伯爵邸の散歩
伯爵邸の庭園を眺める。
そこでは小鳥のさえずりが聞こえ、刈りたての芝生の香りを感じて、穏やかな風に植えられた木々の葉がそよいでいた。
「ふぅ……」
一人になって、ようやく落ち着いてきた。
あの不自然なお茶会は、一体何なのだろうか。
綺麗な少女達に囲まれるのは素直に嬉しいのだが、あんな風にチヤホヤされる覚えは全く無い。
そのため、終始気が気ではなかった。
それに、あちこちから話掛けられ続けると言うのも、なかなか疲れるものであるらしい。
僕はそんなお茶会を、用を足す言って抜け出していた。
帰りの廊下でふと立ち止まり、あの少女達に囲まれると思うと、すぐに戻ろうとは思えなくなった。
そうして、近くにあった庭への扉を開て、今に至る。
しかし、今日のメインイベントである昼食会までは、まだしばらく時間がありそうである。
「少し、散歩でもしようか」
そう一人呟いて、そのまま屋敷の外を歩き回ってみる事にした。
散歩をしながらも、どうせならフランとフレイヤの3人で散歩がしたかったなと考える。
フランが隣に居れば、きっとこの庭園に植えられた立派な木々や、美しく咲き誇る花々の事について、嬉しそうに教えてくれた事だろう。
フレイヤは、そんな隣をお澄まし顔で着いて来て、ときおり話しかければ、ただ静かに頷いてくれたに違いない。
しかしそこまで妄想して、彼女達がこうした場所では、あまり自由に動き回れない事を思い出す。
どうも、この世界の貴族達からすると、奴隷という身分を好まない者がいるらしいのだ。
特に、今日のような様々な地方から貴族達が集まる様な機会では、少しばかり気を使わなければならないらしい。
そのため、彼女達はあまり人目に触れない場所を借りて、僕の用事が終わるのを二人で待っていてくれている。
初めからそれが分かっていれば、彼女達をこんな所に連れて来たりはしなかったのだが……。
しばらく散歩をしていると、やがて、子供の元気な声が聞こえて来る。
何かの掛け声の様な気合いの入った声、けれども未成熟なあどけなさの残る声だった。
興味をそそられ、声の方へと自然と足が向いた。
「てぃっ!」
「たぁ!」
それは、グランドムと剣を交える幼い子供の姿であった。
見たところ、1対3の様である。
3人が斬り掛かり、グランドムが二本の剣を構えて、それを優しくいなしてゆく。
近くでは、子供達の10人ほどの列ができていた。
「ほれ、守りを忘れてはいかんのう」
「くっそぅ!」
どうやら剣が当たった者は交代らしく、グランドムが小突いた者から順に、次の者へと交代している。
剣で小突かれた男の子は悔しがりながら、列の最後尾に並んでいた。
お爺ちゃんとお孫さん達か。
どうやら、グランドムはかなり面倒見が良い様だ。
周りにも、数人の大人達が優しげな顔で見守っていた。
しばらくそれを眺めていると、見物人の中から見知った顔がやって来る。
「ユウ、こんな所で何してるんだ」
「メルドじゃないか。散歩の途中に元気な声が聞こえて来たから、少し眺めてたんだよ」
「そうか。もう少し奥に行けば、男達が剣や魔法の稽古をしているぞ。見に行くか?」
彼の問い掛けに、僕は首を横に振った。
「ううん、良いよ。ただの散歩ついでだし」
「そうか」
そうして、彼と並んで庭を眺める。
すると、一緒に眺めていた彼がふと口を開いた。
「妹には、もう会ったか?」
「妹?」
「ミーアだよ」
「あれ、ミーアって、メルドの妹だったんだ」
気のせいか、外見は全然似ていない。
メルドの髪は暗い赤銅色だが、ミーアは明るい黄緑色の髪をしていた。
この世界では、同じ家族でも、案外似ていないものなのだろうか。
「あいつはどうだった」
「うん、なんか元気な子だよね」
「気に入ったか? お前なら、俺も許そう」
「は?」
「ジジイの為に何処ぞの貴族にやるよりは、その方がアイツにとっては良いだろうからな」
メルドは至って真面目な顔で言うので、それが冗談なのか判断に困る。
彼はあまり冗談を言わないタイプではあるのだが。
