宿屋の朝
辺りがボンヤリと明るくなる頃に、僕は目覚ました。
懐かしい夢を見た気がする。小さなころの夢だ。
気が付けば頬に涙の流れた跡があり、それを着ていたシャツの袖で拭った。
見慣れない天井に、固いベッド。
昨夜、次に起きたら現実に戻ってないだろうか、なんて淡い期待を抱いて眠ったものの、そんなことはなかった。
それでもまだ帰れないことが決まったわけではないため、すぐにでも帰る方法を模索するべきだろう。
それにしても、いまは何時なのだろうか。
部屋のなかを見回してみても、時計のようなものは無かった。
それも当然か、この世界には電気がないのだから。
窓から入る薄明かりが、日が昇り始めた頃であることを教えてくれていた。
宿屋の主人は、朝食を五時と言っていたか……。
この世界では朝、日が昇る時間は何時頃なのだろうか。
もしかすると、主人に聞けば時間がわかるかもしれない。
僕はブーツを履いて、ベッドのシーツを整えると部屋の外へと出た。
宿屋の階段を下りて行くと、一階のカウンターには主人のアランが居た。
「やぁ、ユウ君。おはよう」
「おはようございます、アランさん」
「今日は、冒険者ギルドに行くのかい?」
「えぇ、そのつもりです」
昨日の夜に、お金を稼ぐなら冒険者はギルドで依頼をこなすのだと、アランから聞いていた。
冒険者ギルドがどんな所なのかは、まだあまり想像がつかないが、早めに見に行ってみるべきだろう。
「冒険者ギルドは朝食と同じ時間で五時からだからね。もうできてるから食べてから行くと良いよ」
「いまは何時なのですか?」
「四時五十分だね」
アランは、後ろの壁に掛かっている石板を見ながら答えた。
それには数字が刻まれており、中央からボンヤリとだが時計の様に針が伸びているのが見える。
時計の様な……というよりは時計だ。
僕が読んでも、時刻は四時五十分であった。
「針が薄くなってきているから、これもそろそろ魔力を補充しないとね」
「それも魔道具ですか?」
「そうだね、あとでマギーに頼まないと……」
「もしかして、マギーさんも魔法が使えるのですか?」
「いやいや、料理の肉から出る魔物の血を使うんだよ。魔物の血には魔力が含まれているからね」
魔物の血……。
僕の皮袋にも、そのうち魔力を補充しなければいけないのだろうか。
そうしていると、食堂の方からマギーがやって来た。
「あら、ユウ君、おはよう。もう朝食の準備はできているよ」
「おはようございます、マギーさん。頂きます」
僕はアランに「いってきます」と言って、食堂に向う。
席に座ってしばらく待っていると、昨日の女の子が料理を持って来た。
「お待たせ」
「ありがとう。その、昨日はごめんね」
「別にいいわよ、お母さんの所為でもあるんでしょ。服は洗っておいたから、あとで持ってくるわね」
そう言って彼女はすぐに戻って行った。
結構素っ気ない感じだ。
第一印象がアレだから仕方がないのかもしれないが……。
食堂で出されたのは、昨日と同じ丸いパンが三つ。
黄身の大きな目玉焼きとサラダ、そしてミルクだった。
僕は出された食事を食べ始める。
パンが美味い……。今朝のは焼きたての様で、中はモチモチだ。
バターやジャムは無くとも、味の濃いミルクとよく合う。
目玉焼きやサラダも美味しかった。
僕が食事を食べ終わる頃になると女の子がやってきて、服を持ってきてくれた。
「はい、これ」
「ありがとう、助かったよ」
とやはり彼女は素っ気無く服を渡してくる。
気にせず、お礼を言って受け取った。
服を受け取ると、破れていたシャツが綺麗に縫われていた。
ズボンの穴も、ほとんど分からないくらいに塞がっている。
「あれ、これは君が直してくれたの?」
「そうよ。あんまり酷かったから……迷惑だった?」
彼女は少し不安そうに聞いてきた。
「ううん、とても助かったよ。ありがとう」
もう着られないと思っていたが、同色の布で綺麗に直されている。
縫い目もほとんど目立たない、素晴らしい出来だ。
「君は裁縫が上手いんだね。とても綺麗だ」
そう素直に感想を伝えると、彼女は少し照れた顔をして笑った。
「あ、ありがとう。その、あんまり褒められたことがないから嬉しいわ……。それと君じゃないわ、ティアよ」
彼女は、母親譲りの茶色い瞳に茶色の髪、端整な顔立ちに髪型はポニーテールに纏めていた。
元気そうな女の子であった。
「そう、僕はユウ、よろしくね」
「うん……。よろしく」
「……」
「……」
しばらくの間、沈黙が場を支配する。
こういう時に気の利いた話題でも出せれば良いのだが……。
そういえば、こういう間を天使が通るとか言うんだったか。
僕が彼女の顔を見ながら、そんなバカなことを考えていると、彼女の方が先に口を開いた。
「そ、それじゃあね! あ、良かったら、またうちに泊まってよね! じゃあね!」
ティアはそう言って、そそくさと退散してしまった。
気を使わせてしまっただろうか……。
食事を済ませると、部屋で直してもらった服に着替えた。
受付のアランにお礼を言って服を返し、そのままチェックアウト済ませてギルドへと向う。
冒険者ギルドの場所はアランに教えてもらっていた。
広場に隣接しているから、直ぐわかるとのことだ。
この町の朝は早いようで、すでに馬車や人々が行き交っていた。
町の中心に向けて目を向けると、遠くの方に広場らしき場所があるのが見える。
広場の奥には、さらに道が続いており、そのまたずっと先には、立派な白亜のお城が立っていた。
まるでファンタジーの世界だな……それが僕の感想だった。
通りを眺めていると、ふと視線を感じて振り返った。
と、食堂の窓越しに、ティアがこちらを見ている。
彼女は視線が合ったことに驚いたのか、ピンと背筋を伸ばしたかと思うと、こちらに手を振ってきた。
僕は彼女の様子に笑って手を振り返すと、ギルドへの道を歩き始めた。
***
「はぁー……」
私はため息とともに、緊張を吐き出した。
彼に見ていたのを気が付かれた。恥ずかしい……。
お母さんには普通に話せば良いと言われたが、本当にアレで良かったのか。
一応、お礼は言って貰えたけど……。
私の素っ気ない態度にも、怒ってはなさそうであった。
生意気だとか、因縁を付けられることもなく、話に聞く貴族よりもずっと普通の人。
それにしても、なぜこんな安宿に貴族が泊まるのだ。
貴族なら、広場の先に富裕層御用達の高級宿があるじゃないか。
お母さんに言われなければ、服を直すなんて面倒くさいことはしなかったのに……。
気に入られれば、嫁に貰ってもらえるかもしれないとか、いったい何を考えているのだか。
そんな、変なことを言われた所為か、妙に意識してしまった。
たしかに少し気合を入れて服を直してしまったけれど……あんなにジッと見なくても良いじゃないか!
「……」
私は、彼の姿を思い出す。
彼の髪は、サラサラだった。
あんなに真っ黒な髪も珍しい。吸い込まれるような黒い眼も……。
肌も綺麗だったし……。いつもうちに来る人達みたいに汗臭くはなかったし……。
むしろ、なんだか良い匂いがしたし……。
なによりも……終始、優しげな雰囲気だった。
いつのまにか、熱くなってきている頬を両手で覆い隠した。
まったく、お母さんが変な事言うから!
「はぁ……。また、来てくれるかな……?」
(彼女はサブキャラです)