決意
夜も更けて行く頃。
見上げる夜空には分厚い雲が掛かり、今にも降り出しそうな雰囲気だ。
そんな中、僕はフランの手を引きながら夜の散歩をしていた。
左手には、まだほんのりと熱を帯びた指の細い小さな手が触れている。
その小さな手の持ち主は、ぼんやりと頬を桜色に染めて、俯きがちに僕の隣を歩いていた。
「フラン、元気出してよ」
「…………」
彼女はまだ怒っているのか、時折僕が話し掛けても黙ったままだった。
後から起きたアレックスの話では、フューリも初めはその場を盛り上げるための、ほんの冗談のつもりだった様だ。
フューリはフランから色々と聞き出しては、その反応を見て面白がってからかっていたらしい。
フューリが悪いのは明白だったが、彼はそういう奴なので仕方ない面もあるのかもしれない。
彼にはその場でフランに謝らせたり、今日も奢りにしたりと一応の罰は受けて貰ったが、フランは一向に不機嫌なままだった。
仕方なく、その場から連れ出したという訳なのだが、こうして連れ出しても彼女の表情は曇ったままでいる。
そんな風にしてただ静かに通りを歩き続けていると、いつの間にか町の広場まで着いてしまう。
「ほら、ここの大広場ってさ……夜はこんな風に石畳みが光るんだよ」
「……綺麗ですね」
フランは僅かばかり反応したが、すぐに再び俯いてしまう。
僕は彼女を広場の端のベンチに座らせて、二人で静かに広場を眺める。
こんなときは、正直どんな言葉を掛けたら良いのか分からない……。
分からないのだが、なんとかして彼女を元気付けたかった。
「僕のために怒ってくれて、ありがとうね」
「……いえ」
僕はフランにお礼を言う。
フランの事なので、きっと僕の事を庇おうとしてくれたのだろう。
フューリも少し意地が悪い所もあるが、わざわざ奴隷をバカにしたりはしないはずだ。
少なとも、アレックス達はそういった偏見は持っていないと思う。
「私がムキになって反論したせいで、ご主人様に恥をかかせてしまいました。申し訳ありません」
「そんなの、フランの所為じゃないよ」
あれは僕の責任だ。
普通に考えれば分かるだろう……。
全て、僕が頼りないのがいけない。
この世界での奴隷の立場が物であるならば……自然とその扱いは主人の影響力にかかって来る。
僕に力があれば、彼女が傷付く理由なんて無かったはずだ……。
「フラン、ごめんね」
「どうして……。ご主人様が謝るのですか……」
フランの右手がギュッと握られて、僕の左手が締め付けられる。
主人が奴隷に謝るなという事だろうか……。
それとも、僕みたいな頼りない主人に対して、彼女なりにささやかな復讐をしているのだろうか……。
そんな彼女の手も気にせずに、僕は話を続ける。
彼女には、もう一度きちんと話さなければならない事があった。
「フラン、一緒に冒険者やるって話……本当に考え直す気は無い……?」
「むっ……」
僕が尋ねると、フランが僕の手に更に力を込めた。
たぶん、彼女は本気で力を込めているのだろう……。
握りしめられる手は痛くはないのだが、なんとなく心が痛む……。
「いてて……」
僕が僅かにそう呟くと、彼女はすぐにやめてくれる。
そして、彼女も小さな言葉で呟く。
「嫌です……」
どうやらこれが彼女の答えらしい。
それならば、それで良い。
彼女は、僕が守れば良いのだから……。
彼女のためなら、僕がどんな敵でも打ち倒そう。
そう成れば良い……。
そう成らなければならない……。
僕は意を決して話始める。
「フラン、強くなろう」
「強く……ですか……?」
フランがこちらを向いて聞き返す。
普段穏やかなその美しい顔には、まだ目尻に赤く涙の跡が残っていた。
「うん……。冒険者としても、社会的にも」
「社会的にも……」
フランが、僕の言葉を繰り返す。
「そう……。もう誰にもバカにされない様に……もうフランが泣かなくて良い様に……」
僕はそう言って彼女を見つめる。
「僕、頑張るからさ……」
フランは、まだ酔いが醒めていないのか、少しぽーっとした顔をしている。
僕は、そんな彼女の手を引いて広場へと連れ出した。
「ちょっと、来て」
「ぁ……あの……」
彼女は手を引かれるままに、僕の後ろ着いて来る。
彼女を広場の中央まで連れ出すと、僕はその場で足を止めて彼女の方へと向き直った。
フランは、誰もいない広場の真ん中に来たのが恥ずかしいのか、辺りをキョロキョロ見回していた。
あいにく、人通りは疎らで、いまは僕と彼女以外に人は見当たらなかった。
周りでは、石畳のレンガがぽつぽつと淡い光を放っており、僕とフランを優しい光で僅かに照らしている。
「フラン」
「はい……」
僕は彼女の前で跪き、彼女の両手をそっと握りしめる。
そして、彼女の目を、真っ直ぐに見上げた。
「私はこの国の貴族に成ろうと思います」
僕は彼女に、そう告げる。
「しかし、私は世の常識も知らぬ未熟者……。どうか貴女の力をお貸しいただけないでしょうか」
僕は、一言一言をなるべく丁寧に言った。
もう僕と彼女は、運命共同体の様なものだ。
とても僕一人では決められない。
貴族になるのも、冒険者になるのも、何をするにも……。
だから、僕は彼女にお願いをする。
ついて来て欲しいと。
僕がそうして見上げていると、彼女は優しげに微笑んだ。
そして、彼女はいつもの優しい口調で言う。
「これでは立ち位置がまるで逆ですよ……。主人が奴隷に跪くなんて……いけません……」
「一人くらいは変な貴族が居ても良いじゃないか。フランはそんな僕の事をときどき隣で注意してくれれば良い……」
そう言って、僕は彼女に微笑む。
「フラン、答えをお聞かせ願えますか……」
「はい……。ご主人様が決めた事なら、何なりと……。微力ながら、精一杯お力添え致します……」
そうして、僕はこの町の貴族に成る事を決意した。