「へぇ、貴族の結婚って、そういうものなんだ」
「なんだ、ミーアはあまり自分をアピールしなかったのか。アイツには何事も積極的にやれと、日頃から言い聞かせているのだが」
「あはは、そうなんだ。それなら、ミーアは良くやっていたと思うよ」
そう言って、笑って誤魔化す。
どうやら、彼女があれほど積極的であったのは、お兄ちゃんの言い付けの賜物であるらしい。
それに、ミーアがあそこまで魔法に堪能だったのも、彼の英才教育のお陰というやつだろうか。
「そういえば、ミーアの魔法を見せて貰ったんだけど、凄い技術だった。ハンカチを宙に浮かべて、四つ折りにして見せたよ」
「そうか。アイツは、あの歳にしては、風魔法の特性もそれなりに使いこなせる。気立ても良く、色々と要領も良い方だよ」
「そうなんだ」
どうやら、メルドも認める程の自慢の妹であるらしい。
ミーアは見掛け通り、才女なのか。
彼女は8才という年齢にも関わらず、自信に満ち溢れ、笑顔がまぶしく、とりわけ愛嬌も良かった。
しかも、周りのお姉さん方に一歩も引かない勇者っぷりである。
なんとなく周りの人物達がミーアを認めている風であったのも、彼女自身に実力があるからなのだろう。
しかし、僕はそれとなく話を変える事にする。
このまま話が続けば、また妹をどうかと勧められそうであったからだ。
「それよりも、メルドはこんな所で何しているのさ。僕みたいに散歩っていう訳じゃ無いんでしょ?」
すると、彼はグランドムの方を指差して言った。
「いまジジイに打ち込んだ奴、弟だよ」
しばらくの間メルドと話をしていると、彼は魔法の指導をすると言って場所を移した。
どうやら、丁度、魔力回復のための休憩中だったらしく、魔力の回復には時間が掛かるので、弟の方を見に来ていたそうだ。
少しの間、彼が少年や少女達を指導する様子を眺める事にする。
彼は、魔法の詠唱や魔力の展開のコツ、発動時に意識する注意点などを丁寧に説明しながら手本を見せた。
少し前に、僕が彼にマンツーマンで教わったような内容で、簡単な復習になって良い。
そうしていると、ふと視界の端にドレス姿の幼い女の子が映った。
勇者である。
いや、メルドの妹のミーアちゃんだ。
彼女は屋敷の入り口から出てすぐの所で、辺りをキョロキョロと見回している。
僕は、無意識の内に、彼女からは死角である木の陰にそっと隠れていた。
こんな所まで何をしに来たのかと考えていると、彼女は庭の方で魔法を教えているメルドに声を掛ける。
「メルドお兄様! ユウ様を見ませんでしたか!」
メルドは、チラリと僕の方を向いたが、意外にも彼はこちらの味方をしてくれた。
「さぁな。つい先ほどまでは、その辺にいたと思うが」
「どっちに行きましたか!?」
「分からん」
さすがの勇気である。
彼女に見つかって、お茶会に連れ戻されるのも嫌なので、僕はメルドの対応に感謝しながら、再び屋敷の散歩を再開する事にした。
そうして屋敷の外側を回っていると、今度は屋敷の中の窓越しに、ドレス姿の少女達を見つけてしまう。
しかも、また僕は無意識にしゃがみこんでしまった。
仕方なく、窓の下の死角へと潜り込む。
しかし僕は何をやっているのだろうか……。
体が無意識に反応するほど、あのお茶会がトラウマになったのだろうか。
そう頭を抱えながら、彼女達が去るのを待っていると、少女達の話し声が聞こえてくる。
「ミーア、ユウ様は見つかりましたか?」
「いいえ。外に居たメルドお兄様にも聞いてみましたが、奥のお庭から何処かへ行ったそうです。私は表の方を探してみようかと思います」
「そうですの。見つけたらすぐに教え下さいね」
「お断りします」
「あら、なんですって? 私、よく聞こえなかったのだけれど」
「お兄様は、一度喰らい付いた獲物を譲るはバカのする事だと、おっしゃいました。余計な情けで自分の幸運をに棒に振るなと。私が最初に見付ければ、それは私の獲物です」
さすがの対応である。
だが、彼女達にとって僕は獲物なのか。
もう、ここから逃げ出したい。
