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愚者の魔法陣  作者: 狛月
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-1-



「『スエッラ』『ヒムン』『ランザ』『ウォート』『リュヌルンス』『テイッラ』『マイマ』『ムアイツェ』『レーベルザンダ』『グロームン』『フォビュラ』『イグザンディ』」



 閉ざされた牢獄で一人の少女が歌っていた。


 小鳥が(さえず)るように微かに響く旋律は、弱々しいものだが愉悦に浸った少女の横顔は狂喜のそれだった。

 歌にしてはやけに語句の一つ一つが誰かにささやくような甘ったるい色香を纏わせながらも、優しく慈しむように少女は綺麗な唇から紡いだ。


 ボロ切れ同然の白い服を擦り、両足に繋がれた鎖を忌々しくといったふうに虚ろな瞳で一瞥して、やがて興味を無くしたように銀の髪を撫でつけ目線を窓へと変える。


 少女は弱々しく、だけどどこか幸せそうに――狂い壊れた人形のように呪曲をまた紡ぐ。

 



『今宵も私は歌います。貴方のために身を削り、どうか届きますようにと祈りながら。


 でも今宵は違います。貴方は来るべき世界へと帰ってきた。

 また威光を掲げ、惨めで醜い私を救いに来てくださいます。

 

 勇敢で哀れな勇者様。

 この唄が聞こえますか?

 

 聞こえるなら答えて欲しい。

 

 貴方の目に映る世界は綺麗ですか?

 貴方の横に寄り添える人はいますか?

 貴方に必要な存在はいますか?


 それは、今も昔も私だけでしょう?

 

 世界の運命なのでしょうね――貴方はきっと私のもとへと来ます。

 迷って、嘆いて、苦しんで、折れそうになることもあるでしょう。――それでもきっと貴方は私のもとへと来ます。


 緋竜が業火で焦土にしても、

 蒼竜が津波を呼び寄せて大陸を沈めても、

 翠竜が大地に亀裂を走らせ大陸を分断させても、

 銀竜が世界を銀に染め上げ人々を駆逐しても、

 金竜が世界から輝きを奪って阿鼻叫喚を作っても、

 ――貴方は私のもとに来ます。

 

 私だけの勇者様。私だけの――私だけの――』


 


 壊れたように、狂ったように、少女は歌う。

 華奢な少女に似つかわしくない血と鉄の匂いがする牢獄の中で、狂気に呑まれた少女はただただそこであり続ける。

 千年(・・)前から彼女の心は一人の男性に向いている。

 光を照らし、勇猛果敢に悲劇を喜劇に変えてくれた英雄。

 ――嗚呼、嗚呼。

 声にならない歓喜の嗚咽が漏れると同時に少女を光が包み、やがて数秒の後に晴れる。

 少女ではなく一人の女性に変わったその姿は、艶かしく色気を纏った聖女の姿をしていた。

 布切れでは隠しきれなかったその肢体は少女の面影も形もなく、あるのは鎖によって出来た傷の数々。

 その背に、二対の銀翼があった。

 四枚羽根。まさしく彼女は――天使だった。


「勇者様ぁ。惑わされないでね?私はここですよぉ、うふふ」


 艶のある声音で一人呟く。

 頬を朱に染め歓喜に震える彼女。

 やがて、虚空を見上げ、


「―――みぃーつけたぁ」


 虚空を眺めるその紫紺の双眸は、やがて()を見てニタァ、と笑った。

 








―――∑―







「――っ!?」


 麗仁は生理的嫌悪感を抱きながら目を覚ました。

 

「あれは――」


 ――なんだったのか。

 無意識のうちに腕を抱えて(うずくま)っていた麗仁(れいじ)は震えをごまかすように、立ち上がる。

 思い返せば、想像以上の寒気が麗仁の体を襲いイヤな汗がシャツをぐっしょり濡らした。

 見目麗しい天使。そこだけ聞けばグッとくるものが込み上げるが、彼女の紫紺の瞳に映っていたのはただただ独占と嫉妬と狂喜が渦巻いていた。

 麗仁は彼女を知っている(・・・・・)。しかしどこで――。

 

