疲れる
明日が楽しみな皆様へ
カーテンの隙間から覗く黒が段々と青くなっていくのを毎日見ている気がする。
大体朝の4時から6時くらいかな、そうなるとその日の予定が頭に浮かぶ、すると、もうダメだ。
胃袋が痙攣しているような引きつけを脇腹から感じる、喉の奥から苦いものがせり上がる、鼻が詰まったように息苦しくなる、鼻をかむと赤黒い色がちり紙を染める。
どうか時間よ止まってくれと慟哭するが、白む空は止められない。
嫌だ嫌だと、布団を叩きこのまま全て終わればいいのにと考える。
けれど、ここでいくら嘆こうと時間は止まらない。
ただ、普通に生きたいのにそのための条件が私には高すぎる。
首をみると、透明な鎖がジャラジャラと音を立てている。
これさえなければと引きちぎろうと思う、これさえなければ自由になれるとも思う。
だけれど、本当は気づいている、この鎖を外したとしても私を取り囲む透明な檻があることを。
私の識る狭い世界、ここから逃れたとしても所詮、人間の部屋からは出られない。
野良の猫だの一匹狼だの一人の獣として生きて生きたいのに、私は室内犬とか飼い猫とかでしかない。
臆病者である。
だから、今日も昨日も、明日がこない日を祈りながら夜と朝の境を見届けてしまう。
本当は、この連鎖を止める方法を知っているが、それを実行する勇気はない。
明日を思うと不安になる、自分はこの先どうなるのか、野たれて死ぬのか、愛する者を見つけるのか、人間で生きていけるのか、もしかしたら犯罪を犯すのか、それともこの憂鬱を克服できるのか?
絶望の方に比重のよるネガティヴな思考が圧倒的に多いなかで、自分に都合の良いご都合が降ってくると信じている己の浅ましさよ。だから私は私が嫌いなのだ。
頑張らなければならぬ、気張らねばならぬ、そうでなければ半人前のお前では生きてゆけぬと知っているのにその努力を惜しみ、あまつさえ怠けようとする。己のそんな軟弱さが許せない。
けれども、そういった自罰の心があるから私は更正の余地がある、などと頭の片隅で囁く声がある。
それこそが甘えだというのに、そこに甘んじている。ただのセルフSMプレイである。
それもソフトなものだ。
どうせなら傷だらけになってしまえば傍目から異常と分かるだろうに、内臓の腫瘍のように見えぬところでジクジクと進んで行く。声をあげてみたものの、周りへの配慮で強がりをいう、本当はもう限界なのに。
じゃらつく鎖が音を立てている、けれどもう止めだ。もうダメだ。コイツには何の価値も見出せない。肌に合わぬのならいっそのこと捨ててしまおうかと思う。
両親には悪いが、もうダメなのだ。
価値観が違うと逃げられるけれど、矯正すれば健常でいられるのにそうとしないのは罪だと思う。
矯正出来ない私はやはりクズだ。