フレイヤとの契約
町の外側の方まで来ると、やがて町全体を取り囲む城壁が見えてくる。
それは町を守るための物なのだが、こうしてすぐ近くまで来るとやはり閉塞感がある。
そして、高い城壁の影となって日の当たらない地面には、昨日の雨の痕跡が数多く残っていた。
「フレイヤ、水溜まりに入らない様に気を付けましょうか」
「……」
フランの言葉に、フレイヤは頷いて答える。
それに合わせて、僕も少し歩調を緩めた。
この辺はあまり好きになれない。
道が舗装されていないため埃っぽく、町並みも大通りに比べると綺麗とは言えない。
建物が密集していて道路も狭く、ときどき窓ガラスが割れていたり、庭の草木が伸びきった空き家も見受けられる。
そのうえ人通りも少ないので、治安もあまり良くはないだろう。
なるべくなら二人を連れて歩きたくはない所だ。
しかし、腕輪の契約のためには仕方が無いのだが……。
そんな道を気を付けながら歩いて行くと、やがて目的の建物にたどり着く。
その建物は周りの建物と比較するとかなり大きく、そしてかなり手入れがなされていると言えるだろう。
なぜこんな場所にこんなに大きく小綺麗な建物があるのかというのは、奴隷を扱っているためなのだろうか。
建物の外観も人の目線の高さからは中が見えないように塀で囲まれている。
「入り口に馬車が止まっていますね」
「うん、そうだね」
どうやら奴隷商には先客が居たようで、店の前には黒塗りの馬車が止まっていた。
そして、僕らが店の中に入ろうとすると、入れ違いに客達が出て来る。
先頭の貴族風の男に続いて、使用人らしき男、そして奴隷とおぼしき少女の姿……。
奴隷の少女は手枷をはめられており、枷から伸びた鎖を使用人の男が両手で大事そうに握っていた。
鎖に両腕を引かれる少女の姿は、必要最低限の格好で、腕や足に露出が多く見受けられる。
そして、その俯いたその表情からは少女の感情をうかがい知ることはできない。
なるべくそちらを見ない様にしてすれ違うと、背中越しに男の低い声が聞こえてきた。
「乗れ」
鎖の軋む音に続けて、少女の短い悲鳴が聞こえた。
「きゃっ!」
「さぁ、旦那様を待たせるんじゃねぇ」
やはり、この場所はあまり好きにはなれそうにない。
「フランはどんな契約をしているの?」
契約の内容を決める際、フレイヤがフランに向けて尋ねた。
「命捧の契約ですよ」
「私もその契約が良い……」
僕としては普通の契約を行おうと思っていたので、確認の為にフレイヤに尋ね返す。
「フレイヤ、その契約の意味は分かっている?」
すると、フレイヤはこちらを向いてコクリと頷いた。
その辺も、フランが教えておいてくれたのだろうか……。
フレイヤがそれが良いと言うのなら、僕としても拒むつもりは無いのだが……。
僕がそう考えていると、奴隷商人がフレイヤに向けて低い声で言う。
「おい、奴隷……。どちらか一方が死ぬまで解けない契約という事は、お前は不要になったら殺されるという事なんだぞ? 奴隷は要らなくなれば売るものだ。売れない奴隷は殺して捨てるしかない。お前はその男に飽きられたら殺されるんだ。その事が本当に分かっているのか?」
僕はフレイヤがそう望むのなら、良いかと思ったのだが……。
なるほど、そういう事もあるのか。
普通に考えれば、要らなくなった奴隷を売るというのは当然のことなのかもしれない。
僕にそんな事できるはずが無いのだが……。
「……」
フレイヤは奴隷商人の言葉を聞き終えると、僕の顔をジッと見つめる。
しばらくすると奴隷商人に向き直り、小さく呟いた。
「大丈夫……」
その様子を見た奴隷商人がため息を吐く。
「はぁ……。おい、こいつは本当に分かってるのか……」
その言葉に、僕は少し困った様な顔をして返した。
確かにひどい物言いだったが、奴隷商人の言う事も正しいのかもしれない。
フランとは命捧の契約を結んだが、フレイヤとはどうしたものか……。
少女が望むからといって、安易に取り返しの付かない契約を結ぶのはどうなのだろうか……。
そうして僅かな間考えていると、今度はフランが口を開く。
「フレイヤ、ご主人様は命まで契約しなくとも、きっとあなたを大切にして下さいますよ」
