欲情
閑話です。
その日の夜は、いつものようには寝付けないでいた。
右腕に柔らかな温かい抱擁を感じつつも、体の左側では触れるまではいかなくともすぐ近くに人の気配がある。
静かな室内で聞こえてくるのは、僅かな呼吸音と稀に起きる寝返りの音くらいだろうか。
普段と変わらぬ寝室の様子。
そんなベッドの上で考えることは、ほんの数刻前の出来事だ。
華やかに彩られていたパーティー会場は、一夜にして戦場と化した。
眩いほどの明かりを灯していたシャンデリアは無残にも地に落とされ、豪勢な食事が並べられていたテーブルは言わずもがな。
美しい装飾の施された壁には魔法による傷が弾痕のように刻まれ、赤い絨毯の敷かれた会場の床には破壊された様々な破片とともに襲撃者と犠牲者の亡骸が倒れ伏していた。
その光景にショックを受けたという訳ではない。
むしろあの惨劇を目の当たりにしても、あまり動揺しなかったことに気が付いて驚いたほどであった。
それゆえに、いま頭の中を巡っているのは、要するにただの言い訳だ。
あの会場での事態は仕方のない出来事であった。
僕にも、もちろんフランやフレイヤにも、ほんの少しも罪は無い、と。
そんな当たり前のことを、意味の無いことを、長々と考え込んでいたのである。
あの暗闇に包まれた会場で、僕は明かりを灯して迎撃の援護をした。
フレイヤは賊の飛び道具を叩き落とすことに終始していた。
フランの放っていた魔法も、人々を守るために仕方なく放たれたものだ。
あの状況では、ほかに避けようが無かった。
たとえそれが水属性にしては威力が高いとしても、魔力による防御を展開したある程度地力を持つ戦士や魔導師ならば、一発で致命傷となるとも考え難い。
いや……やはりそれは希望的観測かと再び思い直し、左手の甲をおでこに当てた。
何度もその事実に突き当たり、ため息を吐く。
つまり不可抗力ではあるが、彼女は高い確率で人を殺めてしまった事になるのだ。
この世界において、奴隷の行いは主人の責任となる。
フランとフレイヤの行い全ては、法律上においては僕の行いと同義になるのだ。
この点から二人に罪が無いのは明白だ。もちろん正当な防衛では罪になるはずも無い。
だが、僕が彼女に人を殺めさせてしまったという事実は残る。
事前に絵画の予知夢をエリスから聞いていた以上は、こうなることは分かっていたはずであった。
エリスの話した夢の出来事を信じていなかったわけではない。
フランとフレイヤが僕の危険を無抵抗で許すとも思っていなかった。
そのために、僕が不用意に彼女に人殺しをさせたという現実が、頭の隅に引っかかっていたのだ。
この点についても彼女に責められた訳でもない。
むしろ僕が謝っても、なぜ奴隷に謝るのだと、彼女から注意される始末。
そして「ご主人様のためなら、私は平気ですから」と困ったような顔を浮かべながら彼女は言ってのけるのだ。
ゆえに、何を今更誰に言うわけでもない言い訳を考えいるのか……。
あの場において、僕たちは全力を尽くした。
外聞としても、褒められこそしても誰に咎められるわけでもない。
だからもういいじゃないか、と。
もう何度目かの同じ答えに帰結するのである。
案外、こうした事を考え続けてしまうということが、動揺しているということなのかもしれない。
僕がそうした悶々とした夜を過ごそうとも、右腕を抱く少女は今夜も安らかに規則正しい寝息を奏でていた。
いつものように男の情欲を掻き立てるような無防備な姿で眠っており、薄い生地の寝間着からは肌の体温と感触が伝わってくる。
「ふぅ……」
そこまで考えて、頭を振って邪な考えを四散させる。
何を馬鹿なことを、精神的に疲れているのだろうか、と湧き上がってくる欲情を否定した。
そしてもう一方を向いてみれば、生理的に睡眠と無縁の少女は、ただ真っ直ぐに天井を見上げていた。
その無表情の横顔は、幼さゆえに妙な庇護欲を掻き立てられる。
まだこちらの方が健全か。理性を塗りつぶすような暴力的な感情は湧き上がらない。
そんな眠れぬ少女に、僕は今夜も静かに声を掛ける。
「フレイヤ、今日は本でも読もうか」
「……」
少女がこちらに視線を向け無言で頷くのを確認すると、二人で静かに部屋を抜け出した。




