朝の目覚め
ポカポカとした陽気が寝室の窓から差し込み、瞼の裏を赤く染め上げる。
その日差しが少しばかり眩しくとも、この腕に抱く優しい温もりが僕を何度となく眠りに誘い込もうとする。
なんだか今日はいつになく腕の中の収まりが良い気がする。
僕はモゾモゾと柔らかなそれを抱き締め直した。
「……」
すっぽりと収まる、温かく柔らかな感触。
そして、肌触りの良いシーツとフカフカのベッド。
窓からは僅かにそよ風が感じられて、これがまた心地良い。
もし許されるのなら、このままいつまでも微睡んでいたい。
特に、昨日は死神の少女の件では色々と大変だったのだ。
もう少しくらいは、ダラダラしていてもバチは当たらない気もする。
そう、もう少しくらいなら……。
「フレイヤー? 何処ですかー?」
下の階からフランの声が聞こえてくる。
そういえば、フランはフレイヤをお風呂に入れると言っていたか……。
どうやらその声を聞く限り、二人は仲良くやってくれているらしい。
そして、僕はその間に二度寝という、少しだらしの無い選択をしたのだった。
しかし、良かった。
この腕の中のものがフランでは無いのなら、もう少しこのまま微睡んでいられる。
もう少し、もう少ししたら起きるとしよう。
うん、そう……もう少し……それまで、もう少しだけ……。
「ぐぅ……」
「……」
こうしていると、人の三大欲求の内の一つ、睡眠欲というやつはとても強いと思う。
時折僅かに意識が浮上するが、時間が経つとまた沈み始めて、やがて心地良くうつらうつらと緩やかに上下を始める。
これがまた幸せな時間で、贅沢な時間の使い方だ。
普段はなかなか二度寝なんてできないのだ。
いつもであればフランが腕の中に居るので、すぐに起きなければいけない。
故にこうして一度起きたにも関わらず二度寝し、更にいまも寝ぼけていられるというのも、もうずいぶんと久しぶりな気がする。
だから、本音を言えば、もう少し満喫したい。
「フレイヤー、もう何処ですかー? 髪を乾かさないと風邪を引いてしまいますよー?」
しかし、一階の方が騒がしい。
フランも、フレイヤのお風呂が終わったら朝ご飯と言っていたし、僕もそろそろ起きなければならないか。
仕方が無い……そろそろ起きよう……。
そんな風に考えて息を大きく吸い込むと、鼻先を清潔な石けんの香りが撫でた。
「ん……?」
「……」
続けて意識を目覚めさせるべく、少しだけ身じろぐと、指先が湿り気を帯びたものに触れている事に気が付いた。
僕はその正体を確かめるべく、眩しい日差しの中で恐る恐る瞼を開ける。
光溢れる視界の中で、何かがキラキラと日光を反射して眩しい。
やがて少しずつ目が慣れ始めて、ぼやけた視界に人影が移り始める。
枕だと思っていたそれは、どうやら人であったらしく……。
眩しくて見えない、と思いながらも片腕で瞼を擦る。
と、寝ぼけた瞳が明るさに順応し、焦点が合い始めるとそこには――
僕の腕の中には天使がいた。
「わっ!?」
僕は腕の中に居たフレイヤと目が合い、驚いた声を上げてしまう。
そして、慌てて彼女を腕の中から解放する。
「……」
こちらを見る少女は、ただ表情も変えずに真っ直ぐに見つめ返してくるだけで、その宝石の様な瞳がこちらを捉えて離さない。
しかし、それは視線を受ける此方も同じであった。
少女の粉雪の様な白い肌と細く美しい銀の髪が差し込む朝日を浴びてキラキラと主張し、そこに浮かび上がるのは、まだ幼さを残しつつも目鼻の整った顔立ちだ。
深い色を秘めたルビーの様な瞳と柔らかそうなサクラ色の小さな唇が、その白い肌に彩りを添えていて……。
