お洗濯
暖かな日差しを受けて、僕は目覚めた。
僕が目を開けると、目の前にはフランが居た。
「あ、ご主人様……。おはようございます」
「えっと……フラン、おはよう……。その、いつもごめんね……」
僕の朝は、フランに謝ることから始まる。
今日も僕は、フランを抱き締めた格好で目覚めた。
彼女はいつも、僕が起きるのを待っているのだ。
僕に抱き締められながら。
「別に謝らなくて、良いのですよ? 私はご主人様の奴隷なのですから」
フランは穏やかな声で、微笑みながら言った。
僕はその優しい声と頬笑みに、心を乱されながらも言い返す。
「ううん、ごめんね。もう少ししたら、部屋を別々にしてもらおう」
フランが良くても、僕がダメだ。
僕は結局昨日も、なかなか寝付けなかった。
結構疲れていたはずだったが……。
それに、こうして毎朝、彼女を抱き枕にする訳にもいかない。
僕と彼女は、こんなことをしていてはイケナイのだ。
「ご主人様、それではお金が掛ってしまいます。迷惑なのでしたら私は床で寝ます」
「フラン、女の子を床に寝かせるなんて、僕にはできないよ」
僕はフランの言葉に言い返す。
それに、彼女が床に寝れば良いという訳でもない。
僕が勝手に欲情しているだけだ。
そんな事、言える訳は無いのだが……。
「……ご主人様」
フランの声色が、少しだけ落ち込んだ。
「あまり……私に気をお掛けにならないで下さい……」
その言葉は、どこか寂しげに聞こえた。
「私はご主人様の奴隷です。本来なら、私が一方的に奉仕する立場にいるのです……。私みたいな何もできない奴隷を、ご主人様が気に病む必要は無いのです……」
僕は落ち込む彼女に、一つ一つ言葉を選びながら答える。
できることなら彼女を元気付けてあげたいと思った。
「フラン、そんな事は無いよ。昨日だって、男の子の怪我を治してあげたじゃないか。薬草だって一生懸命探してくれた。それに僕と二人のときは、そんな事気にしなくても良いんだよ?」
僕がそう言っても、フランの表情は曇ったままだ。
「そういう訳にはいきません。ご主人様は私の主人であり、恩人です。それに、私はご主人様のために何もできていません……」
フランは少し俯きがちに言った。
やはりフランは、変なところで頑固だ。
僕の思いとは違い、彼女は奴隷として振る舞おうとしている。
「フラン、最初に言ったでしょ……。僕は君を奴隷として扱うつもりは無いって」
「ですが……」
僕の言葉に、彼女は困惑した表情を浮かべる。
彼女は、まだ僕にどう接したら良いのか、分からないのかもしれない。
僕が彼女に無理な注文をしている訳でも無いはずなのだが……。
おそらく、彼女の立場がそうさせているのだ。
だから、奴隷として振る舞おうとする。
「フラン、君には普通の女の子で居てほしいんだ。フランは僕から離れられないかもしれないけど、僕に気を使う必要は無い。僕の奴隷である必要も無い。ただ、自分のしたい様に過ごして良いんだよ?」
「ご主人様は、奴隷に甘過ぎます。私が本当に我儘に振る舞ったら、一体どうするおつもりなのですか?」
彼女は少し真剣な顔をして答えた。
やはり彼女の不安の原因は、僕と彼女の立場にあるらしい。
だから、僕はごく普通に接する。
「どうもしないよ。僕には奴隷なんて分からないし、その扱い方も知らない」
僕からしたら、何か特別な事をしている訳ではない。
でも、彼女にとっては違うのかもしれない。
だから、お互いによく話し合う必要がある。
それに、僕はずっと彼女の本心が聞きたいと思っていた。
「僕はフランの我儘なら聞きたいな……。だって、この先もずっと一緒なんだよ? それは、ときには我儘を言い合ったりもするし、ケンカだってすると思う。でも、その度に仲直りして、二人で頑張っていこうよ。僕とフランは、この先もずっと一緒なんだからさ」
