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1、潮の香り

電車の揺れっていうものは、どうしてこんなに気持ちがいいのだろうか。

疲労困憊した体と心をいともたやすく、深い眠りへと誘う・・・。



つまりは――

寝過したのだけれども。



隣に座っていた人が鼻炎なのだろうか、いきなり大きなくしゃみをしたことで目が覚めた。


あれ・・・?

何か、見慣れない窓の外の風景。


品川駅を出たのが17時だったが、時計を見ると18時を回っていた。


え。


丁度その時、次の駅のアナウンスが流れ呆然とした。


横須賀・・・って。

うそ!?

横浜で降りるはずが、すごい所まで乗り過ごしたっ!



引き返すため、私は慌てて横須賀駅で下車した。

上りに乗り替えようと、次の電車が来る時刻を見ようとしたが、不意に。

潮の香りが鼻をついた。


何となく、それで。


ふっ、と―――


緊張がゆるんだ。





大企業ではないが業界では大手といえる勤務先で、この春から取締役に就任した。

それと同時に、私を取り巻く環境が随分と変った。


傍から見れば、30歳で最年少の役員になり。

責任のある仕事を任されて充実した毎日を送っていると見えるのだろうか。


ふと、宮田専務の顔が浮かんだ。

宮田専務だって、皆があこがれる素敵な男性だ。

先日、結婚を前提に交際を申し込まれた。


本当に、申し分のない人・・・なのだけれど――

だけど・・・私は。




肩が異常に凝っていることに気がついた。

ホームに立つ、ヒールの足もだるい。

此処から、横浜に帰るのさえ億劫になった。

そして極めつけに、お腹が、ぐう、と鳴った。


駅の向こうには繁華街が見える。

そして、大きなホテル。

明日は、日曜日で休みだという事を思い出した。



たまには、いいか――


ふと、そんな気持ちになり。

私は乗り越し運賃の清算をして、改札を出た。




やはり軍港だからか、外国人が多い。

日が落ちて、食事や飲みに出かける人達の中にも外国人が目立つ。


潮の香りが増して、私はまるで別世界に入り込んだような錯覚さえ覚える。


だけど、ヒールの足のだるさは現実で、身にまとっているスーツでさえ、疎ましくなった。

いや、疎ましいのは。

私の現実、だ――




ふと、看板が目に入った。


『ネイビーブルー』


かなり年季の入った看板と、店構え。

ジーンズショップだ。


丁度いい、スーツをジーンズに変えよう。

靴も簡単なものなら、売っているだろう。


そう思って、店に向かい歩き出した。

しかしその時、店から出てきた男が、『OPEN』の看板を『CLOSE』に変えてしまった。


「あ!」


思わず声が出てしまい、その男がこちらを振り返った。


何故か、一瞬。

その瞳に、射られたように、体が震えた。


深い、闇が広がるような・・・そんな瞳、だった。




「もしかして、お客さんか?」


良く響く、低音の声。


何故か、じっと私を見つめている。


「あ・・・遅い時間に申し訳ありませんが、買い物・・・まだよろしいですか?」


申し訳ないけれど、出来るのならば楽な服装に着替えたい。

こんなだるい足で、他の店を探すのはできれば避けたい。


いや、面倒くさい。


男は頷くと、私を招き入れるようにドアを空けた。


「今日はお客さんが全然来ないんで、早めに店じまいしようかと思っただけだ。」


私はその言葉にホッとして、店に入った。



ああ、古いけれど、センスのいい店だと思った。

見ればこの男も、さりげないけれど格好よくジーンズをはきこなしている。


年の頃は30歳くらいだろうか。

私と、ほぼ同年代。


長めの髪。

切れ長の目。

とおった鼻すじ。

大きくて口角の上がった、けれど引き締まった口元。

背が高く、がっしりとした骨格。

太い血管が浮き出た、ゴツゴツとした大きな手。


私の周りにはいないタイプの男だ。

そう思うと、何となく居心地が悪くなり、適当にジーンズとシャツを選んだ。


だけど。



「これ、着てみて。」


「え?」


目の前に出された白のジーンズと、シャーベットピンクのシャツ。

いやいや、ピンクなんて着ないし。


驚いて、目の前の男を見上げると。


「あんた、適当に選んだだろ?絶対こっちの方が似合うから。着てみろ。」


まるで押しつけるように、私に選んだ服を渡すと、私を試着室へと押し込んだ。


ますます居心地が悪くなり、私は早く店を出たい一心で、仕方がなく着替え始めた。





ボタンをはめると、ジーンズのサイズがピッタリな事に驚いた。


「着替えたか?」


返事をする前に、カーテンが開けられた。


ちょ、ちょっとー。


着替え終わっていたからいいけど、確認もしないで開けるなんて酷い!

