番外編1 初めての
本編に掲載していた物を移設しました。
番外編1
それは一年次生の頃。
冬の足音が聞こえ始めた晩秋の昼。
僕は寮の部屋で寝込んでいた。
何故かと言えば師匠との訓練のせいだった。
いや、僕から鍛えてほしいとお願いしたのだから、そのせいにしてはいけないか。師匠の訓練は想像以上に厳しくて、それでも意地で食い下がったのが悪かったのか、一月ほどで疲れが限界を超えてしまったらしい。
それでも筋肉痛と疲れで重い体を引きずりながら訓練場所に向かったのだけど、師匠から休息を命じられてしまった。
曰く、
『お前の我慢強さを読み間違えた』
との事だ。
こうならないように師匠も考えていて、僕の我慢をする癖もわかっていたようだけど、その想像を超えてしまったらしい。
その際、師匠が呟いた『次からは無理もできねえように一瞬で刈り取るか……』という物騒な台詞が怖すぎる。
僕の何を刈り取るつもりなのか。意識の事だと思うけど、命とかを連想してしまった。
ともあれ、今日と明日はお休みだ。
ベッドで寝ているけど、動けないわけではない。激しい運動をしないなら外出も許可されている。
しかし、やる事も思いつかないまま、午前中を潰してしまった。
部屋にある本は何度も読んでいるし、一人で時間を潰すような趣味もないので、こういう時は困ってしまう。
退職後、無趣味で時間を持て余すサラリーマンの気分だ。
と、ぼーっとしているとドアがノックされる。
「はーい」
「ボクだよ。入っていい?」
ルネだ。
看病すると主張していたけど、病気ではないからと見送ったのだけど、今日の分は終わったのだろう。
「どうぞー」
ルネが扉の隙間から顔をのぞかせて、僕と目が合うとほんわかと微笑んだ。
なに、この可愛い生物。抱きしめたい。
「ただいま、シズ。お客さんもいるんだけど、いいかな?」
「お客さん?」
ルネが扉を開くと、二人の女子生徒がいた。
「ん」
「シズ、お加減はいかがですの?」
リエナとクレアだ。
リエナは師匠との訓練を早めに切り上げたのだろう。気にせずにいつも通りやってほしいとお願いしたんだけどな。我慢できなかったみたいだ。
クレアはリエナかルネから聞いたのか。
心配そうな顔の二人に僕は手を振った。
「大丈夫だよ。ちょっと体が重いだけで病気じゃないから。暇を持て余してたぐらい」
「そうでしたの。ルネさんから倒れたと聞いて心配しましたわ」
またそれは大げさな。
いや、確かに朝は歩くのもやっとな具合だったけどね。
午前中を大人しく過ごしただけでだいぶ良くなっている。
ルネは手荷物を机に置くと、机の椅子を二脚それぞれベッド脇に並べてくれた。
一人分足りないけど、リエナは既に僕の枕元に腰かけて動こうとしないから、問題ないようだ。
いや、リエナさん。そんなに見つめられても困るというか……恥ずかしんだけど。そのうち穴が空きそうだ。
「心配させてごめん。わざわざありがとう」
「気にしないでくださいな。友達ではありませんか」
ありがたい言葉だ。
初対面からしばらくの間の無礼というか、失礼というか、とんでもない勘違いをしていた僕なのに、そのことをおくびにも出さないでくれる。
改めて感謝したい。
