喧騒
よく見知った大通りへと出ると、その賑やかな喧騒に僕はそっと胸を撫で下ろした。
この辺まで来ればもう安心だろう。
奴隷商のある地域があまり歩き慣れないという事もあるが、やはり二人にはこうした明るい雰囲気がよく似合う。
すぐ後ろを振り向けば、二人は相変わらず仲良く手を繋いでおり、その様子は実に微笑ましかった。
「ご主人様、今日は図書館に行くのですよね」
「うん、その前に少しギルドに寄って行くけどね」
フランの期待する様な声に僕が返事をすると、彼女は嬉しそうにはにかんだ。
彼女は本が好きなので、きっと楽しみなのだろう。
今日の予定を図書館へ行く事にしてからは、なんだか嬉しそうにしている。
そんなフランから聞いた話では、リノの図書館はとても大きなことで有名なのだそうだ。
これは王国の首都なのだから当たり前だと思うかもしれないが、実はリノスフルムという国は三百年前の戦争で一度地図上から無くなっているらしい。
この辺も全てフランからの受け売りだが……なんでも女神達が魔界の一部を封じ込める為に大地ごと海に沈めたのだとか。
その傷跡は実際の地図の地形からもよく見て取れるほどだ。
そんな境遇にも関わらず、このリノの図書館には戦争以前からの歴史のある書物がいくつも残っているらしく、今朝はその辺をフランに熱く語られてしまった。
こんなにもすぐ近くにあったのだが、どうやらフランの行ってみたい場所であった様だ。
言ってくれればすぐにでも連れて行ったのだが、彼女は自分から望みをあまり言ってくれない。
彼女はもう少しわがままを言ってくれても良いと思うのだが……。
「フレイヤ、図書館に行ったら一緒に四英雄の物語を読みましょうか」
フランは嬉しそうに話しかけるが、少女は小首を傾げる。
その仕草も実に可愛らしいのだが、やはりフレイヤには分からない様だ。
少女の知識は偏っており、日常生活についての知識は少ない。
それに契約などの事は知っているのに、出来事としての記憶は少ない印象を受ける。
フレイヤの話の限りだと、気が付いたら冒険者達に追いかけられていた様だし、記憶喪失とかなのだろうか。
「あなたと同じ名前の英雄が出てくる物語ですよ。銀の死神と呼ばれた美しい女性のお話です」
フランは、やはり嬉しそうに優しく少女に語りかける。
まぁ、僕よりはいくらか話しやすいのだろう。
別にフランがフレイヤの事ばかりを構うからといって、嫉妬している訳では無い。
僕としても、フランが機嫌良さそうに話すのは聞いていて心地が良いのだ。
そんな小気味良いフランの語りを耳にしながらも、三人でゆったりとギルドへと向かって歩いて行く。
ギルドに寄るのは、まだいくつか残っていた魔物の素材や魔結晶の換金のためで、実のところ財布の中身にあまり余裕が無かったりする。
その原因は契約や生活必需品による出費なので致し方ないのだが、お財布の中身に余裕が無い貴族というのもなかなかに格好が悪い。
本当なら二人にはもっと衣服などにお金を使ってあげたいのだが……。
魔物の素材やギルドの依頼の他にも、なにか金策を考えた方が良いのだろうか……。
そんな事を考えながら歩いて行くと、やがて町の中心である大広場までやって来る。
広場では今日も露店が数多く店を開いており、相変わらずの賑わいをみせていた。
冒険者ギルドはそんな活気ある大広場に面して建っており、ギルドの方に目をやると建物の前でいくつかの冒険者パーティーが屯している姿が見えた。
「今日は人が沢山いますね」
「うん、なんでだろ」
何かあったのだろうか。
いつもならば朝方か夕方頃に混んでいるのをよく見かけるが、今の時間はもうすぐお昼だ。
こうして人が集まるからには、何か大規模な討伐がある場合が主のはずなのだが、ここ最近では死神の件以外には思い当たる節が無かった。
「二人はこの辺でお店でも見ていて」
「はい」
フランにフレイヤをお願いして、僕は二人を広場に残して一人でギルドに行く事にする。
ギルドの前に居る冒険者達は、普段あまり見かけない雰囲気の人が多く見受けられるような気がした。
そんな冒険者達を不思議に思いながらも中に入ると、突然男の怒鳴り声が聞こえてきた。
「ふざけんなっ!」
その大声に、僕を含めて何人かがそちらの方を振り向く。
どうやら騒いでいるのは、ギルドの掲示板の前に居る冒険者の様だった。
正直ちょっと恐いので、あまりお関わり合いにならない様にしようと考える。
僕は何も見なかったことにして、そのままスタスタとギルドホールの中央を横切って行く。
「討伐者がたった一人? しかも報酬を辞退とか舐めてんのか!」
何故か嫌な予感がした。
僕はついつい声の方向をチラリと見てしまう。
すると、騒いでいた男の近くに居た仲間と目が合った。
「おい」
隣に居た仲間がこちらを顎でしゃくると、案の定騒いでいた男がこちらへズンズンと向かって来る。
デカイ図体だ。しかも顔が怖い。
