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青の洞窟

 私はブーツの足首まで浸かる冷たい水に苦戦をしながらも、魔物から離れた位置を足早に移動していた。

 狙われ難い魔物の視界の端へ、出来る限り後方へと急ぐ。


「光よ!」


 薄暗い洞窟内に眩い閃光が煌めいた。

 振り向けば、ランドタートルの巨大な体躯が浮かび上がっており、その姿は名前の由来を彷彿とさせる。

 浅く水の溜まった広い空間に、島のような魔物が浮いているのだ。

 そんな魔物に相対する彼がとても小さく見えて、あまりの体格差に目を細める。


「グオオオオオオオーーー!!!」


 魔法を受けたランドタートルが雄叫びを上げた。

 ダンジョン全体を揺るがすような声量に、思わず耳を塞ぎしゃがみ込んでしまいそうになる。


 彼の放った魔法で目が焼かれたのだろう。

 ランドタートルはやみくもに水面を叩き暴れ回っていた。

 私は足を止め、魔物の側面から詠唱を開始する。

 展開された魔力が次第に明かりを帯び始める。


うちねむ魔力まりょくよ……」


 時を同じくして、薄暗い空間に明かりを帯び始めたものがもう一つ。

 それはランドタートルの大きく開かれたアゴであった。

 魔力を滾らせ、魔物が自身の体を青白く浮かび上がらせている。


「来るよ!」


 彼が大きな声で言った。

 そんな事は言われなくても分かっている。

 彼の声に合わせて、ランドタートルが頭の向きを変える。

 冷や汗がドッと出始めた。


 アレはわざとなのだ。

 この薄暗い空間では、魔法の詠唱はよく目立つ。

 だから彼は私が狙われないように、あえて自らを危険に晒している。


 魔物の目を潰してもなお保険として、自らが囮になる。

 魔力を必要以上に垂れ流し、周りの空間を黄金色に染め上げている。

 水音を立てながら魔物に肉薄し、剣により攻撃を加え続けていた。


 それでも、ランドタートルの魔法が止まることは無い。

 そして、私の焦燥感も止まらない。


 巨体を持つ魔物は、それに見合うだけの膨大な魔力を持ち、当然人よりも強力な魔法を放つ。

 それが小さな島ほどの大きさならば、直撃すれば人が耐えられるような代物ではない。

 事実、洞窟内の壁のあちこちが、ほら穴のように抉れているのが良い証拠だろう。


「――目覚めざめめよ、そしてわれしたがえ! いま我等われらあるじあだなすてきほろぼさん!——」


 彼の危機に身の縮こまるような思いをしながらも、私は詠唱を省略せずに続けた。

 こちらの魔法に比例するように、魔物の魔法がみるみるうちに巨大な魔力の塊となっていく。

 それがランドタートルの口を覆うほど大きくなった頃に、彼が叫んだ。


「フレイヤ!!」


 呼び声に答え、魔物の背後で銀色の煌めきが一閃した。

 それはわずか一振りでランドタートルの大木のような後ろ足を切断する。


「グガァァァァ——!!!」


 ランドタートル苦痛に唸り、魔法が形を歪めて揺らぐ。


 魔物の背後に浮かび上がったのは、身の丈程の大鎌を持った銀髪の少女だ。

 肌が透き通るように白いために、薄暗い中では本当に透き通っているのでは無いかとさえ思う。

 彼女は大鎌を軽々と扱い、さらに一閃する。


 タイミングを合わせて、彼が光の空間を大きく広げた。

 ダンジョン内を照らす光量が増加してゆく。


 そして、直後に魔法が炸裂した。

 魔物の魔法が暴発したのだ。

 自らの顎へと向けて。


 周囲に冷たい水の粒が雨のように降り注いだ。


「——穿うがて! つらぬけ! われはなつは、水流すいりゅういしゆみ!!」


 私は彼に言われた通りに、ランドタートルへ向けて追い打ちを掛ける。

 考え出した最長の詠唱。扱いきれる最大の魔力。

 それでも、つい先ほど魔物が放とうとした魔法の大きさにはかなわない。


「アクア・アーバレスト!!!」


 すでに半壊していたランドタートルの頭に、魔法が命中した。