「本当にありがとう。来てくれて嬉しいよ」
「けど、わたくしお見舞いの品もなしに来てしまいましたわ」
そんなの僕は全然気にしないけど、貴族子女としてというか、礼節として気にするクレア。
話を聞いたのはここに来る直前だっただろうし、学園ですぐに手に入る物で見舞いに適した物品なんてないのだから、気にしなくてもいいのに。
「シズは何か欲しいものはありませんの?」
「いや、本当に気にしないでいいって」
「遠慮はいりませんわ。弱っている時は周りを頼るものですもの」
うーん。そう言われると誘拐脅迫事件の時に師匠の助けを借りはしたものの、リエナとクレアに助力を頼まなかった事を叱られてしまった件を思い出してしまう。
親しい人間から頼られない、というのは寂しいのだ、と。
遠慮が美徳になるのは謙虚の範疇まで。過ぎれば水臭いを通り越して、信頼関係を歪ませてしまうと反省した。
さて、欲しいものと言われても困るのも事実なんだよな。
わざわざ見舞いに来てくれたクレアに適当な嘘はつきたくないし、お茶を濁すのも悪い。
「あ、ちょっと退屈してたんだよ」
今日はルネが帰ってきたし、リエナも門限まで帰らないだろうから、話相手がいるので大丈夫だけど、明日も休みなのだ。
一人で時間を潰せる物――本でも用意してくれるとありがたい。
でなければ、復調してきたし少しぐらい自主練でもしようかとも思っていた。
そう言うとクレアは何事か考え込んでしまった。
気になるけど、僕の退屈を気にしたのかリエナがますます顔をじぃーっと見つめ始めるし、ルネまで『やっぱり、明日はずっと一緒にいたいな』なんて言い出してしまい、クレアへの対処が遅れてしまった。
その間にクレアは結論が出たらしく、胸の前で手を合わせて微笑んだ。
「皆さん、これから当家に遊びにいらっしゃいませんか?」
当家というかルミネス家の持ち家の事だろう。
貴族街の一等地にある邸宅で、本来なら領主たるクレアの父が王都に来る時に利用するのだけど、今はクレアの住まいとなっている。
女の子のお家訪問とか、胸がドキドキしてしまいそうだ。
いや、冷静になれ。
確かに縁遠いイベントだったけど、今の僕はルネと同棲状態なのだ。それと比べたら大したことじゃない気がしてきたぞ。
ちなみに、ルネさんの寝息はやたらと色っぽいです。はい。
『んっ……』とか艶っぽい声は序の口で、『ぃ、っ……』みたいな誰かの名前を呼んでいるみたいな寝言も聞こえてくる。
ねえ、誰? それ、誰の名前呼んだの?
閑話休題。
「どうしたの、急に?」
「本でしたら当家の所蔵する物がありますから、出歩いても大丈夫なようでしたら実際に見るのが一番ですわ」
「まあ、そうだけど」
それだけなら宿泊する必要はない。
クレアをじっと見つめると、少しだけ耳を赤くして俯いた。
「その、友人とのお泊り会というのに、憧れていましたの」
ああ。貴族子女での集まりはちょっと違うよね。
あれ、情報交換とか、アピールとか、牽制とかが入り混じった社交だろうし。
リエナと友達になるまで、クレアも表に出さないだけで寂しい想いをしていたのだろう。この前もリエナの寮に遊びに来ていたし、自分の家に招待したいという気持ちもわかる。
問題はあるだろうか?
