素振り
昼下がりのギルドは、空いている。
数人が掲示板を見ている程度だ。
僕とフランは、薬草採取の依頼を報告しにきていた。
「こちらが報酬になります」
薬草と引き換えに、ギルドの職員さんからお金を受け取る。
数えてみると380エル。
今回は前回よりも多く薬草を取れたらしい。
前回は240エルだった。
しかし、これだけ集めても、一日の宿代には及ばないか……。
やはり、危険を侵さずにお金を稼ぐのは難しいのかもしれない。
僕は魔物を……と考えた所で、ある事を思い出した。
しばらく、ほったらかしにしていた、狼の毛皮と牙を皮袋から取り出す。
今まで忘れていた……。
毛皮は、まだ腐ったりはしていない様だ。
それに、あまり乾いてもいない気もする。
この魔道具のお陰だろうか?
「これもお願いします」
僕は、職員さんに狼の毛皮と牙を渡した。
「あら、これはラグウルフの毛皮ですか……」
職員さんが呟いた。
ラグウルフ……?
ただのウルフではなかったのだろうか。
「こちらに腕輪をお願いできますか?」
職員さんが石板に腕輪をかざす様に求める。
僕は求められた通りに、石板に腕輪をかざした。
「やはり、そうみたいですね」
職員さんは、僕からは見えない所を見ながら言った。
「このラグウルフは、討伐依頼が出ていたんですよ。あなたが倒されたのは一匹の様なので、討伐の報酬は200エルになりますね。この毛皮と牙は合わせて200エルですが、よろしいですか?」
いつの間にか、受けていない依頼の条件を満たしていたらしい。
ちょっと得した気分だ。
しかし、なんで分かったのだろうか。
「では、それでお願いします。でも、どうして分かったのですか?」
「ラグウルフは、普通のウルフと違って毛皮が柔らかいのですよ」
毛皮の柔らかさが違うらしい、僕は比べた事がないので分からないが……。
「あ、いえ。倒したのが、一匹って」
「えっと……倒した魔物は、しばらくは腕輪の履歴に残るんです。倒した場所と時間が分かります」
「はぁ……なるほど……」
この腕輪は、かなりハイテクらしい。
この世界は変な所で、元の居た世界よりも優れている。
魔法の所為だろうか……。
たぶんそうだが……。
職員さんからお金を受け取る。
討伐報酬と毛皮と牙で、400エル。
薬草の買取額と合わせると780エルだ。
初めて、一日の稼いだ額が宿代を上回った。
しかし、一日を通しては赤字だが……。
今日は、フランの物を買い足したので仕方ない。
「ほかに何かございますか?」
気の聞いた職員さんが尋ねてくれる。
僕はランクを上げる方法について聞いてみる事にした。
「ランクを上げたいのですが」
「ええと……GランクからFランクですね。剣と鎧と……。はい、合格ですね」
職員さんが僕の格好を見ると言った。
合格らしい。
「Fランクの基準って、装備だけなのですか?」
「ええと、装備もそうなのですが、基準以上の魔物を倒してくる必要があります。さっきのラグウルフが基準を満たしていたので合格です。あとワイルドボアも倒している様ですね、こちらも基準以上ですね」
やはり、履歴で色々と分かるらしい。
人に対しても分かるのであれば、この世界は案外、治安も良いのかもしれない。
「なるほど……」
「では、更新しますので、腕輪をこちらに」
職員さんに言われて腕輪をかざす。
石板と腕輪がホワンと光って文字が表示された。
ユウ・アオイ 男 18歳 貴族
Fランク
レベル7
魔法使い
魔力指数 120
所有奴隷 フラン・ノーツ
ランクがGからFに上がった。
FからEもこんな感じなのだろうか……。
「おめでとうございます。Fランクについて説明はいりますか?」
職員さんが、祝福の言葉と共に僕に尋ねる。
もちろん聞くことにする。
「お願いします」
「はい。Fランクでは、今までのGランクの依頼に加えて、Fランクまでの依頼を受けることができます。これからは、危険を伴う依頼もありますので、気を付けて下さいね。魔物の討伐なんかも、Fランクからです。また依頼を受ける事は自由ですが、依頼によって怪我や死亡した場合、基本的に自己責任となりますので、ご了承下さい。あとの細かい事項は、こちらをご覧下さい」
職員さんに、ギルドに加入した時の様な冊子を渡される。
「それと、Fランクからダンジョンへの入場ができるようになります。ダンジョンについても、お聞きになりますか?」
この世界には、ダンジョンがあるらしい。
ボスとかもいるのだろうか……。
「えっと、お願いします」
「はい。ダンジョンでは、沢山の魔物が出現します。こちらも自己責任で入場して下さい。ギルドでは、町の防衛に繋がるため、ダンジョンの魔物を倒す冒険者に報奨金を出しています。具体的には、ダンジョンの魔物がドロップする魔結晶を、少し割高で換金する事ができます。また、ボスクラスの落とす魔石も割高で買取りますので、こちらもギルドで換金する事をお勧めします。その他の詳細は先程の冊子をご覧下さい」
やはり、ボスもいるらしい。
「以上がFランクの概要になります」
ギルドでの用事を終えて、フランと二人で宿まで戻った。
夕飯にはまだまだ早いので、僕は剣の練習をする事にする。
いまのクラスは魔法使いなので、剣士に戻したかった。
僕の光魔法だけでは、魔物を倒せそうにないからだ。
今のままでも目眩ましくらいには使えるだろうが、やはり倒したりする事は難しいだろう。
