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2、宅配便

「・・・・ですから、小学校受験は専任講師による徹底した指導と、ご家庭との連携が大切なのです。私ども、東條チャイルドアカデミースクールでは志望校の合格に向け、独自のカリキュラムを用いて、お子様お1人お1人の個性を大切にしつつ、学ぶ楽しさをお教えします。しかし、いくらここでご指導をさせて頂いても、お子様の健康が一番の源です。それには、それぞれのご家庭での規則正しい生活が重要となります。そして、食育の面でも気をつけて頂きたいと思います。特に赤、緑、黄色の食物についてのお約束を――」


保護者の真剣な視線を浴びて、私は来年度の受験対策としての講習を続ける。

子供達は現在、受講中だ。


私は、私生活においてはかなりのズボラだが、仕事面ではそれなりに評価されていて。

ひと月前、東條チャイルドアカデミースクールを経営する『株式会社東條』において、創業67年初の女性、また30歳という最年少で異例の取締役となった。


一応、巷ではカリスマ講師と呼ばれている。

まぁ、自分で『カリスマ講師』とかいうのも、どうかと思うけれど。

でも、実際私の受け持ったクラスの子供は皆、ありがたいことに希望の小学校へ合格していて、2年くらい前から、そんな風に言われるようになった。


私が勤める、この『東條チャイルドアカデミースクール』は、関東でも有名な大手小学校お受験用塾だ。

創業時は学習教材を作ることが主だったが、その教材の評判がよく、その教材を使って学習塾を作り、時代の波にのり規模を大きくしてきた老舗の塾だ。

現在も学習教材は幅広く使われており、売り上げで得る収益も大きい。


本校は文京区にあり、その他都内に3校、横浜に1校、鎌倉に1校ある。


昨年度の鎌倉の合格率が思わしくなかった事で、取締役に就任した途端合格率を上げるべく、鎌倉校の校長の辞令が出た。

鎌倉近辺には私立の小学校が割とあり、鎌倉校はかなり大きい。


つまり、講師もかなりの人数で・・・今までは子供と向き合っていればよかったのだが、講師を指導する立場にもなったわけで。




「氷室先生。ちょっとお話をうかがいたいのですが。」


受験対策の特別講習会、子供達の講習会も終わった。


笑顔で丁寧に子供達1人ずつによく頑張ったね、と声をかけ送り出すなか、そんな声がかかった。

上品できらびやかな、巻き髪の女性。


えーと、確か。


「北村祐樹君のお母様、本日はありがとうございました。どうされました?」


保護者の相談事は頻繁にある。

それがどんな小さな事でも、当人にとっては大切な事で。

それにしっかり向き合って一緒に考えて行く事から、保護者との信頼関係が生まれ、結果子供の合格につながるのだ。

それは細かいことではあるが、とても重要な事だと思っている。

結局、この鎌倉校の合格率が低いのも、子供達や保護者達との信頼関係が結ばれていないからだと私は思う。

信頼関係が結ばれていれば、こちらの方針に沿って進んでくれる。

でも、信頼を得ていない場合は保護者が不安になり、こちらの方針に沿ってくれないばかりか、独自で他の方法に手を出す。

結果、二兎追うものは一兎も得ず・・・で、中途半端になり実力がつかない。

そして、不合格。


不合格という事は、勿論塾側にとって合格率が落ちるということなのだが、それは単に実績のこと。

それよりも、不合格になった子供は、とても傷つく。

もしかしたら、心の傷として残ってしまうかもしれない。


企業人としては会社の利益を優先すべきなのだが、私は人間を扱う仕事だ。

だから、子供に心の傷を残させたくない、合格した時の子供の笑顔が見たいという気持ちを持って、常に仕事をしている。


それが、結果として合格につながってきているわけなのだが。


まあ、鎌倉校に来てみてそれを再確認し、校内の意識を一気に改善しないといけないという結論に達したのだが。





今日は土曜日で、通常授業がない日であるが、来年度の受験対策講習会が行われ、その後鎌倉校の講師とミーティングがあり、結局帰宅のため校舎を出たのは17時を回っていた。