寮へはちゃんと申請すれば問題ない。宿泊先がルミネスの家なら許可は下りる。
貴族街に入るのも大丈夫。その辺りの手続きはクレアが手配してくれるという。
明日はクレアの登校に合わせて一緒に行けるというから、学業の面でも問題なし。
「あ、問題ある」
いくつか考えていると致命的な問題に気付く。
「なんですの?」
「派閥問題。僕がルミネスの家に行ったりすると問題になったりしない?」
先日、ケンドレット家の誘拐騒ぎが起きて、ガンドール家が虚実の入り混じった噂を流した結果、色んな情報が錯綜している現状。
平民出身の学生をまとめたシズ派なんて思われている僕が、ルミネス家にお宅訪問なんてしたら益々関係を疑われてしまう。
正直、もうルミネス家の派閥でもいいんじゃないかと思わなくもないけど、下手に傘下に入ってしまうとルミネス家に迷惑が掛かるのだ。ルミネス家を打倒するために、ケンドレット家とガンドール家がタッグを組んだりしたら洒落にならない。
そう思うと、こうして部屋に見舞いに来ているのも危ういラインだろう。
時間帯が昼過ぎで、あまり人目を気にしなくても大丈夫と判断したんだろうけどね。
さすがに邸宅に行ったとなれば誤魔化せない。
寮に報告するわけだし、そこで嘘をついても監視はあるだろうし。
「そうですわね。考えが甘かったですわ」
お泊り会という思いつきで浮ついてしまっていたとクレアは頬に手を当てて溜息を吐く。
かなり残念そうだ。
「リエナとルネならいいんじゃないかな?」
二人の友人関係は既に知られているし、今更そこまで問題視されないだろう。無所属のルネだって問題ない。
シズ派(笑)の首魁(笑)の僕だけが問題だ。
けど、リエナは僕のほっぺをぐにーっと摘まんできて、ルネもわざわざ椅子から身を乗り出して、僕の袖を摘まんでくる。
どうやら僕を置いていくつもりはないらしい。
「……シズが目立たずに来れる方法……ダメね。どうしても目立つのは隠せない……いえ、いっそ目立つのは諦めて、そこを逆に利用するのは? いいえ、それにしても寮の記録に嘘を提出するのは詮索を受けてしまいそうですし……」
「おい、チビ」
いきなり窓際から師匠の声がして、思わず悲鳴を上げそうになった。
見ればいつぞやの蔦植物がいつの間にか現れている。
もしかして、監視されてたの、僕? いや、暗殺者とかが来るかもしれない現状、師匠としては目が離せないのだろう。
「その話だが、俺の研究室に泊まり込みって事にしておけ。いいな?」
「え? 師匠にそんな手間を取らせるなんて」
「そうでもしねえと勝手に鍛錬すんだろ、手前は」
うっ。確かにちょっとそれは考えた。
図星を指されて考えてしまう。
ルミネス家へ訪問するというのは、結果的に師匠の負担を減らせるのでは、と。
僕の周囲を警戒してくれている師匠は顔に出さないけど、かなり負担が大きいはず。
その点、ルミネス家なら他の二家もおいそれと暗殺者なんて送り込めないし、警備だっているのだ。
その間、師匠も休めるに違いない。
「わかりました。お言葉に甘えてもいいですか?」
「ああ。明後日からはお望み通り鍛えてやるから、せいぜい今の内に休んでおくんだな」
蔦植物はそのまま窓の外に消えてしまった。
あの、それ最終通告みたいなんですけど……。
僕は明後日からどうなってしまうんだろうか……。
「これなら大丈夫ですわね。では、わたくしは色々と手配して来ますわ」
うきうきと立ち上がるクレア。
お泊り会が楽しみなのはわかったけど、先程の呟き声に不穏な台詞があったのが気になった。
「目立つのを逆に利用するって、何をするつもり?」
「変装ですわ」
端的に答えてクレアは行ってしまう。
残された僕たちは顔を見合わせるしかない。
変装というアイディアはいいのだけど、それ単体で策を練るという程の事ではない気がするんだけど、考え過ぎだろうか?
そして、僕たちはルミネス家の馬車に乗り込む。
二匹の馬が牽引する大型の馬車で、過度にならない程度のセンスのいい豪華な馬車だ。
クレアが入り、リエナが続き、僕とルネが最後に扉を閉めた。
クレアは当然として、リエナも変装はしていない。必要ないから。
変装しているのは、僕とルネだけだ。
うん。
確かにこれは目立っているけど、僕とルネとは思われないだろうし、ルミネス家に入っても見とがめられない。
記録上でも僕たちは師匠の研究室にいる事になっている。
「お二人とも似合っていますわ」
「いや、これはダメだよ」
「自信を持ってくださいな。本当に似合っていますもの。誰が見ても当家のメイドにしか見えませんわ!」
「やめて。冗談でも、からかうでもなしに本気で褒めないで!」
変装というか、女装した僕とルネを見て、クレアが絶賛する。
メイド服姿の僕たちを。
ルミネス家のメイド服。
臙脂を基調に、シンプルなデザインながらも要所でレースやフリルを用いた一品だ。
しかも、カチューシャ。エプロン。ソックス。手袋。靴。ドロワーズまでフル装備。
男子にしては小柄な僕とルネはサイズに問題なく着れてしまった。
「シズ?」
「やめて。不思議そうな目で見ないで!」
リエナが小首を傾げてじっと見つめてくる。
僕は必死になって両手でその視線を遮った。
ちなみに、僕は金髪ロングのかつらを装着している。
ご丁寧にお化粧までされてしまった。本物のメイドさんが嬉々として施してくれたんだよ、こんちくしょう!
