壱ノ一.
僕が“僕”でいたのは、随分と昔の話だった。
名は藤丸佐吾。上総は稲岡城に代々仕える、武家一族の跡取り息子だった。姉が二人、漸く得た藤丸家待望の赤子がこの僕である。
しかし、時代は戦乱の世。
隣国三戸部城との戦に置いて、稲岡城が敗戦し落城。父は僕と数人の従者だけを逃がし、母らを道連れにこの世を去った。
――これは、嘗ての僕の記憶である。
カンカンと照りつける夏の日差しを受けながら、僕は額から滲み出る汗をその腕で拭った。生い茂る山の木々が時々その日差しを遮ってはくれたが、少し足を進めればまた太陽は容赦なく僕を照り付ける。今日は何だかいつも以上に暑い気がして、木々の合間から覗くそれに眩暈さえ覚えた。
乾いた地面を乱暴に蹴り上げ、小さく舌打ちをする。予定なら昼餉を当に済ませ、縁側で寝転がっている時間であった。今日は稽古も程々に、午後はゆっくりすると決めていたのに。――それなのに、九郎さんがまたしでかした。
「サオリ――!!」
そう、いつものをことを。
「どこにいるんだ?サオリ――!!」
僕の声が山中に木霊する。鳴り止まぬ蝉の声の合間を縫って響いたそれは、広い山々の中に静かに消えていった。当然、返事を返してくれる者など居ない。相手が相手なだけにわかってはいたが、どうしても空虚な思いにさせられた。
これでどれくらい、彼に振り回されたことになるのだろうか。数を思い返すだけでも、疲れがドッと押し寄せる。その上このクラクラするような日差しと、耳を塞ぎたくなるような蝉の声が、僕の神経を一層逆撫でた。
そんな苛立ちを露わにしながら、平地に足をついた時だ。
「おーい佐吾!」
突如聞き慣れた声が、僕の重たい足をその場に引き留める。
「ここだよ、ここ!」
辺りに響き渡る声を見回すように探していると、声の主が「上だよ」と僕を笑った。見上げれば、太い幹の上で胡坐を掻いて座る、一人の少年の姿がそこにあった。
「……法示郎さん」
所々汚れている勿忘草色の装束を身に纏い、長い頭巾を片手にその手をひらひらと振っている。一つに縛られた長い髪を揺らしながらこちらに笑顔を向けていたのは、二歳年上の反田法示郎であった。