城門
黄金色の夕日が草原を照らす。
ここは、城門までもう一息という所。
あれから何時間歩いただろうか。
もう泉で潤した喉も乾き、お腹も何度鳴ったか分からない。
そのままダラダラと歩いていると、後ろから聞き慣れない音がしてきた。
振り向いてみれば、同じ道を遠くの方から一台の馬車が向かって来ているようだ。
影はみるみるうちに大きくなって行く。
流石は馬か、ずいぶんと速いな、などと感心した。
すぐに追いつかれてしまいそうなので、僕は道を開けて待つことにする。
御者がこちらに向けて、手を振り叫んでいるようであった。
よく見てみれば、馬車の周りにもいくつかの影が見える。
その影が馬車に近づく度に、まるで見えない壁に阻まれるようにして、跳ね返されてはまた離れる。
馬車は左右から何者かに襲われているようであった。
徐々に近づくにつれて、御者の声が少しずつ聞こえてくる。
そして、馬車を襲う何かについても、その姿がはっきりと見えてきた。
狼だ――
狼の群れは馬車を囲い込むようにして襲いかかっていた。
その数は目に付くだけで四、五頭。
馬車が均等な間隔で包囲されていることから、視界から隠れた車体の後方にも居るかもしれない。
背筋が凍る思いが、思考を支配する中、御者の助けを呼ぶ声がはっきりと聞こえた。
「助けてくれーー!!!」
すぐさま無理と判断し、踵を返して走り出す。
まさか狼の群れに素手で挑む訳もない。
思考は、逃げの一手に切り替わっていた。
歩き疲れた足で大地を蹴り、体を前へ前へと強く押し出す。
文字通りの全力疾走。
城門まであと少し。逃げ切れるのか?
このまま走り抜ければ、助かるかもしれない。
とはいえ、それを確かめるべく振り向いている暇はない。
とにかく、一心不乱に走る。
しかし、馬車や狼は想像以上に速く、すぐ追い付かれてしまう。
視界の端に車体を引く馬と、それを襲う狼の姿がチラついた。
そして、背中に鈍い衝撃が走る。
「ッ――」
上半身を強く押し出されるような衝撃を受け、バランスを崩すもどうにかやり過ごす。
着ていた鎧のおかげか、牙や爪は当たらなかったらしい。
いつの間にか、馬車が真横へと並んでいた。
馬車を襲っていたはずの狼が、こちらへと頭の向きを変えて飛び掛かってきた。
鋭い牙が見えて、咄嗟に腕を引っ込める。
直後にバクンッ――と、狼の顎が空を切り恐ろしい音を立てて閉じられた。
安心したのも束の間、そのまま突っ込んで来た巨体に体当たりを受け、のしかかられるようにして体制を崩してしまう。
狼と共に、草原の道端を転がった。
転がりながらも、中ば自分が吹き飛ばされるようにして狼を蹴り飛ばす。
理不尽にも走り去る馬車の姿を視界の端に捉えつつも、すぐに立ち上がろうと必死に体制を立て直す。
そしてまた、背後から足に噛み付かれて引き倒される。
ブーツを通してもわかる程の強い力が加えられた。
「いっつ!!」
食い付く狼に向けて、渾身の力を込めて殴り掛かる。
狼の目の近くに拳が入り、なんとかブーツから顎が外れた。
よろけながらも立ち上がり、城門に向かって走る。
しかしまたも、背中に強い衝撃を受ける。
転んだ。
すぐに腕に激痛が走り、嫌でも噛み付かれたのが理解できる。
「この!!!」
必死に抵抗するも、狼は腕に喰らい付いたまま離してくれない。
むしろ今にも腕を食い千切らんとして、ものすごい力で腕ごと振り回される。
人程にも体格が大きいのだ。抵抗できるわけもない。
たった一匹の狼に翻弄される中、また新たに痛みが走る。
「くっ!」
さらに加えられた悲痛に顔を歪めた。
足に喰らい付いて来た狼に蹴りを入れるも、牙を放してくれる気配はない。
そしてまた、足元に喰らい付くその後ろにも、もう一匹の狼の姿が見えた。
もうダメかもしれない……。
思考を諦めと絶望が支配した――
耳元で風を切るような甲高い音がした。
「キャインッ」
短い悲鳴と共に、腕に噛み付いていた狼の力が弱まり、顎が離れる。
今度は足元で爆発音ともに熱風が吹き荒れる。
いつの間にか、足に喰らい付いていた狼がいなくなっていた。
一体何が起きているのか、まるで理解できなかった。
「キャウンッ!」
再び甲高い音が短く響き、こちらに向けて走っていた狼の首元に細長い棒が突き刺さる。
狼の牙から手足を解放されて、傷付いた足を引きずりながらも後ずさる。
周りには、狼達の弱った鳴き声が小さくこだましていた。
数匹の狼の体に矢が刺さっており、中には体の大部分を黒コゲに焼かれているモノまでいる。
息はあるが、こちらを構っている余裕はないらしい。
弱った声を出しながら、地面の上をのたうち回っていた。
再び激しい爆発音と共に、近くの狼が炎に包まれて吹き飛んだ。
矢が刺さり苦しんでいるものにも、さらに追加の矢が突き刺さる。
やがて、辺り一面を嘘のような静寂が支配した。
助かったのだろうか……?
僕は矢の飛んできた方角を向いた。
城門の近くには、三人の人影。
弓を構えた者、剣と盾を持つ者、そしてローブ姿に杖を持つ男が立っていた。
男たちの足元にも、すでに絶命している数匹の獣が見える。
三人は、こちらへとゆっくり向かって来ていた。
「おーい! 無事かー!」
一人が剣を持ったままの右手を大きく振り、こちらへ向けて叫んだ。
その言葉の意味に、そっと胸を撫で下ろした。
どうやら、僕は助けられたようだ。
「町の近くで助かったな」
剣士の男が近づいてきて言う。
「えぇ、助かりました」
僕はいまだ地面に座り込んだ格好のまま答えた。
自分の姿を確認すると、右腕と左足から血が流れ出しており、服を赤黒く染め上げている。
傷口がズキズキと激しく痛んだ。
「夕暮れ時に武器も持たずに外を出歩くとは、無謀な真似を。貴様も冒険者ならば自分の行いに責任を持て」
赤いローブ姿の男が冷たく言い放つ。
男に対して、僕は困り顔で答えた。
「えっと……すみません」
だいたい冒険者って、なんなのだろう。
「アレックス、後は任せる。俺はジジイと話を付けて来る」
そう言って、ローブの男は城壁の中へ去って行く。
「さぁ、手当てしよう。立てるか?」
剣士の男が、僕に肩を貸しながら言う。
そのすぐ隣で、狼から矢を引き抜きながら長身の男が口を開いた。
「メルドの奴、さっきから何怒ってんだ。詠唱の合間にまで、俺を怒鳴り付けやがって……」
「フューリが先に馬車の方を助けようとしたからだろ。さぁ、お前も手を貸せよ」
「でもあれ、アレイスターの馬車だぜ?」
「だからだろ。ほらもう行くぞ」
アレックスと呼ばれた剣士の男が、弓を持つフューリと呼ばれた男に言うと、二人で肩を貸してくれる。
「そんなにこいつが心配なら、自分で連れてきゃいいじゃん」
「話を付けてくるって言ってただろ。素直じゃないのさ」
二人は、僕を城門近くの診療所まで運ぶと、詰め所に戻ると言って帰って行った。