」
「綾乃ちゃん・・・。」
今度は、浜田の方が次に言うべき言葉を見つけられなくなったようだ。
「浜田さん、いいです。今の浜田さんの気持ちよくわかります。別に、私に子供が出来ないって知っても、私に同情するとか、ダメな女だとか見下す気持ちなんてないですよね?」
「あたりまえだっ。」
「ふふ。その気持ち、そっくりそのまま、さっきの私の気持ちですから。」
「あ?」
キョトンとした、浜田の表情。
いつもはワイルドな感じなのに、時折こんな可愛い表情をみせる。
ここも、丈治とそっくりだ。
「私も、さっき、浜田さんが前科持ちだって聞いた時、同じ気持ちだったと思います。」
私がそう言うや否や、浜田は堪らないという顔をして、深くため息をついた。
そして。
「綾乃ちゃん、いい女だな。あのクソガキにゃ、もったいないな。マジで。」
ニヤリ、と笑う。
「そうですか?ありがとうございます。でも、私の家事能力はドン引きするほど、低いらしいですよ?」
私がそう言うと、浜田は弾けるように笑った。
「ハハハッ・・・そうだな、マヨネーズで飯だもんなー、ククッ・・・。」
「・・・褒めてませんよね?」
「・・・いや、俺が口説きてぇって思うほどだ。綾乃ちゃんなら、俺はマジになるぞ?」
完全な冗談に、少しムッとしながら浜田を睨む。
すると、その時。
「何だ?浜田がそんな優しい口調で、甘い事を言ってるの初めてきいたぞー。」
突然、乱入してきた遠慮とデリカシーのない声。
振り替えると。
「「あ。」」
横浜のパブで丈治にヤジを飛ばしていた、ゴツい顔のおじ様。
浜田が舌打ちをした。
物凄く不機嫌な顔で。
「あれぇ、もしかしてー、親子どんぶりぃ!?」
このおじ様。
ないのは、遠慮とデリカシーばかりじゃなかった。
品もない。
私は、立ち上がった。
「綾乃ちゃん?」
「今日は色々お話ができてよかったです。この先は今晩ゆっくり考えます。」
「どうする?ここ、部屋とるか?」
心配して、浜田が言ってくれた。
だけど。
「えー、ホテルの部屋とるって、ヤラシー。丈治がスゲーこのコにベタ惚れだったからー、浜田ー、バレたら血の雨だぞー。」
一体、何なんだ。
あきれ返って、ゴツい顔のおじ様を見るのと同時に、浜田がおじ様にケリをいれていた。
呻いて蹲るおじ様に、同情心もわかず。
浜田に丈治の家に泊まると、私のキーホルダーに知らないうちにつけられた丈治の部屋の合鍵を見せた。
浜田は嬉しそうに頷くと、送っていくと言って、蹲るおじ様にもう一度ケリをいれた。
もう。
心の枷を外して、丈治に正面から向き合っても、丈治なら、受け止めてくれるかもしれない。
そう、信じることができた。
主と同じ居心地のいいベッドは。
私を優しく包んでくれる。
丈治ときちんと将来を考えて話そう。
眠りに落ちる前。
「アイツには、綾乃ちゃんが必要だ。」
浜田のよく響く声が、もう一度耳元で聞こえた気がした。