図書館
町の大広場では、今日も沢山の露店や屋台が立ち並んでおり、そこで売られる品々を買い求める人で賑わっていた。
そんな賑やかな中を、三人で話をしながら、ゆったりと歩いて行く。
「その様なことがあったのですね……」
フランにギルドでの一件を伝えると、彼女は神妙な面持ちをして呟いた。
彼女が詳しく知りたがったこともあり、起こった出来事をなるべくそのまま伝えたのだが、彼女には少し刺激が強かっただろうか……。
話の内容をオブラートに包むなどして彼女に気を配っても良かったかも知れないが、どうもこういった事に慣れない僕には、その辺のさじ加減は難しい。
そんな風に考えていると、隣を歩くフランの歩みが止まる。
彼女と手を繋いで歩いていたフレイヤも、フランの顔を横から見上げた。
「私がフレイヤに、ご主人様を守る様に言い聞かせたのです……」
「……」
そして続く彼女の言葉は、謝罪の言葉だった。
「ごめんなさい……。私が余計な事を言わなければ、フレイヤはそこまで……。ご主人様が冒険者に剣を向けられるなんて事にはならなかったと思います。本当に申し訳ありません」
フランが申し訳なさそうに頭を下げた。
彼女の綺麗な金髪が、肩口からスルリと垂れる。
「どうして、フランが謝らなくちゃいけないの」
僕はその姿が見ていられなくて、彼女の肩を掴んで頭を上げさせる。
顔を上げた彼女は、今にも少し泣き出しそうな、下唇を噛む様な、酷く後悔した表情を浮かべていた。
「ですから、フレイヤが冒険者に手を出したのは私の所為なのです。私がフレイヤに余計な事を言わなければ……」
「フラン?」
僕はそんな落ち着かない様子の彼女に呼びかけて、一度会話を止める。
彼女は僕が怒るとでも思っているのだろうか……。
「誰も悪くなんか無いよ。ただ運が悪かっただけだよ」
なるべく優しい声を心掛けて言った。
「少しやり過ぎちゃったと言っても、もともと話し合いだけじゃ解決しなかったかもしれないし、もしそうだとしたらフレイヤが来てくれなかったら、もっと厄介なことになっていたかもね」
僕はそう言いながら、フランの隣からこちらを見上げている、フレイヤの銀の髪を優しく撫でる。
彼女はそれを受けて、ほんの僅かに目を細めた。
「だから、僕はこれで良かったと思っているよ。僕の事を守ろうとしてくれたフレイヤには感謝しているし、それをフランがお願いしたのならフランのお陰でもあると思う。こちらにケガは無いんだし、もしフレイヤが来なかった場合にどうなっていたかなんて誰にも分からない。だから、誰が悪いとかは無いと思うよ」
彼女が何を気にしているのかは、僕にはよく分からない。
しかし、それもおそらくは彼女の善意から来るものだろう。
それによって何かが大事に至ったわけでも無く、むしろ結果的には助かったのだから、それをフランが謝る必要は無いと思う。
むしろ、普段からそんな事を考えてくれているフランには、僕は感謝をするべきだろう。
「ですが、私の所為でご主人様の名前に傷が付いてしまったら……」
彼女はまだ自分が悪い事にしたいらしく、少し複雑な表情をして言った。
どうやらフランは、僕の世間体云々を気にしているらしい。
そんな事のために、彼女はこんなにも落ち込んでいるのだろうか。
本当に申し訳無さそうに、こんなにも思い詰めた様な表情を浮かべて……。
僕はそれがなんだか気恥ずかしくて、思わず少し笑ってしまう。
「あはは、そんな事気にしないのに」
すると、フランは少しだけムッとしたような表情をしてこちらを向いた。
「ダメです。貴族にとって、名前というのはとても大切な物なのです。ましてやそれを傷付ける従者なんて……ありえません。ご主人様はそういう者を叱らなければいけない立場にいるのです」
彼女が真剣な表情して言う。
どうやら、僕は彼女の中の地雷を踏んでしまったらしい。
なんというか、こういう時の彼女はとても頑固だ。
「ですから、ご主人様は——」
僕はその続きを聞きたくなくて、彼女の手を取って走り出した。
すぐに後ろ振り向き、フレイヤが付いて来ていることを確認する。
「ほら、行こう。もうこの話は終わり!」
「わっ、ちょっと危ないです! ご主人様!」
途中、後ろから拗ねる様な声が聞こえたが、僕はそれを無視して走り続ける。
沢山の人が行き交う大広場の中を縫う様にして。
とは言っても、広場のあまりの人の多さに、それも長くは続かなかったのだが。
図書館の中に入ると、そこは本の山だった。
「わぁ……」
フランが小さく感嘆の声を上げた。
彼女の瞳は、まるで宝物を見る様にキラキラと輝いており、普段はあまり見ることの無い横顔に、見ているこちらも少しだけ嬉しくなる。
その隣から、フレイヤも同じように図書館の光景を見上げてはいるが、その表情には代わり映え無い。
そんな対照的な反応を示す彼女達の横で、僕も同じ様に図書館の中に視線を向ける。
「すごい数だね」
「はい……」
リノ王立図書館。
そこは見上げる程に背の高い本棚達が建物の最奥まで立ち並び、そして目に見えるほぼ全ての壁が本という本で覆われていた。
建物自体は三階建てと思われるが、一階から三階までが吹き抜けの構造で出来ており、入り口からも上の階の様子が見て取れる。