それにフランを守る必要がある場合は、僕が前に立たなければいけない。
僕は、剣を重視することにした。
装備だって前衛寄りだ……。
「フラン、ちょっと宿の裏庭で素振りしているね。先に戻っていて」
僕はフランに部屋に戻る様に促した。
「剣の練習ですか?」
「うん、ちょっとね」
「あの……そばで、見ていても良いですか?」
僕はフランの言葉に言い淀む。
僕は剣の練習などした事がないので、あまり恥ずかし姿を見せたく無かった。
それに、そばで見られると、少し緊張しそうだ。
「ええと、あまり面白くないかもしれないよ?」
「ダメ……でしょうか……?」
フランが不安そうな顔で、僕を見つめる。
こんな表情をされると、断り辛かった。
「ううん、大丈夫。見ていても、いいよ」
宿の奥を通って裏口を出る。
裏口を出ると少し広い裏庭がある。
裏庭には井戸があり、宿泊客が朝の支度や寝支度に使っている。
洗濯物もここで洗われているので、昼間の間は洗濯物も干してある。
隅っこには、鳥小屋もあった。
裏庭では、丁度ティアが洗濯物を取り込んでいる所だった。
僕はティアに声を掛ける。
「ティア、少しの間、庭の端っこを借りるね」
「はーい、何するの?」
「剣の素振り」
「あら、そう」
ティアは、一通りシーツを取り込むと、宿の中に入っていった。
フランに僕のコートを渡して座らせる。
「ありがとうございます……」
「ううん、気にしないで」
フランは、あの魔法の一件からどこか元気が無い気がする。
気のせいかもしれないが、いつにも増して、大人しいのだ。
しかし、フランを危険な目に遭わせる訳にもいかないので、仕方が無い。
例え、フランの魔法が魔物に有効だったとしても、僕は断っていただろう。
魔物と戦うのは危険なのだ。
僕は剣を両手で構えて素振りをする。
剣について、何かを知っている訳ではないので適当だ。
ただし、その一振り一振りを真剣に行う。
こういうのは、集中すればする程高まっていくものだと思う。
しばらく振っていくと、次第にフランの視線も気にならなくなる。
そして、周りの雑音も気にならなくなり、今の感じるのは手に持つ剣の感触と僕の思考のみだ。
この剣は、少し長い気がする。
剣の柄も両手で持てる様になっているし、実は両手剣なのかもしれない。
しかし、重さは片手でも振れる程に軽い。
軽いので、片手でも両手でも扱える、扱いやすい剣だ。
だが、この軽さは一概に長所とは言えない。
この剣の様な西洋風の剣は、刃で切るというよりは、重さを利用して、叩き斬る様な使い方をするからだ。
現にこの剣の切れ味はあまり良く無い。
おそらく、その辺の包丁の方が切れるだろう。
用途が違うので当然かもしれないが……。
うーん。
しかし、嘆いてばかりいても仕方が無い。
先ずは、この剣を使いこなす。
軽い分、素早く振れると思うし、なんだか手にもよく馴染む。
当分は、この剣のお世話になるだろう。
****
私は彼の敷いてくれたコートの上に座り、膝を抱えている。
辺りには、彼の振る剣の音だけが響いている。
彼はその頬に流れる汗も気にせず、一心不乱に剣を振っていた。
私はその様子を眺めながら、ときおり彼のくれたペンダントをいじった。
このペンダントは、水のしずくを思わせる形をしている。
その碧く透き通った色は、私の心を少しだけ落ち着かせてくれる。
私は、ペンダントの宝石を大切に手で包み込んだ……。
この宝石が、人々に月の石と呼ばれるのには訳がある。
ムーンストーンは、別名を魔光石と呼び、人々の暮らしの中で、明かりとして使われていたりもする。
魔光石は、透明度の低い物は魔石として扱われ、透明度の高い物は宝石として扱われるのだ。
この石も本来は魔光石なので、魔力を込めれば、ほら……。
私がペンダントに魔力を込めると、手の中でホワンと、月明かりの様に白く、優しく光る。
私は、彼のくれたペンダントを握り締めながら、彼を見つめた。
彼は、私に様々なプレゼントをしてくれる。
このペンダントや靴、そして洋服……。
本当に、私は善くして貰ってばかりだった。
私は、彼に優しくされるのが嬉しい半面、どこか少しだけ辛くもあった。
私は、彼の奴隷なのに、なんの役にも立てていない……。
今日だって、私がいなければ、彼は魔物を狩りに行っていただろう。
彼が薬草拾いなんて……。
彼は7レベルではあるが、とても強い。
それにレベルが低いということは、その分伸びしろがあるという事だ。
彼はこちらの世界に来てから、ずっと一人だったと言っていた。
私は、彼の倍のレベルがあっても、その辺にいる魔物を倒すことはできない。
私一人では、とても無理だ……。
私は改めて、自分の無力さを思い知った。
彼がこうして剣の素振りをするのも、クラスを変更し直すためかもしれない。
彼はレベルの事を気にしていたし……。
彼の向上心が、私の気持ちを焦らせる……。
いまこうしている間にも、彼が遠退いてゆく気がした。
それに、彼のクラスが変わったのも、私に魔力を注ぐことが原因かもしれない。
毎日あれだけ魔力を注いでいれば、そう思われても仕方が無い。
私は彼にとって、ただの足手まといでしか無かった……。
****
「ふぅ……」
タオルで汗を拭いて、一息付く。
僕がフランの方を向くと、彼女は膝を抱えながら、自分の両手を見つめていた。
彼女の手元が時折、ホタルの様に優しく光っていた気がする。
気のせいだろうか?