フランはフレイヤに向けて優しく諭すように言った。
その言葉に、フレイヤはフランの顔をジッと見つめると、やがて納得してくれたのかコクリと小さく頷く。
「分かった……」
「決まったか?」
「あぁ、主従の契約を頼む」
僕は予定通りに、奴隷商人に主従の契約を頼む事にする。
しかし、フレイヤはなぜ命捧の契約を結びたいと言い出したのだろうか……。
フレイヤもフランの時と同じように、他の人に売られるくらいなら死んだ方がマシという事なのだろうか。
無口な上に表情に出ないフレイヤの考えは、イマイチ読めない。
別にフレイヤだから命捧の契約を結ばないという訳では無いのだが、やはり安易に取り返しの付かない契約を結ぶのは憚られた。
それに契約を解くことができるという事は、後から改めて命捧の契約を結ぶことも出来るのだ。
呪文一つで人を殺せる契約なんて、なるべくなら恐くて結びたくなかった。
「それで……制約はどうするんだ」
奴隷商人が僕に向けて尋ねる。
「僕は無い。フレイヤは?」
念のため、フレイヤにも聞いておくと、彼女は首を横に振った。
僕はそれを確認して、奴隷商人に向けて答える。
「無い」
「主人が一方的に制約を掛けることも出来るんだ。本当に無いのか」
奴隷商人には呆れた表情で再確認されるが、僕はその言葉にすぐに頷いた。
僕は制約というものにはあまり興味が無いからだ。
「あぁ」
「……分かった。では腕輪を出せ」
僕が左腕を出すと、フレイヤも左腕からアクセサリを外して見せる。
すると、奴隷商人は何かに気が付いたように口を開いた。
「まだ契約の跡が残っているな……。まぁ良いか、始めるぞ」
その言葉が気になり、僕は奴隷商人に尋ねる。
「待ってくれ。それはどういう意味だ」
「いま言った通りだよ。腕輪に刻まれた契約や制約は、しばらくの間は跡が残るんだ。契約が切れると次第に薄くなりやがて消えて無くなる。コイツは前の契約者との契約が切れたばかりなんだろ?」
「そうなのか……。確かに心当たりはあるか……」
フランとの契約のことだろうか。
二人は何らかの契約をしていたようだし……。
「ほら、さっさと始めるぞ」
「分かった」
僕とフレイヤが奴隷商人の前に腕輪を出すと、奴隷商人が凛とした声で詠唱を始める。
「我、神命に従い此処に主従の契約を印す」
奴隷商人はいつも不機嫌そうな顔をしているのだが、何故かこの瞬間だけは格好良く見えてしまう。
といっても、彼女は女性なのだが。
「従者フレイヤ。汝、ユウ・アオイを主として認め、その魂を捧げ仕える事を誓うか」
商人の問いに対して、横目でフレイヤが頷くのが分かった。
「おい、誓うと口にしろ」
「……誓う」
しかし奴隷商人に突っ込まれてしまい、フレイヤが口に出して言う。
事前にキチンと教えておいてあげれば良かったと少しだけ後悔した。
フレイヤの表情が変わらない事から、あまり気にしてはなさそうだが……。
「主、ユウ・アオイ。汝、フレイヤを従者として認め、その魂を預かる事を認めるか」
「認める」
その問いに僕が答えると、フレイヤの黒い腕輪に銀の模様が巻き付いていくのが見えた。
これで二度目の契約か……。
普段重さを感じない左手の腕輪が、今日はやけに重たく感じる。
といっても、僕の腕輪には何も変化は現れないのだが……。
「終わりだ。また、契約を確認していくのか?」
「あぁ、念のために確認させて欲しい」
「良いだろう」
奴隷商人は本棚から本を取ってくると、それを机の上に置いた。
「ありがとう、助かる」
「気にするな」
フランにお願いして、フレイヤの腕輪に刻まれた契約内容を見てもらう。
「ふぅ……」
契約を終えて一息つく、ソファに深く座り込み、背もたれ背中を預けた。
フレイヤが死神という種族であるため少し心配だったが、腕輪に模様が現れたという事は、契約は上手くいったのだろう。
あとは、三人でごく普通に暮らしていけば良い……。
これで、この町を騒がせた死神の騒動もひと段落だ。
僕が安堵している中、奴隷商人が口を開く。
「それで、その奴隷はどこで拾ってきた」
「前と一緒だよ。教える必要は無いだろ」
どうやらフレイヤの事を指している様なので、フランの時と同様に秘密主義を貫く事にする。