表情こそ、まるで作り物の様に無に等しいが、しかしそれを補って余りある容姿。
人から一切の穢れを取り払った様な美しさ……そんな言葉が似合う少女だった。
「ま……く……」
「えっ……?」
そんな少女に見蕩れていると、彼女の小さな口元が僅かに動いた。
「ねぇ……魔力……」
そして、少女は何を思ったか、突如僕に抱き付いた。
フレイヤが胸元に抱き付くとポフッ――という可愛らしい音がする。
待て、犯罪だ。
いや、犯罪じゃない。
僕は無実だ。
そう、僕はロリコンじゃない。
それでも僕はやってなーー。
いや違う、そいういう問題じゃない。
「ねぇ……魔力頂戴……」
寝起きの頭で軽くパニックを引き起こしかけるも、少女が求めるモノをなんとか理解する。
「えっ……あぁ……はい……」
僕は仕方無くフレイヤをそっと抱き締めると、魔力を注いだ。
すると、少女は僅かに身をよじりながら、小さな吐息を漏らす。
「っ……ん……」
待て、僕は何もしていない……。
これは犯罪では無い……犯罪では無い……。
どうやら寝ぼけていたのもあり、少し勢い良く魔力を流し過ぎてしまったらしい。
人に魔力を注がれると、なんとなく全身がこそばゆいのだ。
それも、勢い良くやられると余計に。
少女の反応は、それが心地悪いのだろう。
そのため、少し弱める。
そしてできる限りゆっくり、優しく魔力を送り込む様にする。
「…………」
やがて少女の身体から力が抜け、疑いもなくその細い体を預けられる。
彼女の俯いた顔を覗き込むと、白く美しい肌の頬が僅かに桜色を帯びていて、幼さの中にもほんのりと色っぽさを演出している。
ただ魔力を分け与えているだけなのだが……僕の胸の内に謎の背徳感が芽生え始める。
こうしていると、なにか目覚めそうで怖い。
僕は気を紛らすためにも、腕の中の少女に声を掛けた。
「フレイヤ、魔力が欲しかったのなら起こしてくれれば良かったのに」
僕がそう言うと、僅かな沈黙の後にフレイヤが呟いた。
「気持ちよさそうだったから……」
「う……。そっか……」
そう僕が答えるとしばしの沈黙が訪れるが、普段からフランと一緒に過ごしているせいか、少しずつ冷静さを取り戻す。
こういうのは変に意識するからいけないのだ。
僕は空いていた手で、まだ湿った少女の髪をそっと撫でた。
たしかにフレイヤの容姿には目を惹かれるものがあるが、僕にはそういった属性は無い。
自分の妹みたいなものじゃないか……。
それに、僕はどちらかと言えば年上好みだ。
と、そんなくだらない事を考えていると、部屋の扉がノックされてそっと開かれた。
「失礼します。ご主人様、こちらにフレイヤが……」
ドアが開くなり、丁寧な声が聞こえたかと思うと、その先の言葉が何故か止まる。
僕がドアの方に目をやると、普段着のフランがこちらを覗き込み、呆然と立ち尽くしていた。
その肩にはタオルが掛けられ、髪がわずかに湿っている様にも見える。
きっとフレイヤと同じように、彼女もお風呂上がりなのだろう。
その所為か、頬も少し高揚している様に思えた。
そんなフランとしばし目と目が合う。
「えっきゃぁ! す、すみませんっ! ごめんなさい!」
「え、急になんで謝って……」
と、僕の返事を待たずして、何故か部屋の扉はバタンと閉じられる。
そして続けてパタパタと廊下を走り去る音が響いた。
なぜか二度謝られた。
「いや……おかしい……」
僕の虚しい呟きは、当然の様に分厚い木製の扉に遮られる。
「……」
「…………」
僕がその出来事に呆然としていると、膝の上に座るフレイヤは僕の顔と扉の方を交互に見てから呟いた。
「ねぇ……もう……平気……」
「え、あ、うん……」
