渦
ここは魔物の剥製が立ち並ぶ大広間。
静寂に包まれた大広間には、いまにも動き始めそうなものの身動ぎ一つしない無数の剥製が飾り立てられ、まるで美術館のような雰囲気を醸し出していた。
そこへ呼び出した張本人が現れたのは、僕が大広間にやって来てからしばらくのことであった。
「ようこそトーラスの屋敷へ。歓迎しよう、アオイ士爵」
そう声を上げた人物は、部屋へ入るなりこちらへ颯爽と歩み寄ってくる。
その姿は金や銀で豪華に装飾された正装。
如何にも貴族といった出で立ちではあるものの、その身に纏う雰囲気に嫌味は無く、いっそ清々しくすらある。
隣には、なぜか女神聖教の司祭であるイシュが同行していた。
豪奢な正装の紳士は、やがてこちらの目の前へとやってくると、磨き上げられた宝石のような品の良い笑顔を浮かべて、さっと手を差し伸べる。
それはあの悪質な手紙を書いた張本人なのか疑わしいほどであった。
「出迎えが遅れてすまない。まさか本当に来るとは思っていなくてね。準備に手間取ってしまった。私がミカエル・エル・トーラスだ」
彼の言動に不信感を抱きながらも握手に応じる。
「人を脅して呼び付けたのは、そちらではありませんでしたか? それになぜ女神聖教の司祭がここにいるのですか?」
そう問いかけると、やや遅れた歩みでやって来たイシュが和かな表情で口を開いた。
「やぁ、ユウ君。こうして話すのは久しぶりかな。君には悪いが、今日はボクも同席させてもらうよ」
そんな彼を僕はすぐさま切り捨てる。
「イシュ、私は銀騎士と関わりのある貴方を信用するつもりはありません。ミカエル、彼が同席するのであれば、私は帰らせて頂きます」
イシュは眼鏡越しに切れ長の目を細めると、「手厳しい」とつぶやきながら肩をすくめた。
僕がイシュに冷ややかな視線を向けていると、ミカエルがすかさず止めに入る。
「まぁ待ちたまえ。君が話を聞かないというのであれば、手紙に書かれていた事柄は即座に実行されることになる」
「僕がこの国の住人でないという証拠はどこにも無いはずです。それに、貴方にリノスフルム最高戦力の一角であるアレイスターを本当に潰せるとでも? そんなもの、脅しの意味を成していないただの戯言だ。僕が交渉の席に着く理由になんてならない」
「君がこの国の住人ではなかった証拠が無いように、君がこの国の住人であった確たる証拠も無い。特に君の様な、まるで降って湧いたかのような人物にはね。故に、必要であれば証拠は作ろう。それに、アレイスターがリノスフルムの最高戦力だなんてすこし買い被りすぎじゃないのかな? 仮に君の宿敵である銀騎士を差し向けると言ったら、君はどうするのかな?」
僕はミカエルの最後の言葉に歯噛みした。
そして、彼の隣で相変わらず聖職者然とした微笑みを讃えているイシュを睨み付ける。
「そのための人選ですか」
「イシュは私の大切な友人でね。君が彼を快く思っていないのは、私も承知している。しかし、金や物で釣れない君とコンタクトを取るためには致し方なかったのさ。彼には今日の話の証人にもなって貰いたい。何もこれから話す事柄は、この国だけの問題というわけではないからね。それにかの勇者を保有する帝都セントアイルの……そして女神聖教の枢機卿であれば決して不足は無いだろう? もちろん、ここで見聞きしたことは他言無用を約束しよう。いいかな、イシュ?」
ミカエルが確認するように名前を呼ぶと、イシュは大きく頷いた。
「もちろん。女神に誓おうとも」
茶番だ——。
そう切り捨てようと息を吸い込むと、イシュが懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「——と言っても、君はボクの言葉を信用しないだろうからね」
そう言って、羊皮紙広げて見せる。
「ボク、イシュ・アス・ルクスは、今日ここで見聞きしたことを他言しないと誓う。また、今日君がミカエルの話に耳を傾けたとボクが判断できたときには、銀騎士をアレイスター家に差し向けない事を誓おう。ついでに、君の出生ついては、このボクが保証人になろうじゃないか。君がこの国で生まれた際にボクが祝福を授けたとね」
イシュは一息にそう言うと、やや面倒臭そうに続けた。
「さて、破ったときの代償は……とそうだな。右腕にしようかな」
すると羊皮紙が勢いよく燃えあがり、紫色の怪しい炎がイシュの右腕を包み込んだ。
紫炎はやがて左腕の白い腕輪へと飛び移ると、燃え尽きるようにして消えて無くなる。
イシュはこちらに向け、腕輪に刻まれた刻印を見せた。
「魔術契約……」
四角の中にひし形が収まるような紋様。
魔界の魔法——黒魔術——による契約印であった。
「さぁ、これで良いかな? まさかこれでもダメなんて言わないだろう? ……言わないよね?」
「……」
その一方的な問い掛けに、僕は沈黙をもって答える。
この程度のことに魔術契約を持ち出すなどと、一体何を考えているのか。
さらにいえば契約内容が広義であり、契約印が生涯残りかねない。
つまり、僕がイシュを同席させた上でミカエルの話を聞くことで、イシュを経由した銀騎士によるアレイスター家への脅威が今後一切取り除かれることになる。
さらに、オマケのように付け加えられた出生の保証。
それは、手紙に書かれていたミカエルの脅し文句は、本当にこの僕を呼び出すためだけの口実であったということ。
トーラス家が政敵のアレイスター家を害したい訳ではないことを示していた。
では、なんのためにこの僕をここへ呼び出したのか……?