横浜の私の住んでいる街の最寄りの駅に着き、夕食をどうするかと考えたが面倒で、一度家に帰り着替えて近くの牛丼屋で食べるといういつものパターンに決めた。


講習会で、保護者に赤・緑・黄色の法則を話したばかりなのに、なんて酷い食生活だと自分で突っ込みを入れる。


それから、酒を切らせていたと思い出し、行きつけの酒屋へ寄る。

日本酒は、瓶を捨てるのが面倒なので、家ではもっぱら紙パックの焼酎を飲む。

お気に入りの銘柄5パックをかごに入れ、つまみも適当に入れる。

かなり重いがこれで、しばらく酒を買いに行かなくても済む。

まあ、駅から5分程のマンションなので重くてもすぐ着くが。


明日は休みなので、1日家でのんびりゴロゴロしよう。

そう考えると、早く家に帰りたくなり、家路を急いだ。





マンションの前に、珍しく車が停まっていた。

黒のSUV車だ。

外車かな、結構大きい。

横目で見ながら、そんな事を何となく考えマンションのエントランスへ入ろうとしたのだけれど、突然ドアが開いて。


「綾乃。」


夕闇の中、低音で響く声が聞こえた。


げ・・・・『ネイビーブルー』の店主じゃないか。

あの日、ホテルに私を送り、文字通り送りオオカミになった男。


「な、なんで・・・・?」


「何で?宅配サービスしとく、つったろ?」


男の言葉にハッとした。

そうだ。

あの荷物、まだ届いていなかった!


「あ・・・。」


「クッ・・・その顔は、すっかり忘れてたろ?」


「う・・・。」


「図星だな?・・・ったく。まあ、いい。特別サービスだ。部屋に運んでやる。」


げげっ、またっ、送りオオカミになる気か!?


「いい、いいですっ。自分で運びますっ。」


「・・・お前、そんな重そうな荷物持って、運べんのか?」


男の視線をたどると、私の手には5本の焼酎2リットルパックが入った、白いビニール袋。

中身は見えなくても、ずっしりと重い雰囲気は外からでもわかる。

確かに、これは無理だ。


「・・・・・・・・・。」


仕方がなく、運んでもらうことにした。


でもっ、今日は部屋の前まで!

そう、心に誓った。


誓った。

誓ったんだ、けれど。

あえなく・・・・同じ手口で、男は部屋に押し入った。


だけど、今日はキスをしなかった。


とりあえず玄関の上がり口に焼酎の入った袋を置き、ダンボールを受け取ろうと男に手を伸ばした。

だけど、あっさりスルーされ。


「夕飯食ったか?」


全然関係のない事を聞かれた。


「いや、まだですけど?」


「そうか、俺もまだだ。」


「・・・・・・。」


えっと・・・だから?


「わざわざ、荷物届けたんだぞ?」


「・・・でも買ってから、凄く日数たっていますよね?」


「・・・・・日にち指定しなかっただろ?」


ああいや、こう言う・・・一体、この男、何者だ!?


あ、あれ?