僕はなるべく優しい声を心掛けながら、彼女に語りかける。
彼女が不安に思うなら、何度だって、そう言えば良いのだ。
彼女が、ごく普通に振る舞えるようになるまで……。
「だからさ……。フランは僕の前では、普通の女の子で居て良いんだよ。奴隷である必要は決して無いんだよ」
フランは少し俯くと、小さな声で呟いた。
「ご主人様。主人と奴隷は対等では無いのですよ……?」
「それは契約上の話で、僕とフランの間では関係無いよ」
フランは、自分の腕輪をギュッと握り締めながら言った。
「本当に、良いのですか……?」
「うん」
彼女の問いに僕は力強く頷く。
「……私はとても我儘ですよ?」
「あはは、僕も結構わがままだから、お互い様だね」
僕が笑うと彼女も少しだけ表情が和らいだ。
「……私が生意気な事を言っても……怒りませんか?」
「うーん、努力する」
彼女の表情が、少しだけ明るくなった。
「では、なるべく……そう致しますね……」
彼女はそう言って微笑むと、最後に寂しげに呟いた。
「でも……二人きりのときだけです……」
結局、彼女の態度や言葉遣いはあまり変わらなかった。
しかし、彼女の心持ちが少しでも楽になれば、僕は良い。
相変わらず、ご主人様と呼ばれるのは、なんか変な感じがするが……。
僕は、今日一日フランのわがままに付き合う事にした。
と言っても、彼女の望んだ事はとても簡単な事だった。
僕がフランに、何かわがままを求めると、彼女の返した言葉はこうだった。
「ご主人様の服を洗濯したいです……」
そうして、今に至る。
僕の横目には、フランとティアが仲良く洗濯をしている。
物干し竿の方を見ると、僕とフランの服は、すでに干されており、フランはティアの洗濯物を手伝っている。
僕も手伝うと言ったのだが、フランが手伝わせる訳にはいかないとか言って、やらせてくれなかった。
ティアが居るので、そういう訳にはいかないらしい。
やはり主人というものは、なかなかに面倒だ……。
僕は暇なので、剣の素振りをしているという訳だ。
しかし、こうして眺めていると、フランがハイスペック過ぎるので、手伝うと返って邪魔になるのも確かだった……。
彼女の場合は、魔法ですぐなのだ。
「ユウ! 凄いわ! 洗剤を使わなくても、こんなに汚れが落ちるのよ!」
ティアが僕に、興奮気味に洗濯物を見せた。
元の汚れは分からないが、綺麗に洗われている事は分かった。
「本当だね、真っ白だ」
「ふふ……フランは洗濯が上手なのね」
ティアがフランの事を褒める。
僕がフランの方を見ると、フランは少し嬉しそうに微笑んでいた。
「この服はお気に入りだったから、嬉しいわ」
ティアも嬉しそうに笑った。
フランはその後もしばらく、ティアと二人で洗濯物をしている。
フランには「もう少しだけ、よろしいですか?」と尋ねられたので、僕は「フランの自由にして良いよ」と答えた。
フランは、ティアがこれもこれもと言う様子を見て、嬉しそうに応じていた。
ティアのいい様にされている気がするが、二人が楽しそうなので良いだろう……。
フランが洗濯物を洗って、それをティアが干していく。
二人とも、とても慣れた手付きだ。
僕は二人を待つ間、やはり暇なので、僕は何となく思い付いた事をやってみる。
「ティア、ちょっと僕の洗濯物を借りるよ」
「はーい」
一応ティアの許可を得て、僕は自分の洗濯物に手を伸ばす。
手に取ったシャツを魔力で包み込み、魔法を発動する。
魔法は、なるべく赤外線寄りにした。
すると、手にするシャツが輝きだし、僅かに湯気が立ち上る。
「あちち……」
「ちょっと、何をしているの?」
ティアが驚いて声を掛けてくる。
「魔法の実験」
「魔法?」
「うん」
魔力を込め過ぎると、自分の手が熱かった。
それに手元で魔法を発動しなくても、湯気が当たると少し熱い。
なので、シャツをバッサバッサと振り回しながら魔法を発動する。