本当に世間話がしたいわけでもないだろう。
そんな考えが頭を過ぎった。
そして、しばしの沈黙を肯定と受け取ったミカエルが口を開く。
「では、ユウ・アオイ士爵。まずは君の一つ目の疑問に答えておこうか。『人を脅して呼び付けたのは、そちらではなかったか?』だったか。これについては、君には来ないという選択肢もあったはずでね。まさか本当に来るとは思っていなかったのだよ。それで支度に手間取ってしまった。非礼は詫びよう」
ミカエルは律儀にもこちらの最初の疑問に答えると、さらに続けた。
「しかし、こちらの要求通りに単身で乗り込んで来るというのは、いささか軽率ではないのかな? 私がいま世間を騒がせている邪教徒だとしたら、君はどうするのかな?」
その諭すような物言いを訝しみながらも、僕は彼の問いに答える。
「貴方は女神聖教の司祭を前にしてよくそんな冗談が言えますね。仮に私が貴方を邪教徒と証明することができれば、切り捨てても罪にはならなかったと思いますが?」
僕の乱暴な物言いに、主人の側で傍観していた女性が僅かに身じろいだ。
歩む時にすら無音であった彼女が、あえて衣擦れの音を立てたのだ。
女性の方に視線を向けると、彼女は狐のような切れ長な目を薄く細め、背後のフサフサとした大きな尻尾を音もなく振り子のように振ってみせた。
おそらくは、自分の存在を示したのであろう。
現にその表情は、主人を傷付ければ承知しないとでも言いたげな様子である。
ミカエルは、そんな彼女に軽く目配せをすると、話を続ける。
「実に勇ましい。しかし、入り口で武器を取り上げられなかったかな? まさか君は勇気と蛮勇を履き違えてはいないだろうね」
「ミカエル、貴方は私が魔法を使えることをお忘れではありませんか?」
「おっと、そうだった。では、私もかの不死王のように魔法の光で消されてしまうのかな」
「それはこれからのお話で判断させていただきます」
「ふふ……。では、私は君の賢明な判断に期待するとしよう」
不敵に笑うミカエルを僕は正面から見返した。
こちらが敵対的な態度を取っているにも関わらず、ミカエルが顔色を悪くした様子はない。
むしろ、いまだに余裕のある態度を含んだままであった。
彼の表情からその真意を探ろうとするものの、それは少しも窺い知ることはできない。
と、今度はその隣から場違いな雰囲気の声が上がった。
「おや、君はそんな事まで出来るのかい? リノスフルムは安泰だね」
「……」
イシュの不意の発言に、僕は一瞥だけを送る。
彼の言葉に僅かな疑問は付き纏うものの、黙したまま精一杯に強がって見せた。
とはいえ、いつまでも本題に入らない彼らに僕はただ混乱するばかりである。
ミカエルの立ち位置によっては、ここは敵地のど真ん中といえよう。
この世界では邪魔な相手を謀殺するなど、ごく普通にあることだ。
それを考えると、女神聖教の司祭が口を閉ざすことを条件に立ち会うのは、ある意味幸運なことなのかもしれない。
屋敷の敷地内に数多く配置されていた武装した騎士や兵士のことも気になる。
警備にしては過剰に思える戦力は、初めからある程度の戦闘を見越してのことだったのだろうか。
安全そうなこの部屋でさえ、剥製に混じらせて本物の魔物が置かれている可能性も否定できない。
ミカエルに危険性を指摘されて、ようやく最悪のケースを想定し始めるも、それはもはや手遅れだ。
こちらに出来ることといえば、マズイ状況になったときに、魔法を駆使して逃げ出すことくらいだろう。
混沌とした状況に頭を働かせながらも、努めて冷静に判断を下そうとする。
そして、彼らよりも先に本題に入った。
「それで、そちらの要求は一体何なのですか。あの手紙には、ここに一人で来る以外の要求が書かれていなかった。ただ私と話がしたい訳でも無いのでしょう?」
「ふふ……おおむねその通りだとも。私は君と食事でもしながら、ゆっくりと話がしたいと思っていたのだけれど……。簡単に心を許してはくれそうにないようだね?」
ミカエルのあまりに緊張感のない言葉に僅かな苛立ちが募るものの、それを押し込めて反論する。