 続けて、彼の放った光の刃が突き刺さる。


 やがて、魔物の崩れ落ちる重たい音が響き渡った。


「ふぅ……。二人とも、よくやったね」


 フレイヤが水面の上を音も無く移動して、一直線に彼の元まで行く。

 彼はフレイヤの顔を見て微笑むと、彼女の頭をそっと撫でる。

 彼女はされるがままに目を細めていた。


「やっぱり魔法を使ってくる魔物は、自爆を利用すれば狩りの幅は広がりそうだよ」


「ご主人様。やはり自らが囮になるのは止めませんか? 主人を囮にするのは間違っていると思います」


「フラン、僕が敵を引き付けるのは、それが一番理にかなっているからだよ。三人で役割を分担して戦闘を効率化するのが一番安全なんだ。それに僕の力は嫌でも目立つから」


「他の方とパーティーを組めば良いのではないでしょうか。そもそもランドタートルは三人で狩るような魔物ではありません」


「でも三人の方が効率良いと思うよ。それにフレイヤの力もほとんど封じなきゃいけない」


「ですが、ご主人様」


「フラン、大丈夫だから」


 何を根拠に言っているのか。

 彼を問いただしたい気持ちもあったが、続く瞬間には私は説き伏せられてしまっていた。


「ごめん、ちょっと魔法を試したかったんだ。無茶をしたように見えたのなら謝る。次はもう少し安全にやるから。それに本当は、今日はランドタートルなんかとは戦う気は無かったんだよ。でも仕方なくて……」


 彼の言葉というよりは、彼の行動によって……。


「えっと……実はフランにこの場所の景色を見せたかっただけなんだ」


 ――そして、彼は魔法の明かりを解いた。




***




 そこは海の奥底であった。

 最下層の一部が海と繋がっている、世にも珍しい構造をしたダンジョン。

 目の前には海岸が広がっていて、繋がった海面が青々と輝き、うす暗い大洞窟の中を蒼く美しく照らし出している。


 海底に反射した日の光が、繋がった海から差し込んでいるのだ。

 それが壁や天井の黒い岩肌に、波の絵を描いていた。

 ゆらゆらと輝き、ひとときも同じ形を保つことはなく、波音と共に常に変化している。

 そんな初めて見る情景に私は言葉を失ってしまう。


「綺麗でしょ? 今日はこれをフランにも見せたかったんだよ」


「えぇと……はい。とっても、綺麗ですね……」


 そんな場所を彼に手を引かれるまま、三人で足元に注意しながらゆったりと歩く。


 洞窟の中は平坦ではないために水たまりが多く、足が濡れて冷える。

 そうした理由から彼を真ん中にして三人で手を繋ぎ、私とフレイヤは彼の魔法で体を温めてもらっていた。


「このダンジョンは青の洞窟(ブルーカーヴ)って呼ばれていて、なぜ海に沈んでしまわないかは詳しく解っていないんだ。最初は入り口が小さい所為で、気圧と水圧の均衡が保たれてるのかと思ったんだけど……。ほら、来る途中に人が通れないくらいの穴が沢山あったでしょ? そこから温かい空気と水蒸気が流れて来ているんだ。それでもっと地下深くの方で海底火山かなにかに海水が温められて……って、こんな話は別にいいか」


「うふふっ……。いいえ、勉強になりますよ。それにご主人様のお話はいつも面白いです」


「そうかな……。ただの素人の推測だよ。それにたぶん間違ってる」


「別に間違っていても良いではないですか。まだ誰も解っていないのですから。ご主人様は、普段から不思議なことを考えたりするのが好きなのですね。なんだか学者さんみたいです」


「あはは、そう言われるとなんだかすごい人みたいだけど、こんなのただの癖みたいなものだよ」


「そうでしょうか」


「そうだよ」


「それで、お話の続きは聞かせて頂けないのですか?」


「うん。ここの水深を考えると、気圧で水を支えるには相当な力が必要になるから、入り口から人が入って来られる訳ないなって、後で気が付いたんだよ。ここにはダンジョンの入り口っていう穴があるから、水圧を支えるほどの気圧が掛かると物凄い勢いで出ようする力が働く。ふくらませた風船の口を開けたときみたいにね」


