零ノ四.
店内のクーラーも相俟って、ひんやりとした感覚が僕の体を包み込む。漸く引いた汗に一息吐くと、正面の久親さんと目が合った。
「よくわかったな、あいつが九郎だと」
どこで気付いた、と口角を持ち上げた彼に、迷わず僕は「勘です」と答えた。
「勘とはまた不確かな」
「久親さんこそ、よく分かりましたね」
嘗ての面影などすっかり薄れ、性別まで変わってしまった現在の僕に、久親さんが気付く要素はどこにも無い。それなのにあの時、彼は僕の腕を掴んで引き止めた。訊ね返すと、その首を横に振る。
「反射的に手が出たのが本当だ」
偶然に居合わせた僕を見て、思わずその手を掴んでしまった。決して誰と気付いていたからではない、と自身の言動を振り返る。それから我に返り、目の前の少女が僕だと知った。引き止めたのは、久親さん自身が九郎さんの記憶が無いことを知っていたからであった。
「いつから彼を知っていたんですか?」
「今年の春休みが明け、一週間程経ってからだ」
園芸部でも殆ど立ち入らないような裏庭の畑で、懸命に土を掘っていたのが現在の九郎さんとの出会いだった。脇には昆虫採取用の小さな水槽を置き、楽しそうに見慣れぬ蛇に向かって何かを語り掛けている姿には、心底驚いたという。
「一目で九郎だとわかったよ」
固体の色は違うが嘗てのように首に蛇を巻き、畑の土をひっくり返しているその姿に何時かの記憶が蘇る。同時に脇に置かれた小さな水槽の中に目を移し、懐かしさ寄りも己の血の気が引く音で久親さんは固まった。
言い知れぬ悪寒と水槽の中身から何となく確信はあったが、それでも人違いではマズイと思い、本来の目的も兼ねて彼に話し掛けたそうだ。
「本来の目的って何だったんです?」
「実は大蓑蛾のメスを飼っていてな、冬が明けたらその躯を土に返してやろうと思っていたのだ」
彼が蓑蛾を好んで育てていたのは知ってはいたが、まさか現代でも同じことを繰り返していようとは思っても見なかった。思わず頬を引き攣らせる正面で、彼は照れたように苦笑を浮かべていた。