ニ 足音の主は
まだ途中なので、また付けたしていきます。
付けたした後は、この文の表示がなくなります。
ーーーーカチャン
「ふう、着いた……ってあれ?」
アパートに帰ってきて、子犬を前かごから降ろそうと様子を見てみると。
「すうすう……」
いい具合に自転車に揺られて気持ちよかったのか、濡れた鼻から小さな寝息を立てていた。
(起こさないようにしないと)
天里はそーっと子犬を抱き上げると、ゆっくりと自分の胸の中へとおさめた。
抱っこしたままギシギシと音を立てないよう、そろりと階段を上り、何とか無事に自分の部屋の前まで辿りつく。
「鍵、出さないと」
片腕で子犬を抱いたまま、ズボンのポケットの中から鍵を取り出す。
ドアを開けるときも、鍵を回す音があまり立たないように気をつける。
カチャリとドアを開け、部屋に入ってからもう一度子犬の方を見ると、相変わらず可愛い寝息を立てており天里は顔をほころばせた。
「寝るところ、俺のベッドしかないよな……」
天里は自分のベッドまで行くと、そっとベッドの上に子犬を寝かせた。
白いシーツよりも真っ白な子犬は、寝息を立てるたびにお腹が膨らんだり、ひっこんだりしている。
(あー、柴犬飼いたい……)
眠る子犬を見つめながら、しみじみとそう思う。
片方の手で頬づえをつきながら見守っていると、何だかこっちまで眠くなってきてしまう。
でも、寝る前にまずお昼を済まさないといけない。
「何の弁当にしよう。あ、子犬も食べられる具が入ってるのがいいよな」
リビングに戻ってきた天里は、買っておいた弁当をコンビニ袋からゴソゴソと取り出してテーブルの上に並べ出した。
買ってきた弁当は三つ。他にもおやつの野菜スナックとポテトチップス。それと明日の朝の食パンとお茶のペットボトル二つ。
「無難に幕の内弁当、かな。おかずもたくさん入ってるし」
お昼の弁当を決めたあとはその他の弁当やお菓子、飲み物を冷蔵庫や棚の中へとしまった。
「昨日のお茶がまだ残ってたよな。おはしはコンビニのやつがあるから……」
そう言って冷蔵庫から昨日残しておいた一リットルのお茶を取り出して、残ったお茶をコップに注いでいると。
てとてとてと。
背後から、こちらに向かって何やら歩く音が聞こえてくる。
「ん……? あっ、お前!」
音の気配に振り向いた先には、さっきまで寝ていたはずの子犬がテーブルの下までやってきていたのだ。
「くうーん」
大きく伸びをして、あくびをする子犬に天里は思わずぷっ、と笑ってしまった。
「今お茶もっていくから、そこで待ってな」
そう言うと分かったのか、ぽんとおすわりをして待ての姿勢になった。
子犬の反応を見てまだ小さいのに、きちんとしつけられてるんだなぁと天里は感心しながら、お茶の入ったコップ二つをテーブルの上に置いた。
「ほら、こっちに上がりな」
テーブルの椅子に腰かけた天里は片方の椅子を引き出すと、ぽんぽんとそれを叩いて子犬がこっちにくるよう促した。
すると子犬は嬉しそうにくるりとした尻尾を振りながら、ちょこんと彼の横の椅子に座ってきた。
「ほんと、お前賢いな。まだ小さいのに」
「きゃんっ」
よしよしと頭を撫でると、喜んだ声で鳴いた。どうやら、彼に撫でられるのが好きなようだ。
「ちょっと遅くなったけど、ご飯食べような」
「くーん」
弁当の中から、子犬が食べられそうなものを箸でつまんで弁当のふたに乗せていく。
その作業を子犬は興味ありげに、視線をじっと向けている。
「これぐらいかな。ほら。これ、お前の分」
蓋に乗せたおかずを子犬の前にやってやると、真ん丸とした目をキラキラと輝かせている。
が、なぜかいっこうに食べる素振りを見せない。
(……もしかして、嫌いだったのか? でも、目は凄い食べたそうにしてるんだけどな。……もしかして)
ふとあることを思った天里は、まだ手を付けてない自分から先に食べてみることにした。
ぱくりと弁当のからあげを口に含んでみると、それを見ていた子犬もぱくんと彼から貰ったからあげを食べた。
「お前、俺が先に食べるの待ってたのか?」
「くぅん」
(な、なんだ……この可愛い生き物は!)
そんな天里の心境も知らずに、子犬はもくもくとおかずを食べ始める。
弁当を横で食べながら、子犬を見てやると口の周りに、からあげや卵焼きのくずがついてるのを見つけてしまう。
そんな光景をおかしく思いながら、天里はやや遅めの昼ご飯を食べ終えた。
子犬も彼の後に平らげると口についていたものをペロリと下で舐めとった。
「あ。お茶しかないんだけどお前、飲める?」
子犬にはミルクというイメージが強かったため、天里は申し訳なさそうに子犬にストローがついたお茶のコップを差し出した。
でも、それはいらぬ心配のようで。
「ちゅうちゅうちゅう」
(うわあぁ。ストロー吸ってる……!)