「そこの黒髪。ユウ・アオイっていうのは、おめぇか?」
「そうですが」
わざわざ僕の目の前まで来て尋ねられたので、仕方なく答える。
「本当に一人で死神を狩ったのか」
「何のことでしょうか」
「とぼけやがって!」
すると、何故か胸ぐらを捕まれる。
男が一体何を言いたいのか分からない。
なんというか、こういう人は面倒だ。
「てめぇが死神を独り占めしたのは分かってんだ! こういうのは分け合うのがスジってもんだろうが!」
つまりこの男はこう言いたいのだろうか、報酬の高い魔物はみんなで分け合えと。
言いがかりだ。
今回の討伐依頼は、町に暮らす人々に被害が出るから張り出されたものだ。
その報酬をみんなで仲良く分け合うために人が集まるまで待てとでも言うのだろうか。
今回のはたまたま特殊で被害が少なかっただけだ。
普通であればそういった依頼はすぐにでも解決すべきだろう。
時間が掛かれば掛かるほど、魔物や魔族による被害は広がるはずなのだから。
「だから、言っている意味が分からないって——」
と、僕が反論を言い終える前に、突然目の前の男が吹き飛んだ。
代わりに、ふわりと白い髪の少女が舞い降りる。
「あれ、フレイヤ?」
そして次の瞬間、分厚い木板を叩き割った様な轟音がギルドの室内に響き渡った。
音の方角を追うと、先程の大男がギルドのカウンターにめり込んでいる。
近くにいた冒険者達が慌て離れていく。
「クッソ……ガキ……てめぇ、なにしやがる」
男がよろけながらも立ち上がった。
男の左腕は力なく垂れ下がっており、既に片腕の骨が折れていることがうかがえた。
男の顔に、もはや怒り以外の感情は一切見受けられない。
完全に頭に血が上っていた。
「もうただじゃおかねぇぞ!」
男は怒鳴り声と共に腰に下げていた剣を抜く。
周囲に緊張が走った。
何故こんな事に……。
フレイヤは僕のことを守ろうとしたのだろうが、少しやり過ぎだ。
しかし、もう起きてしまったことは仕方が無い。
僕は覚悟を決めて少女の前へと歩み出る。
腰に下がる剣に手を当て、男を睨んだ。
「どけぇ、先に手ぇ出したんだ。庇うならてめぇも切る」
「何を言ってる、先に手を出したのはそっちだろ。それに彼女は僕を守ろうとしただけだ。悪気は無い、剣を引け」
しかし、僕の警告も全く意味を成さない。
男がこちらに向けてゆっくりと歩み始めた。
僕は仕方なく剣を抜き、全身と剣を魔力で強化する。
勝てるのか? いや、勝たなければならない。
しかし、こちらも殺すつもりは無い。
被害が無くなる様に、目の前の男を動けなくすれば良い。
人間相手には初めてだが、あれを使うか……。
左手に魔力を込めた。
しかしそんな僕の考えを余所に、少女はスルリと背後から抜け出して走り出す。
「こら! フレイヤ!」
「このクソガキが! ぶっ殺してやる!」
男が大声を上げながら少女に向けて斬り掛かった。
自らが前に立つよりも遙かにドッと汗が全身から噴き出す。
もう間に合わない。男の刃が迫った。
少女がその身を大きく屈める。
フレイヤのすぐ側を剣先が掠めた。
少女はすぐさま体制を戻すと、その白く細い足で蹴りを放つ。
男の大きな革の鎧を少女の小さなブーツが叩いた。
ドンッ——。
再び男の体が大きく吹き飛んだ。
そして背後のカウンターの先程と同じ場所、そこに大きな音を立てて収まる。
再び響き渡る轟音に、ギルド全体が騒然となった。
「ゴフッ……」
男が咳き込み、口から僅かに血を吹き出す。
「……」
フレイヤがその白い髪を棚引かせて男の方へと歩み出す。
静かな室内に、少女の靴底が床板を叩く軽い音が響き渡る。
「フレイヤ?」
少女は何をするつもりなのか、男の側まで歩み寄るとその小さな拳を振り上げた。
そして少女の拳が下ろされる。
「やめろ! フレイヤ!」
バキリッ——と何かを砕く様な音がした。
僕はフレイヤの側に駆け寄り、少女を男から引き離す。
すると、男の頭のすぐ横には、ポッカリと丸く小さな穴が空いていた。
「ゴフッゴフッ……」
男が口を押さえて大きく咳き込み、両手の隙間から鮮血がこぼれ落ちた。
「やり過ぎだ……」
その姿を見て、僕は両腕で捕まえた少女をギュッと抱き締める。
僕がそうしていると、ギルドの室内に聞覚えのある、低くもよく通る声が響き渡った。
「倒れている男を捕らえろ。男の捕縛に抵抗する者も同罪だ」
そちらを振り向くと、メルドが普段は見せない左腕を捲り上げ銀の腕輪を見せつけていた。
そして彼の声に、付近の冒険者が動き出す。
男の剣が奪われ、男の体が床に押しつけられた。
「ゴフッ……なんで俺が捕まらなきゃならねぇ……」
男は見上げながらも睨み付ける。
「冒険者同士のいざこざに貴族がしゃしゃり出てくんじゃねぇ……」
「何を言っている? 理由無く、貴族に剣を抜いた者は極刑だ」
メルドがそう低い声で言うと、最後に男は小さく悪態を吐いた。
「クソッ……何で隠してやがるんだ……」