独善
優しい人へ
幼稚舎の年長のころ、私には叔父がいた。正確に言うと、父の兄にあたる人物が父方の祖父母の家にいた。
とはいえ、たまに家の外で見かけるくらいにしか面識がなく、当時の私には肉親といった近しいものという認識はなかった。
ある日のこと、弟とともにその叔父の部屋に案内された。
雑多におかれたビデオテープ、積まれたジャンク、正面にビデオデッキとテレビ、それらに囲まれた小さなスペースに弟とともに座った。
そこで、古めかしい白黒かカラーかは忘れてしまったが、古めかしいアニメを見た。
30分か1時間か、どれくらいの時間かはわからないし覚えていないが小さな上映会が終わった後、家に帰って眠った。
その数日後に、叔父は亡くなった。
理解というかなんというか、もう会えないということは漠然と理解できた。
身近にいた人だが、別に身近な人ではなかった。
だから、亡くなったことを聞いた時、そして、祖父が自室で一人通夜をしていたのを見てもそういうものなのだという認識しかなかった。
そう、なにも感じることなどなかったはずなのに。
葬儀が済み、一段落したところで、祖母がこんな話をした。
曰く、叔父が死ぬ前日に自分にいままでお世話になったと言った。
それを聞いた時、なんというか感銘を受けた。
死は受け入れることができる。
後日、叔父が夢枕に立ったという話を聞いた。
僕は、死後の世界を信じた。
小学4年のころ、祖母が亡くなった。涙を流せなかった自分を恥もしたが、死は自然な物であり、死後もまた続く。ありようがかわっただけだ。そう思うと気が楽になった。
中学生くらいになると、自分が持っていた内向的な部分が表面化し、小説にのめりこむようになった。ファンタジーであったり恋愛であったり様々な物にのめりこんでいたが、その時間を邪魔する現実の世界が煩わしくなっていった。
そうなると、物言わぬ墓石こそが好ましく思えた。亡き者に好きなだけ世話を焼き、向こうからは何の注文もなくただあるだけ。
それに仕えるだけ仕え、祖霊のためと言いながら、自己の満足に浸ることができる。なんて素晴らしいのだろう。早くみんな死んでしまえば好きなだけ愛せるというのに。
今さらながら、薄暗くなんと浅はかな考えなのだろう、しかし当時の僕にとってはひどく魅力的な考えであった。
死を悼めぬというと気違い扱いされたことを、いまだに覚えている。
見守っているのなら、そばにいるのだろう。どこに悲しむ意味がある。