子犬はとても美味しそうにお茶を吸い上げると天里の方を向いて、にこっと笑んだ。
「…………!!」
これは駄目だ。反則。心臓が危ない。
あまりのその愛くるしさに身が持たないかもしれない。
身を固まらせている中、子犬はまたまた盛大なあくびをした。
ご飯をいっぱい食べて眠くなったのだろう。うとうとと船まで漕ぎ出している。
「食べてすぐ寝たら太るぞ……って、もう寝ちゃったか」
子犬はテーブルの上に突っ伏すようにして眠り始めたようだ。
苦笑いを浮かべて天里は再び自分のベッドへと子犬を運んでいく。
寝入ったことを確かめると、静かにリビングへと戻り昼ご飯の後片づけをし始める。今日は弁当だけだったため、それもすぐにやり終えると子犬が眠るベッドへと足を向けた。
ベッドの上には変わらず、寝息を立てている白柴の姿があった。
幸せそうに寝ている子犬の寝顔に見入っていると天里はあることに気づいた……というよりも思い出したのだ。
「あ。携帯のこと忘れてた」
ベッドの下には朝に取り残された携帯が取り出されることを待っている。
多分、朝よりもほこりがかかっているだろうなとちょっと面倒くさく思いながらも取り出すことにした。
下の奥を覗き込むと案の定、雪が積もったように携帯がほこりに包まれている。雪のように綺麗なものなら良いのだが……。
はあ……とため息をつきながら、とりあえずもう一度自力で取ろうと朝と同じように右腕を伸ばした――――そのときである。
『ろうに……!』
「………………っっ!!」
あの時の感覚が蘇る。決して届くはずはなかったのに。幼い自分はもがくように右腕を伸ばした。
何でまたこんな記憶が……?
「あ…………」
思わず手を引っ込めてしまい、右腕を左手でぎゅっと掴む。
「……まだ、残ってるんだ」
槞たちのことが消えない。十九才になった今でも。ずっと頭の片隅に残り続けているのだ。
「でも、何でまた……」
ついさっき疑問に浮かんだことを繰り返す。
朝のときは何とも思わなかったのに。どうして、今思い出してしまったのだろう。
右腕を触りながら天里はふと上を向いた。その先には白柴がくうくうと丸まっている。
「そ、っか……」
黒柴の六介と今、眼前にいる白柴が無意識に重なっていたのかもしれない。
もしかしたら、姿を変えて六介だけでも自分のところに現れてくれてるんじゃないかという淡い期待があったのだ。
白柴を見つけたときに鼓動が高鳴ったのは、きっとそのせいだ。
「俺、まだ期待してるんだ。槞兄と六介が帰ってきてくれるって」
馬鹿みたいだ。まだ子供心に彼らが戻ってくるのを信じているなんて。
「……俺も寝よ」
何だか急に疲れに襲われた気分がする。天里は携帯を取るのを止めて、寝ている子犬を起こさないよう隣に寝転んだ。
せめて夢に彼らが出てこないよう、願って。
「きゃん、きゃんっ」
「ん……?」
ふ、と瞼をあけると顔の前に子犬の鼻がででん! と迫っていた。
「わっ!」
驚いて起き上がると、天里より先に起きていたのか子犬はぐーんと伸びをしていた。
「……よかった」
自分でも何がいいのかは分からなかった。いや、槞たちが夢に出てこなくてよかったのだろうか。
近くに置いてあった腕時計を見ると、六時半の位置に針が止まっていた。
もうこんな時間になっていたのか。ぼんやり寝起きの頭でそう思っていると服のすそをぐいぐいと引っ張られる感触がした。
「くうん……っ」
見上げる瞳はまるで、天里のことを心配しているような眼差しで。
「……大丈夫。ちょっと寝ぼけてるだけだから。そろそろ晩ご飯にしないとな」
首を撫でてやると子犬は安心したのか、お座りの姿勢に戻った。
それでもまだ不安げに彼から目をそらさずにいたが、軽く笑ってみせるとようやく子犬の緊張も解けたようで、毛づくろいをやり始めた。
(
その後、お昼と同じように弁当の中身を分けながら夕食をとった。
晩ご飯の片づけをしながら、椅子に座ったまま手を舐める子犬を見て天里は、あることで悩んでいた。
それは………………
「……お風呂、入れた方がいいのか?」
子犬はそれほど汚れているわけでもない。むしろ、もふもふとした白い毛は艶が出ていて、とても綺麗に見える。飼い主の手入れが行き届いているようだ。
と、なると……。
「一応、入れておいた方がいいよな。飼い主さんが綺麗好きかもしれないし」
そう決めてゴミ袋を結び終えると、お風呂場へと向かう。一週間前に浴槽を掃除したが、子犬のために念のためと簡単な掃除をしようと天里は思った。
――――――――ジャアアア
「はー。これぐらいで終わるか。ちょっと疲れた……」
仕上げにシャワーで浴槽の中をゆすいでいると、シャワーの音を聞いてやってきたのか天里の足元まで子犬がちょこちょこと駆け寄ってきていた。
「きゃん! きゃん!」
「わっ。お前、来ちゃ駄目だろ。足が濡れるから……ってもう濡れてるか」
ぴちゃぴちゃとお風呂のマットの上を楽しそうに歩く子犬にそんなに怒ることもできず、子犬を抱き上げてお風呂場の前の床マットで足をふいてやる。すると足の裏をふかれるとくすぐったいのか、きゅっきゅっと小さく声を上げている。
(もう何しても可愛い……)
前後の両足を全部ふいたばかりなのに、ぺろぺろと前足を舐める姿さえも許してしまう。
子犬の素振りに翻弄されながらも、天里はお湯を沸かす準備に移る。
いつものお風呂に入る時間まで、まだ3時間もあるが、また後でするのも面倒になると思い、洗ったついでにやることにした。
「今から、お風呂沸かすから近づいちゃ駄目だからな。また足濡れるから」
めっ、と鼻先をちょんとすると、くちゅん! と鼻を鳴らした。
こそばくなったのか、鼻をごしごしと前足で掻いている。
そんな愛くるしい仕草に目をとめつつ、ピッピッとお湯を入れる自動ボタンを押した。
「二十分くらいで沸くから、あとは保温だな」
さて、これからどうしよう?