「フラン、何しているの?」
「あ、えっと、すみません」
僕は謝る彼女に首をかしげる。
「その……魔力の無駄遣いを……」
「フラン、手を。そんなこと、別に、気にする必要無いよ」
おそらく、魔法の練習でもしていたのだろう。
僕は彼女の手を取り、魔力を注いだ。
「ありがとうございます……。でも、あの……。クラスを変えたかったのではないのですか?」
「あはは、気が付いていたんだ……。でも、魔法を使っている訳じゃないし、たぶん大丈夫だよ。それに前衛のクラスでも魔力を使ったりしているんでしょ?」
「はい……体や武器に纏わせたりするそうですね……」
「じゃあ、大丈夫だよ」
僕はフランの前では、なるべく楽観的に振る舞う。
「別に、今すぐにクラスを変える必要もないよ。レベルを上げるにしても、フランが治ってからで良い」
「はい……」
彼女は僕に、無駄に気を使っている。
自分が弱っているときくらいは、誰かに頼っても良い気がするのだが……。
「それより、フランの魔法を見せてよ。一緒に練習しよう」
「でも……」
「大丈夫。まだ、剣士と魔法使い、どちらでやっていくか、決めていないんだ」
その後、お互いに魔法を見せ合いながら、夕食まで過ごした。
フランと二人で、ご飯を食べて、寝支度を済ませる。
今日は、僕が先に体を拭いたので、廊下で彼女が拭き終わるのを待っていた。
「ユウ、何してるの?」
宿の娘のティアが話しかけて来た。
隣の部屋に、お湯を持って来たらしい。
僕は、何となく言い辛いので、適当に答える。
「フラン待ち」
ティアは僕の言葉に首を傾げる。
そんな様子を見ながら、僕は何となく彼女を褒めた。
「そういえば、さっきのデザート美味しかったよ。ティアは、料理も上手なんだね」
初めは首を傾げていた、彼女も表情を和らげる。
「ふふ……ありがと」
ティアは、隣の部屋の扉の方を向くと、器用に扉をノックする。
「こんばんわ、お湯を持って来ました」
****
ティアは、料理も上手なんだね――
私が扉に近づくと、彼が彼女の事を褒める声が聞こえた。
彼女の微笑む様子が、思い浮かんだ。
彼女は、彼の事を好いている。
それは彼も気付いているはずだけど、何故か分からないフリをしている。
今日の夕食にだって、彼の分だけデザートのオマケが付いていた。
作ったから食べてみて……と。
私は彼女が羨ましいと思った。
彼女の様に、彼のために、何かしてあげたい……。
しかし、ここは宿だ。
私が今までしてきた様な、家事は、全てやってくれる。
掃除、洗濯、炊事……。
私から、これらを取ったら、いったい何が残るのだろうか。
魔法も呪い付きの所為で、あまりうまく扱えない。
私には、もう何も思い付かない……。
彼は、私に何もしようとしない。
私に何も求めない……。
私には、何も期待していないのだ。
奴隷である私に……。
****
少し遅いな……。
フランが体を拭くのを待って、しばらく経つ。
そろそろ拭き終わってもいい頃だと思うのだが……。
僕は待ちくたびれて、扉をノックした。
彼女の呪い付きは、完治したわけでは無いので、少しだけ心配だった。
「フラン? 平気?」
僕が声を掛けると、扉はすぐに開いた。
「すみません、お待たせしました」
「ううん、平気なら良いんだ」
僕は部屋に入り、フランに言った。
あとは、もう寝るだけだ。
「フラン、明かりを消すよ?」
「はい」
フランと僕は、今日も同じベッドで寝る。
僕は、彼女の手を掴み、魔力を注いだ。
こうして、フランと手を繋ぐのも、少しずつ慣れてきた。
今日は、早く寝られそうな気がする。