この奴隷商人は何かと知りたがるが、言いにくい事をわざわざ教える必要は無い。
奴隷商人は僕の答えに納得がいかないのか、腕輪を解読しているフランに視線をチラリと向けて話を続ける。
「この僅かな間に解放奴隷が二人だ。おかしな話だと思わないか」
「何が言いたいんだ?」
僕がそう聞き返すと、奴隷商人の口から思いがけない言葉が出てくる。
「お前は、奴隷への落とし方を知っているか」
「いや、知らないな」
「神に誓えるか」
「あぁ、僕は神様をあまり信じていないけどな……」
「ふっ……私もだ」
僕の言葉に奴隷商人はニヤリと笑った。
そんなやり取りをしていると、部屋の扉がノックされる。
「ハイネ様、お茶をお持ちしました」
「あぁ、入れ」
奴隷商人がノックに答えると、使用人の少女がティーセットを持って部屋に入って来る。
そして、机の上に人数分のカップを並べてお茶を注ぎ始める。
少女の黒い腕輪には、前と変わらず白のストライプ模様が刻まれていた。
「お前は面白い事言う。まさかこの世界で神を信じないとは」
「自分もそうなんじゃないのか? 僕の故郷では毎日教会に通う人も居たが、都合の良い時だけ信じる人が多かった。僕もたぶんその程度だ」
「ぷっはっはははっくっくっく……」
奴隷商人は一体何が面白いのか、笑いを堪えてる様だった。
そして、笑いを堪え終わると、また真剣な表情をしてこちらに向き直る。
「先程の質問をもう一度聞く。お前は奴隷への落とし方を知っているか」
「だから、知らないと言ってるだろ」
「では、そこに居る二人の奴隷と出会ったのは本当に偶然か」
「あぁ、偶然だ」
「最後の質問だ。お前は邪教徒か」
「なんだそれは」
僕が少し苛立ちを表す様にして言うと、カチャリと僕の前にティーカップが置かれる。
「ふむ……。良いだろう」
質問に即答を繰り返したお陰か、どうやら奴隷商人は納得したらしい。
全く、一体何を考えているのか……。
「疑って悪かったな。お詫びに面白いことを教えてやる」
「面白いこと?」
「あぁ。だが、まずはお茶を飲め、お前が手を付けないと奴隷達が飲めないぞ」
そう言われて、仕方無くお茶を一口だけ口に含む。
スッとしたハーブの香りが口の中に広がる。
その刺激が心地良く、なんだか頭が冴える様な感覚を覚えた。
前にもここで飲んだ覚えがあるはずなのだが、その不思議な感覚に思わず感想を漏らす。
「良い香りだな……」
「あぁ、人を落ち着かせ、冷静にする香りだよ。職業柄、馬鹿な客が多くてな……。これは私自身が苛立たないためでもある」
そう言って、商人もお茶を口に含む。
なるほど、色々と工夫をしているらしい。
きっと僕には分からない苦労があるのだろう、先程の質問も何か考えがあったのかも知れない。
しかし、こんなにも香りが出るというのは淹れ方上手いのだろうか。
ハーブティーなどはよく分からないが、少しだけ興味があった。
そう思い、僕が奴隷商人の後ろに控える奴隷の少女の方を見ると、少女は視線を合わせないように俯いてしまう。
可哀想なのですぐに僕も視線をそらした。
「それで、面白いことっていうのは?」
「あぁ、先日一人の客が来た。茶色い髪の女だ。そいつはうちの商品を見るわけでも無くこう尋ねてきた。『最近、黒髪の男に金髪の娘を売ったかと』」
「それがどうしたんだ、黒髪も金髪も沢山居るだろ」
一瞬だけドキリとしたが、僕は気にしないフリをして答える。
「あぁ、沢山居るさ……だが、黒髪の誰かさんが何処かの誰かに勘ぐられているかも知れないという話さ。それが無かったら私だってわざわざあんな質問しない」
「そうか……。よく分からないが気を付けておくよ」
僕はそうとぼけて答えるが、内心では疑心暗鬼だ。
茶色い髪の女……。
思い付くのは数人だが、彼女達がわざわざここに尋ねに来るとは思えない。
そして、僕とフランの事を知っている人はかなり少ないはずだ……。
考えられるのは、またギルドが誰かを使って僕のことを調べているという事なのだろうか……。
しばらくして、フランが神語の解読を終えると、僕らは奴隷商を後にした。
案の定、奴隷商人には「もう来るな」と言われて送り出された。