「まぁ、アレイスター家の腰巾着が勇ましい事ね」
「その腰巾着が無ければ、10年前の内乱でアレイスター家は根絶やしにされていた事をお忘れ無く。国王からは見放され、今の地位も無かったことでしょう」
「ふふふ、生意気なこと。良いでしょう、お行きなさい」
すると、パタパタと廊下を走る足音が遠ざかって行く。
裏事情というやつか。
なんだか聞いてはいけない事を聞いた気がする。
「私たちは別の所を探しましょう」
「でも、例の奴隷の所では無くて? お婆様の口ぶりから、奴隷を溺愛している様でしたが」
「そうね、お祖父様とお婆様が口を揃えて”美しい”とお褒めになる程ですもの、一目だけ見ておきたいものですわ」
「ユーニスやリーリエには、見向きもしなかったんですもの。一体どれ程のものか。私、気になりますわ」
まとめ役の少女の声に対して、別の少女達の声が口々に上がった。
「ダメよ。奴隷に手を出せば、お婆様に叱られてしまう。お祖父様は使えるものは、何でも使えと仰いますけど、お婆様の忠告は外れたことがありませんもの」
一瞬、フランとフレイヤも面倒事に巻き込まれるかと思ったが、どうやらお婆様という人のお陰で大丈夫そうである。
しかし、彼女達は何故あそこまで本気なのだ。
ここまで来ると、少し恐ろしい。
何か賭け事でもしているのだろうか。
彼女達の去って行く足音と共に、僕は物陰からそそくさと抜け出した。
風に乗って、何処からか食べ物の良い匂いが流れて来た。
そのまま進むと、屋敷の裏手、厨房らしき場所へとやって来る。
ドレス姿の少女達も、僕がこんな裏手の方まで逃げているとは思うまい。
このまま逃げ続けて、お昼頃までやり過ごそう。
「しかし、色々とでかいな」
やはり大きな屋敷だと、色々と設備も大きくなるらしい。
屋敷のレンガ造りの煙突からは、モクモクと煙が立ち上っていて、その大きさは人が入れそうな程の太さである。
これくらいの大きさなら、サンタとして屋敷に忍び込めるかもしれないな、と馬鹿なことを思い浮かべた。
煙突なんて元居た世界では、日常的に見る機会が無かったからな。
厨房の近くには井戸があり、丁度見覚えのある女性がその側に居るのが見えた。
緑髪が綺麗なメイドさんである。
もっとも、僕をお茶会に放り込んだ張本人でもあった。
一言くらいは文句を言ってやりたかったが、彼女は井戸の底を覗き込み、その横顔がなんだか困っていそうな様子だったので、話し掛けて手伝いを申し出る。
「こんにちは。良かったら、手伝いましょうか?」
「あら、ありがとうございます。桶が下で落ちてしまって」
彼女と立ち位置を代わって、井戸の中を覗いてみると、上に屋根がある所為か、底の方が暗がりでよく見えない。
どうやら、垂らしたロープの先には、落ちた桶を引っ掛けるためのフックが付いているが、こうも暗いと難しいのだろう。
まぁ、僕の魔法があれば問題無いのだが。
魔法で水底を照らしてみると、目測で10メートルほどはありそうである。
しかも、ロープがしなり、結構難しい。
それでもなんとか、井戸の水面に浮いていた水桶を上まで拾い上げる事ができた。
拾った桶を外れてしまったロープにしっかりと縛り付ける。
「ありがとうございます。とても便利な魔法ですね」
と、メイドさんにはお礼を言われ、
「でも、ご案内したお茶会からは、抜け出して来てしまったのですか。もう、悪いお人ですね」
と、次の瞬間には、怒られてしまう。
僕が笑って誤魔化すと、彼女も「でも、それが正解かもしれません」と言って微笑んだ。
彼女が笑うたび緑の髪が揺れて、その度に目がつられてしまう。
すると、彼女はふと困ったような顔をして尋ねて来た。
「気になりますか?」
僕は僅かに逡巡しながらも、正直に答えた。
「ええと、はい」
気になるというのは、彼女の髪に隠れた耳のことである。
「仕方ないですね」
彼女は「でも、どうして分かってしまったのかしら」と言いながら、髪留めを外し、髪に隠れていた耳を見せてくれた。
そこには人よりも細長い耳が付いており、これがエルフの耳なのかと感心する。