「気圧と水圧は前に教えて頂いたので分かるのですが、風船ってどんなモノなのでしょうか」


「えっと、風船の説明をするのは難しいんだけど。現象としては、口を閉じながら息を強く吐こうとすると、唇が開いて勢いよく出て行こうとするでしょ?」


 彼はそう言うと、口を膨らませてフーと実際にやってみせる。


「これをこのダンジョンのサイズで考えてみると、そこに入ろうとする人なんか飛んで行っちゃうかも」


「ふふっ、やっぱりご主人様のお話は面白いですよ」


「そうかな」


「そうですよ」


 そう言うと、彼は少し照れ臭そうに笑った。


「そういえば、ゴムがあるのなら風船も作れそうな気がするけど」


「ただ私が知らないだけなのかもしれません。一体どんなものなのですか?」


「んー、帰ったら絵を描きながら教えてあげるよ」


「はい、楽しみにしていますね」


「うん」


 押しては返す海面により、波の模様に優しい光が空間を支配している。

 そうした心地よく穏やかな時間が流れた。


「ご主人様。連れて来てくださって、ありがとうございます」


「ううん。ここの魔物はみんな縄張り意識が強くて、一度魔物を刈り尽くさないとゆっくり見ることはできないんだ。なんか狩りのついでみたいになっちゃって悪いんだけどね。フランには、少し負担を掛けちゃったかもしれない」


「いいえ、そんなことないです。もしそうだとしても、私が嬉しかったことには変わりありませんよ」


「うん」


「でも、やっぱり、見ていて心配になるような戦い方はして欲しくないです」


「あはは……うん……」


 つい先ほどまで湧き上がっていた感情はどこへ行ってしまったのか。

 私はすっかり怒る気を無くしてしまっていた。

 それほどまでに彼はいつも私の気持ちを満たしてしまう。


 つまり、彼はずるいのだ。




***




 彼が忙しいのは分かっている。

 それでもいつだって、彼は私の目を見て話を聞いてくれる。

 どんなことでも私にどう思うかと、意見を求めてくれるのだ。


 本当は私などは彼の足手まといでしかないのも解っていた。

 それでも彼は私のしたほんの些細なことに気が付いて、笑顔でお礼を言ってくれる。

 私が彼の手に触れれば、恥ずかしそうにしながらも力強く握り返してくれた。

 なによりも、ベッドに入るときは、いつだって一緒であった。


 私は彼が眠る必要のないことを知っている。

 それでも最近は私が眠たそうにしていると、三人でベッドへ向かうのが常であった。


 そして、おそらく今夜も行くのだろう。


「フレイヤ、そろそろ行こうか」


「……」


 微睡みの中、彼の声が聞こえた。

 彼は私の腕をそっと外すと、肩まで布団を掛け直す。

 そして、私の髪をそっと撫でてから部屋を出て行くのだ。


 普段は理由が無ければ、自分から決して触れようともしないクセに……。


 そんな事をされてしまえば、何も言えなる。

 彼が腕を外すことに気が付いたとしても、何処に行くのかとは聞く事ができなくなるのだ。


 彼は私が優しくされると何も言えなくなるのを分かっている。

 たとえそれが無意識にしていることだとしても。

 彼は……。


「やっぱりずるいですよ……。ご主人様……」




ーーーーー




 ランドタートル(属:タートル)


 その巨体は、初めて見る者に大きな畏怖を抱かせることであろう。

 陸ガメのような寸胴な手足を持つが、その太い手足を器用に動かして、水の上を浮かぶようにゆっくりと泳ぐ。

 それは遠目には小島が浮かんでいるように見える。

 ゴツゴツとした岩のような甲羅には、長い年月を経て土が積もり、植物が自生することも誤解に拍車を掛ける要因だろう。

 また浅瀬で数年から数十年に渡って眠る習性があり、島と思われていたものが実はランドタートルであったなどという話は数多く存在する。

 大陸南西のラグリス地方では、巨大なランドタートルの上に住まうエルフ民族が居たという伝承が残されている。


 気性は歳を経るごとに温厚になる傾向があり、往年を生きたランドタートルでは危害を加えない限りまず襲って来ることはない。

 反対に若いオスは気性が荒く、特に縄張りに近付く者には容赦はしない。

 また繁殖期のメスは卵を産む栄養を得るために陸地まで上がり、動植物を見境無く食べることがあるため、陸上で見かけた際は近付かないことをおすすめする。


 甲羅の中には魔力が豊富に貯えられており、強力な水の魔法を扱う個体が数多く確認されている。

 その生き血は不老長寿になるとされ、肉が非常に美味であり、かつ腐りにくく保存が効く。

 大陸解放歴初頭に発生した飢餓の時期には乱獲の対象となったが、甲羅は言うに及ばず全身の皮膚が硬く、しぶとい生命力を持つため、倒れたランドタートル以上に犠牲が出たことだろう。


 参考文献:『ハーミット魔性図鑑』 フレデリック・ハーミット


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