文句を言ってやろうと、口を開きかけたけれど。



「おぉ、似合うじゃねぇか。」


なんて、屈託のない笑顔で言うから、文句も言えなくなった。


はあ・・・まあ、いいか。

サイズも丁度いいし。

ジーンズのシルエットも凄く綺麗だ


「足なげぇな。裾直さなくてもいいな、これなら。」


168センチと女にしては高い身長の上、私は人より手足が長い。

まあ、こういう時に面倒がなくて便利だけれども。


「あー、じゃあ。これ頂きます。このまま着て行きたいんですが。それから、ジーンズとシャツ、これと色違いってありますか?」


私がそう尋ねると、ジーンズはブラックとブルーを、シャツはシャーベットブルーと白と黒を持ってきた。


全部もらうと言うと、驚いた顔をした。


「いや、違うデザインもあるぞ?」


「もういいです、サイズもピッタリですし。」


適当にそう答えると、コーナーに置いてあるカゴに特価品で、ビーチサンダルが売っていた。

丁度いいと思い、それに履き替えると言うと、あからさまに嫌な顔をされ、頼んでもいないのに白のフラットシューズを持ってきた。


まあ、相手も商売だ。


仕方がなく、シューズに足を入れたが、物凄く楽ではきやすかった。


「あ、これも色違いがあれば、頂けますか?」


そう言ったら、何故か爆笑された。

意味が分からず戸惑っていると。


「ククッ・・・・アンタさ、スゲー面倒くさがり屋だろ?・・・ハハハハハッ。」


大変失礼な事を言われたので、スルー。


そうしたら、ますます笑われた。


結構な数を購入し、脱いだスーツもある事だからと、自宅へ配送してもらうことにした。

送り状を書く私に。


「家には留守番がいるのか?いないのなら携帯番号を書いておいた方が、手間じゃねーぞ?」


男は随分手際が良く手慣れていて、的確なアドバイスをしてくれた。


楽な格好になり、ほっとするとお腹がすいている事を思い出し、ついでだと思い近場で和食の適当な店があるか聞いてみた。


このところ忙しくて、野菜があまりとれていない。

赤緑黄色の法則が守られていない事が気になる。


すると男は、ぶっきらぼうな口調ではあるが、丁寧におすすめの店の道順を教えてくれた。


色々と強引な印象ではあったが代金を払う際宅配代をサービスされたこともあり、案外親切なんだと入店時とは印象が変わり、気分よく店を出た。





お腹は減っていたが先に今夜の宿の確保と思い、コンビニで買い物をした後、駅から見えたホテルへ向かった。


『グランドヒロセ横須賀』


グランドヒロセは世界的にも有名な一流のホテルだ。

確か、鎌倉にもあったけれど。


土曜日で混んではいたが、なんとか部屋は取れた。

その代わりシングルがなく、デラックスダブルのシングルユースになったが。


宅急便には入れなかった、仕事の資料が入ったカバンをソファーに放り出すと、鬱陶しくなった化粧を落とした。


顔のサイズに対して目が大きすぎる私は、童顔だ。

その上、フレンチショートに素ッピンとなると、実年齢より幼く見られるので、普段なら絶対にしないのだけれど。


まぁ、別に知っている人がいる街ではないし。


お腹の悲鳴にせかされるように、私は化粧水をつけるとそのまま教えてもらった和食の店へと急いだ。






その店は、おふくろの味といった雰囲気の、小料理屋だった。


「いらっしゃい。」


でも、おふくろらしき人はいなくて。

いるのは、小粋な板前さんとアシスタントとういう感じの若い男の子。


板前さんはかなり、イイ男。

アシスタント君も、可愛い。

ふふ。


ちょっと、テンションが上がった。


だけど。


「おー、綾乃ちゃん。遅かったなー。」


そう言ってカウンターの奥の席に座っていた男が、こちらを振り返った。


って、え?


振り返ったのは、さっきのジーンズショップの男。


えーと・・・何故、私の名前を知っているんだ?

あ、宅配便の伝票だ!