意外と、良い感じだ。
「本当に魔法?」
「うん」
少しの間振り回していると、シャツはすぐに乾いた。
「ホントね、少し熱いわ」
ティアが乾いたシャツに手を伸ばして言った。
「すごいわ、ユウも便利な魔法が使えるのね」
ティアは、感心した様に言った。
洗濯が終わると、物干し竿には大量の洗濯物が掛っていた。
狭い範囲に大量にあるので、これできちんと乾くのだろうかと心配になる……。
一応、僕とフランの分は、魔法で乾かして皮袋に入れた。
しかし、残り全てを僕が乾かすのは骨が折れるので、退散する事にする。
僕の魔法では、洗濯物の生地が痛むかもしれないし……。
僕は、一仕事終えたフランに声を掛ける。
「フラン、お疲れ様。一緒に、ご飯を食べよう」
「はい」
ティアにも声を掛けておく。
「ティアは、もう朝ご飯は食べたの?」
「私はもう食べたけど、温めてあげる。先に席に座っていて」
ティアは、洗濯物の桶を片付けながら言った。
僕とフランが食堂まで来ると、席は貸し切り状態だった。
もう九時過ぎなので当然かもしれない。
二人でティアを待っていると、隣に座るフランが口を開いた。
「あの、少しだけ楽しかったです……」
「うん。また、いつでも手伝えるよ」
「いえ、こうしてご主人様と一緒に何かをするのは、楽しいなと……」
「え? うん」
とりあえず頷いておく。
僕は素振りをしたり、自分達の服に魔法を掛けていただけだが、フランはそう感じたのかもしれない。
少しすると、ティアが朝食を運んで来てくれた。
「お待ち遠様」
今日はフランの前にもデザートらしきおまけが並んだ。
「また、試しに作ってみたの。食後のデザートに食べてみて」
ティアは自分の分もテーブルの上に置くと、僕らと一緒に座った。
「うん、ありがとう」
「あ、ありがとうございます」
僕とフランは、ティアにお礼を言って食べ始める。
彼女の料理は美味しい。
料理は、彼女の母親のマギーと一緒に作っているらしいが、最近は一人で作る事も多いのだそうだ。
免許皆伝というやつだろうか。
「ねぇ、フランは料理も上手なの?」
食事をしていると、ティアがフランに尋ねた。
「少しはできますが、ティア様程では……」
フランはティアの質問に謙遜して答える。
フランの事なので、そう言いながらも上手いのだろうが……。
「ふーん」
ティアは少し考え込むような表情をすると、再び口を開いた。
「ねぇ、ユウ。フランを一日借りられないかしら?」
「借りるって、どういう事?」
僕はティアの質問の意味を尋ねる。
「今日の夜に、一昨日のお祭りの打ち上げがあるのよ。今日で三回目らしいけど……」
「打ち上げって三回もやるモノなの?」
「ほんと、何回やれば気が済むのかしらね……。今日は、お父さんの仲間内だけでやるらしいわ。それでも、いつものお客さんと合わせると、人数多いから……」
ティアは「はぁ……」とため息を吐きながら、テーブルにダランと突っ伏した。
僕はその様子に、フランの方にチラリと目をやる。
すると、フランと目が合った。
フランは、ティアを助けてあげたい様な、何だか困った様な……なんとも微妙な表情をしている。
僕には、フランの表情だけでは分からないので、彼女に尋ねた。
「フランはどうしたい?」
「私は……ご主人様が良ければ……」
フランが控えめに答えた。
ティアはフランの言葉を聞くと、僕の方を期待した眼差しで見つめ始めた。
「えっと……。僕は……フランが良ければいいけど……」
僕は曖昧に答える。
「じー……」
しかし、ティアの視線は僕から動かなかった。
フランもこちらをジッと見ている。
どうやら、僕が決めるらしい。
「うーん。じゃあ、フランが嫌じゃないなら、手伝ってあげて。ここの宿にはお世話になっているし」
「はい」
僕の言葉に、フランはハッキリと頷いた。