そんなことより・・・。


「それより・・・車、いいんですか?あんなところに置いておくと駐車違反取られますよ?」


私がそう言った途端、ダンボールが玄関の上がり口に投げられた。

そして、男が唖然とする私の手を取った。

家の鍵も奪う。


「飯、食いに行くぞ。」


何故か、ご飯を食べに行く事になったらしい。

本当に、こんな強引な人、私の周りにはいないタイプだ。

半ばあきれながらも、私生活では面倒くさがり屋の私には、凄く楽な男だと思った。






男は、横浜に詳しいらしく。

イイ感じの和食の店に連れて行かれた。

各テーブルが個室の造りになっている。


「ほんとは、洒落たイタリアンとか行きたいとか考えたか?」


「いや、どっちかって言うと、日本酒とか焼酎がいいので、こういったお店の方が好みですけど?」


「ふっ、ほんとお前おもしれーな。女なのに、ちょっとはこう・・・自分を洒落て見せるとかねーのかよ?」


「そりゃぁ、必要であればそう見せますけど。今、それ、必要ですか?既に、何かバレているし。」


お酒のメニューをガン見しながらそう答えると、ゲラゲラと笑われた。


「そうだよな、まぁ、お互い隅々まで知った仲だしなー。」


意味深な事を言われた。


「別に、隅々まで知ったとかは思いませんけど。現に、私はあなたの名前すら知りませんから。」


私がそう言うと、男は笑顔になった。


「やっと、俺の名前を聞く気になったか?」


「いや、別に。ご飯を食べるだけなので、聞く必要はないかもしれません。」


なぜ、そんな可愛くない事をいったのか・・・。

男があまりにも嬉しそうな笑顔を向けてきたからかもしれない。


私のその言葉で、途端に男は不機嫌になった。


「お前なぁ、今日、このまま帰すわ――「失礼します。」


いいタイミングで、店員が注文を取りに来た。

さすがに、男は黙った。


と、その時。


「あ、氷室先生じゃないですかっ。ご無沙汰しています!!」


声をかけてきたのは、他の店員に案内され私達の部屋の前を通りかかった、スーツの男性客の団体のうちの1人だった。


店員がお絞りとお通しを持ってきて、障子を開けてから閉めるまで間があったから、私が見えたのだ。


あ。


私は、背筋を伸ばして声をかけてきた男性に向き直った。

口角を上げる。


「瑞貴君のお父様、ご無沙汰しております。瑞貴君は、お元気ですか?」


瑞貴君とは一昨年の私が受け持ったクラスの子で、見事難関の志望校に合格した男の子だ。


「はい、おかげさまで、頑張って楽しく学校に通っています。」


「そうですか。良かった。瑞貴君なら頑張り屋さんですから、櫻倫小学校でも楽しく通えると思っていました。」


「いえいえ、氷室先生のおかげです。氷室先生と出会わなかったら今はなかったと、家内とも話しているんです。本当にありがとうございました。」


「とんでもない、お父様とお母様の献身的なご協力のもと瑞貴君が頑張った結果です。」


瑞貴君が、偏差値の高い学校でも楽しく通っていると聞いて、嬉しくなった。

人一倍素直で頑張り屋の瑞貴君の顔が思い出され、自然と笑顔になる。


「あ、そう言えば、氷室先生取締役にご昇格されたそうですね、おめでとうございます。最年少で初の女性役員とか・・・さすがですね。今、横浜校と田園調布校にはいらっしゃらないそうで?」


保護者の間の情報網は早い。


「ありがとうございます。昇格と同時に、鎌倉校に辞令が出ました。」


「ああ、そうなんですか。でも、あちらでも私立小学校は多いし、先生のカリスマぶりを発揮できますね。」


お世辞に、いえいえと首をふると、正面の男が待ちくたびれたように話の腰を折った。


「綾乃。勝手に注文するぞ?」


チッ、と舌打ちしたくなった。

実際にはしないけれど。


「あ、氷室先生・・・お食事中でしたね、失礼しました。」


途端に瑞貴君の父親が、意気消沈した。


仕方がないので、笑顔で私は新しい名刺を差し出し、言葉をつづけた。


「いえ、かまいません。瑞貴君のお話をうかがえましたから。今年の年賀状のスキーの楽しそうなお写真を拝見して、お元気なんだなって思っていましたけど。お父様からこうしてお話をうかがえて、嬉しかったです。また、何かありましたら、お電話下さい。私でよろしければお話を伺いますから。瑞貴君、奥様にもよろしくお伝えください。」