そしてなによりも、立ち並んでいる本棚の背がとても高いのだ。一体、こんなにも背が高い必要があるのか、といったぐらいだ。
しかし本棚の隅の方を見てみても、そこには隙間なく本が詰め込まれており、その蔵書量は見る物を圧倒する。
背の高い本棚の一つ一つには、ハシゴが備え付けられており、その形状が特殊なことから、おそらくは可動式のものなのだろう。
そうして図書館の中の光景を眺めていると、なにやら横から咳払いが聞こえてきた。
そちらの方を見れば、受付のカウンターがあり、そこには眼鏡を掛けたご老人の姿が見える。
その様子から、この図書館の司書か受付の人なのだろう。
「初めての方ですかな」
「あ、はい、そうです。何か受付の様な事を済ませる必要はありますか?」
僕がそう尋ねると、ご年配の司書はうんうんと頷きながら答える。
「もちろんですとも。こちらに腕輪をお願いできますかな」
そう言われて、司書に差し出された石板に、僕は腕輪を近づけた。
腕輪と石板が近づき、二つフワリと淡い光を放つ。
「おや……失礼ですが、後ろのお二方は奴隷ですかな」
「入れませんか?」
そう司書に尋ねると、彼は首をゆっくりと横に振った。
「いいえ、作法を弁えている様ですね。その腕輪の外套は、人前で決して外さぬ様にお願いします」
腕輪の外套というのは、フラン達が付けているアクセサリの事か……たしかそんな堅苦しい名前だった気がする。
「分かりました」
僕が司書の言葉に頷くと、本を借りる際は受付に相談する様にと説明を受ける。
彼の口ぶりから察するに、どうやら信用によって借りられる本と借りられない本がある様だ。
そして、借りられる本の内、五冊までは十四日の期限付きで貸して貰えるらしい。
あとは、本を傷付けたら弁償や周りの人の迷惑にならない様にといった内容であった。
説明を終えると、彼は丁寧にお辞儀をして送り出してくれる。
「では、ごゆっくり」
僕も司書に会釈をして、フランとフレイヤを連れて図書館の中へと足を進めた。
「ご主人様、どの辺に座りますか?」
「なるべく人が少ない所にしようか」
「はい、分かりました」
フランと会話をしながらも、僕は人知れず、そっと胸を撫で下ろしていた。
いまの受付は、少し危なかった様な気がする……。
あの場では確認はされなかったが、もしもフレイヤの腕輪が確認されていた場合はどうなっていたかという話だ。
普段は当たり前の様に利用している、腕輪と石板による身元確認だが、僕はあの仕組みをあまり理解していなかったりする。
名前や身分、クラスやレベルといった項目以外には、一体どんな情報が腕輪から読み出せるのだろうか。
仮にフレイヤの腕輪から死神という種族の情報が読み出せるのだとしたら、それは一発でアウトだ。
しかしながら、少し前にギルドの依頼で、僕の種族が人族であるかという話があった。
それはつまり、僕の腕輪からは、種族の情報が分からなかったという事になる。
そういった前例はあるのだが、フレイヤの腕輪から死神という種族情報が読み出せないという確証は無い。
それを今更ながらに気が付いたという訳だ。
あまりにも詰めが甘い……。
僕は自分の詰めの甘さを思い知った。
こうして何気なく町で暮らすだけでも、大きな不安要素が残っているでは無いか。
フレイヤがこれからも普通に暮らしていくためには、早急に腕輪と石板による身元確認の内容を知る必要があるだろう。
「ご主人様、あちらに……。あの、どうかしましたか?」
「え、あ、ううん。良いと思うよ、あそこにしようか」
フランにそう声を掛けられて、僕は考えを一旦打ち切った。
フランとフレイヤを席に残して、僕は本を探しに行く。
フランも本を探すのを手伝うと言ってくれたのだが、それは僕から断っていた。
そして、彼女達は二人で仲良く四英雄の物語を読んでいる。
僕が探しているのは、魔道具の本だ。
あの石板が腕輪から読み出せる内容を知る必要がある。
それはフレイヤを助けると決めた僕の責任であった。
そう意気込んではみたものの……それもすぐに行き詰まっていた。
「なるほど、わからん……」
もともと技術系の学校に進んでいたため、少しくらいは理解できる自信があったのだが、そもそも書いてある術式が難しい。
それは、意味不明な記号と神語で構成された魔方陣や魔法術式の組み合わせだ。
単純そうな術式でも翻訳自体に時間が掛かる。そして、分かりやすい本もなかなか見付からない。
もはや、誰かに教えを請う方が早いのかもしれない。
しかし、事情が事情だ……。理由を聞かれたら答えられないだろう。
あの石板の魔道具の現物があれば、その術式を解析して何とかなるのだろうか……。
と、そうしていると著者の欄に見知った名前を発見する。
エール・エル・バートランス——。
僕の知っているエールさんは、ギルドマスターの孫だからアレイスター家のはずか。
そう思いながらも、本を手に取ってみる。
分厚い本の表紙には『魔道具基礎術式』というタイトルが印字されていた。
中身を開いてみると、基礎というだけあって分かりやすく纏められている様な印象を受ける。
巻末には、簡単な神語の逆引きが付いており、他の本と比べると読みやすい工夫もされていた。
名前は人違いにしても、理解しやすいことには変わりないか……。
僕はその本と他数冊を持って、二人の元へと戻る事にした。