「――くっ」


 思い出そうとすると鈍器で殴ったような頭痛が襲い、やむなく思考を放棄せざるを得なかった。

 怖い。怖い。怖い。

 ただ純粋に知るのが怖くなってしまった。

 夢は元来記憶の整理によって起こるものだと聞いたことがあったが、今のアレは何だ。

 ――臭い。そう、あの夢には臭いがあったのだ。

 想像すると同時に吐き気を催し、麗仁はその場で膝を崩す。

 やっとの思い出たちがあった気概は既に失せ、今は恐怖と肌を撫でる不可思議な感覚に打ちひしがれるだけだった。


「リヒトー?――どうしたの!?」


 壁に背中を預け麗仁が一人震えてると、●✖●✖が部屋に入ると同時に飛び込んできた。

 ――今の俺は尋常じゃない状態らしい。

 彼女の焦燥しきった表情からそんな事が窺えた麗仁は、情けないなと自嘲した。 


「こんなに汗かいて…」


 ●✖●✖は甲斐甲斐しく、麗仁からシャツを脱がし手に持ったタオルで拭ったあと、「そのまま待ってて」と残して急いで部屋から出ていく。


「あれは――――ヒトじゃない何か」


 確証はない。しかし確かに胸の中でそう訴えかけている。

 困惑する麗仁をよそに、嘲笑うかのように月の光が麗仁を照らす。

 初めての体験、だったのだろう。

 由兎に刻まれた恐怖がなければ、今頃生理的嫌悪感と恐怖に腰を抜かしていたことだ。

 決して消えることはない光景だった。未だ脳裡に、少女の姿と血に濡れた牢屋の光景が明滅している。

 消えろと心の中で叫ぶも、もうすでに深層意識に刷り込まれてしまったのか、消えろと思えば思うほど強く光景が浮かび上がる。


 何回繰り返したことか。気づけば再度汗が体を濡らしていた。

 ●✖●✖がせっかく拭ってくれたにも関わらずまた濡らしてしまっていては示しが付かないと思って、麗仁は立ち上がってベッド脇の木の机からタオルを取る。


「ヒィーヒョー。ヒィー」


 体を拭いていると、窓の外から不可思議な生物の鳴き声が聞こえた。 

 なんだろうかと思い窓枠に手をかけたところで、●✖●✖に声をかけられた。


「リヒト、薬持ってきたよ」


 水で濡らした布と麻袋を持って戻ってきた●✖●✖は、やけに手馴れた手つきでもう一度麗仁の体を拭き取ったあと、「これ飲んで」といって麻袋を置くとまだ用事があるのか部屋から出ていってしまう。

 忙しないやつだなと、独り言ちて袋から取り出した丸薬を飲み込み、壁に寄りかかる。


「はぁ…ふぅ―――あれ?」


 深呼吸をして心を落ち着かせたあと、ふと左手についたままの銀の腕輪が目に付く。

 どうやら外さずに寝てしまっていたらしい。――いや待て、あのあと俺は●✖●✖と話していて椅子に座ったまま―――。

 些細な違和感。しかし、それはすぐに眠気が麗仁を襲ったことであやふやになってしまう。

 

「――ごめんね」


 扉の向こうで不敵に笑う彼女の姿を、麗仁は意識を手放す寸前で確かに見た気がした。





――――ω――


 彼が眠りに落ちると同時に、どこかで弾ける音がした。


――――ω――





 暗闇の中、猛獣たちが跋扈(ばっこ)する死の迷宮(・・)で一人の少年が煌く光に包まれながら現れた。

 紺地の制服に黒色のネックウォーマー、学生鞄を持って少年はただただ呆然と立ち尽くしている。

 腐敗臭漂う悪夢の巣窟には、その姿はいささか不釣り合いだった。

 煌く光によって集められた六匹の獣が高ぶりを抑えられないでいた。

 今すぐにでも、その獲物を――。

 炯々とした瞳が少年を認識したと同時に、六の獣が動いた。


「えっ…」 


 豪腕と呼ぶべき腕を持った白色の猿。

 毛並みが黄色の四目の黒狼。

 十二本の脚を持つの朱色の巨大蜘蛛。

 双斧を構えたミノタウロス。

 顔のない醜悪な人型の何か。

 豊満な胸を曝け出した頭部が無い羽の生えた女。


「あぁあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」


 少年は駆け出していた。逃げ切れないとわかっていながらも、本能がここで死ぬと悟っていたにも関わらず、少年は何かに縋るように駆け出していた。

 散らばった骨に蹴躓いて靴が脱げ、飛来した硬質な糸に服を破られ、猿が投げてくる石や枝に体を裂かれても―――。

 少年は気づいていない。逃げる早さが人のそれではないことを。

 ただ無我夢中に逃げ続ける彼には周囲のそれはもはや二の次以上のものでしかなかった。


「なんでッ!どうしてッ!?」


 大事に抱えていた学生鞄すらをも放り投げ、少年は疑問を口にせずにはいられない。

 血まみれの地面が容赦なく制服にこびり付き、悪臭もまたこびり付いている。

 走れど走れど終わりのない恐怖の迷路。彼の視界は嫌なほどにクリアになっていて、この迷宮のすべてを見渡せてしまった。

 骨でできた壁と天井。地は何かの肉塊と血溜りによって構成され、時々骨がでっぱっている。

 無限に続くと思われた鬼ごっこも既に終わりを告げようとしている。 

 崖が見えた。見えてしまった。

 ――縋るものなど最初からなかったのだ。

 白猿と黒狼、ミノタウロスの雄叫びが迷宮に残響する。

 着々と死が近づいてきているのを少年は悟り、

 こんなわけのわかんない場所でどうして!?あいつらに喰われるくらいなら、いっそ―――。

 徐々に聞こえる足音に、どこまでいっても消えない強烈な刺激臭に、満身創痍の身体。手遅れだ。

 少年は既に人としての知性が壊れていた、

 故に常軌を逸脱した行動に出る――落下。

 底の視えない深い深い奈落へと身を投げ、自害を希望したのであった。




――――Σ――


 彼が底に落ちると同時に、どこかで弾ける音がした。


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