「・・・びっくりだ。」


ノンアルコールビールをあおりながら、男がクスクスと笑い。


「何がですか。」


「今、何かが乗りうつったのか?」


失礼な事を言った。


「仕事なので。普段通りのズボラ女じゃ、仕事できませんから。」


「幼稚園の先生か何かか?」


「塾の講師です。」


「へぇ。最年少で女性初の取締役って、スゲーな。まぁ、今のそつのない対応を見ていたらわかる気がするけどよ・・・でも、素と随分違うじゃねーか?」


言いたい事はわかるけど。


「いいじゃないですか。仕事で頑張っているんだから。プライベートぐらい好きにしたって。誰にも迷惑はかけていないですし。」


私がそう言うと男は確かにと言ってゲラゲラ笑い、名刺を差し出した。


「え?」


意味がわからなくて、戸惑う。


「名刺交換だよ。社会人の基本だろ?」


「・・・・・。」


えーと。


戸惑っていたら、さっき瑞貴君の父親に名刺を渡す時に出した名刺入れを勝手に開けられ、1枚抜き取られた。


す、素早い。


代わりに押し付けられるように渡された名刺は。




紺野 丈治

JOJI KONNO




名前だけの印刷。

そして、裏面には住所と、携帯電話の番号。


こういうのを名刺っていうのだろうか。

何の所属先も、肩書もない。

不思議な、名刺だ。


でも、紙とか印刷が凄く洒落ている。

まあ、何となくこの男らしい名刺だ。


とりあえず、名前を知った。

だから。


「紺野さん。」


呼んでみた。

だけど、それは彼を不機嫌にさせた。


「却下。」


「え?」


「だから、紺野はダメだ。」


「は?」


「丈治って呼べ。」


えーと、それって完全に。

命令?






料理は良かった。

この店は、素材がよく野菜も豊富で、赤、緑、黄色の法則も今日は守れたので満足ではあったが・・・なんせ、丈治が。


いや、いきなり名前呼び捨てっていうのも抵抗があるのだが、頑としてそれ以外の呼び名を受け入れないと言い張って。

別に受け入れないなら受け入れないでいいのだけれど。

面倒で、とりあえず食事をする間だけのことだろうと、言う通りにした。


で、なんせ丈治が、に戻るわけだけれど。

今日は車なので、酒を飲まない。

酒のみとしては、相手が酒を飲まないとつまらない。

結局私も、酒を1杯で止めた。



で。

何故か。


勝手に、私の家の鍵を開けて、堂々と中へ入っていく丈治。


「はい、今日はごちそうさまでした。買い物したものも運んで頂いて、お世話になりました。では、おやすみなさい。」


下手に出て、帰らざるを得ないような言い方をした。

一応、ドアノブをもって、ドアを開けたままをキープしている。

早く帰れ!と、全身全霊で念を送る。


だけど。


「どういたしまして。」


丈治はそう言って靴を脱ぎ、部屋に上がり込んだ。

玄関に投げ捨てた、ダンボールをひろい奥へ入っていく。

何故か、片手にボストンバックとスーツの入ったらしいカバーケースを抱えている。


え。

何だ?


嫌な予感がしたので。


「ちょっとーーーー!!!」


叫んでみた。

すると、叫び効果があったらしく、丈治が玄関へ引き返してきた。

ホッとしたのもつかの間。


丈治は出て行くのではなく、私が玄関に置いた買い物袋を手に取った。

中をのぞいて、ゲラゲラ笑っている。


「お前、どんだけ酒好きなんだよっ・・・ククッ・・・しかも、瓶捨てるの面倒だから、紙パックって、分かりやすすぎだろー・・・ハハハッ・・・。」


笑うだけ、笑うと。

丈治は、買い物袋を手にまた奥へ戻って行った。


で、何故か。

そのまま、飲みになって。

丈治は、そのまま私の部屋に泊まって。


そのまま、また・・・オオカミになった。







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