そう言われて僕はフレイヤを腕の中から解放する。
しかし、この気持ちはなんだろうか……。
なにか間違い無く、フランに誤解された気がする。
僕がフレイヤを可愛いと思ってしまったのも事実だが、まさか手を出す訳も無い。
それくらいに彼女は幼く、僕にもそれくらいの分別はあると思う……。
心の中で意気消沈しながらも言い訳をする。
そして、軽い溜め息を吐いた。
「はぁ……」
「……」
眼前の少女は、僕の腕から解放された後も、僕の膝の上から退かずいた。
そして、フレイヤはそっと僕の頬に手を添えると、その小さな手の体温が僕の頬に伝わってくる。
少女の瞳が僕を見つめ、続く健気な言葉に元気付けられる。
「ねぇ……元気……出して……」
やはりその言葉や表情にも、感情の様な物は感じられない。
しかし、何故かそれが僕には至極温かい言葉のように感じられた。
「うん……。ありがとう、フレイヤ」
そう言って少女に微笑み掛けると、少女の変化に乏しい表情も心無しかほんの少し和らいだ気がした。
****
フレイヤを膝の上から下ろして、寝間着から普段着に着替える。
フレイヤはフランの服を借りたのか、少し大きめのシャツとズボンを着ており、長めの袖が丁寧に折られていた。
おそらくフランが着替えさせたのだろう。
少女の左腕には白いアクセサリが覗いていた。
ただ、身支度の途中で逃げたしたのか、まだ髪が濡れている。
そのため、皮袋の魔道具からタオル出して髪を拭いてあげる事にする。
「ほら、ちゃんと髪を拭かないと風邪引いちゃうよ」
「……」
僕がごしごしと髪を拭き始めると、少女は僅かに目を細める。
こうしていると、どこからどう見ても、ごく普通の可愛い女の子だ。
きっと、もう誰も彼女を死神だなどとは思わない事だろう。
そう……普通にしてれば良いのだ。
彼女の服も買ってあげないとな……。
「ほら、あとは自分で拭くんだよ」
「……」
彼女がコクリと頷くのを確認すると、僕は自分の服を着替えを始める。
しかし、何故かフレイヤは僕の着替えの最中もずっとこちらの方を向いていたので、僕が窓の外でも見ている様に言うと素直に従ってくれる。
別に僕は男なので着替えくらいは見られても構わないのだが、彼女がこちらから目を逸らす様子が無かったので、恥ずかしがる人もいるかもしれないからとマナー的な事を少し説明しておいた。
僕の説明を聞くと、フレイヤはやはり小さく頷いて窓の外を眺め始める。
しかし、素直過ぎるくらいに素直だな……。
その様子に、契約の所為もあるのかもしれないな……とその内容を思い出す。
確か、僕が魔力を与える限りは、言う事を聞いてくれるという内容だったか。
しかし、別に絶対服従とかを求めたつもりでは無いのだが……。
それが僅かに気になり、フレイヤには緊急の命令以外は、嫌な時は聞かなくて良いと伝えておく。
そして、フランの言う事も嫌じゃなかったら聞いてくれる様にお願いしておいた。
それらにも、フレイヤは素直に頷いてくれる。
白い肌の美しい少女は、僕の言う事に表情を変えずにただ頷く。
その様子はやはり少しばかり不安で、それにちょっと心配だ……。
悪い人に着いて行ったりしちゃダメだよとか、知らない人の言う事は聞いちゃダメだよとか、そういった事も言い含めておく。
別にフレイヤがそこまで幼い訳でも無いのだが、念には念を入れておこう。
あとでフランにも相談しようか……。
身支度を済ませ、気合いを入れ直す。
とりあえず今は、フランの誤解を解きに行こうと思う。
たぶん、これが最優先事項だ。
「フレイヤ、行こうか」
「……」
窓の外を眺めていた少女は、僕が声を掛けるとこちらを向いて小さく頷いた。