まあ、鏡を見て思ったけど、確かにこれは僕だとは思われないだろう。
化粧、怖い。女の人、怖い。
汚れちまった悲しみに。
なんとなくそんな一説を思い出した。
「ねえ、シズ?」
「……ルネ?」
亜麻色のゆるふわウェーブのかつらをつけたルネが袖を引いてくる。
そこには天使が座っていた。
言うまでもない事だけど、恐ろしいほどにメイド服が似合っている。
化粧担当のメイドさんが、『あ、これはお化粧いらない。うん。絶対』とクレアの前なのに素でコメントしてしまったほどだ。
正直、直視するのも恐れ多いレベル。
街中で歩いていたら『保護しないと』と強迫観念を抱きそう。ナンパなんて生ぬるい。誘拐を決行しようと血迷う人間が続出しても不思議じゃない。
現実逃避のために過去に想いを馳せていると、ルネは座りながらもちょこっとだけスカートの端を持ち上げて、
「ご主人様、何なりとお申し付けください」
ふんわり笑顔でおっしゃられた。
ちょっとだけ首を傾げて上目遣いとか、僕の心臓を止めるつもりだろうか。
この気持ちを言葉にするとしたら、そう『ルネい』と名付けるしかない。
ルネい……可愛いの最上型。 (用例)ルネはとってもルネいね。
ルネは小さく舌をいたずらっぽく出しながら楽しそうに尋ねてくる。なんで、ルネはちょっと楽しそうなのか。
「どうかな? メイドさんっぽいかな?」
「うん。けっこ……ごほっ! げほっ! おほんっ!」
危うく求婚しそうだった。
氷点下のリエナの視線がなかったら危なかった。
いやね。
恋人誘拐でルネが攫われたでしょ?
どうも貴族の一部では同性愛者っていうのがそれなりの数いるらしくてね。平民で亜人のリエナより、貴族で可愛い男子の方が恋人として相応しいという見方があるらしいんだって。
まあ、人の趣味に口出しはしない。
そんなわけで、リエナは僕の恋人=ルネという世間の認識にご立腹なのだ。
たしーん たしーん たしーん
これ以上ない不機嫌の合図が鳴っていた。
僕がフォローの言葉を考えていると、一際強い『たっしーん』が鳴ったと思ったら、リエナが馬車の中で立ち上がった。
「ん。クレア、わたしもその服、着る」
このまま制服を脱ぎかねない勢いだ。
おお。リエナさんが対抗心を燃やしていらっしゃる。
しかし、それはまずい。
いや、ここで着替えるのもまずいのだけど、リエナのメイド服というのに嫌な予感がするのだ。
自分でも不思議な感覚だった。単語として思い浮かべると『猫耳』+『しっぽ』+『メイド服』=『最強』=『リエナ』なのに、本能の部分が危険を訴えかけてくる。
具体的には数年後あたり、僕は鼻血を吹き出してノックアウトするようなイメージ。
果たして僕はこの夜を乗り越えられるのだろうか。
闘志を燃やすリエナ、メイド服の具合を確かめるルネ、上機嫌すぎるクレアという混沌とした馬車の中で、僕は思考停止することにしたのだった。
ルネにメイド服を着させたかっただけって、気づいても秘密です。