「誰でも敵か味方か分からない人の屋敷に長く居ようとは思わないでしょう。それに僕は彼の友人とは酷く仲が悪い。それこそ剣を交えるほどに。端的に言えば、彼を銀騎士の仲間だと思っているのですよ。そして、銀騎士の名前を口にした貴方もね」
そう言って、ミカエルを強い視線を向ける。
ついでに警戒の念を込めた視線を、イシュとミカエルの後ろに控える女性へとそれぞれ向けた。
一方は肩をすくめ、もう一方は着物の袖で口元を押さえて微笑んでいる。
「ふふ……分かった。君が話を聞くというのであれば、もう銀騎士の名前を使って脅すのはやめにしよう。イシュもそう約束したからね」
提案に僕が一度だけ頷いて答える。
ミカエルはひと呼吸置くと、ようやく本題に入る。
「君はいまの自分の立場について、どう思ってるのかな?」
「自分の立場ですか? 私はエリス殿下の親衛騎士ですが」
「私は君の肩書きを聞きたいわけじゃない」
「というのは?」
「現国王とグランドムは君の存在を世界に秘匿している。君はこれが許されることだと思うのかな?」
「私の存在を秘匿している……? 逆に聞きます。なぜ私の存在を世界に知らしめる必要があるのですか?」
「君には力があるだろう。勇者ユークリッドと同じ力が」
「この世界……帝国には女神聖教の認めた勇者がいるでしょう? それに私の魔法の事でしたら、それは思い違いです。私の力は勇者のそれと比較してはあまりにも弱い。単純に魔法の特性が似ているだけの話です。現にこの世界の魔法技術では、ただ属性が同じという以外の関連性を証明できない」
「なるほど。それは冒険者ギルドの技術局長としての見解かな?」
ミカエルの問いに僕は頷いて返した。
すると、ミカエルはイシュに対しても尋ねる。
「イシュ、それは女神聖教でも同じかい?」
「大凡その通りと言えるね。勇者ユークリッドの力は、女神の作り出したアーティファクトの導き出す魔法属性以外のヒントが無くてね。正直、一体なにが魔界を封印せしめているのかについては、女神聖教も把握しきれてはいないんだよ。勇者の魔法を封印に込めると、確かに反応はするんだけどね」
「それはつまり、魔界の封印はやってみなければ分からないということですか? 勇者を担ぎ上げて大陸中から資金や物資を集めてる女神聖教の台詞とは思えませんね」
「封印の旅路に金が掛かるのは事実だよ。それに、いまが過剰であるというのなら、君はこの世界に値段が付けられるとでも言うのかい?」
僕は他人事のように言うイシュに眉を顰めつつも、話を進める。
「いいえ、話が逸れました。それで、勇者と似た力を持っている私に一体何の関係が?」
「端的に言おう」
ミカエルは続けて不敵な表情を浮かべながら言い放つ。
「君は表舞台に立つべきだ。それが、この世界に力を持って生まれた者の宿命だよ」
***
「……僕には魔界の封印などということは関係ない」
「それだよ、私が知りたかったことは。君自身が全く乗り気でないことだ。なぜ逃げるのかね?」
彼が表情を僅かに変える。
声の調子もより真剣味を帯びたものへと変わっていく。
「君にはなぜ勇者と同じ力があるか、考えたことは無いのかね?」
「そんなことは考えたくもない」
「ふぅ……。どうやら君はずいぶんと無責任な人間のようだ。君は持つ者の責任をなぜ果たそうと思わない?」
その言葉に押さえていた感情が理性を上回り、声が震えた。
「……責任って何ですか? 貴方はこの僕に、この世界に生まれてきた責任を果たせとでも言うつもりですか?」
「そうだよ。それが女神によってこの世界に生を受けた者の務めだろう。そして、それが持つ者の義務だ」
「話にならない。そんなもの、高貴なる者の義務など、所詮都合の良い者が作り出した幻想だ。決して他人に強制されるべきものではない」
「そう、しかし強制せざる負えないのさ。女神の予言が実現しなければ世界が滅ぶ」
そう悪びれもなく答えるミカエルに、僕は吐き捨てるように言い放つ。
「『されどそれは苦難への旅路。若人はかつての我らの過ちと同じ道を巡る。
その身は焼かれ、心は枯れ果てる。旅路の果てには、全の源さえも失うことであろう』」