「あ。そういや、説明会がいつになるのかメール来てるかも」
携帯は今日は何だか取る気がおきないため、パソコンを開くことにした。
天里がすたすたとパソコンのある寝室に向かうと、慌てて子犬も鼻を掻くのを止めてついてくる。
後ろから聞こえてくるて、て、て、という足音に振り向きたくなる衝動を抑えながらも天里は寝室に入る。
パソコンはベッドの隣にある学習机の上に置いてある。コンセントを差し込んで、起動させる中、子犬は天里に何も言われずともベッドの上へとよじ登った。
「ちょっと、パソコンするからそこでくつろいでて。眠かったら寝てもいいから」
「くうんっ」
まるで天里の言うことが分かっているように、子犬はベッドの上に寝転がった。
人間みたいだな、と感じながらパソコンに届いているメールを確認すると思ったとおり大学からのメールが来ていた。
「えっと、この度の説明会は来週の金曜日に変更することになりました。なお、開始時刻は同じく九時半からとなっています。また、追加事項などがあれば大学からご連絡いたします……か。結局、来週の同じ曜日ってことか」
メールを確認してメールボックスを閉じると、すぐシャットダウンをした。パソコンをパタンと閉じてから手を上で組み、後ろへとうーんと伸びをした。
もうすることも特になくなったため(携帯は取っていないが)、ベッドにいる子犬へと目を向けてみると。
「……? どうかしたのか?」
さっきまで寝転んでいたはずの子犬は寝室の開いたドアのさきの向こうのリビングのさらに向こうに見える玄関の方をじっと見やっていた。
先っちょが薄茶色の耳をぴん、と立たせて同じ色をした鼻もひくひくと何かを感じ取ろうとしているように見える。
(もしかして、飼い主さんが……?)
そんな気がした天里は寝室を出て、玄関の方へ行ってみたが何も足音は聞こえない。ドアを僅かに開けてみて外をきょろきょろとしても、人の気配はしない。
「気のせい?」
寝室に帰ってみると、子犬はもう先ほどのような緊張した様子はなくまた、ごろりとベッドの上で横たわっていた。
(何だったんだろ)
首を傾げて、もう一度玄関の方をみるが人が来たときにつく明かりも反応をしていないため、まあいいかと天里は深く気に留めないことにした。
それから後は、ベッドの上で子犬とじゃれあったりテレビをつけて目に留まった番組を見たりしながらお風呂までの時間をのびのびと過ごした。
「もう十時前か。そろそろお風呂に入らないと」
お前もおいでと誘ってやると、子犬はおとなしくついてきた。
タオルをひとまずお風呂の脇に置いてから、服を脱いで籠の中にしまう。次は子犬をひょいっと持ち上げて一緒にお風呂に入ろうとしたが天里は子犬の首についた鈴が目についた。
「これ、取った方がいいのかな」
そう思って子犬の首元を触ろうとすると、急に頭をぶんぶんと振り始めた。
「きゃんっ!」
「え、取っちゃ駄目? そうか、じゃああがった後でそれふいてもいいか?」
「きゃん!」
そう言われて納得したのか、子犬は腕の中にすっぽりと入ってきた。
(……癒される)
――――ちゃぽん
「じゃあ、流すぞー。目に入りそうになったら言えよ?」
「くうーん」
わしゃわしゃと赤毛の背中を洗う中、子柴はくんくんと泡玉の匂いを嗅いでいる。時折つんつんとそれを鼻でつついて、ぱんっとはじける音が気に入っているように見える。
しゃかしゃかと身体についた白泡をお湯で流していくと気持ちいいのか、両目がとろんとしている。
「