個人情報を・・・。


「あの、どうしてここに?」


約束なんてしていないし、意味がわからないので聞いてみたら、今説明するからまず席に座れと言われ、仕方がなく横に座った。

しかし、理由も知りたいが、とにかくお腹がすいているので私はまずメニューを開いた。


その私の様子を見て、男はキョトンとした。


「なんだ、説明しなくていいのか?」


「いや、まずお腹がすいているので、とりあえず食べます。説明はあとでいいです。」


そういうと、私は冷酒とカウンターに並んでいる大皿料理をいくつか頼んだ。

その様子に男は、ゲラゲラと笑った。

何がおかしいのかわからないけれど、面倒なのでスルーした。


すぐに、お洒落で繊細な冷酒用のガラスの徳利と、小ぶりでおそろいのグラスが出された。

しまった、と思いながらも黙っていた。

隣の男がさりげなく酒を注いでくれた。

仕方がないので、一杯いかがですかと勧めると嬉しそうに板前にグラスをを頼んだ。


酒は案の定、甘口だった。

多くの若い女性ならば、好むような軽い口当たりだ。

私は、結構なピッチで飲んだ。

その様子に、隣の男は目を丸くしている。

男がグラスを空けたところに、私はこれ幸いとまた酒を注いで、徳利は空になった。


「あ、もう一本頼むか?」


そう言った隣の男に素早く板前が頷いたので、私は慌てて口を開いた。


「すみません!今のお酒じゃなくて・・・えーと、『定盛』とかってありますか?」


『定盛』は、一般的な辛口の酒だ。

私は辛口を好む。


その嗜好を今の言葉で理解したのか、今度は板前が慌てた様子で。


「あっ・・・もしかして、甘口はお好みじゃなかったですか?こりゃぁ、申し訳ありません。お好みも聞かないで勝手に出してしまって。」


板前が申し訳なさそうな顔をした。


「いえ、私がきちんと好みをお伝えしなかったからです。それから希望を申しますと、辛口の冷で徳利ではなく、コップで頂けますか?受けるのは皿でも、桝でもかまいませんから。」


私がそう言うと、板前は固まり、隣の男はカウンターを叩いて爆笑した。






異常な喉の渇きで、目が覚めた。


とにかく、体がだるい。

そして感じる、違和感・・・。


と、とりあえず、頭を整理しよう。

まず、ここは・・・知らない部屋だ。

で、知らないベッド。

で、まったく知らない・・・けれど。

何故か、私は裸で。


で・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何故か、腕枕をされていて。

えーと。

まあ・・・・・・・・・・・・。

状況的に見て、一夜の過ちってやつ・・・・だろうな。



「はあ。」


今更、途方に暮れたって仕方がない。

ヤっちゃったもんは、ヤっちゃったんだし。

とりあえず帰る用意をしようと、もう一度ため息をついて起き上がろうとした・・・・のだけれど。


腕枕をしていた腕が私の肩をつかんだ。


え?


グイと引っ張られて、厚い胸板に抱き寄せられた。


ああっ!

ジーンズショップの男だ!!


「まだ、夜中の2時だぞ?どこ行くんだよ?」


良く響く低音の声は、耳元でささやかれるとゾクリとした。


「いや、ホテル・・・とってありますし。荷物も置いてあって。あ、それよりも、ホテル、デラックスダブルのいい部屋しかなかったので、結構高くて・・・使わないなんてもったいないですし。」


とりあえず、ここから出る理由を思いついた順番で並べてみた。

何か言い返されるかと思ったけれど。


「そうか。じゃあ、こんな時間だし送る。」


と、あっさり男はベッドから出て服を着だした。

唖然としながらも、酔って店で眠くなってしまった記憶がうっすらと、頭に浮かんだ。



男の家は、『ネイビーブルー』からすぐ近くのかなり古いけれど、味のある洒落たマンションの最上階だった。

思ったより、リッチな生活が垣間見えた。

リビングには、イイ感じで古ぼけたアップライトのピアノがあった。

気になったが、眠いのと早くホテルに戻りたいのとで口を開かず、男の家を出た。



マンションが『ネイビーブルー』から近いってことは、『グランドヒロセ横須賀』からも近いということで。

本当なら送ってもらう距離でもないのだけれど、時間が時間なのでお願いすることにした。


喉が渇いて、途中コンビニに立ちよる。

飲み物を選んでレジへ行こうとするとボトルを奪われ、会計をしてくるから待ってろと言われた。


睡魔が襲ってきて、あまり考える事もなくそのまま言う通りにした。

彼も何か買うらしく、手に何かの箱を持っているのがチラリと見えたが。

戻ってきた男に、眠そうだなと言われ手を引かれ、朦朧としながらホテルへ向かった。



ホテルに着くとそのままエレベーターホールに引っ張られて行き、男は上りのボタンを押し、カードキーを出せと言った。

眠くて、素直に渡す。


しばらくすると。


チン、とエレベーター到着の音がして、扉が開いた。


中からは、蝶ネクタイをほどいてシャツのボタンを3つ外した、タキシード姿の長身の白髪の男性が、気怠そうに降りてきた。


一瞬、何故か私をじっと見つめ。

そして、私の手を握っている男に、いきなり話しかけた。


「珍しいことしてんじゃねーか。クソガキ。」


ニヤリと嗤う。


手を握っている男は。


「うるせぇ。」


無表情でそう返すと、私の手を引っ張りエレベーターに乗りこんだ。


知り合いなのだろうか。

しかし、タキシードの男性も背が高かった。

この男と同じくらいの身長だろうか。


そう考えたのだけれど、睡魔がおそってそれ以上の思考が止まった。



エレベーターを降り、部屋のドアが見えるとホッとした。


男はカードキーを差し込んで、ドアまで空けてくれた。

強引でぶっきらぼうな印象があるが、実はとても親切な人だった。

眠かったので、ここまで結局送ってもらって本当に助かったと素直に感謝した。


だから、お礼を言おうと。


「送って頂いて、ありがとうございました。夜中だったのでたすか――!!??」


したのだけれど―――


男はいきなり、私の腕を掴んで部屋に押し入った。


そして――




私の唇を簡単に奪った。




何故か、潮の香りがした。





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