「おや……知っていたのかい。ごく一部しか知らないはずの予言の一節を。レイネシア王妃……いや、エリス殿下かな? 勇者本人には知らせないというのが暗黙の了解だというのに」
「よくもそんなこと抜け抜けと。貴方がたはこれを知る僕に命を捧げろと?」
「ふふ……」
「死ぬと言われて、僕がやる訳がないでしょう。馬鹿げてる」
「私も馬鹿げてると思う。同情もしよう。でも、そうでなければならない。それが運命ならば」
「運命……? そうでなければならない? なんて盲目的な……」
あまりの身勝手な物言いに拳を強く握りしめる。
怒りのあまり、震える声で紡ぎ出す。
「この世界には、貴方達には三百年もの猶予があったはずだ! それなのに貴方達は、女神の予言だけが唯一解と諦め、自身の可能性を狭めてきた! この世界は、ただ一人の勇者の出現を待つだけで何も手を打ってこなかった! 実際にこの世界の魔法技術は閉鎖的であまりにも進歩が遅い!! 進歩の歩みを止めたその責任を、たった一人の人間に背負わせるなんてリスクが現実的だと思うのですか!? 予言? 運命? 貴方がたは少しは現実を見るべきだ!!」
「ふふ……。君の言いたいことは分かった。だが、君の方こそ現実を見るべきだ。奴隷を解放する魔術の研究は犯罪だよ」
「っ…………。さぁ、何のことですか」
「君の禁書庫の観覧履歴を公表するだけで、世間は君に少なくない不信感を抱くだろう」
「ただ少し興味があるだけですよ。証拠はなに一つもない」
どう反論したものか考えていると、そばて控えていた女性が短く口を開く。
「ミカエル様、来たようです」
「おや、思ったよりも早いね。まったく王国騎士団の増強小隊を軽々と負かすほど戦力を、一貴族が持つというのは本当に困ったものだね。過ぎた軍事力は国法に反するというのに、家族だからの一言でそれが許されているなんてね……」
そして、地響きに似た轟音が聞こえてくる。
続けて破城槌で壁を叩くような重たい音が建物内に響いた。
「この音は?」
「アレイスターだよ」
「なぜアレイスターが? 外の騎士隊は、そのために配置していたのですか?」
「君は彼らに監視されてるからね。でも、もう全滅かな。フリエア、お願いできるかい」
「御意に。さぁ、良い子たち。我が主人の命により、起きなさい」
すると、並べられていた剥製たちが一斉に動き出す。
大きく身震いをし、色を帯びた息を吐き出すもの。
羽を広げ、脚の鉤爪を伸ばすもの。
大広間はつい先ほどまでの静けさが嘘のように、騒めきに満ち始める。
そして、剥製たち……いや、魔物たちは台座から思い思いに飛び降りると、隊列を組み始めた。
まるで訓練された軍隊のように。
数体がミカエルを守るように陣取ると、フリエアと呼ばれた女性がミカエルに向きなおる。
「ミカエル様、行って参ります」
「無理はしなくて良い。君は無事に帰って来るように」
「御意に」
そして、フリエアの歩みに合わせて、魔物の軍団が行進を始める。
「ガーゴイル……? 命を宿す黒魔術は、世界法に反するはず」
「ふふ……ただの剥製だよ。呪い付きの力で動くけどね。生前と同じくらいの力は出せるから、このままぶつかればお互いただじゃすまないのではないかな?」
「待ってください、なぜ戦う必要があるのですか?」
「君がここにいるからだよ。グランドムは鍛え上げた家族よりも、勇者のことを最重要視しているということさ」
「馬鹿な、帝国の勇者がいれば僕の力は必要ないはずだ」
「ふふ……。必要なんだよ。彼らにとっても、私達にとってもね」
「何故?」
「ふぅ……。いつまでもグズグズはしていられない。ここから先は君が決断を渋る分だけ君の知人が死ぬことになる」
「貴方という人は……!」
「もう事は始まってしまっている。君に文句を言う時間があるのかい?」
「……っ」
「さて、ユウ・ルル・アオイ士爵。最後に三つほど手短に話をしようじゃないか。
一つ目は、君に女神とは別の予言を教えよう。
二つ目は、この世界を救う君にとっての価値について」
ミカエルはそこまで話すと、僅かに目を細めて言葉を紡ぐ。
「最後は、私からのお願いを聞いてほしい。
もしも、君が自らの運命を受け入れる勇気があるのならね」