魔法使いのローブ
慣れないソファに腰を掛け、見慣れない天井を仰いだ。
家というよりは屋敷と言った方が相応しいそれは、今の僕にはいかにも分相応といった言葉が正しいだろう。
ここまで善くしてくれるからには、何か面倒な事を要求されるのではないか……そんな考えも頭を過る。
僕がうんうんと悩みながらも、フランの表情は穏やだった。
「ご主人様、お茶をどうぞ」
「あぁ、うん、ありがとう。フラン」
ぎこちなく返事をすると、ただそれだけの事でもフランは優しく微笑んだ。
そして、僕を気遣う様にして彼女は言った。
「何か心配事でしょうか」
彼女の言葉に、僕は軽く頭を振って、余計な考えを振り払う。
「ううん、大丈夫」
考え過ぎだろう……。
物事をあまり悪い方向に考えても仕方ない。
むしろ、シンプルに運が良かったと考えよう。
僕はフランの入れてくれたお茶を飲み、「美味しい」と感想を伝える。
すると彼女は、「ご主人様が温めたお湯ですから」と微笑む。
それに対して僕は、「あはは、フランはお世辞が上手いな」と笑う。
こんな屋敷に居るからか、たった一杯のお茶で、気分はご貴族様だ。
しかし、なんだ温めたお湯って……。
温めた人によって味が変わるのかと、いや突っ込まないぞ……。
と、そう考えていると、フランが理由を教えてくれた。
「魔力を多く含んだ水は美味しく感じるものです」だそうだ。
魔物の肉なんかでも違うのだとか……。
魔法で直接温めたから魔力を含んだのだろうか……?
やはり、僕の常識ではいろいろと通用しない部分が出てきそうだ。
僕が飲み終えると、彼女がおかわりを入れてくれる。
フランに再びお礼を言って、お茶を頂く。
こうしていつまでものほほんとしていたい所が、今日はまだやる事も残っている。
僕は、優雅にお茶を飲むフランに声を掛ける。
「フラン、もう少し休憩したら買い物とギルドに行こうか」
「はい、ありがとうございます。ご主人様」
彼女はそう返事をすると、もう一度微笑んだ。
出掛ける前に、フランと二人で屋敷の中を見て回りながら必要なものをメモして行く。
「ご主人様、お茶とお菓子はありますが、やはり食料品などは買い物に行く必要がありそうです」
「うん」
お菓子はあるのか……。
「調理器具などは、凝ったものを作ろうとしない限りは大丈夫でしょう」
「うん、分かった」
「献立で、何かご希望はありますか?」
「ううん、引っ越したばかりだし、簡単なもので大丈夫だよ」
凝った異世界の料理というのも食べてみたい気もするが、今は良いだろう。
僕が手伝えなくなりそうなのでスルー。
「はい、あとは調味料を買い揃えないとダメですね」
「うん」
フランは、やはりこういった事に慣れているのか、次々と屋敷の現状を確認していく。
僕はそんな彼女にただ着いて行くお仕事だ……。
生活面では、なにかと彼女を頼る事になるだろう。
僕はそんなフランに教えて貰いながら覚えて行けば良い。
この世界では、そんなに生き急ぐ必要は無いのだから。
「これだけあれば当面は困らないでしょう」
「うん、ありがとう」
フランが言うのだから、本当に必要なものは揃っているのだろう。
僕は、二人で――主にフランが――必要なものをメモした結果を見る。
とはいっても、そんなに必要なものは無いという結論だ。
主に食材か……。
フランの書いたメモには、僕にはよく分からない単語が踊っているが、単語の横には『調味料』だったり『保存のできる食材』などと親切なヒントが付いていたりする。
本当に細かい所で、彼女は優秀で優しいんだと思う。
「そろそろ行こうか」
「はい」
二人で戸締まりを確認すると、魔法で乾かした少し温かいコートを着て、彼女の手を引いて町へと出掛けた。
「アリアドネ魔法具店ですか」
フランのローブを買いにお店の前までくると、彼女が店の看板を読み上げた。
「うん、魔法使いのメルドに勧められたお店なんだ」
僕はフランにそう答えると、彼女を連れてお店の中へと入っていく。
扉に付けられたベルがカランと鳴り、カウンターのお婆さんが此方に気が付いた。
「おや、いらっしゃい。雨の中よく来たね」
「こんにちわ、お婆さん」
僕はお婆さんにフランを紹介して、予算とフランに合う物をと言ってお願いする。
「じゃあ、まずはサイズを測るかね」
そう言って、お婆さんはその場でフランの身体のサイズを測り始めた。
僕が少し気まずくなって目を反らすと、次に目を合わせた時にフランが少し気恥ずかしそうに微笑んだ。
こういう時のフランは、いつもの穏やかな微笑みに恥じらいが混じるので、それはそれは強力だ。
具体的には、ハートを打たれる。