普段は髪留めで耳を固定している様で、髪留めが外された今は髪の中からとがった耳の先が顔を出していた。
彼女の緑の美しい髪と相まって、とても幻想的な感じである。
「私はハーフなので、本物のエルフよりもずっと短くて形も悪いのです。人によっては、気味悪がられてしまうので、普段は人のフリをしています」
「そうなのですか。もし、傷付けてしまったのなら、すみません」
一応謝っておく事にする。
しかし、わざわざ隠すほどの事なのだろうか。
僕としては、見ていて不快という感情は少しも沸かない。
むしろ、
「でも、僕は、小っちゃくて可愛い耳だと思いますけど」
と、思ったことを口にしてみる。
すると、彼女は口元を手で抑え、恥ずかしそうに微笑んだ。
「うふふ、良いのですよ。お屋敷の人は、みんな知っていますから。それに気味悪がられてしまう原因は、この耳の事では無いのです」
「もしかして、エルフは感情に敏感ってやつですか? それで僕が耳を気にしている事が、分かったのでしょうか」
「えぇ、顔を見ればだいたいの気持ちが伝わって来ます。貴方の場合は、強い好奇心を感じましたから。エルフという種族は、そういった感情に非常に敏感なんです。こうして会話すれば、人の嘘もすぐに見抜けてしまう。だから、他の種族には嫌われてしまうのです」
「それって、僕に話してしまって良かったのですか?」
「えぇ、とても有名なお話ですから」
そうして、彼女は寂し気な視線をこちらに向けた。
種族間の問題も色々と根深そうだ。
このリノという人の多い町で、僕がエルフを見た事がなかったのも、なんとなく分かる気がする。
そうしていると、やけに元気な声が裏庭に響き渡った。
「お婆様!」
「あら、ミーア。そんなに急いで、どうしたのですか」
どうやら、ついにミーアに見付かってしまった様である。
「ユウ様を探して――って見つけました!」
さすがのテンション。
既にこちらの気持ちは、狼に追い詰められた羊である。
メイドさんの呼ばれ方に疑問を感じながらも、そこから僅かに後ずさった。
「さぁ、ユウ様、私と一緒に参りましょう!」
彼女は僕の所までやって来ると、その小さな両手で、僕の腕をがっちりと掴んで捕まえる。
しかも、満面の笑みである。
そんな彼女に捕らえられたのなら、諦めるしか無さそうである。
昼食会までまだ時間はあるが、しばらく付き合うのも仕方ないか。
「あらあら、ミーア、もうお止しなさい。逃げ行くものを追っても、その気持ちを捕らえる事は出来ませんよ」
メイドさんが説得してくれる。
このメイドさん、実は偉いのだろうか。
すると、ミーアは掴んでいた腕を放してくれる。
「お婆様が、そう言うのなら……」
あのミーアが、メイドさんの一言で諦めるほどである。
しかし、それよりも僕には気になることがあった。
「あの、お婆様?」
「うふふ、実は、お姉さんと呼ばれるほど、若くないのですよ」
と、彼女は緑髪を揺らして微笑んだ。
再び伯爵邸の庭を一人で歩いた。
しかし、納得がいかない……。
聞けば、あのメイドさん、グランドムの正妻らしい。
その名もテルエラ。
9人いる奥さんの内の1人、その第一位のご夫人だ。
そんなに沢山居るのかという事は置いておいて、僕は自身の中に渦巻く感情を整理するのに葛藤していた。
これから、この国の貴族となる僕にとって、グランドムは言わば上司みたいなものである。
その上司の第一夫人を、ずっとただのメイドさんだと思っていたのだ。
本来なら、様付けで呼ぶべき相手ではないのだろうか。
僕は彼女の名前が分からなかった——名乗るほどの者ではないと言っていた——ので「お姉さん」と呼んでいた。
あまつさえ「髪が綺麗」とか「小っちゃくて可愛い耳」とか言っていたのである。
次に顔を合わせたときに、なんて話しかけたら良いか分からない。
もう穴があったら入りたい。
しかし、よくよく考えてみると、隠す方も悪いのである。
失礼な事は言ったかもしれないが、悪い事は言っていないはずだ。
そう、何とか納得する。