お婆さんはサイズを測り終えると、フランに魔力を出させたりして何かを見ている。
その魔力の出し方も、手の上に球を作らせたり、体全体に纏わせたりと色々だ。
「ふむ……どうやら魔力は多そうだね。でも、ずいぶんと雑だね。あんた魔女だろう」
「お分かりになるのですか?」
フランの質問にお婆さんは「まぁね」と返す。
ただこれだけでも分かるものなのだろうか。
僕にはさっぱりだが……。
「魔力の扱いに慣れていないなら、サイズはぴったりの方が良いね。素材は……水属性で初心者ならリネンかシルクかね」
「あ、はい」
その後もお婆さんが提案したり、フランが質問したりしながら決めて行く。
どうやら、僕は見ているだけで問題無さそうだ。
途中、試着したフランから「似合いますか……?」なんて言われたりしながら、僕はフランとお婆さんのやり取りを眺めて時間を過ごす。
もちろんフランに似合うかと聞かれた時は、その度に似合うと答えた。
実際、彼女の場合は、何でも似合うのだから。
しばらく待っていると、フランが2つのローブを前にして悩み始める。
すると、ふとこちらを向いて彼女が尋ねてきた。
「ご主人様はどちらが良いと思いますか?」
こういう時は、どうしたものか……。
彼女は性能の似た様なローブで悩んでいるみたいだ。
「うーんと……」
少し考えても分からないので、逆に聞き返して彼女に選ばせる。
僕の我を通すよりも、その方が良さそうな気がする。
「フランはどっちが良いと思うの?」
「私は……こっちの方が良いかなぁと……」
「うん、良いと思うよ」
と無責任な発言……。
しかし、彼女は納得したのか、うんうんと頷きながら呟いた。
「ご主人様は、白が好きなのですよね……」
なんだか基準がおかしい気がするが……。
結局は、お婆さんの勧めもあり、彼女が最後に選んだ方にした様だ。
買うべきローブは決まったので、次はサイズを直す。
さて、何日掛かるのかなと考えたが、そんな事は無かった様だ。
お婆さんは、僕に対して「待ってな」と言うと、フランを連れて奥へと入って行った。
僕が店内を見ながらしばらく待っていると、ローブ姿に着替えたフランが出て来た。
「どうですか?」
「うん、似合ってるよ」
適当に答える僕に、フランは「本当ですか?」と聞いて来るが、その言葉に「うん、本当」と答える。
素っ気なく答える僕に、彼女は軽く頬を膨らませるが、似合っているのは本当の事なのだから仕方ない。
彼女の選んだローブは、白地に青の模様やラインが入った物だ。
白と青の清楚なイメージは彼女に良く似合い、その綺麗な金の髪色とも相性が良い様に思える。
ところどころに銀や金の綺麗な刺繍が施されており、それらは魔力の扱いを助けるのだとか。
魔女として魔力が増え、その扱いに苦慮している彼女には、丁度良い装備だろう。
単純にそれらを口に表せば良いのだろうが、それ伝えられないのは僕にあまり余裕が無いからだろう。
どうやら魔法使いのローブは、色香とは無縁かと思えばそうでも無いらしい。
彼女のサイズに合わせられたローブは、控えめながらも彼女の体のラインをふと想像させるからだ。
しかし、露出の少ない服装でこんな事を考えてしまう僕はそろそろ危ないのかもしれない……。
フランは、そんな僕の表情を読み取ったのか、少し満足げに微笑んだ。
「やれやれ、若いってのは羨ましいね」
とお婆さんに言われて、それらは中断した訳だが……。
お婆さんに見送られて、お店を後にする。
隣を歩くフランは、ローブの上に雨除けのコートという格好だ。
僕が余裕があったらダンジョンに行こうと言ったからかもしれない。
ウキウキとした表情で隣を歩く彼女は、体力的にはだいぶ余裕がある様に見える。
長い間床に伏せていた事を思うと、二人でのこうした何気ない日常は、とても新鮮だ。
彼女の隣を歩きながらも、心から良かったと思う。
そうは思うのだが、違う考えも浮かんで来りするものだ。
彼女とはいつのまにか手を繋ぐ習慣が付いてしまったのか、二人で歩くときはいつも手を繋いでいる気がする。
今日みたいに寒い日は、魔法と言う理由があるのだが、気が付いたらどちらからとも無く手を繋いでしまう時も、ある様な無い様な……。
でも、明日は普通にしようと考え直す。
こうして二人で歩くだけでも、とても嬉しい……そういう感情も沸き立つが、僕はそれを表に出すべきでは無いのだろう……。
僕とフランは、立場上はあくまでも主人と奴隷なのだ。
僕がどんなに彼女の優しさに心を惹かれようとも、その笑顔に胸を焦がそうとも……。
だから、明日からはちゃんとしよう……。
明日からは……。
そう考えて、彼女の隣を歩いた。