そして、ミーアには見付かってしまったが、テルエラが説得してくれたお陰で、捕まらずに済んだのだ。
このまま昼食会までどう逃げおおせようかと考えているべきだろう。
そうしていると、芝生の庭の真ん中に植えられた一本の大きな樹の根元に、小さな人影を見付けた。
人影は、小さな女の子で、こちらを向いてただ一人座り込んでいる。
しかし、その少女は他の少女達とは様子が異なり、こちらを追ってくるわけでも無く、ただこちらを見つめるだけであった。
遠目ではあるが、少女の格好も白と青を基調とした上品なモノで、ドレスのようなきらびやかさは無い。
そんな姿に興味がわいた。
少女のショートの髪が、この世界では珍しい黒色であったからかもしれない。
それに、彼女のことは何処かで見た覚えがあった。
そんな木の側で一人ポツンと膝を抱える少女に、僅かに親近感を覚えて、声を掛けるために近寄ってみる。
年齢にして10歳ほど。
少女は、少し俯きながらも上目遣いでこちらを見上げている。
僕は少女の前にしゃがみ込み、なるべく優しい声で話掛けた。
「こんにちは、君はみんなの所には行かないの?」
すると、少女は僅かに戸惑いながらも小さな声で答えた。
「私はみんなと違うから……」
どうやら、予想通りに彼女は狩人ではないようだ。
「そっか、じゃあ僕と一緒だ」
隣に座って休ませてもらっても良いかと尋ねると、「うん」と短く返される。
一人分ほどの距離を開けて、少女の隣に座り込んだ。
「そういえば、どこかで会ったことあるかな?」
「えっ……えっと…………」
「あはは、気のせいだよね」
「うぅん……」
少女は落ち着かない様子で、チラチラとこちらの様子を伺っている。
そんなにも緊張されると、なんとなくこちらにも伝染してくる。
少し不味かっただろうか。
逃げ回るのに少し疲れたとは言え、幼い女の子を怯えさせる様な趣味は無い。
何か緊張を解くような話題を振るべきかと考えていると、やがて妙案を思い付いた。
「ねぇ」
と声を掛けて、軽く握った手を少女に見せる。
少女の視線が手に止まったことを確認すると、手のひらを開いて見せた。
それと同時に、手のひらの上に“緑色の双葉”を出してみせる。
もっとも、ただの光の魔法の応用である。
魔力の塊を双葉の形に整えて、緑色に淡く光らせただけ。
それにより、元の世界で言うホログラムの様に見える。
少女は興味を持ってくれたのか、少しだけ顔を上げて目を見開いた。
「よーく見ててね」
そのまま、双葉を成長させていく。
新芽が徐々に成熟していくように、両手の上で背を伸ばした。
頭の先につぼみを付けて、つぼみの色を緑から白へと変化させる。
そして、白いつぼみを徐々に開いて見せた。
時間を掛けて、ゆっくりと花を咲かせる。
イメージしたのは、この世界のクリッドという白く小さい花だ。
思ったよりも難しく、花の細部を思い描くのに苦労する。
「わぁ……」
しかし、少女はそれでも口を開けて驚いてくれた。
少女の反応に調子に乗ると、花を手のひらの上で木に成長させる。
そして、緑の生い茂った木から、桜の木へと色を変えて見せた。
「すごい……」
彼女は魔法が気に入ってくれたのか、反応がどこか初々しい。
そのまま、魔法を様々な形へと変えてみせる事にする。
色鮮やかな熱帯魚、白い肌のイルカ、空想上の生き物である人魚、鳥や猫などの動物達。
この世界のドラゴンや天使など、神話に出てくる様な生き物も作り出してみる。
魔法が形を変える度、少女は声を上げて喜んでくれた。
最後には、クマのぬいぐるみを再現してみせる。
なるべく、親しみやすく、愛くるしいクマを心がけた。
そして、僕は少女に向けて言う。
「触ってごらん」
すると、少女は恐る恐る指先で魔法に触れた。
しかし、すぐに指先を引っ込めてしまう。
僕が「大丈夫だよ」と言って、クマのぬいぐるみの片腕を、大げさな仕草で前に出してみせると、少女の指先が魔法の人形の腕と触れ合った。
「わぁ……。あったかい……」
そうして、少女は初めて年相応の笑顔を咲かせたのであった。